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はぐれた僕らのカンパーニュ 3話

 南條が二課の電話のボタンを鼻歌交じりに押している。


 東の何に期待しているのか、森に電話をかけてどうしたいのか。

 南條はいつもそうだ。説明らしい説明は何一つない。説明をする気はあるらしいが。


「あ、森君? 日啓食品退職代行センターの南條です。急な話なんだけど、森君って横領のこと知ってる? というか、君はそっち側でしょ。提案なんだけど、僕と組まない?」

「ちょ、南條さん、率直すぎるっす」

 桝田が止めに入るのを、南條は迷惑そうに足蹴にする。


「いやいや、横領を知らないとは言わせないよ。退職代行を使う気もないのに、僕が退職代行を持ちかけたら乗ってきた誰かさん?」

 森の返答は不明だが、言い逃れを許す南條ではない。一つ言い訳すれば、十倍の追求が待っている。


「僕も会社辞めたすぎて調べたことがあるんだけど、退職代行って弁護士付きでも三万が相場でさ。六万の退職代行を検討してるって聞いた時点で、引っかかってたんだよね。僕との話を繋ぐために適当に言ったでしょ。墓穴だったね」

『調べが甘かっただけです』

 南條がスピーカーボタンを押す。森の声が桝田にも届くようになった。かなり若い声だ。


「ま、そう来るよね。じゃあ聞くけど、そもそも君、本当に会社無断欠勤してるの? 先輩の東君に確かめようか?」

 東が驚いた顔で首を横に振った。

「今日の午前までは、確実に僕の隣の席にいました」


「だろうね。社の金を横領する上で、退社するメリットないし。君の自白なんて待たないよ。君、下っ端だろ? 組織内で出世させてあげるから、僕と組んでよ。出世したら分け前も増えるし、悪くない話だと思うけど?」

『……どうせ罠だろ? あんたらにメリットねぇじゃん』

 諦めたのだろうか。森は態度をがらりと変え、横柄な口調になった。


「罠じゃない、共生だよ。僕らは唯一の情報源である君を手放したくないだけさ」

『じゃ、あんたらが俺らのメンバーに加わってよ。本当に俺が出世できるように協力してくれるんなら、俺の案も飲めるだろ』

 ぐっと南條が言葉を詰まらせたのが分かった。

『メンバー内の社員は俺一人だからさ、丁度他にも社員が欲しいと思ってたんだよな。いい加減、金も動かしてぇし』


「社員一人で、横領なんてできるんですか?」

「まさか。一人っきりで俺らを二課に飛ばせるわけがない」

「少なくとも、一年目社員にできることではありませんね」

 受話器を持って固まる南條の前で、三人はひそひそと囁き合う。


「……なるほど、分かった。横領組織が二つあるのか」

 南條が浮かない顔で、ぱちんと指を鳴らす。

「僕らを二課に飛ばした方の横領組織とは別に、森君が所属する横領組織があるんだ」

『そゆこと。正確には、日啓食品の内部の横領組織から、俺らが金を取った。こっちはいわば詐欺師ってトコかな』

「全然知らなかったよ」

 笑顔の南條は、極めて落ち着いた声色だった。


「南條課長、騙されちゃダメですっ! その人、嘘ついてるかもしれませんっ!」

「分かってる。森君の話には根拠は何一つない。でもそう仮定すると、不可解な疑問が解消するのも事実なんだよ」

 焦る瞳子を、南條は丁寧に遠ざける。南條は受話器を耳に当てたまま、冷静に話を続けた。


「東君は、詐欺師が横領組織と別物だって知ってた?」

 東は険しい表情で、ゆっくりと首を横に振った。

「東君がこの会社に来たのは、お姉さんの事件の後。しかも新入社員の森君の先輩ということは、うちに来て二年目以上だ。ずっと追っているにしては、うちへの左遷のタイミングが遅い」

「……入社三年目です」

「誰にも相談しなかったことを差し引いても長いよね。僕らはすぐに飛ばされたのに。詐欺師には人事権がないから、東君を飛ばせなかったんだ。でもどうしても東君を飛ばしたかった森君は、わざと東君を横領組織の情報に踏み込ませたんだろうね。そうすれば誰かが二課に飛ばしてくれるから」

『南條(すばる)、あんた案外切れ者だね』

 無愛想だが、明確に森は同意した。東は息を飲んだ。まさか自分の隣に座る後輩に全てを仕組まれていたとは。


「報復人事できるほどには、横領組織は大きいはず。なのに何も知らない東君の姉さんを利用する、そんな不可解さも気にかかる。それに他にロンダリングルートを持っているのなら、アトモスや絵が社内にあるのも変だ。中途半端すぎる」

 横領集団は二つあった。そう仮定をすれば、全てに説明がつく。


「アトモスや絵をロンダリング目的で社内に置いたのは、社内の横領組織の方さ。そして東君のお姉さんは、騙されてロンダリングをさせられたんじゃない。騙されて詐欺に遭ったんだ」

