彼女の思い出探訪(3)
***
「なんというかここは…リリーナらしいね」
王城内では最後に、と連れられたのは庭園。なんとも花好きなリリーナらしい場所。
「この城には温室もありますわよ。そちらも好きですわ」
「そっちは行かないの?」
「これからまだ行きたい場所がありますので、今日は諦めました。本当は市場に行くことも考えたんですのよ」
「市場は…ルーエもいるしやめておこうよ」
「あら、ルーエも好きですわよ。そういう“いたずら”は」
「“いたずら”で済んでないからね…?」
ディードリヒとしてはリリーナの発言はなんとも肝が冷える。リリーナの行動パターンから考えると、一番は“急に市井に向かうには変装等準備ができない”という理由で諦めたのだろうが、それができたら行っていたのだろう。万が一も考えてほしいとディードリヒは常々言っているはずなのだが。
「義兄様、姉様」
と、そこで声が飛び込んできた。
言葉と共に二人の間に現れたのは、ルーエ。申し訳なさそうにはしているが、こちらの空気を読んでいるようで急に出てくるあたり…なんとも神出鬼没である。
「!」
「ここは一緒にいてもいいでしょうか…?」
「…いいけど、急に現れるな、君は」
「あくまでぼくは案内役だとわかってはいるのですが、少し寂しくなってしまって…」
困ったように笑うその姿はやはり“申し訳ない”と言外に言っているのがわかった。だがそれでも顔を出すあたり、言うだけあって余程寂しかったのだろう。そういった部分ではまだ幼さが抜けていないのかもしれない。
「ルーエ、丁度いいところにきてくれました。貴方に訊きたいことがありますの」
「訊きたいこと、ですか?」
「貴方も平民街は好きでしたでしょう?」
リリーナの問いに、ルーエはぱぁ、と表情を明るくする。そして弾む声音で問いに答えた。
「平民街ですか? 大好きです! 屋台で売っているヤギ肉の串焼きや焼き菓子が美味しいですし、人が多い分賑やかで楽しいですよね!」
脳内で思い出を振り返りながら話していたのか、楽しげなルーエにリリーナは特段と得意げな表情を見せる。
「ほら、言ったでしょう?」
「…君の家系は市井に出ないといけない理由でもあるの?」
「特にそういったことではありません。私のは趣味…いえ使命ですわ。ルーエは縁がありますが」
「縁?」
ディードリヒの素直な問いには、ルーエが答えた。
「僕の家は代々王室音楽団に所属する家なんです。王室音楽団には年に二回、市井に音楽の素晴らしさを布教するためのイベントがあるので、ぼくはそれについていった時とかにこっそり市井で遊んだりとか…」
ルーエは少し照れた様子で説明している。生家であるフルベアード家のことは誇りに思っているが、同時に家の自慢をするのは少し恥ずかしいらしい。
「へぇ、凄いじゃないか」
対してディードリヒは調べた情報を知らないフリで言葉を返す。怪しまれるのは勿論面倒だが、そもそもこのような場で出す話題でもない。
それにしても、わざわざ音楽を布教するためだけのイベントがあるとはディードリヒも知らなかった。
国家的なイベントになればフレーメンでも同じように国お抱えの音楽団が演奏を披露することもあるが、国の行事の中にそもそも“音楽を広めること”が入っているのは興味深い。
「フルベアードの家では父と兄がすでに所属しています。妹も来年入る予定です」
「ルーエも楽器や歌唱ができるのか?」
「ピアノなら多少は…音楽団にもピアノの枠が空いたら入る予定でした。本当に好きなのはチェロなんですけど、あまり才能がなくて」
そう話すルーエの表情はまた困ったように笑うものに戻ってしまった。ディードリヒもリリーナも、才能と好き好きが重なるのは存外難しいことは知っているので、少なからず思いはわかるような気がしてしまう。
「ルーエのピアノはとても美しいんですのよ。いつかチェロも聴くことができたらいいのですけれど」
「えぇ、チェロは本当趣味というか…誰かに聴いていただけるものではないので…」
「そうでしたか、仕方がありませんが少し残念でもありますわ」
「すみません姉様」
「いいえ、私こそ無理を言いました」
二人の会話にディードリヒは口を挟まない。
以前の彼であれば、このような場面は許さなかった。必ず話に割って入り、うまく話を切り上げさせてしまう。
彼としては、リリーナが自分以外に興味が行くことが気に入らないのは勿論のことで、シーズン中のパーティでは何度それで会話中のリリーナがディードリヒに連れ去られたか定かではない。
正直今でも気に食わないが、同時に我慢はしている。
“リリーナはディードリヒの元に帰る”ということを彼が信じようとしているからだ。その意図はリリーナにも言外に伝わっている。
「ディードリヒ様はフルートがお得意でしたわよね?」
なのでこうしてディードリヒのことを彼女は巻き込む。
ディードリヒの存在を常に気にかけていると言外に伝えるのと同時に、彼が感情を拗らせ過ぎないよう気を逸らせる狙いもあるのだ。
「嗜む程度にしかできないよ。リリーナのバイオリンと違って」
「私も嗜む程度ですので才能はありません。ですがディードリヒ様のフルートの腕前は是非拝聴させていただきたいですわ」
「義兄様はフルートがお得意なんですか? 今度姉様も含めて是非セッションをするのはどうでしょうか?」
「い、いや、僕は…」
急な提案に困惑し、返答に困っているディードリヒをルーエがじっと見つめる。
「ご迷惑でしたか…?」
うるりと瞳を濡らす子犬のような視線に、ディードリヒは確かに良心を突かれていると自覚した。
