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ある香水職人の目線


 

 

 麗らかな日差しで目が覚める。

 ベッドから出て、着替えて、顔を洗って…そんなことを終えたらまず庭に出るところからだ。


 俺、アンムートと妹のソフィアがリリーナ様にもらった家はそこまで大きいものじゃない。

 働いている香水店のある通りから少し離れた場所にある平民住居地区にあるこの家は、以前住んでいた家と違って平屋の一軒家だ。でも部屋数がそこそこあってキッチンと庭が広いから俺は気に入ってる。


 ただ一つ考えることがあるとすれば、家と一緒にもらった服と家具がどう考えても高級品だと思うことだろうか。

 リリーナ様は「大したものではありませんが」と言って家に備え付けてくれたが、服も家具も肌触りがいいし使い心地もいい。郊外に住んでた頃とは比べ物にならないいい品なんだろう。壊さないようにと思うとどうしても生活が慎重になっていく。


「んー…」


 軽くのびをして自室から庭に出る。

 庭に植った植物たちの世話は俺の役目というか…前の家からの習慣のようなものだ。


 ヴァイスリリィで働くようになってから、精油を作るための材料は仕入れ業者から買い取っている。どうしても個人でやっていた頃より量が必要になるからだ。

 なのでここは実質趣味…。まぁでも、土や植物の様子を見て、必要な手入れをして…なんてしてると心が穏やかになる。材料に関する理解も深まっていくので、これからもやめたりはしないだろう。


「温かい時期になったら柑橘系の精油も作りたいな」


 この国で育ったものを見かけたことはないが、オレンジや何かは時期になると輸入品を見かける。柑橘系の精油は香りが良いんだけど、どうしても香りが飛びやすくて扱いが難しいんだよな。香水にできたとしても期間限定品がいいところだろう。


「おにい」


 かけられた声に振り向くと、リビングの窓からソフィアが顔を出していることに気づいた。


「おはよう、ソフィア」

「おはよう。朝ごはんできてるよ」

「あぁ、今行く」


 リビングの窓を閉じたソフィアを見送って、自分も庭の手入れを終わらせてから屋内に戻る。

 リビングの方に向かうと、キッチンからリビングまで大きく広がった空間があって、それをリビングに置かれたソファで区切ることでダイニングスペースを作っているので、そのダイニングに置かれた食卓の椅子に腰掛けた。


「おにい遅い」

「ごめん、今日水やりだった」

「もう、冷めるじゃん」


 なんてやりとりがあって食事が始まる。

 朝はパンと目玉焼きとサラダと昨日の残りのスープ。食事には俺が育てたハーブが使われてることも少なくない。ハーブは乾燥させて保存もできるし便利だ。


 朝食を済ませたら軽く食休みをして兄妹二人で必要な家事を一通り済ませてしまう。

 出勤するのは大体それからだ。

 

 ***

 

 カランコロン、とヴァイスリリィ正面入り口に取り付けられた小さな金が音を鳴らす。

 一階にしか裏口がない建物なので、二階の店に入るには正面ドアしかない。


「いらっしゃ…あら、こんにちは二人とも」

「こんにちは、グラツィアさん」

「こんにちは!」


 中に入ると接客担当の人がいるのでまず声をかける。

 今日の担当はグラツィアさんだ。接客担当の制服である黒いスラックスと白いワイシャツ、ベストと蝶ネクタイを身に纏う彼は、長身で線の細い印象で、坊主頭に少しだけ髭が生えてる。


