三つ手の彼! 3話
彼は待っている。私に大きな背中を向けて。ずっとしゃがんで動かない。
「どうした。遠慮はいらないぞ。ドーンと俺にオンしてくれ」
え、ええええっ! いや、乗れって言われても! た、確かにこのままじゃ歩けないけど、で……でも!
あああっ! か、神様っ! さっき私の下駄を生贄にした神様! あれはこのためだったのですか! とても嬉しいのですが、私にはとてもっ! とてもこんなことをする勇気はありませんっ!
「大丈夫だ。落としたりしないから安心してくれ。むしろ、乗り心地が良いと言われたことがある」
言われたことがある? ……それって。それってもしかしてエンドウが言ってた風みたいな人から!?
そ、そうだ! 私にはライバルがいるんだ! 恋の宿敵に先を越されてる! た、大変だっ! の、乗る! 私乗るよ! 私もライバルに追いつかなきゃ!
「ほ、本当にいいの?」
「おお。ドーンとこい」
ど、どーん! いや、かなりそうっと彼に触れたけど! 気持ちはどーん! だよ!
ね、ねね! これ、手とか足とか、どこに置けばいいの! どういう状態が正解なの! 誰か、誰か親切な人! 私に教えてくださいっ!
「じゃあ立ち上がるから、しっかり掴まっててくれ。ほっ」
はあああっ! 彼の両手が足に! 足に触れてる! なんか、硬い! 手が硬い! 男子の手! 彼の手!
あっ、視界が高くなった。うわあ。なんか新鮮! 見晴らし良っ! 彼、いつもこんな風に見えてるんだ。ああ、ちょっと羨ましいなあ。私ももう少し背が高ければなあ。
「お、重くない?」
「ああ。平気だ。というか軽いくらいだ」
流石野球部! タイヤを引く男! それに授業中は教科書めくりながらペン持って余った手でダンベル握ってるもんね! そりゃ筋肉もつくよ!
うわ。背中の筋肉もすごいかも。ごつごつしてる。男子だなあ。やっぱり。
「落合、手は背中じゃなくて肩にかけてくれ。バランスがとれない」
「う、うん! 分かった!」
「よし。行くか」
そう言って彼は歩き出す。
あっ! あああああっ! あああああー! 見られてる! 周りの人にすっごい見られてる! そりゃ目立つよ! こんなことしてる人他にいないもん! いても小さな子供とかだよ! あああっ! ダメだ! しぬ! 恥ずかしすぎて、私しぬーっ!
「ほら、わたあめだ」
気づくと目の前にわたあめが差し出されていた。
え、どうやって……。あっ、そうか。これ三本目の腕だ。腕一本で買ったんだ。
男! 腕一本でわたあめを手に入れる! うーん。流石に格好良くない。でも、お金とかどうやって取り出したんだろ。片手じゃお財布開けないよね。
そんな私の疑問を先回りしたのか、彼はすぐに答えてくれた。ここ! こいうとこが好き!
「金は財布から取り出して直接ポケットに入れておいた。さあ、わたあめだ。前に、祭りでは必ずわたあめを食べると言っていただろう? わたあめだ」
そ、そんなこと覚えていてくれたんだ! 私が言ったの結構前だった気がするけど。確か、三人でお祭りに行こう! って話が初めて出た時だったような。ううん! 嬉しいなあ。ほんと、良い人を好きになったなあ。
「あ、ありがとう! あっと、お金」
「金はいい。いつも褒めてもらってるからな。その分のお返しだ」
「い、いやそういう訳には! 流石に悪いよ! それに、私はお金を貰って褒めてる訳じゃないし!」
私が好きで褒めてるだけだし! 私、彼のサクラじゃないし!
