四巻序章side L—後編
「そう? ならいいのだけど…。ディビのこと見捨てないであげてね、あの子随分長いこと貴女に入れ込んでいるから」
「!!」
「もう何年? もしかしたら十年くらい?」
「…!」
素直に言葉が出ない。
何故そこまで知っているのか。
一見息子にプライベートがないような発言にも取れるがおそらく違う。ディアナは自分がディードリヒに何をされているか知っているだけなのだろう。
思い返せばディードリヒも、ケーニッヒが見透かしたようなことを言ってきたと敬遠していたことを思い出す。やはり保護者側は何かを掴んでいるのだ。
「長かったわねぇ…」
「王妃様は、どこまでお知りになられておられるのでしょうか…?」
リリーナの声はずっと静かに震えている。
対してディアナはまた今度は楽しげに笑って見せるのだ。
「やだ、何も知らなかったらぽんと出てきた女の子を受け入れたりなんてできないわ!」
「…」
リリーナは納得すると同時に返答に困っってしまう。
確かに自分がディアナの立場であったなら、身の上のわからない他国の女を受け入れることなどないだろう。
てっきりディードリヒが両親に話をしたと言った時に、あのよく回る舌でうまく理解を得れるように話をしたのだろうと思っていたが、現実はそこまで甘くない。ハイマン夫妻は予めリリーナを知っていたのだ。そう考えれば自分がなんの抵抗もないどころか好意的に受け入れられたことも理解できる。
「あの子が…十歳とかだったかしらね、影の一人が…あぁ、ミソラちゃんね? ミソラちゃんがパンドラに急に向かったから何かと思って私が抱えてる人間に話を訊いたのよ。きな臭い話だったら嫌でしょ?」
「は、はい…」
「そしたら、パンドラの公爵家に潜入するって話だったから当然気になるじゃない? それでしばらく様子を見てたらあの子変態みたいなことしてるんですもの!」
ディアナは面白いものでも見たかのように大口を開けて笑っているが、リリーナからすればとても笑えたものではない。
「その頃から知っていたんですの!?」
「あの子も子供ってことかしら、影を他国に潜入させるなんて身内にバレないわけないのにね? わかっててやっていたのかもしれないけれど」
驚くリリーナにディアナは笑い続けている。
「それで、面白そうだからハイマン様には黙っていようと思って」
「そこはお止めになってくださいませ…!」
リリーナとしては一人の人間の親として、正しい倫理観と道徳感を身につけさせてほしかった。
「まぁ、様子を見ていていけないラインを超えそうになったら止めるつもりだったわ。安心して」
「盗撮と個人情報の流出は立派に大事ですわ!?」
「個人情報と国家機密では重さが違うでしょう?」
「…」
ディアナの発言から取るに、ディアナはディードリヒがパンドラの国家機密に触れるようなことをしないかを心配していたわけで。
つまりリリーナの個人情報はあっさりと犠牲にされたことになる。
「ミソラちゃんからあの子に送られてきた手紙は、あの子が部屋にいない間に他の者に確認させていたわ。まぁ、鍵付きの箱に入ってたらしいから『元に戻しておくなら開けて良いわよ』って言っておいたのだけど」
「ディードリヒ様にプライベートとは…?」
「犯罪者なんだから自業自得よ♪」
言っていることが間違っていないだけにリリーナは返答に困った。
「箱自体隠してあったみたいなんだけど、あの子しっかりしてて真面目なものだから行動原理が割と単純なのよね」
ほほほ、とディアナは呑気に笑う。
「確認した中身を報告してもらったらね、本当に手紙の中には貴女のことしか書いていないの。今日貴女がどこへ行ったとか、必要以上にステップを練習しているとか、最近は寝不足だとか…」
「…」
「隠語の一つも入ってやしない。写真もついていて、それらは全て綺麗にアルバムにまとめてあったそうよ。同じ箱に入っていたと聞いたわ」
おかしい話だ。
明らかに常軌を逸しているというのに、今だって正直引いていることに変わりはないのに。
“そういう人なんだ”と思ってしまうのは、おかしい。
「あの子が何をきっかけに貴女に執着するようになったのかはわからないけど…あの頃から目覚ましく成長していったのも事実だったから、定期的に中身の報告だけさせて気づかないふりをしていたの」
静かなディアナの言葉に、リリーナは視線を落とす。
少し考えれば気づくはずのことなのに気づかなかったほうが不思議だ。
どれだけ慎重にことを進めようが、王族が秘密裏な手段を使って他国の人間に干渉しようなどおかしいと思う人間がいないはずがない。
それなのに、ここまでなんの障害もなかったことがおかしいのだ。