「今日は昼からなのね」

「はい。今日は外注の受け取りがないので」

「そゆこと」


 短いやりとりから店内を軽く見渡す。

 穏やかな空間に人はまばらだけど、これと言って混む時間がはっきりしてるような店でもないので、今はそんな時間なんだろう。


「今日はゆったりしてますね」

「今日は来客が少ないかしらね。たまにならゆっくりできて良いわよ」


 そう話すグラツィアさんの仕草は今日もなんていうか…優雅だ。

 話し方は女性のようで、仕草は一つ一つ丁寧で優雅。ちょっと変わってるとは思うけど、接しやすいし良い人なのは間違いない。ただ他の接客担当の人に比べると少し目立つ。


「そういえば今日はリリーナ様がいらっしゃるって手紙が来てたわ。工房にも顔を出されるだろうから伝えておくわね」

「わかりました」

「はーい!」


 リリーナ様が来るとなるとわかりやすく上機嫌になる妹を横目に見つつ、グラツィアさんに視線を戻す。


「じゃあ工房に行きます。何かあったら声をかけてください」

「わかったわ、今日も頑張ってね。そっちも何かあったら言ってちょうだい」

「ありがとうございます。では」

「グラツィアさんも頑張ってくださいね!」


 軽く頭を下げて、店内奥にある工房の鍵を開ける。中に入って荷物置きに荷物を置いたら、まずはその横にかけられたエプロンを身につけるところから。


 次は手を洗って消毒。作業台にも消毒液を吹き付けて軽く拭き、医療用の手袋をつけてから脇にある戸棚を開いた。

 中に保管さてるのはいくつもの精油。

 紫外線を防ぐ小さな瓶に入れられた精油たちの中から必要なものをラベルで確認しつつ取り出して作業台に置く。


 向かい側にあるもう一つの作業台ではソフィアが作業をしている。

 ソフィアは商品を入れるための消毒された瓶やスプレーにするための器具、出来上がった商品に貼るラベルなんかを準備していた。


 俺は今は使わない精油をしまい直して、別の棚から無水エタノールを取り出したら準備終わり。

 あとは追加在庫リストを確認しながらひたすら作っていく。数日寝かさないといけないものなので、リストは接客担当の人が予想をつけつつ都度作ってくれる。


「瓶ここでいい?」

「あぁ」


 商品用の瓶をソフィアが作業台の空いたスペースに置く。

 瓶は同じようにリストを確認したソフィアが商品ごとに違う瓶を用意してくれるので、俺は出来上がったものから瓶に詰めていくだけだ。


「あとよろしく」

「はーい」


 中身の詰まった瓶をソフィアに渡すと、同じように医療用の手袋をつけた彼女がスプレー用の器具をつけ、蓋をし、それぞれのラベルを貼ってくれる。最後は倉庫で寝かせるだけ。


「「…」」


 作業中は特に話したりしない。けど、意外とソフィアとは息が合って作業できてると思う。

 壁にかけられた時計の音を聞きながら作業を続けていればそのうち終わって、一先ず作業台の上を整理してから次は練り香水の試作品でも…と考えつつ軽く首を回していた時、ノックが聴こえた。


「グラツィアだけど、今いいかしら?」

「はい、どうぞ」


 返事をしてから内側の鍵を開けてドアを開く。目の前にはグラツィアさんとリリーナ様の姿が。


「タイミング悪くなかったかしら?」

「ちょうど次を考えていたので大丈夫ですよ」

「よかったわ。リリーナ様がいらしたから声をかけに来たのよ」


 グラツィアさんが一歩下がると、後ろにいたリリーナ様が顔を出す。


「ごきげんよう、アンムート。お時間よろしいかしら?」

「中散らかってるんで、入るなら少し待ってもらう感じになってしまうんですけど…」

「構いませんわ。中で待っていても?」

「わかりました」


 リリーナ様を工房へ招き入れる。

 椅子を出してそこに座ってもらって、俺が話をしてる間に片付けでもしてたのか小走りでやってきたソフィアに対応を代わってもらった。


 その間に作業台の上を一度片付ける。

 洗う器具は流しへ、使った精油や液体関係も棚の中に戻して…とりあえず、こんなものか。


「お待たせしてすみません」


 何やら話し込んでいる二人に声をかけると、リリーナ様は「気にしなくていいですわ」と優しく返してくれた。

 ちらりと横を見るとソフィアは上機嫌なのがわかる。ソフィアはリリーナ様によく懐いていて、憧れのようなものがあるようだ。少し前に「リリーナ様ってかっこいいよね」と言っていたことを思い出す。


「今しがたソフィアにも訊いたのですが、調子はいかがかしら? 何か不備はありませんこと?」

「特に代わったことはないです。体調も問題なく」

「そうですか、それは何よりですわ」


 リリーナ様は週に一回くらいの間隔で店にやってきては、こうやって働いてる人間の体調や何かをよく気にかけている。

 いつも何かと予定が入ってるみたいで、長居はしないけど。


「今日は何かご用事ですか?」

「えぇ、少し訊きたいことがありまして」

「訊きたいこと?」


 なんだろう、材料の仕入れ先が変わるかもしれないとかそんなところか?


