会いたくない相手(2)
「チェス…でございますか?」
「えぇ、グレンツェ領は常に非常時に備えているのですから、領主である辺境伯はさぞ騎士の扱いも手慣れていらっしゃるのではないかしら」
リリーナはちらりとディードリヒに視線を送る。
「殿下もそういった勝負事にはお強いと聞きます。直接剣を交えるだけが戦いではないのではなくて?」
リリーナの言葉に、ラインハートは少しばかり沈黙した。その表情はわずかばかり不機嫌なように見えたが、
「さすがはリリーナ様! 良き考えをお持ちでいらっしゃる!」
次の瞬間には上機嫌に弾んだ表情と声音をリリーナに返し、それを見たリリーナは内心でわずかに笑う。
「さぁ、では殿下! 本日はチェスで勝負と参りましょう。すぐに部屋と盤を用意させます」
ラインハートは上機嫌なまま立ち上がるとディードリヒの腕を引いて強引に立ち上がらせた。
「わぁ!? お前、まだ僕はやるとは」
「何を仰います。チェスであってもリリーナ様に良き姿を見せられますとも! 殿下でしたら!」
そのまま強引に引き摺られていくディードリヒ。リリーナはそれを花のような笑顔で見送った。
「リリーナ!? 笑ってないで助けて!? グレンツェお前、僕の意見は無視か!」
「ディードリヒ様、期待していますわ」
「リリーナ様は話の通じるお方だ。ほら殿下、いきましょう!」
「いい加減にしろ馬鹿!」
ディードリヒは掴まれた腕を必死に振り解こうとしているが抜け出せるような様子はない。そしてそのまま二人はリビングルームを去り、それを見届けたリリーナにミソラがそっと声をかけた。
「よろしかったのですか?」
「何がですの?」
「グレンツェ辺境伯を焚き付けになるとは思いませんでしたので」
「…」
ここでようやく、リリーナは不機嫌を表情に表す。眉間に深く皺を寄せ、頬は少し空気で膨らんでいた。
「彼の方が悪いのです。また仲のいい方を増やして」
「…」
まさか、と言っていいリリーナの言葉に呆気に取られるミソラ。その言葉を聞いてファリカも近寄ってくる。
「リリーナ様嫉妬?」
「いけませんか? 彼の方が自分だけ見て欲しいと言うならば、交友関係は多少見直していただきませんと」
子供じみた嫉妬なのはわかっているのだが、それでも最初は本当に“自分だけ”だったのに、と少しムキになってしまう。
「いいことでもあるように思うけど…」
はたから見れば、ディードリヒがリリーナに対する歪んだ執着や感情から脱却しようとしている証ではないだろうかと思わないこともない。
「そもそも明らかにご友人らしい、という意味で言ってしまうと唯一それらしい人物はグレンツェ辺境伯程度のものだと思いますが…」
二人の言葉に対しても、リリーナは相変わらず不機嫌を露わにしている。むしろ先ほどよりも頬は膨らんでいる程だ。
「…彼の方が感情を露わにする相手は少ないに越したことはありません。先に言い出したのは彼の方なのですから」
「じゃあなんでさっき助けなかったの?」
「お灸を据えるようなものですわ。少し痛い目をみていただきませんと」
リリーナの言葉に、ファリカは少し困った様子で笑う。ミソラは無表情ではあるが内心リリーナの変化に予想した通りだと感じた。
「私たちに対してもそうだったけど、リリーナ様も殿下とあんまり変わらない時あるよね…」
「あら、私はディードリヒ様と違ってストーキングなどしませんわ」
「あー…うん、わかってないならいいかな…」
ファリカは人差し指で軽く頬を掻きながら浅く笑うも、その表情の内訳は“返答に困っている”というところからきているというのは見て明らかである。
いつから二人がそういった感情で側にいるかファリカにはわからないが、二人は互いに“結局互いがいればいい”という重さの依存度なのだ。そういう意味ではとても似たもの同士なのだが、リリーナがその答えに行き着くのは難しいだろう。
「さて、食休みも終えましたので明日の支度をしますわ」
「まだ少し早くない?」
「後ほどディードリヒ様にお紅茶を淹れて差し上げようと思いまして、少し早めに動くことにしました」
「やはりディードリヒ様が気になりますか?」
「グレンツェ辺境伯を焚き付けたのは私ですから」
「そういう責任感じちゃうとこ、リリーナ様だよねぇ」
「そうでしょうか?」
他愛無い会話をしつつ三人は部屋を移動する。
特にリリーナは他人の家の台所は借りられるのかについて考えながら客室に向かった。
***
翌朝。
移動用の馬車の前でラインハートが一行の見送りをしてくれているわけだが、リリーナには、いや彼女の侍女たちも含めて気になることが一つ。
「はぁ…」
珍しくディードリヒに元気がない。
精神は勿論だが、肉体も…あまり疲れが取れていないような。
リリーナは特に朝食で顔を合わせてからずっと気になっているが、何があったのか。
「我が屋敷へのご滞在、誠にありがとうございました」
しかしラインハートは対照的で、輝かしいほど調子のいいのが伺える。
「特に殿下、昨日はとても幸せでした。またチェスでもお手合わせ願いたいものです」
「…お前とはもうやらん」
ディードリヒの様子は文字通り“げっそり”といった様子だ。
何かがおかしい、二人を見ていたリリーナはそう考える。昨日紅茶を差し入れた時はこんな様子ではなかったはず。
「ディードリヒ様、どこかお加減がよろしくないのでしょうか?」
素直に不安になったリリーナの言葉に覇気のないディードリヒが答える。
