会いたくない相手(1)
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リリーナが“実家に帰る”と話をして三日が経った。
気づけば季節はすっかり冬となっていて、城から一時パンドラへ旅立つ面々はしっかりと着込んだ装いである。
今回は急な予定であったことも含め何かと慌ただしい旅なので早朝から出発し、まずは機関車に乗車。それから終点で馬車に乗り換えパンドラ国境を守るグレンツェ領へ辿り着いた。
「皆さん! よくいらしてくださいました!」
急なことであったにも関わらず上機嫌で迎えてくれたのは領主であるラインハート。
しかし彼が上機嫌である理由はあくまでディードリヒとの邂逅なのだろうと考えるのは容易い。
「ごきげんよう、グレンツェ辺境伯。急な話でしたのに応えてもらえて感謝していますわ」
「…ご苦労だ、グレンツェ辺境伯」
対してディードリヒはみるからに不機嫌であることを隠そうとしていなかった。
なぜかと言われれば単純なことで、ディードリヒとしては必要がない限りラインハートには会いたくない理由がある。
「いえ、お迎えできまして光栄でございます。リリーナ様」
そうリリーナへ笑顔を返すのもそこそこに、ラインハートの視線はすぐディードリヒへと向かう。
「殿下、お送りしている手紙は届いていますでしょうか? お返事がありませんのでお忙しいのだと思ってはいたのですが」
「…だからと言って毎日のように手紙を寄越すやつがあるか」
ディードリヒがラインハートに会いたくない理由の最たるものがこの手紙の話から来ている。
ラインハートは、ディードリヒとリリーナがグレンツェ領での小旅行から帰った翌日から、狙ったように毎日同じ内容の手紙を送り続けていた。内容はディードリヒの時間の余裕を問いつつ、自身の予定はいつ何時も空けられるといった内容のもの。要は再戦の申し込みである。
毎日とめどない手紙にディードリヒは正直辟易していた。
「殿下のお時間を待っていいと言っていただけましたので」
「僕は『暇があれば』とは言ったがお前のために時間を作りはしないと言ったはずだ」
「えぇ、ですのでそのお時間を逃さぬよう待機しております」
「…」
期待に満ちた笑顔を見せるラインハートにディードリヒは確かな苛立ちを覚える。両者がどうあろうと、決して子供が遊ぶような時間ではなにかと済まないというのに五分で集まれるような感覚でいられては話にならない。
さらに言えば、それを相手はわかっていて発言しているのだろうとすぐ思い当たるからこそ、余計な苛立ちを呼ぶ。
「…」
リリーナはそんな二人のやりとりを見つつ、こんなに辟易しているディードリヒも珍しいと思い助け舟を出さないでいた。
相手も人間なので疲れ切った表情というのも時にはみるものではあるが、ここまで呆れたような様子は珍しい。
「これ以上手紙を送ってみろ、拒絶して送り返すからな」
「はっはっは、中には仕事の内容もあったではありませんか」
「わかっていてやっていたと認めたな? グレンツェ領からの手紙は検閲させるぞ」
「それは手痛い。何か手を考えなくてはいけませんな」
なんとも中身のないやりとりをしているが、今日はグレンツェ邸にて一泊の予定である。
パンドラにあるルーベンシュタイン邸はパンドラ首都にあるため馬車でおいそれと辿り着くことは難しい。馬の疲労やリリーナたちの負担も考え、予め二日に分けて移動することとなっている。
ディードリヒは最初、ラインハートに会いたくない一心で「視察ついでに関所にある宿泊施設を使おう」と言っていたのだが、いかんせん事情がある者が一時的に使う程度の宿泊施設なので、侍女二人から「リリーナ様をそんな貧相なところで寝かせられない」と猛反対された。
なので一時は不満を抱えたディードリヒだが、関所は場所や目的の都合上男所帯であることに思考が行き着き、結果的に自分が折れてグレンツェ邸での宿泊に話が落ち着き今に至る。
***
「本日は当初関所に向かわれる予定であったとか」
