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彼は彼女の素顔を知らない(2)


「不安です…“姉様の代わりになれるか”僕は不安なんです」

「リリーナの?」

「…初めて会った方にする話ではないということはわかっています。ですが姉様はなんでもできてしまうから…姉様が男として産まれていたら、僕みたいになんでもない男を引き上げてくることもなかっただろうに、なんて…考えてしまって」

「…」


 今日一日近くでいただけでもわかる。リリーナがいかに優秀であるかということが。


 少しばかり少女のようにはしゃいだところで、何も曇ったりなどしない完璧な立ち居振る舞い。

 “人と話すこと”の場面による切り替えを理解した言葉遣いや話題の多さ。

 広い知識、大きな偏りのない視点。


 全てが違う。自分の周りで見かける令嬢にあんなに社交を理解した女性はいない。見ているだけで、令嬢であることが“惜しい”と言われるであろうと容易に想像がつく。


「ぼくも姉様みたいになんでもできたら…叔父様は、マルクス様は不安に思わないでしょうか」


 ルーエの瞳がまた少し揺れる。彼はリリーナを見たまま、抱えた不安を一つ一つこぼした。

 本当に、初めて会った人に何を言っているのだろう…そう思いながら。


「それは、“マルクス・ルーベンシュタイン”がそう言ったのか?」

「え?」


 不安を抱える少年に、ディードリヒは敢えて言葉を選ばなかった。


「ルーベンシュタイン氏が、君に向かってそう言ったのか?」


 そして真っ直ぐ少年を見る。その瞳は珍しく、リリーナの金の瞳を思わせるほど。


「ち、違います! ただ…」

「ならば諦めないことだ」


 言い淀むルーエの言葉を言い切らせまいとディードリヒは敢えて声を重ね、少年の不安を振り払う。


「…諦めない」

「リリーナは誰よりも“努力”をして今を作り上げていることを僕は知っている。彼女の美しさも、気高さも、それは誰よりも…休むことすら忘れてしまうほどの努力の上に成り立っているものだということを、僕は知っているから」

「…」

「リリーナと同じなれとは言わない。ただ不安があるならそれを覆す努力はしてみるべきだ。何もしないまま不安だけを口にしていても彼女には届かない」


 これは自分に言い聞かせてきた言葉。

 リリーナが頑張っているのだから自分もそれに倣おう。

 リリーナに見られた時に恥ずかしくない自分でありたい。

 リリーナに、あの光に手を伸ばせる人間であるために…。


 全てはあの輝きに追いつくためだ。あの輝きの陰にいたら、今の自分はなかったと確かに言える。


「リリーナが眩しいなら、リリーナのようであろうという心を忘れない方がいい。それで開ける道は確かにあるから」

「義兄様…」

「ただまぁ…リリーナみたいに休めなくなるのは避けたほうがいいと思うけど」


 ディードリヒは最後に苦笑いで言葉を締めた。努力もそれだけでは意味がない。

 対してディードリヒの言葉を聞いたルーエは、気の抜けたように小さく笑う。


「…笑うところじゃないと思うけど」

「ごめんなさい。安心したら気が抜けてしまって」

「安心?」

「姉様は、最初からなんでもできたわけじゃないから…僕にも何かできるんだって、安心できました」

「…」

「僕も頑張ってみようと思います。引っ越すのはまだ少し先なんですけど…叔父様に何かできることはないか訊いてみようと思います」

「それがいい。何もしないよりは結果が出る」

「はい!」


 たとえ事前にできることが無かろうとも、心構えの一つにはなるだろう。

 ルーエの素直な言葉にそんなことを考えながら、ディードリヒは内心で苦笑した。

 何があったら貴族社会でこんなに純粋で素直な人間が育ち上がるのかとつい考えてしまう。根性のひん曲がった自分とは大きく違うものだと考えてしまうと、リリーナとは違う意味で眩しく見える。