「そうか……。じゃあ、後で割り勘にしよう。それでいいか?」
「うん。なんかごめんね。細かいことにこだわっちゃって」
「気にしなくていい。祭りは楽しまなきゃな。少しでも気になることがあったら楽しめないだろう? ほらわたあめだ」
彼から受け取ったわたあめを舐める。うーん、甘い。ふわっふわだ。やっぱりお祭りにわたあめは外せないなあ。
……割り勘って、私しか食べないよね、これ。素直に奢ってもらった方が良かったのかなあ。
あ。なんか、ちょっと食べ物を食べたら、すっごくお腹が減ってきた。そういえばお昼抜いてきたんだっけ。……浴衣がね! きついかなと思って!
私達は人の波に流されながら、ゆっくりと屋台を回っていった。
「ほら、りんご飴だ」
「わあ! ありがとう!」
「ほら、焼き鳥だ」
「うわあっ! 良い匂い!」
「かき氷だ。鉄板だな」
「ああっ! 頭がキーンてする!」
「冷やしパインだ」
「甘酸っぱい! 恋の味!」
「ジャガバタ、タベル?」
「だ、誰!」
「ケバブおじさんだ」
「だから誰!」
「喉が乾いたろう。ラムネだ」
「安い! 美味しい! 冷えてる!」
「わたあめだ」
「わあい! わたあめ!」
「きゅうりは……いいか」
「きゅうりだもんね」
「後はやっぱりチョコバナナだな、ほら」
の、乗り心地が良すぎるっ!
何この快適さ! この背中の上凄いよ! 食べてばっかりでぜんっぜん疲れない! どことなく餌付けされてるような気もするけど!
親鳥から餌を貰う雛ってこんな感じなのかなあ……。あ、チョコバナナ美味しい! 暑さでちょっと溶けてるけど。チョコ、顔に付かないようにしないとね。口の端とか要注意!
「ほら、ティッシュだ。これで口の周りを拭くといい」
「……り、リムジンかっ!」
流石にツッコんだ。
手が一本増えるだけで! ここまで人の背中が快適になるなんてっ! お、恐るべし! 第三の手!
はあ。もう。ずっとこの背中に乗っていたいな。さっきまではすっごく恥ずかしかったけど、いつの間にか周りの目なんて気にならなくなってる。ずっとこうしていたいな。こんな時間が当たり前にならないかな。私に勇気があれば、それは叶うのかな?
「そろそろ花火の時間だな。この辺りだと……橋の上か、近くの公園から見るのが定番だな。どちらにも人が大勢いるだろうが……。落合はどこから見たい?」
ううんと、確か、橋の上からが一番見やすいんだっけ? 目の前がずーっとひらけてて、下は川! 打ち上げられる光の蕾! 水面を彩る夜空の牡丹! ううーん! 完璧! ロマンティック!
でも、いくら彼がゴルゴでも、もう足疲れちゃってるよね。二人で見られるなら、花火なんて! 完璧じゃなくてもいいや!
「公園がいい! 公園に行こ!」
「分かった。公園だな」
もうすっかり日も落ちてる。明るい屋台の店先がずっと道の両側に連なっていて、ちょっと幻想的。
もうすぐ花火だ。そんな会話があちこちから聞こえてくる。
そういえば、今日は皆花火を見に来てるんだよね。私はもうここで帰っても満足して良い夢見られそう! 絶対帰らないけどね! やっぱりタッパー持って来れば良かったかなあ。幸せを保存するタッパー。うわっ! なんかちょっと詐欺商品っぽい!
人と光が溢れかえる大通りから横道に入る。さっきまでいた道路と比べると大分道幅は狭くなった。光源も少ない。この道は人の流れが一方通行だ。きっと、皆同じ場所を目指して歩いてるんだ。
ちょっと暗いから、私はスマホのライトで彼の足元を照らしている。フラッシュ! これくらいは役に立たなきゃね!
