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四巻序章side L—前編


 

 

「もうディビからプロポーズはされたの?」

「!」


 スケジュールの噛み合いで急遽開かれることになった、ディアナとリリーナのお茶会にて、夕食のリクエストを訊くような感覚の疑問が唐突に飛んできた。


 あまりに急な話の切り出しに驚いたリリーナは若干口につけていた紅茶を噴き出しそうになり、それを堪えるもぎこちない動きでカップをソーサーに戻す。


「そ、それは…」


 しかしその疑問になんと答えたら良いものか。

 確かに屋敷にいたあの最後の日、小さなパーティを抜け出したあの月明かりの下で言葉は交わされたが、そこにお約束の指輪があったわけでもない。ディードリヒにとっても正しくプロポーズをしたという感覚はないかもしれないと考えると、どうにも返答に困ってしまう。


 さらに言えばリリーナがフレーメンに移り住んだ後は何かと立て込んでおり、慣れない土地に適応しようとしている彼女を見て様子を見ていたのだろうということは考えるに容易い。

 そうでなくてもヴァイスリリィの件も急に舞い込んで、元々ディードリヒには執務がある。中々予定が噛み合わないことも多かっただろう。

 そんな状況でプロポーズなど、中々想像もつかないが…。


「あら、まだなのね」

「殿下はおそらく私の事情に合わせてくださっているのですわ。何かと立て込んでいましたから…」


 わたわたと言葉を選ぶリリーナにディアナはやや肩を落とす。


「やだ…あの子ったらヘタレね」

「そ、そういうことではないような…」

「ヘタレよぉ。女の子が大変ならそれをまとめて一緒に背負う気概がないと」


 “残念だ”という感情を隠しもせず顔に出すディアナに、リリーナは慌てて話題を変えようと言葉をかけた。


「プロポーズでしたら、先輩であるお二人のお話もお伺いしたいですわ」

「私たちの時?」


 やや困ったような笑顔で質問をするリリーナにディアナはにこりと微笑む。


「私たちの時はありきたりな家同士の婚約だったわ」


 そうして、ディアナは思い出を掬い上げるように一度目を伏せ、すぐにご機嫌な笑顔に戻る。


「それでね、顔合わせの時に私がハイマン様に一目惚れして猛アタックしたの!」

「!?」


 想定外の言葉に驚くリリーナ。しかしディアナはご機嫌な様子のまま言葉を続けていく。


「聞いてくれる? 若い頃のハイマン様ったらそれはもう格好良くてね、今の白髪混じりの感じも大好きなんだけど、若い頃の深い紺の髪が綺麗で本当に格好良くてね…」


 そして始まったのはディアナからの唐突な夫自慢であった。ディアナの急激な口数の変化にリリーナは驚いて呆然としてしまう。


「性格は今も昔も気持ちいいくらい真っ直ぐで、とっても優しくて聞き上手なの。剣術がとてもお強い方でね、デートの時はいつも彼の方の駆る馬に乗せてもらったものだわ」

「そ、そうなのですね…」


 一瞬言葉を失ったリリーナだが、はっと我を取り戻し言葉を絞り出す。しかしディアナは聞いているのかいないのか、ひたすらに夫の魅力について語り続けている。


「もう毎日みたいにお弁当作ってから城に通って、剣術の稽古が終わった彼の方に差し入れをするのが日常だったのよ」


 長く話し続けているディアナの話を聴きながら、リリーナはある確信を得ていた。

 そう、ディードリヒとその両親であるハイマン夫妻は、確かに親子なのだと。


 確かにディードリヒ自身、ほとんど黒に近い青い髪…ディアナが言うところの深い紺の髪はディードリヒとハイマンで共通していて、母であるディアナよりさらに色素の薄い目の色は祖母からの遺伝だとディードリヒは言っていた。

 顔立ちはどちらかというと母親似なディードリヒを見ていれば、確かに親子と感じることはできる。


 しかし人としての内面があまり似ている印象はなかった。

 ハイマンは気持ちのいい真っ直ぐさ、ディアナは優しく安らぐような感覚を覚える。そんな二人から何がどうしたらあのような変態が産まれるのかと思っては、いたのだが。


「ハイマン様の剣術はいつ見ても格好良かったわ。ケーニッヒもあの頃はまだ騎士団長までは出世してなくて、仲のいい二人はよく剣を交えていたのよ」


 この、好きなものや相手に対する強い執着と長い称賛の嵐。相手を好いているのだと全身から伝わる長話は、正しくディードリヒが日常的にリリーナを称える時に行うものだ。


 リリーナは、そういう意味でもディードリヒは母親似なのだろうかと思いつつ、ディアナの言葉に耳を傾けている。

 そこでふと、ディアナの表情が変わった。


「毎日みたいに『好きです』って伝えていたの。『結婚してください』って私が言うと、彼の方はいくらか笑ってから『そう決まってるだろ』って言ってくれた」


 その表情は遠い過去を見ている。優しさの溢れる微笑みは本当に“幸せ”を見ているようで、心に広がる温かさに惹かれた。


「あぁでも、いつからだったかしら。彼の方が私を名前で呼んでくださるようになったのは。私はもう、出会ってすぐにお願いして『ハイマン様』って呼ばせていただいていたのだけど」