「でも」

「?」

「義兄様はどうして姉様の努力に対してそんなにお詳しいのですか? 一見接点は少ないのではないかと思うのですが…?」

「…!」


 最初にしまった、と思った。先ほどうっかりを拾われてしまったことといい、純粋な目が痛いところを突いてくる。

 ルーエの言葉に昔の自分を思い出してしまったからだろうか、感情的になってしまって発言の内容にまで気が回っていなかった。


「あぁ、そうだな…」


 なんと誤魔化したものか、そう少し言葉を考える。

 だが考えるのはほんの少しで良かった。巡る思考の中で、ディードリヒの心が行き着いたのはやはり彼女の“在り方”。


「パーティで会っただけでもわかるよ。あの鷹のような在り方は」

「鷹…? 花ではなくてですか?」

「そう、鷹。力強くて、雄大で、それこそが美しい。ただ静かに佇んでいるだけでも自然の中で生きていける、儚さのない美しさ」


 パーティで見ることのできるリリーナは、まさしく咲き誇った花の様だ。貴族らしくあるに相応しい、朝露を帯びた薔薇のように。

 だが彼女を成す真の美しさはそんな儚いものではない。激しい人の思惑と時に下劣な欺瞞の中で凛と背筋を正した彼女は、全てを見抜くような金の瞳で常に周囲と向き合っている。


「それは…かっこいいですね。姉様に言ったら怒られるかもしれませんが…」

「怒らないよ、リリーナは。そういう女性ひとだから」


 リリーナ・ルーベンシュタインは、己が雄大に空へ飛び立つことを恐れない。

 だからこそ、どこまでも飛んでいくことができてしまう。一度は鳥籠に閉じ込めたはずなのに、その閉じ込めた相手まで引き摺り出してまた空へ向かっていったほどには。

 盲目的であった自分を連れ出して飛び立てるほど、彼女は強い。


「…姉様みたいになれるか、それはそれで不安になってきました」

「それは違う、君は君の結果を出すべきだ。君が君である限りは」

「ぼくの、結果」

「僕もリリーナに憧れた、一目惚れだった。でも彼女になることはできないから、彼女に会って恥じない“自分”であろうと決めたんだ」


 リリーナが、リリーナであることに意味がある。

 自分ではない相手だから、あの気高い存在が自分と同じであってはいけないから。

 そうでなくては、この手が伸ばせない。


「義兄様も、かっこいいですね」

「…そんなことはないと思うけど」


 ルーエの目は輝いているが、ディードリヒは怪訝な表情を返す。

 ディードリヒから見ても自分は“情けない男”という自覚はある。それをかっこいいなどと、言っている意味がわからない。


「かっこいいですよ、憧れます。義兄様はすごいです!」

「だから何が…」


 そうやって輝いた目を向けられても困る、とディードリヒは顔に書いて言葉を濁す。目の前の相手にどう対応したものかと困っていると、不意に影が落ちて視界が少し暗くなり、視線が向いた先にある人物が映る。


「もう、ここにいましたの」

「リリーナ」


 影の主はリリーナであった。

 彼女は少し怒っているようで、日傘を持っていない手を腰に当て眉間に皺を寄せている。


「すぐに帰ってくると言ったではありませんか」

「そんなに時間経ってた? ごめん…」

「ごめんなさい姉様」

「何かあったのではと心配しただけですので許します。戻りましょう」


 リリーナはくるりと背を向け歩き出した。二人もそれに続いて歩き出す。


「リリーナ、この後何枚か撮っていい?」

「ここはやめてください」

「えーっと…何か理由があるってこと?」


 そこでふと、リリーナが足を止める。


「ここは、本当は春に来たかったのです」


 もの寂しい芝を眺める彼女に、ルーエは何か思い出したのかはっとした顔をして、それから納得したようにまたリリーナの背中を見た。


「ここは偶然空き地であったのを私が見つけた場所なのですが、その後お父様に管理していただくようお願いした場所でもあるのです」

「わざわざ?」

「えぇ。ここは春になると一面にクローバーが咲くのですわ。咲いたクローバーは同じ場所に種子を残し、また次の春に咲くのです。ですので次は春にくるための気持ちを持つために敢えて選びました」