「大したことではないのですが」

「なんでしょう?」

「今、精油を作った際の副産物はどうしていますか?」

「副産物…あぁ、水ですか?」


 俺がハーブの精油を作るときは蒸留の仕組みを使ったやり方をするので、副産物で同じ香りのする水が出来上がる。

 花など蒸留だと香りが変わりやすいものは溶剤を使うので、副産物というのは水の方だと思う。


「そうです、アロマウォーターですわね。捨ててしまっていますか?」

「基本は家で消化したり接客担当の人に配ったり…それでも使いきれないものは捨ててます」


 基本的にハーブの香りがついた水なので、庭の虫除けや生ごみにかけて消臭に使ったり、湯船に入れて香りをつけてみたりと、まぁ使い道はある。

 香りによってはソフィアが肌に塗ったりしてるのをみたこともあるので、やはり女性はそういう使い方がいいのかもしれない。


「捨ててしまうものがあるならば、少し分けてもらえませんこと?」

「香りがなんでもいいなら、今日いくらか精油を作るので問題ないですけど…」


 練り香水の試作は後回しが良さそうかな。

 時間がかかる作業とはいえ他の作業と並行できるかというと…火を当てる作業なのでちょっと躊躇う。


「お試しですので香りは問いません。この店のものでしたら信用できますのでお願いしたいのです」

「わかりました。じゃあそっちから手をつけます」

「でもリリーナ様、どうしたんですか急に…?」


 何も考えず受けたけど、確かにソフィアの言う通りだ。所詮は副産物なので理由はなんでもいいと言ってしまえばそうなんだけど。


「友人に肌の弱い方がいまして、人工的な化粧水ですと肌に合わないそうなのでアロマウォーターをおすすめしたのです」

「なるほど…最初からそういう目的なら使うものは選んだほうがいいですね」

「あたしはバラがいいと思うな。肌が綺麗になるって前に本で読んだよ!」

「花なら溶剤なんだけど、今回は使えないか…」

「手間がかかるかしら? 無理にとは言わないのですけれど…」

「ハーブなら副産物なんですけど、花は普段そうはいかなくて…でも目的としては花の方がいいと思うんでそれ用に最初から作る方が楽ですね」

「そうなると手間がかかりますわね。先ほども言いましたが、無理はしなくて構いません」

「明日とかでよかったら渡せるんですけど…」


 花でも蒸留を使ったやり方ができないわけじゃない。アロマウォーター、だっけか。あれにしかならないだけで。

 どちらにせよ時間はかかるので、どうしても渡すのは明日になる。


「それは構わないのですけれど、いいのかしら?」

「毎日って言われたら無理ですけど…たまになら」


 そう言って俺はへらっと笑って、ソフィアに顔を向けた。


「まだバラって在庫あったっけ?」

「昨日多めに仕入れたじゃん。忘れたの?」

「そうだ…ったな、うん」

「もう、おにい忘れっぽすぎ! 今日はバラも精油にするって言ってたでしょ?」

「そういやそんなこと言ったような…ローリエもやろうって話は覚えてたんだけど」

「そういうところあるから、あたしがいないとダメなんじゃん」


 言われてることは間違ってないのでソフィアの小言に謝りつつも、なんかもやっとはする。


「相変わらず仲がいいですわね」

「そうですかね? 喧嘩多いですよ」

「あたしに怒られてるだけじゃん」

「お前この間洗濯当番忘れたの棚に上げるなよ」

「う…」


 リリーナ様に言われるほど仲がいいとは思わないけどな。なんというか、普通…みたいな?