「名前…」


 そういえば、ディードリヒは初めから自分を“リリーナ”と呼んでいたのを思い出す。今考えれば無礼極まりないのだが、なぜ気づかなかったのだろう。


「名前を呼んでいただけるたびに“絶対結婚しよう”って思えた。そのための王妃教育なんてなんでもなかったわ」


 ずっと笑顔を見せているディアナにリリーナはまたディードリヒのかけらを感じる。

 目標のため、好きな相手のためならなんでもやり通せてしまうところは本当にそっくりだ。ディアナに犯罪を行う思想がなかったことを安堵するほどには。


「でもね、あの頃心の半分は不安だったの。私はハイマン様の隣にいれることが嬉しくて、彼の方が大好きだけど、彼の方の気持ちがずっと見えなくて」

「王妃様…」

「でもプロポーズしてくれたのは彼の方からだったのよ。ちゃんと指輪も用意してくれて、サイズもぴったりで。彼の方のお気に入りの丘まで馬で連れて行ってくれて…」


 ディアナは左手薬指についた指輪を優しく撫でる。またその表情は、思い出を慈しむよう。


「婚約指輪は今も大事に仕舞ってあるわ。結婚指輪は死んでも外すつもりなんてないけれど」

「素敵ですわ」

「ふふ、ありがとう。こんな話で良かったのかしら?」

「とても素敵なお話を聞かせていただきましたわ。お礼を言うべきは私です」


 リリーナは聞いた話のいくつもを大切に心にしまう。

 とても素敵な夫婦の馴れ初めを聞けたのはもちろんだが、なによりディードリヒと両親の繋がりのようなものを感じられたのが嬉しかった。


「で、二人の話なんだけど」

「うっ…」


 そうは言っても本来の話はうやむやにはできなかったらしい、リリーナは頬を少しばかり引き攣らせる。


「あの子予想通りヘタレだったみたいだから、リリーナさんも頑張ってアピールしてね!」

「あぁ、まぁ、はい…」


 ディードリヒがヘタレなことなどもうわかっているのだ。それこそ必要以上に。


「何よりこれであの子の変な趣味がなくなるといいんだけど…」

「!?」


 リリーナは少し落ち着こうと紅茶に手を伸ばして止まった。

 “変な趣味”、どれを指しているのだろう。


「な、なんのことでしょう…?」


 やや声を震わせながら問うと、ディアナは口をやや大きめに開きあっけらかんと笑う。


「リリーナさんも知ってるでしょ? あの子が犯罪繰り返してるの!」

「!!! それは…!」


 バレている。

 あのバレてはいけない王太子としての汚点が、よりにもよって両親にバレているのだ。

 これはまずい。主にディードリヒの王太子としてのイメージが。


「お、おほほ、なんのことでしょう? 殿下にそのようなことをされた覚えはありませんわ」

「隠さなくていいのよリリーナさん。貴女も知っているんでしょう?」


 慌てて隠そうとするリリーナにディアナは口元に手を当て揶揄うように笑っている。リリーナはしばらく目を逸らし、訪れた沈黙に耐えかねた。


「…えぇ、その、一応」


「あはは、いいのよ気にしないで。パンドラでの騒ぎはこちらでも伝わっているもの。随分大胆なことするわよねぇあの子」

「…」


 リリーナには何も答えられなかった。

 視線を逸らすだけでいっぱいである。


「執務や公へのイメージに関わらなければいいかというのもあって今まで触れなかったのだけど、リリーナさんがここに来ても続いてるみたいだし愛想尽かされないか心配だわ」

「そ、そこはお気になさらず…」


 愛想など、もう何度尽きそうになったかわからないが、それでも相手への想いが上回っての今である。


(我ながら趣味が悪いですわ…)


 そもそも“自分が犯罪に晒されている”とはディアナも一言も言わなかったというのに自ら認めるような発言をしてしまっていたことにリリーナは今気づいた。

 動揺し過ぎだとも思いつつ、同時に現状に慣れてしまっているが故に愛想もへったくれもない状況になっているのではないかと改めて思ってしまいますます後悔する。


 あぁ、いつか屋敷で思った通りだと思い返す。

 ディードリヒの奇行を“こういう人なのだ”といつか諦めがついてしまうのだと悲しくなったあの日を。

 何が“見られてもそれはそれで背筋が伸びるかもしれない”などと、正しく慣れている証拠である。冗談でも言うべきではなかった。


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