 今はもの寂しい芝と常緑樹のみだが、春になれば季節に合った美しい景色を見ることができるのだろう。


「ですので写真は、春まで待ってくださいませ」


 期待するような笑顔で振り向いたリリーナは、確かにディードリヒを見ている。

 そして彼は、そんなリリーナの姿をすかさず一枚写真として形に残した。


「ちょっと! 写真は春にと言ったばかりではありませんか!」

「リリーナが可愛かったからつい…」

「景観まで考えるのが写真というものでしょう!」

「リリーナが写ってるのが一番だよ」

「私だけでしたらいつでも撮影できますわ!」

「今のリリーナは今しかいないでしょ?」


 言ったそばから、と言わんばかりに怒るリリーナとそれに冷静に言葉を返していくディードリヒ。さすがと言うべきか、呆れた方がいいのかわからないが、リリーナの怒りに冷静に対処している様は慣れなのか愛なのか。


「本当に仲がよろしいんですね、お二人は…」


 こそこそとそう話すのはルーエ。

 一足先にミソラ、ファリカと合流した彼は二人の姿を見て素直な感想を述べる。


「ルーエ様、私たちに敬語はいらないと思いますけど…」

「姉様の侍女の方に言葉を崩すのは難しいですよ…」

「お二人は痴話喧嘩をしないでいられない方々ですので」


 三人は言い合いの終わらないリリーナたちを眺めながら、二人の合流を待っていた。

 しかし終わる気配は中々見えず、段々と少し離れた三人からでもわかるほどリリーナの顔が赤くなっていく。


「お二人は何を話されているんでしょうか?」

「あの様子だと、大方リリーナ様が殿下に歯の浮くような台詞を言われてるんだと思います」

「姉様って、普段からロマンチストな方なんですか?」

「他の方に同じことを言われたところで眉一つ動かされませんので、ディードリヒ様がお相手の時だけかと」

「わぁ…素敵ですね。さすがは義兄様です」


 ミソラは気に食わないと言わんばかりの表情だが、ルーエはまた一つディードリヒへの憧れを募らせる。

 リリーナがディードリヒにしか靡かないということは、やはりディードリヒは魅力的な男というわけで、さらに言えば互いに強く思いが通じ合ってるからこそではないかとまで考えれば、やはりリリーナの隣に立つだけあってディードリヒはいい男…という連想がルーエの中で出来上がるまで時間はかからなかった。ディードリヒ本人の知らないところで勝手に株が上がっている。


 こそこそと話をしながら二人を見ていると、やがてディードリヒがリリーナを連れて帰ってきた。彼の後ろを歩くリリーナの表情がまだ赤いあたり、この痴話喧嘩にはディードリヒが勝ったのだろう。


「次はどうするの?」


 五人揃ったところでディードリヒが問う。その質問に、リリーナは軽い咳払いで自分の感情を整え直してから答えた。


「まだ顔を出しておきたい場所があります。ここでの予定は済みましたから早速向かいましょう」


 ここからは五人揃っての行動となる。リリーナの言葉に了承したディードリヒたちと足並みを揃え乗ってきた馬車まで移動を始めた。


ルーエは王城の庭にて「ピアノの枠が空いたら王室音楽団に入る予定だった」と言いましたが、それは「枠が空いたら入れる程度の実力であり、現行の者をクビにするほどではない」とも言外に言われています。なので彼は自分のことに少し後ろ向きで、自分の才能を信じきれていません

ディードリヒはもちろん彼のそういった負の部分に気付いたわけではないですが、何もしないというのも勿体無いと考えています

ディードリヒがルーエを結果としてどう思ったかについては触れませんが、少なくともルーエはディードリヒを兄貴分のように思い始めています


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