「グレンツェの奴が寝かせてくれなくてね…」
「!?」
その言葉だけ聞いた限りではあまりにも衝撃的だ。一体どういうことなのかと思わず戦慄する。
「それは…どういう…?」
なにか考えてはいけないことが脳を過りそうになってしまう。ディードリヒに限って、やましいことなどないはず、なのに。
「昨日は一晩チェスにお付き合いいただきまして!」
だが不意に飛び込んできた言葉の主であるラインハートは、とても上機嫌な笑顔を見せていた。
「…」
そしてリリーナは感情が大きく動転した反動で、ラインハートの言葉に呆然としている。
「中々勝負がつかず二戦程度で終わってしまったのですが、その分一戦頭がとても濃密で素晴らしい対局でございました」
「お前のせいで寝たのは五時だ。絶対にもうお前とはやらないからな」
「そう仰らないでください。ワインよりも濃密な時間だったのですから」
「そういう問題なわけあるか! 翌日も朝から移動だと言っただろう!」
「時間を犠牲にできるほど楽しめる時間だったではありませんか!」
「お前がすぐに煽ってくるから仕方なく付き合ってやっただけだ。何もわかってないなお前は」
やいのやいのと言い合っている二人を呆然と眺めるリリーナは、聞こえてくる内容が降り積もって感情へと変わっていき、それはやがて大きなため息になった。
「ミソラ、ファリカ、出発しますわよ」
正しく“心配して損した”と言っていい。
この呆れと強い苛立ちを抱えた感情をどう表現すればいいのか。
少なくともディードリヒはここに置いていこうと心に決め馬車のステップに足を乗せる。
「待ってリリーナ! どこに行くの!?」
「チェスが随分盛り上がったようですので邪魔者は去ろうかと思いまして」
「楽しいわけないでしょ!? 僕も行くから! 置いて行かないで!」
「知りませんわ。私との予定よりチェスを取る方など」
「り、リリーナ…っ、ごめんよ! 僕があんなのに連れて行かれたから!」
ディードリヒは大慌てといった様子だが、リリーナがそれに反応する素振りも見せない。つんとよそを向いた顔はディードリヒの言葉を完全に拒絶している。
しかし侍女たちからすれば、「最初に言い出したのはリリーナ様なのに…」といったやや複雑な感情だ。結果として断りきれなかったディードリヒにも非はあるかもしれないが、そもそもラインハートを焚き付けたのはリリーナである。
だが敢えて言うならこんなものは所詮痴話喧嘩だ。いつもならともかく今日ばかりは移動時間を考えると早く終わってほしい。
「…」
そしてミソラが未だ言い合っている二人の少し向こうに目を向けると、ラインハートが和やかな笑顔で二人を見ていた。
言ったところで止まらないのを知っている自分たちならともかく、事情も知らないのに特に間に入って止めるでもなくただ和やかに二人を眺めているあたり、ラインハートもあまり性格の良い方ではないと、ミソラは確かに感じた。
「リリーナ様、そろそろお時間が」
「あらそう、では参りましょうか」
「待って僕も乗るから!」
慌てて馬車に乗り込むディードリヒを目で追うリリーナのその視線は相変わらず不機嫌である。
そしてリリーナは敢えて最後まで馬車に乗り込まずラインハートの正面に立つと、強く彼を睨みつけた。
「ディードリヒ様で遊んで楽しいかしら?」
「まさか、お二人の仲睦まじいお姿が見れるのが何よりですとも」
「私の怒りを買って慌てる彼の方を見るのが楽しい、の間違いではなくて?」
「そのようなことはございません。殿下といらっしゃる時のリリーナ様は、それはもう輝いておいでですから」
怒りを隠さないリリーナに、ラインハートは不敵に笑いかける。バチバチと電流がぶつかり合う音を立てる勢いの睨み合いの中、後ろの馬車から呼び声がかかった。
「リリーナ様ー、まだー?」
そう言ったのは馬車の窓からこちらを覗き込むファリカ。リリーナはその声に反応するように身を翻すも、その視線の外し方はまるで吐き捨てるようであった。そのまま彼女は振り向くことなく馬車に乗り込む。
リリーナが乗り込んだことを確認した馬車はゆっくりと動き出した。ラインハートはその後ろ姿に頭を下げ、馬車の音が遠くなったのを確認して首を戻す。
「…嘘は言ってないんだがなぁ」
先ほどのリリーナとのやりとり、ラインハートは決して嘘を言っていたわけではない。
リリーナとディードリヒは小旅行に来た際も何かと痴話喧嘩をしていたが、ラインハートはそこにある種の平和を感じていた。
かといって二人を全く揶揄っていなかったかと問われると、それも嘘になってしまうのだが。
「それにしても、次殿下に相見えるのはいつのことか…」
ラインハートは空を仰ぎ一つ呟く。
とりあえず、本当に手紙が検閲されてしまうとしたら新しい連絡手段を考えなくてはいけないようだ、と考えながら屋敷へ歩き出した。
ラインハートはディードリヒが大好き(※友達として)ですが、ディードリヒはラインハートが日を追うごとに嫌いになっていっています
なんでこんなやつに連絡してきていいとか言っちゃったんだろ…とまぁまぁ後悔していますが、もうどうしようもないとやや諦め気味です
とりあえず住んでる場所が都会と山の中みたいなレベルの二人なので、友達の家まで五分で行けるぜ!みたいなノリで手紙を寄越すことだけはやめてほしいらしいのですが、その思いが届くといいですね
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