あれやこれやと考えはするが、彼の出した結論としては、
「か、考えておくよ…」
当たり障りのないものでお茶を濁す結果に。
ディードリヒとしては本当に楽器は得意ではない。言われれば演奏はできるが、そこに芸術的なニュアンスや繊細な表現を入れるのは寧ろ苦手だ。
だが、実はそれはリリーナも同じである。
ただリリーナの違う点は、他人の入れた細かな表現をコピーできるまで練習し、自己解釈で真似た表現を理論化してからアレンジできることだろう。ただそれはあくまで小手先の技術であって、そこに本当の芸術性は存在しない。
それにしても、とディードリヒは内心で困惑する。
昔の自分であれば、相手が情に訴えるような表情や言葉遣いをしているかなど気にしないどころか気づきもしなかっただろう。自分がリリーナ以外の人間に心動かされなかったのは、自分のそういったリリーナの以外の人間への興味のなさ故だとディードリヒは自覚していた。だからこそ、今まさに自分の中の変化を感じている。
先程の返答にしてもそうだ。打算がないといえば大きな嘘になるし、正直セッションをやるかやらないかで言えばやる機会が来ないことを祈るばかりだが、そもそもこういった感情の変動がおかしい。何がそんなに自分を変えるというのか。
今も沈んでいるこの、泥のような感情を自分は喜んで受け入れてきたというのに。この感情は、この先どうなっていくのだろうかと考えないでいられない。
「ルーエ、ディードリヒ様をあまり困らせるものではありません」
リリーナはそう言ってルーエを嗜めるが、彼女の内心もまた複雑なもの。
ディードリヒの成長や変化は喜ばしいものだ。盲目的に依存した閉塞的な関係性よりも、互いに自立した信頼のある中での開放的な関係の方が人として健全であるとリリーナは考えている。
だが同時にリリーナは自覚しているのだ。
“あんな顔は自分にしか見せなかったはずなのに”と卑しく感情を降り積もらせていく自分を。自分が最初は抵抗していたほどの依存を、自分自身がしていることにも。
相反する感情が自分の中で渦巻いていて、その二つをうまく扱えないでいる。
だからきっとあの時も、その時も、きっとどこかで嬉しいと感じてしまっていて———
「確かに…そうですね。ぼく義兄様も楽器ができると聞いて舞い上がってしまって」
「いや、いいよ。大丈夫」
「本当ですか? ですが無礼でした。申し訳ありません」
「気にしないで」
ディードリヒの寛大な言葉に、ルーエは少し安心したのか表情を明るくする。
「ありがとうございます! 義兄様は優しいのですね」
「そんなことはないよ…。そうだよね? リリーナ」
「え? …あぁ、そうですわね。ディードリヒ様は寛大なお方ですわ」
ルーエの純粋な表情を見ていると、愛想笑いで誤魔化すのもどこか見抜かれてしまいそうで薄寒い。なので助け舟を求めて声をかけたリリーナは、珍しく上の空な態度を返してきた。
「大丈夫? リリーナ。少し冷え過ぎた?」
「いえ、少し雲を見ていただけですわ。セッションの話はここまでにしましょう、時間がなくなってしまいます」
「あぁ、ごめんなさい姉様。ぼくが舞い上がってしまったから…」
「それは私から始めた話ですので貴方は悪くないのですが、時間を使ってしまったのは事実です」
「もういいの?」
先程のリリーナの態度を疑問に思いつつも、今話しても満足のいく返答は返ってこないと判断したディードリヒは、リリーナが切り替えた話題に合わせることに。そしてリリーナも、それをわかっていたように態度には出さない。
「本当でしたら生垣でできた迷路がありますので行きたかったのですが…」
「それは流石に時間がかかりそうだね…」
「はい、ですので諦めるしかなさそうですわ」
残念そうに表情を暗くするリリーナ。それを見たディードリヒは、彼女の髪飾りをずらさないようにそっと髪を撫でた。
「遊んだりはできないだろうけど…ちょっと行ってみようよ」
「いいのですか?」
「確かに遊べたら楽しそうだけど。にしても、リリーナは本当に体感できるものが好きだね」
「その方が楽しいと思う人間ですので」
「リリーナならなんでも素敵だと思うけど…僕としてもまだ写真は撮れてないし、もう少し見て回りたいなって。駄目かな?」
「貴方がそう仰ってくださるのでしたら…わかりましたわ。向かいましょう」
ディードリヒの言葉が嬉しかったのか、リリーナは少しはにかみながらディードリヒの手を取る。そのまま彼を引っ張って足早に歩き始めた。
「わっ…」
「行きましょう、ディードリヒ様!」
「迷路はこっちです! 姉様を綺麗に撮れる場所にもご案内しますね!」
「まって、手を繋いでたら撮れな…!」
「撮る間だけ離せばいいのですわ!」
急に腕を引かれ、驚くあまり足をふらつかせたディードリヒを二人は少し揶揄いつつも、彼を連れて迷路へ向かう。
写真を撮る間だけ手を離してもらえるかは、わからないが。
リリーナの思い出を巡る話でしたね。あくまでパンドラ王城での探訪が終わりというだけで、リリーナの行きたい場所はまだあります、ご安心ください。
ちらちらとではありますがパンドラとフレーメンでの価値観や文化の違いのようなものが出てきましたね
どうでもいい話ではありますがパンドラに比べるとフレーメンの方が国力もあり豊かです
そしてリリーナ様が作中初の上の空…という。彼女の中にある変化もついてもどこかで深く触れていきたいですね
「面白い!」と思ってくださった方はぜひブックマークと⭐︎5評価をお願いします!
コメントなどもお気軽に!