彼女の思い出探訪(2)
***
一行がまず訪れたのは城内の図書館。
主な理由としてはリリーナがよくここに通っていたからである。
ここまでも何かと話題には上がっているが、リリーナはよく本を読む。読書家とまでは言わないが、必要な知識を得るためであったり、単純な暇つぶしであったりと気がつけば図書館の貸し出し書籍を記すカードは何枚にも及んでいた。
「わ…これは、フレーメンより余程大きいね」
ディードリヒの驚いた声に、ルーエは「そうなんですか?」と素直な感想を返す。
パンドラの王城内にある図書館は、大きめの塔がひとつ丸ごと割り当てられている。
製本された高価な書籍だけではなく、書簡に纏められた論文や地図、取りおかれた新聞のバックナンバーなどを見ることもでき、さらに倉庫としての地下階層が存在するのだ。
「パンドラでは法規に従って全ての出版物を最低一冊はこの図書館に収める義務があるんです。なので図書館そのものがとても大きいんですよ」
「知識の保管が進んでるんだね。勉強になるよ」
「フレーメンは二階構造ですものね」
「基本的には、製本されたものを中心に扱ってるからね。ここまで多くの書簡を扱ってるのは初めて見たかな」
「製本された本は高いですからね…」
「そう、だからこそ平民まではいかなくても、下級の貴族だろうが見れる場所に置いておくことに意味がある」
「平民には解放されていないのですか?」
「解放はされているけど、貸し出しはしてない。紛失の可能性を下げるためだね」
ルーエとディードリヒの会話を横目に、リリーナは何かを探すように書棚を眺めている。図書館は撮影禁止のためディードリヒもマナーに沿ってそれに従っているが、ふと足を止めたリリーナに釣られて足を止めた。
「リリーナ、大丈夫?」
「ありましたわ」
「なにが?」
「この本です」
そう言ってリリーナは書棚から一冊の本を取り出すと、覗き込んでいるディードリヒに表紙を見せる。
「『仮面英雄冒険譚』?」
「そうです。貴方と出会った時に読んでいた本ですわ。当時のお気に入りでしたのでよく覚えています」
リリーナが何の気なしにページを捲ると、子供用の物語なのか挿絵が多く文字も大きめに書かれていることがわかった。挿絵に描かれたタキシードに仮面をつけた紳士が主人公なのだろう。
「この英雄は弱きを助け、理不尽と戦うのです。この英雄にあの頃は強く憧れました、懐かしいですわね」
そっと本を閉じて棚に戻すリリーナ。ディードリヒはその姿を眺めながらいい情報を得た、と脳内に記録した。今度探して手元に置こう。
「それだけですわ。失礼いたしました」
「それだけなんて、そんなことはないと思うな。僕らの大切な思い出だよ」
「貴方も…そう思ってくださいますか?」
「勿論。リリーナがこの本に出会ってなかったら、あの時僕は助けてもらえなかったかもしれないでしょ?」
「ディードリヒ様…」
なんとも甘い空気である。
二人の様子を少し離れた場所で見ていたルーエは目の前の景色にほっこりと和みつつ声をかけた。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
ルーエとしては水を差そうとしたわけでもないのだが、リリーナはその言葉にはっと我を取り戻し、慌てて軽く咳払いで誤魔化す。
「んんっ…ありがとうございます、ルーエ。他の利用者の方もいますので、ここは程々にして次へ行きましょう」
「どうしたのリリーナ、顔赤いよ? 照れてるの?」
「て、照れてなどいません!」
「姉様、それは照れてるって言うんじゃないですか?」
「ルーエまで…! 見間違いですわ」
つんと機嫌を損ねたリリーナは足早に歩き始める。迷いなく出入り口へ進んでいく彼女に置いて行かれた二人も慌てて歩き出す。
「わわっ、待ってください姉様!」
「怒らないでリリーナ!」
「知りませんわ! 図書館で大きな声を出さないでくださいませ!」
確かに図書館で声を荒げてはいけないが、不機嫌に二人を嗜めるリリーナの声量も大概である。
***
次にやってきたのは図書館と同じく無料解放されている大型の展望テラス。