「少し羨ましいですわ。私にもいつか義兄弟ができるのですけれど」

「「義兄弟?」」

「えぇ、私の家には家督を継ぐ子供がいませんから、親戚から引き上げてくるはずです」

「それって大変なこと、みたいな感じですか?」

「そうとは一概に言い切れませんが…両親は子宝に恵まれなかったようですから、ある意味大変とは言えると思いますわ」


 そう話すリリーナ様の言葉はどこか他人事みたいな空気があって、少し違和感のようなものを感じた。

 他人であるはずの俺たちのことだって大切にしてくれるのに、家族をそんな他人みたいに言うなんてなんか、変な感じがする。


「? どうしましたアンムート。おかしなことを言っているように思いますか?」

「え、あぁ、いや、なんか他人事みたいに家族のことを話すリリーナ様って、珍しいなって」

「私はもう嫁ぐ身ですので、正直あまり関係ないというのが素直なところではあります」


 リリーナ様の言葉にソフィアが小首を傾げた。


「家族の人とやりとりとかしてないんですか?」

「文通ならしていますわ。ですがやはりそれとこれとは別のことです」

「そういうもの…なんですか?」

「貴族としては、そうなりますわね」


 なんだそれ、と思った時不意に言葉が口をつく。


「…なんか、寂しくないですか。そういうの」


 言ってから、やらかしたと思った。慌てて口を塞ぐけど、リリーナ様が特に気にした様子はない。


「そう思いますか? ですが家族として家族に思うことと、貴族として家族に思うことは、案外別なものです」

「『貴族として家族に思うこと』って中々聴かない言葉ですね」

「私たち貴族女性に求められることは、社交と世継ぎを作ることです。そういう意味では、私は産まれた段階で失敗と言えるでしょう」

「発言が急に重たくないですか!?」


 とてもじゃないけど理解できない。

 なんだよ、産まれてすぐに失敗とか…。


「フレーメンはいい国ですわ。貴族名簿を見れば女性領主がたくさんいます。ですがどの国もそうというわけではありません」

「領主の人の性別なんて気にしたことないですよ…」


 まぁでも、外れの方とはいえ首都に住んでたから、首都の領主って王様なわけだし…関係ないか。


「なので実家には養子が入るのでしょうけれど、その養子と関係が良好であってほしいだとか、単純な体調の心配などは、貴族という立場とは関係ありません」


 そう言ってリリーナ様は優しく微笑む。


「貴族としての実家はもう縁遠いものかもしれませんが、手紙でやりとりするのは“家族”としての会話です。そんなものですわ」


 リリーナ様は微笑み続ける。

 俺は話の全部に理解を示す頃はできなくて、やっぱりわからない場所はわからないままだったけど、リリーナ様がそこに後悔してないことだけはわかった。


「リリーナ様、お父さんとお母さん好きですか?」


 ソフィアの問いに、リリーナ様はソフィアに視線を向けて答える。


「えぇ、勿論。自慢の両親ですわ」

「あたしも、あんまり帰ってこないけどお父さん好きです!」

「なら、私たちは同じですわね」


 笑顔で微笑ましい会話をする二人を見ながら、俺は少し考えていた。

 よく考えたら、リリーナ様と俺たちの状況って少し似てるんだよな。親と遠く離れて、すぐには会えなくて、俺たちはそれが当たり前として生きてきたけどリリーナ様は違う。なのに、寂しくないんだろうか。


「ご両親に会いたいとは思いませんか」


 不意に問うた俺にも、リリーナ様は視線を向けて返してくれた。


「思いますわ。ですが会えなくてもいいのです」

「それは、どうして?」

「私は故あって両親と一年以上離れて生活していました。ですがそれでも、二人は私を娘だと言ってくださったのです。それ以上のことはありません」

「…」

「貴方もそうではなくて? 言葉が無かろうとも、そばにいなくても、確かに相手を家族と思えるからどんな思い出も大切にできるのだと、私は思っていますわ」

「それは…」

「そばにいるだけが家族ではないでしょう?」


 そこで、俺は何もいえなくなってしまう。

 リリーナ様が、とても眩しく見えた。


 何と言えることもないけど、その言葉はまっすぐで、眩しくて。

 まるで、あの頃寂しかった自分に当てつけられてるみたいだ。

 いや違う。寂しかったんじゃない。きっと今も、どこかで俺は…。


「…眩しいですね、リリーナ様は」

「そうでしょうか? 私は貴方の方が眩しいですわ」

「何が…ですか?」

「貴方は私よりもきっとずっと思い出を、家族を大事になさっています。そうして折り重なったものを大切にできるのは素晴らしいことですわ」

「…」


 リリーナ様の言ってることが、理解できなかった。

 俺は、思い出を大切にしてるんじゃなくて、ただしがみついてるだけだ。

 未練ばっかりで、成長しなくて。

 何がいいんだろう。


「周りの人間は大切にするべきです。ですが私は、これまでその思いをどこか侮っていたように思いますの」

「それは、人を大事になんて子供でも教わることじゃ」


 そうだ、当たり前のことだ。

 みんなそうしてる。みんなそうやって生きていかなきゃ、生きていけない。


「貴方が思うより“当たり前”は普遍的ではありません。実際私は、故郷にいた頃家族以外の全てを利用していましたし、それが貴族の当たり前です」

「貴族って、冷たいってことですか?」

「そうです。温かいものなど、恵まれた環境でなければそう簡単に得られるものではありません」

「…」


「だからこそ、思い出が温かいことを大切にできる貴方が眩しく思います。その思いはこれからも大切にしてくださいませ」

 