少し進むと道の片側に公園の入り口が見えた。私達は公園に入る。この公園には何もない。ひたすらだだっ広いだけで、空き地みたいだ。下は砂利だし、隅の方は雑草がのびのびと茂っている。あそこにテニスボールなんかが入っちゃったら、絶対神隠しにあっちゃう。彼が歩く度、ざず、ざずず、って、少しずつおろされていく大根みたいな音が小さく響く。
彼は公園の中心あたりまで歩くと、静かに立ち止まって、ゆっくり私を降ろしてくれた。
私は片足で着地! ああっ! バランスをとるのが難しい! 下駄だし! なんか、からかさお化けになった気分。
上体をふらふらさせていると、隣に立っていた彼が肩幅に足を開いて言った。
「片足だとバランスをとれないだろう。砂利に足をついても痛そうだ。俺の靴の上に足を乗せていいぞ」
「え、でも……大丈夫だよ! ほら、こう! 片足の上にもう片方の足を乗せれば! ……ああっ!」
「遠慮するな。なんなら手も貸そう」
にゅっ。と、彼の第三の手! が私に差し出させる。
彼の靴に足を乗せるためには、た、ただでさえ体の距離が近くなるのに! おまけに手なんか繋いじゃったら……も、もう花火どころじゃなくなっちゃうよ!
「さあ、掴まれ」
彼の手を見つめていると……恥ずかしさよりも、な! 何この誘惑! 好きな人の手って、こんなに抗えないものなの⁉︎
い、いいのかな? 握っちゃって。う、ううん! 確かに、からかさは疲れちゃうし安定しない。だから! いいよね? 握っても。う……でも。ああっ! もうどうにでもなれ! え、えいままよっ!
「う、うん。じゃあ、その、お借りします……」
はああああああっ! 手だ! 彼の手! マメだらけ! かったあ! 皮膚! 硬! がさがさだ! 皺が深いっ! 骨だ! 骨の形が分かる! うわ! ちょっと怖い! 強く握られたら私の手なんてひとたまりもなさそう! そして大きい! でも、大きくて強そうなのに、なんか……なんか包まれてる! って感覚が凄い! あったかい! 蒸れちゃう! て、手汗が! ああっ。強く握られてる訳じゃないのに! なんでだろ! ぴたっとくっついて離せないし離れない!
……今日、凄いよ。これ、私、明日死ぬんじゃないかなあ。今日で命の全てを燃やしてる気がする。知らないうちに悪魔と取り引きとかしてないよね? ああっ! そういえば、召喚! とかした気がする! やばい! 命の代償! 得たものは! ……思い出かな? うん! きっとそう! 私、今日のことずっと忘れないよ! ああ。楽しかったなあ。すっごく楽しかった。だから、この気持ち、ちゃんと彼に伝えよう。しっかりお礼は言わないと。感謝の気持ち! 夏の感謝はお中元! 私の気持ちはボンレスハム!
