彼女の思い出探訪(1)
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翌朝
リリーナとディードリヒは朝食前に庭に集まり、約束の写真を撮った。
朝露に濡れる花々とリリーナを自らの手で撮影できたディードリヒはご満悦で朝食を摂り、約束通りリリーナと出かけようとしていたのだが。
「今日はよろしくお願いします!」
エントランスには明るい笑顔を向けるルーエの姿があった。
「えぇ、よろしくお願いしますね。ルーエ」
「…」
今日も元気よく明るいルーエだが、対照的にディードリヒは一見わからないよう振る舞っているだけで大変不機嫌である。
「…なんであいつがいるの」
それでも小さく溢れてしまった言葉に反応したのかリリーナがディードリヒの服の袖を引き、耳打ちができるよう高さを合わせろと言外に伝えてきた。ディードリヒが素直にその指示に従うと、リリーナの小さな声が耳に届く。
「私たちだけでは出掛けられませんので急遽案内をお願いしたのです。私たちは一応貴賓でしてよ」
「リリーナと二人きりがよかった…」
「諦めなさい。私ももうパンドラの人間ではないのですから。わからないとは言わせませんわよ」
「…」
こそこそとディードリヒを説得していると、こちらを見ていたルーエが小首を傾げる。
「大丈夫ですか?」
「! 大丈夫ですわ。急な話でしたのに、ありがとうルーエ」
「気にしないでください。リリーナ姉様の行きたい場所にお連れすればいいんですよね? 僕もあちこち行ってますので是非任せてください!」
朝急に聞いた話だというのに、“家が近いから”と快く今日のガイドを引き受けてくれたルーエには感謝しかない。
よく見るとルーエはいつもより何か好奇心がくすぐられているような様子を見せている。わくわくと期待を孕んだ視線は、ばっと勢いをつけてディードリヒを見た。
「殿下、少しお時間よろしいですか?」
「どうしたんだい?」
「ぼく、殿下にお願いしたいことがありまして…」
「言ってみて」
ディードリヒの姿勢にルーエは少しそわそわとした動きを見せると、それから少し照れた様子で願いを口にする。
「もしよろしければ、『ディードリヒ義兄様』とお呼びしてもいいでしょうか?」
「!?」
急な言葉に驚いたディードリヒは一見固まってしまったが、同時に脳内はフル回転を始めた。
急に距離感を縮めてくるこの感覚は未知のものな上、正直この言葉に裏を感じない以上やはりその思考は理解できるものではない。
かといってルーエもまたこれから親類になる人間だ。昨日リリーナに触れたことを許すことは一生無いであろうとはいえ、ここで冷たくあしらってはルーベンシュタインの家との関係に響く可能性もある上リリーナも悲しむだろう。ついでに言うならば、今のところこちらに悪意を持って接するような人間でもない。
なのでディードリヒが出した結論は、
「…あぁ、構わないよ。なら僕もルーエと呼ばせてほしいな」
大変打算的な結果になった。
「本当ですか!? 嬉しいです! ぼくのことはお好きに呼んでください、ディードリヒ義兄様!」
ルーエは予想外と言わんばかりの驚きようで喜んでいる。おそらくダメ元だったのだろう。
そしてその様子を見ていたリリーナは少し意外そうな表情でディードリヒを見ている。正直言って、“昨日はあれだけごねたというのに”と驚いた。
「では行きましょう。義兄様、姉様!」
気分を弾ませるルーエの姿は、とても貴族らしいとは言えない。だが、年相応に感情を豊かに表す彩り豊かな人間味がそこにはあった。
リリーナはその姿を少し羨ましいと思いながら、大きな正面ドアを開けて歩き出すルーエに続く。
そして彼女は、同時に自分の中の変化を感じていた。今までの自分ならば、きっとルーエを“羨ましい”と思うことはなかっただろう、と。
今までのリリーナであれば、ルーエは“そういう人物”だが、“自分は違う”と思っていたに違いない。それだけ彼女は自分と他人を区別していた。
他人を否定することはないが、自分が同じ道を進むとは言っていない…それがリリーナの行動理念の一つである。だからこそ、彼女は“己”が至高であることを望んだ。
だが今は変わったように、彼女は思う。
至高であることだけが自分を証明するものではないのだと、訴え続けてくれた人たちがいたから。
何より“彼”が、その向こうにいる自分を望んでくれたことが、自分を変えたのだと彼女は思う。
***
三人がまず最初に訪れたのはパンドラ城であった。やはりリリーナの毎日は城へ通い花嫁修行を積み重ねることであった故だろうか、思い出も少なくないのだろう。
今回は急な訪問だったため正式な手紙を出している時間はなかったが、見学のみとのことを伝え許可を得た。
急いでいたため使者を送る時間も惜しく、連絡手段として用いたのは“電話”。パンドラでは少しずつではあるが電話が普及しつつある。
高価な品のため一部上位貴族と王室でしかまだ扱われてはいない故、電話に応答して内容を伝達する仕事が存在するほどではあるが、王室としては少しでも早い普及を目指している新しい技術だ。
ルーベンシュタイン邸にはリリーナが投獄中に配置されており、今回当主であるマルクスの許可得て王室に連絡を取ったのである。
フレーメンにはまだ電話が存在せず、実物を初めてみたディードリヒは特に関心を示していた。
パンドラ王城の見学については、ディードリヒの訪問そのものが事前に伝わっていたためかあっさりと許可が降り、とんとん拍子といった調子で三人は城内を歩いている。
「あら、朝だけではなかったんですの?」
リリーナが横を歩くディードリヒを見て言った言葉が指しているのは、彼の首にかけられた写真機のことだ。
今朝は予め約束をしていたので持ち歩いていたのもわかるが、今はその限りではない。
「昨日言ったでしょ? 君の好きなものを、一つ一つ写真に収めたいんだって」
「わかりますが…全てディードリヒ様自ら、ということでしょうか?」
「うん。ミソラにお願いしたんだ、貸して欲しいって」
「理由をお伺いしても?」
「今までと変わらないよ。リリーナの全部を知りたいんだ」
「…それに関しては、もう全部見ているのではなくて?」
不服そうにむくれるリリーナに、ディードリヒは「意外とそうでもないよ」と答える。
リリーナがその返答を不思議に思っていると、ディードリヒはその場で一度足を止め、それに釣られるように同じく立ち止まったリリーナを正面から一枚、写真に収めた。
「だって、リリーナがこっちを見てる写真は少ないから」
「!」
「僕は欲張りだから、こっちを見てるリリーナも欲しくなったんだ」
「…っ」
ディードリヒの行動の意図が自分が求められた結果の上にある変化であることがわかってしまい、図らずも顔を赤くするリリーナ。そしてそれを見たディードリヒは、リリーナが顔を赤くすることをはじめからわかっていたように得意げな顔をする。
「ほら、もう止まってないで行こう。ルーエが呼んでる」
「〜〜〜っ! わかっていますわ!」
確かに少し向こうでルーエが手を振っているのが見えるが、照れと喜びのようなものが感情の中で入り混じってしまったリリーナは赤い顔が隠せない。
それでも歩き始めた彼女の半歩後ろを歩くディードリヒとしては、その表情も写真に収めたいのだが、さすがに人の流れが多い場所では難しそうだ。
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