それにしてもディードリヒはどこかで気づかなかったのだろうか、わかっていて状況を利用していた節はあるだろうが、バレた後にも平然と続けるというのはリスクが高すぎるはずなのに。
「でもねリリーナさん、慎重にことを運ぶっていうのはね、ヘタレの証なのよ」
ニヤリと得意げなディアナの発言に、これまでの会話との温度差を感じてしまったリリーナは思わずずるりと肩を落とす。
「そ、そうとは限らないと思いますわ…」
「いいえ違うわ。戦でもそう、丁寧であることと慎重になることは違うのよ」
「そ、そうなのですか…」
「きっとケーニッヒやハイマン様も同じことを思っているのではないかしら。あの子根っこがヘタレだから他人を線引きするの下手なのよね」
苦笑いしか返せないリリーナ。
しかし、他人に対して愛想笑いという“仮面”を被ることしかできないというのは、確かに交友関係の線引きがうまくない証だ。
そう考えると、ますますあの男のヘタレが加速していくような気がしてしまい若干可哀想な気が…しないでもない。
「ですがケーニッヒ団長や陛下もディードリヒ様のことはご存知なのですか?」
「ケーニッヒは自分で気づいたみたいで私に話をしてきたわ。もちろん誰が相手かは知らなかったけど。ハイマン様には私からお話ししたの、あの子のやってることが随分と長くなっていたし、丁度変化が起きそうだったから」
「陛下はなんと?」
「最初ね、ハイマン様はこのことを知ったらあの子を止めようとするだろうと思って話していなかったの。実際話をしたら『今からでも遅くない』と言って止めに行こうとしていた」
「思いとどまられたということですか?」
「リリーナさんが追放されそうだって話になってきてからわざとお話ししたのよ。きっとディビはリリーナさんを迎えにいくだろうと思ったから」
そこでディアナはリリーナを真っ直ぐ見て微笑む。
「『あの子はただ一人のために全てを積み重ねてきた。だからその思いだけは、信じてあげてほしい』私が言ったのはこれだけよ」
「…!」
「実際あの子が私たちにリリーナさんの話をしに来るまでそう経たなかった。もう事が起きた後だったのでしょうね、事件の証拠を揃えて持ってきて、リリーナさんの人材的価値まで丁寧に説明してくれた」
「人材的価値…」
「本気だって目が言ってたのよ。今ここが、あの子が積み重ねてきたものを証明したい時なんだって」
自分が見えない場所で起きていた、そこで抱えていたディードリヒの思いにリリーナは言葉を失う。
何を言ったらいいのかわからない。それは“ありがとう”かもしれないし“余計なお世話”かもしれない。
ただ言えるのは、やはり返しきれないほど愛されていたという事実があったということだけ。
「だからね、私リリーナさんに会えるのをとっても楽しみにしていたの!」
ディアナはそう言って、頬に手を添え明るく微笑む。
「会ってみたらとってもいい子だし、マナーも学術もダンスもできてとっても安心したわ」
「ありがとう、存じます…」
これは多少認められたという事だろうか。
何にせよ褒めてもらえるのはありがたい。
「ですから、早くプロポーズされていらっしゃい♪」
「は、はい…」
ここに関してばかりはそういわれても、という話だ。自分だけの問題ではない。
「結婚生活もいいものよ。お互いを大好きなら特にね」
「それは…そうだと信じています」
微笑むリリーナに、ディアナはまたニヤリと笑う。
「どうせなら私からディビに発破をかけておこうかしら?」
「い、いえ! そこまでしていただくわけにはいきません!」
「あらそう? 面白そうだと思ったのだけど…」
「お気持ちだけいただかせてくださいませ…」
よかれと思って人を振り回してくるところも似ている親子である。
「だったらウェディングドレスのデザインは私がしてもいいかしら?」
「それはまだ気が早いと思われますわ!?」
「いいじゃない。婚約したのだからもう実質貴女は私の娘よ。『お義母様』って言ってみて?」
「それはそれでよろしくないと思われますわ!」
「私がいいって言ったらいいのよ。大丈夫」
「それは、その…っ」
返答に困る。確かに王妃がいいと言えば権力的にはいいのだが。
「あぁ、婚約指輪もデザインしたかったわぁ…。あの子のことだからもうあるんでしょうし、今からじゃ結婚指輪がいいところね」
しかしディアナの思考はもう次の場所にあるようだ。さらりと流される話にリリーナはまた肩をずるりと落としつつ、ディードリヒは実は母親に似て天然の気配があるのではないかと頭を抱える。
ディアナさん、予想外の方にぶっ飛んで行きました
まぁカエルの子はカエルってことで…親子らしくできたかな、と個人的には気に入っております
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