 ***

 

 それから少しして、リリーナ様は帰っていった。

 帰っていく彼女を見送ってから、精油と頼まれたアロマウォーターを作る作業に入る。


 片手間にできる作業を片付けながら、こまめに火加減を見て抽出を確認していれば時間なんてあっという間に過ぎて、グラツィアさんも店を閉めて帰っていき今はソフィアと工房に二人。


「あのさ」


 背後からソフィアの声が聞こえる。俺は装置の様子を確認しているので振り向けない。


「リリーナ様、お母さんいて羨ましいね…あんまり言ったらいけないんだけど」

「…まぁ、言いたいことはわかるよ」

「お母さん、天国で元気かな?」

「わかんないけど、元気だと思う」

「おにいがそう言うならそうかも」


 振り向いた先で別の作業をしているソフィアの声には元気がなくて、昼の会話をやはり思い出す。

 俺にはうまく返す言葉が見つからなくて、少し沈黙が降った。


「でも」

「?」

「お母さんとお父さんの思い出、大事にできるのは良いことって言ってもらえたのは嬉しかった」

「…」

「おにいはやっぱりあたしのこと気にしてくれてて、他の人も大事にしてるの見てたから、そこを褒めてもらえてたのも嬉しかった」

「それはなんか、違うだろ」

「違くないよ。おにいは優しいし…だからあたしも手伝いたいって思う」

「そういうもんか?」

「そういうもんだよ」


 少し返しに困る。

 少なくとも自分が優しいと感じたことはない。

 優しいって言うのは、周りの人のことを言うような気がする。


「だからさ、だから、きっとお母さんがいなくて“寂しい”って思っても良いんだよ、あたしら」

「き、急になんだよ」


 思わず声が少し震えた。

 寂しい、なんて情けなく考えているのを見抜かれてるみたいな。

 何も話してないのに。兄妹だからとか、言わないよな?


「それもきっと、そういうものなんだよ」


 そう言ってはにかんだソフィアは少しだけ泣きそうで、もっとお互い子供だった頃の、母さんが死んだ頃のことをなんとなく思い出した。

 あの、おれに心配をかけないようにと言いながら無理に笑おうとするソフィアの姿を。


「だからリリーナ様は、私の無理を叶えてお母さんの香水を持ってきてくれたのかもしれないよね」

「…そうかもな」


 そう返すのでたくさんだった。

 あの、自分とそう歳の変わらなそうな少女は、何を思いながらここまで歩いてきたんだろうと考えてしまって。


 俺がただ母さんの形見を追いかけて視野を狭めて生きてきたこの何年もを、あの人はどう歩いてきたんだろう。

 どう歩いたら、あんなに眩しい人で在れるんだ。


 眩しい。あの目線が向いてる先が眩しいんだ。

 あの真っ直ぐな視線の先にあるものが、眩しい。


「あ、そろそろ終わったかな? 蒸留」

「ん、あぁ…そうだな」


 ソフィアの言葉にふと時計を見る。

 確かにそろそろ良い時間だと、座っていた椅子から立ち上がって装置を確認してからまず火を消す。


 精油はまだ水と油が分離し切ってないだろうから少し置いておくとして、アロマウォーターは抽出用の容器を確認する。

 軽く容器に鼻を近づけて香りを確認すると、しっかりと芳醇なバラの香りが感じられた。


「…うん、大丈夫だな」


 花を使った蒸留は少しやり方を変えないといけなかったので試しにやってみたけど、無事に成功したみたいでほっとする。

 あとは何か…香水と同じ瓶でいいかな。瓶に入れてリリーナ様に明日渡すだけで大丈夫そうだ。


「ソフィア、なんか容器とって」

「なんかって…香水のでいいかな?」

「同じこと考えてた。とにかく渡して」

「人使いが雑だなぁ…」


 文句を垂れつつも瓶は取ってくれるのがソフィアの人の良さというか。我が妹ながら善人に育ってくれた。

 予め煮沸消毒されている瓶にアロマウォーターを移し、香水と同じようにスプレー用の器具をつけて完成。ラベルは貼らない方がわかりやすいかな。


「喜んでくれるといいね」

「そうだといいんだがな。さて、片付けるぞ」

「はーい」


 まずは精油と水が入った容器を確認する。しっかり冷めたのを確認したら、紫外線を防げる茶色の瓶を取り出して上澄みである精油の部分だけを入れていく。軽くペンでラベルにメモを取ったら、それを貼り付けて他の精油と同じように棚にしまう。