「……なんか、今日はごめんね。沢山迷惑かけちゃって。疲れちゃったよね。仕方なく二人で来ることになっただけなのに。でも、今日は凄く楽しかった。だから、本当にありがとう!」
手を繋ぎながら、隣の彼を見上げる。公園の中は照明がない。スマホのライトやカラフルな光りものがあちこちで揺れている。人が沢山いる。陽気な気配がどんどん膨らんでいるのが分かる。皆その時を待ってるんだ。
彼の口がゆっくりと動いた。
「……実はな」
わあ! と周囲から歓声が上がる。一拍遅れて、大きな光が空から降り注いだ。
光が地面にはね返されて、足元が一気に明るくなる。衝撃波みたいな爆音が私の体を突き抜けた。
花火だ。花火が打ち上がったんだ。
光と音の雨は続く。皆夜空を見上げている。でも、私と彼だけはお互いを見ている。歓声と拍手が湧き上がる中、彼は真摯な瞳で私を見つめ、はっきりとした口調で言った。
「佐屋が腹痛だと言ったが、あれは嘘だ」
「えっ」
「騙していてすまない。ちょっとあいつに協力してもらったんだ。だから、仕方なく、ではないんだ。俺は今日、落合と二人でここに来たかった」
は、はあ。
い……いやいやっ! ち、ちちちちちちちょっと! ちょっと待って! えっ。何。あ、あれ? 協力? エンドウの腹痛って、それって私と打ち合わせていたことだったような……。あれ? そうだよね? ううん? い、いやそれよりも! 今、なんかもっと凄いこと言われた気がする! ふ、二人で来たかった……って。そ、それって。
「俺はな、好きでもない人と二人きりで花火大会になんか行かない。そいつを背中に乗せたりもしない。わたあめをあんなに推さない。そんなサービスをするのは、俺にとって特別な人にだけだ。つまりだな……」
彼は一度言葉を切り、小さく息を吸ってから言った。
「俺の背中は、落合だけのファーストクラスだ!」
ず、ズッキューン! 私の心臓を彼の弾丸が貫いた。
「ふ、ファースト……」
「そうだ。もう一度言おう。ファーストクラスだ!」
ズッキューン! 二発目の弾丸も容赦なかった。
ち、ちょっとやめて! ファースト禁止!
「さあ、どうだ。落合」
彼は不安げな表情で私を見つめる。
「えっ。どうって……」
「落合はジャッジだ。当事者だからな。ジャッジしてくれ。正直に言ってくれて構わない。俺はどんな結果でも受け止めよう」
ジ、ジャッ……い、いや! そ、その前にこれ、告白、ってことでいいんだよね……? いや! なんか……もちろん気持ちは伝わってきたよ。すっごく嬉しいよ!
でも、もっとはっきりした言葉で言ってくれないと、流石にちょっと、ファーストクラスだ! にはどう返事をしていいか分からないというか……。
そんな私の女心を完璧に捉えたのか、彼は体ごと私に向き直り、改まった態度で再び告白した。
「好きです。落合さん。もしよかったら俺と付き合ってください」
ここ! こういうとこが大好き!
「ジャッジ! 喜んでっ!」
私は彼の胸に飛び込んだ。
(場所移動中!)
帰り道、私は彼の隣を歩いている。もうファーストクラスには乗っていない。コンビニでサンダルを買ったからだ。
「そうか。なるほど。……あ。俺のスマホにもメッセージが来ているな。大分前だが」
彼はスマホの画面を私に向けた。
『状況を報告セヨ』
お、同じメッセージ! 私のと全く一緒だ! ……と、ということはエンドウ! さては! さては私と彼のメッセージを見比べてニヤニヤする気だったな! 両想いだって知りながら! さ、最低だ! 最低の楽しみ方だよ! 豆! もうエンドウなんか豆だ! 豆って呼んでやるっ!
私が彼と同じ計画を練っていたことはもう話した。それは私の気持ちを言ってしまうことと同じだったけど……この際ね! もういいよね!
話を聞いた彼はちょっと照れた表情を浮かべていた。さっきの『そうか。なるほど』の時だ。はああああっ! 良い! 照れ顔!
それから、屋台での出来事とか、あれから一緒に見た花火の感想とかを、彼とあれこれ話し合っているうちに駅に着いた。幸せだらけの帰り道。
「――じゃあまたな」
「うん。またね」
そして、少しの間二人で電車に揺られた後、彼の乗換駅で手を振って別れた。
座席に座っている人を眺めていると、私もファーストクラスが恋しくなる。
夏のうちにまた遊べるかなあ。部活ぎっしり! って言ってたから、やっぱ厳しいよね。ちょっと寂しい。
今の私は有頂天を通り越して夢見心地だ。心が晴れやかすぎて、一点の雲もない! って言いたいけど、ちょっとモヤっとしている。なんでだろう? やっぱり下駄のせいかなあ。あれお母さんに買ってもらったやつだったのになあ。
……うん? お母さん? ああっ! ベビーカステラ忘れた!