ラインハートが夕食の食休みの最中、グレンツェ邸にあるリビングルームにてリリーナたちにそう声をかけた。
「えぇ、殿下が視察をなさると最初は言っていたのですが、事情が変わりまして…」
ディードリヒが駄々をこねた話し合いの場にはリリーナもいたためその記憶は鮮明で、リリーナとしては珍しいこともあるものだとは思ったが、それはディードリヒとラインハートの間で交わされた約束を彼女が知らない故なので無理もない。
そしてディードリヒはラインハートを“親しい仲”として紹介する気もなかった。
少なくともディードリヒの中では“連絡を取る機会がある”程度の人間を作ったつもりで、“親しい”などと口が裂けても言うつもりがないからである。
かといってはたから見てディードリヒのこれまでの交友関係を考えると、ラインハートは十分“親しい”間柄なのだが、本人がそれに気づくのはいつの日だろうか。
「ですが、それになにか思うところでも?」
「いえ、大したことではございません」
ラインハートは上機嫌な様子でにっこりと笑う。
「関所であろうが殿下とリリーナ様がいらっしゃるのであれば領主として俺も顔を出さなければと思っていましたので、ご宿泊となりますとこちらでおもてなしできましてよかった、と」
「あら、それはお気遣いに感謝しますわ」
「…」
いつも通りに笑って返すリリーナに対して、ディードリヒはげっそりとした様子で視線を逸らした。
少し考えてみれば、関所になど顔を出したらその場で勝負を申し込まれかねなかった、と今更になって気づいてしまい、ラインハートから逃げられないことに素直に絶望している。
「ところで殿下、明日のご予定なのですが」
「時間はない」
まだ具体的な内容も問われていないというのにディードリヒはラインハートの言葉を即座に切り捨てた。
「それは残念、せっかくですので共に汗を流そうと思ったのですが」
その汗が何を意味しているのか、ディードリヒは考えたくもないと思考を一度止める。中身がなんであれ自分にとってはろくなことにならないだろう。
そしてディードリヒは、ラインハートの言葉から似たようなことを言って剣の訓練に連れ出すケーニッヒを連想した。あの頃はすでにケーニッヒへ苦手意識ができており、訓練がやや億劫だったのまで思い出してしまい余計に気落ちする。
「…そもそも旅疲れでそれどころではない。わからないとは言わせないぞ」
「はっはっは、ご冗談を。その程度でお疲れになる殿下ではありますまい」
「お前は僕をなんだと思ってるんだ…」
ディードリヒは完全に疲れ果てているが、そんな二人のやりとりを静かに観察するのは同席しているリリーナ。
二人のやりとりを紅茶の飲みつつ様子見してる彼女は今、素知らぬ顔をしたまま大変不機嫌である。
「お二人は随分仲を深められたのですね」
そこからあえて水を差すように、にっこり笑って彼女は言った。
それこそ、ディードリヒは否定するであろうとわかった上で。
「ち、違うよリリーナ! こいつは」
「えぇリリーナ様、殿下には大変よくしていただきました」
予想通りの反応を返してくるディードリヒはともかく、リリーナの言葉の真意に気づいているのかいないのかラインハートはご機嫌な笑顔を返してきた。リリーナはその笑顔に内心で眉間に深い皺を寄せながら、それを表に出さないようあえて努める。
「それは素敵なことですわ。ですがお二人の会話から邪推するようで申し訳ありませんが…もし剣を交えるのでしたら、少し危険ではなくて?」
「そうだよねリリーナ! こいつは野蛮人だよね!」
「何を仰いますか。殿下ほどの腕前がおありでしたら事故などあり得ません」
「そうでしょうか? 私は心配で眠れなくなりそうですわ。殿下がお怪我でもなさったら耐えられませんもの」
「リリーナ…!」
「ですので…」
リリーナはあえてそこで一拍間を置き、そして再びにっこりと笑う。
「チェスというのは如何でしょう?」
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