 最後に使った器具を分解して洗浄と消毒を行ったら今日の仕事は終わり。戸締りを確認して身支度をしたら工房の鍵を閉めて、店の扉の鍵を一度開けてから外に出て再度しっかりと鍵をかける。


「「…」」


 なんでもないことなんて気づいたその場で話してしまうもので、こういった場で話すことなどなく無言で妹と二人帰路に着く。

 ちらりと横を見るとソフィアは何やら考え事をしている。今日の晩飯かな。


 俺は、と言えば今度は月を見上げた。なんとなく昼の会話が頭から離れない。

 確かに、ソフィアと同じで俺もあの人が少し羨ましいのはあるんだろう。女々しいと言われようが、俺の母親は母さんだけだから。


 かと言って恨めしいとか、そういう感情もない。改めてすごい人だとは思ったけど。

 あの人のあの眩しいまでの真っ直ぐさは、これからも人を惹きつけるんだろう。あの時俺自身がそうだったみたいに。


 いつもいつも、無理してるんじゃないかってくらい忙しいあの人は、どこまでも真っ直ぐで目まぐるしい日々の中でも自分を忘れない。

 まぁやっぱ、そういうかっこいい人には憧れる。あの時閉じこもるしかできなかった自分が強く嫉妬するくらいには。


「おにい?」

「!」


 不意に聞こえた声に驚いた。声の方に向くと、ソフィアが少し心配そうな目で俺をみている。


「もう、変な顔してどうしたの?」

「変な顔ってなんだよ」

「変な顔は変な顔だよ」

「それ説明になってないだろ」


 呆れた声で返すと、ソフィアはこっちを揶揄うように笑った。俺が不服を隠さず顔に出すと、さらに相手は面白がってくる。

 生意気なやつめ…なんだよ変な顔って。


「おにいは考え事しても無駄だよ」

「なんでそう思うんだよ…」

「お母さんの香水壊した時も同じ顔してたから?」

「…生意気なやつめ」

「しらなぁい。何考えてるのか知らないけど、考えててもしょうがないよ」

「なんでわかるんだよ」


 不機嫌な俺に、ソフィアは少し寂しそうな顔をする。


「どんなに考えたってお母さんは帰ってこなかったじゃん」

「! お前…」

「それと同じだよ。前向いてこ!」


 そう言ってソフィアは駆け出した。急に走るので転けないか少し心配していると、少し離れた場所でソフィアは不意にこっちへ振り向く。


「ほら、今日の晩御飯はおにいの好きなきのこのシチューにするからさ! 元気出してよ!」


 ソフィアは大きく笑う。

 恥ずかしい話だ。妹に励まされている。

 何より恥ずかしいのは、いつの間にか妹は前を向いて成長しているというのに、自分がまだ足踏みをしてるということ。


「…うっせぇよ」


 苦笑いで小さく呟く。

 そうだ、考えていても仕方ない。

 あの人に憧れるなら、あの人みたいになれるように生きるしかないんだから。

 何事にもまっすぐ、真摯に。


「ご近所迷惑だからデカい声出すなバカ!」


 注意してる割には自分も声がデカいと思いつつ、俺もソフィアの元へ駆け出す。そしてあいつの横に並んでから、二人して「しょうもない」と笑い合った。


「おにいの方が声デカかったよ」

「そんなわけないだろ。元よりお前のが声デカいんだから」

「ちょっと、それどういうこと!?」


 今度はこっちが揶揄って笑う。

 そして今日はシチューが美味いだろうと考えて晩飯が楽しみになった。

 まだ人肌が嬉しい程度に、今日は肌寒いから。

 

 

 

 

                 終

確か設定だと二人が母親を失ったのは3、4年前とかだったと思います

同じ郊外に住む周囲の人の助けを借りながら、時には助けながら生きてきました

家事は二人でやりますが、料理はソフィアの担当です。なぜなら彼女は基本的に食べたいものが具体的だから。「なんでもいい」の日が少ないためですね。逆に兄貴は割となんでもいい方です

アンムートの趣味は庭いじり、ソフィアは刺繍です。なのでラベル貼りなど細かい作業が彼女にはできるわけですね

あと触れるべきはグラツィアさんでしょうか、この話で初登場です

上品な立ち居振る舞いのオネェ、好きなものは自分です

アンムートとソフィアは今後も何かと出していきたいので頑張って出します(話の展開的な意味で)


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