正面ホールより直接上がって来れるこの展望テラスは、やや高台にあるパンドラ城の立地と併せて首都であるラムダを一望できる人気の観光スポットである。
「ここって…」
目の前に広がる景色にディードリヒは少しばかり既視感のようなものを感じた。
何が、と具体的に言えるわけではないのだが、どこか見覚えがあるような。
(特にそう、あの空は…)
「なにか気になることがございますか?」
既視感に気を取られていると、横から声が飛び込んできて我に帰った。声の方に顔を向ければ、言葉の通りこちらを気にかけているリリーナの姿がある。
「あぁ、いや…おかしい話かもしれないんだけど、ここに見覚えがあるような気がして」
「そういうことでしたならば、正解です。ここには貴方と来ましたから」
「ここに?」
「えぇ。覚えていらっしゃらないのだと思いますが、“あの時”私がここまでお連れしました。あの時は、背が足りなくてほとんど空しか見えなかったのですが」
そう言いながら、リリーナは視線を景色に向けていった。風に流れる髪と、景色に想いを馳せる瞳の美しさにディードリヒは吸い込まれるようにしてその姿を写真に収める。
あの幼さならば当たり前の話だとは思うが、他国の人間である自分がこの国の城の造りなど覚えているはずがない。だがリリーナと自分は確かにここにきて、そして共に見たあの空を覚えていたのだ。
それはやはりというか、どこか嬉しいこと。
「ディードリヒ様でも覚えていらっしゃらないことがあるのですね」
「悔しいけどね…」
人間の記憶力が完璧でないことが恨めしい、とでも言いたげなディードリヒ。リリーナはその表情を見て“そう言うと思っていた”とばかりに小さく笑う。
「あの時すでにここは私のお気に入りだったのです。お父様が一度ここに連れてきてくださって、その時みた景色は今でも覚えているほど綺麗でしたから」
遠い景色を瞳に映すリリーナは、思い出を懐かしむように微笑んでいる。ディードリヒはその姿を見て自身も穏やかに微笑み、それから彼女に声をかけた。
「リリーナ」
「? 如何なさいましたか?」
「一枚、撮ってもいい?」
その言葉を聞いた瞬間、彼が残したいのは景色だけではないのだとすぐに気づく。
改めて口にされると少し恥ずかしいとは思いつつも、少しばかり顔を赤くしたリリーナは風に流れる髪を抑えて答えた。
「喜んで」
返答のすぐ後で、シャッターの切られる音が聴こえストロボが瞬く。その光は一瞬のうちに消え去って、“今”が確かに残された。
「ありがとう、リリーナ」
「いいえ、この程度でしたら」
リリーナは写真に残された愛らしい微笑みのまま言葉を返す。
そのままふと視線をしらしたリリーナの視界には、ほんの少し離れた場所で懐中時計を気にかけるルーエの姿が目に入った。
「どうかしましたか? ルーエ」
「あっ、リリーナ姉様。申し訳ないのですが、あそこに行くなら時間が」
「あら、残念ですわね…仕方がありません、次へ向かいましょう」
とは言いつつ、リリーナはディードリヒに視線を送る。
「ディードリヒ様」
「どうかした? リリーナ」
「一つ、わがままを言ってもよろしくて?」
「なんでも言って!」
ディードリヒの言葉に、リリーナはテラスの先の景色に手を差し向けた。
「この景色を一枚、写真に収めていただけないでしょうか? いつでも見ることができるように」
「うん、わかった」
リリーナの言葉に応えて、ディードリヒは眼前に広がる景色を一つ切り取る。
しかしほんのわずか、実はこの景色を収めることに彼は迷った。リリーナが郷愁に浸ることに寂しさや遠くなってしまう恐怖を連想してしまった故に。
だがそれはあくまで自分の主観の問題でしかない。きっと彼女は故郷を懐かしんでも自分の元から去ったりはしないだろう。
わかってはいる。だからこそ結局は信じれるか否かでしかない。
ならば信じようと思った。彼女の言う通り、こうやって一つ一つ信頼が積み重なっていくのなら。
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