「僕の姉は横領犯の一員だった、ということですか?」

「どうだろうね。あまり可能性は高くないと僕は思うけど」

 歯切れの悪い返事に、東の目が泳ぐ。


 南條と桝田と瞳子が支社で嗅ぎつけた横領は、本社で行われていた横領だ。しかし東が追っていたのは、その横領組織を詐欺にかけ、百二十億円だかを奪った詐欺師の方だった。南條はそう言っている。

 

「三年追い続けて、僕はその段階にも辿り着けていなかったんですね……」

『やっと気づいたの? 間抜けだなぁ』

 電話の向こうから森の乾いた笑い声が響くのを、東が静かに聞いている。空気が重い。

『日啓食品の奴らは、みんな仲良くバカばっかだよな。百億ちょっと横領したのに脇が甘いどこかの横領犯さんといい、東先輩といい、先輩の姉ちゃんといい。みんなコロっと騙されてくれたよ』

 東の細い眉が動いたのを察した南條は、受話器を顔から離し、低い声で囁いた。

「ダメだよ東君。今は感情的になる時じゃない」

 東は頷いた。スピーカーから、森の明るい声が尚も聞こえる。


『ただ、あんたの言う通り、俺らも取りこぼしがある。あいつら、まだ十億ちょっと抱えてんだよね。俺らはそれも欲しいわけよ。二課が協力してくれたら報酬は弾むけど?』

 南條は無表情に聞く。答えは出さない。出せるわけがなかった。そんな南條に、森は更に畳み掛ける。

『あんたら、俺の話に乗らないと損するぜ。損どころじゃねぇな。俺らは二課なんかいつでも潰せる』


「だろうね。別に意外でもなんでもないよ」

 遠回しに脅されても、南條はびくともしない。時間を稼ごうとする南條に、森がいらだっているのは見てとれた。

『迷う余地なんかねぇだろ。俺らの標的は日啓食品だけじゃない。南條、あんたの弟が勤務する日本飲料──いや、南條製菓(実家)を標的にしてもいいんだぞ?』


「……よく調べてんな」

 少し間が空いた南條の返事は、少し離れている桝田ですら気圧されるほどに怒気を孕んでいた。

『当然だろ。親兄弟が惜しければ──』

 森の煽りに、南條が奥歯をきつく噛み締めた。

「それで折れると思ったか? 俺が二課捨てて、親兄弟を取るとでも思ったか⁉︎  親兄弟なんか惜しくねぇんだよバーカ‼︎」

 南條は大声で叫んで、電話を叩き切った。


「……南條さん?」

 息の荒い南條に、桝田がそっと声をかけた。南條が我に返り、ゆっくりと振り向く。

「やば、切っちゃった」

 青ざめる南條に呼応するように、桝田の顔も青くなった。

「感情的になるなって、南條さんが言ったんでしょうが!」

「ごめん。本当にごめん……」

 唾を飛ばして憤る東に、南條は謝り倒すほかない。


「も、もう一回かけて下さいっ!」

 目を血走らせた瞳子が、俯く南條の手を取って受話器を握らせた。しかしその上にもう一本の手が伸びる。東だ。

「本気であの詐欺師と手を組むつもりですか? 利用されるだけですよ」

 冷静な声色には、押し殺した感情が滲んでいる。きっと利用された姉の顔を思い浮かべているはずだ。

「でも、あの話に乗らなかったら、私達は何もできないまま潰されるんですよ! 分かってます南條さん⁉」

 二人に手を取られている南條が、苦しげに頭を抱える。どちらの言い分にもなまじ分があるだけに難しい。


「私、抜けますっ!」

 膠着状態を瞳子が破った。明るい声だった。


「私の目的は詐欺師でも横領犯でもなく、お金です。森さんと手を組まない状態で、三十億円が手に入る未来は見えません。だから、ここから抜けます!」

「瞳子ちゃん、二課を抜けたって金は手に入らないよ」

 桝田が穏やかに説得するが、瞳子はヒートアップするばかりだった。彼女本人の癖なのか、机を叩く音が声と一緒に響く。


「ここにいたって一円にもならないじゃないですかっ! 本社の横領犯達は、もう全然お金持ってないんですよ⁉︎ 」

「抜けたって一円にもならないよ……」

「本社の横領犯はまだ十億ちょい持ってて、それを時計や絵画に置き換えて、社内に隠しているんですよっ! それを本社に返さずに総取りすれば、私の利益は大して変わりませんっ!」

「それこそ横領だろ!」

「そうですよ?」

 瞳子はきょとんとした顔で、淡々と突っ込み続けていた桝田に尋ね返した。思いがけない返事に、桝田は言葉に詰まった。


「現金決済で社内に持ち込まれた時計類をいくら横領したって、私には辿り着きません。時計も絵画も、犯収法の対象外ですし。これは極めてローリスクな横領なんですっ!」

 金銭的リターンがリスクを上回れば、瞳子は何でもする。たとえそれが犯罪であっても。


「暗い顔しないで下さい、桝田さん! 別に私が二課から消えるわけじゃありません。一番最初の状態に戻るだけですよっ! じゃ、私はお昼ご飯に行ってきます。お疲れさまですっ!」

「瞳子ちゃ……」

 瞳子は人好きのする笑顔を残し、スキップまじりに二課を出て行った。


「……僕も社食に行ってきます。話はその後で」

「待って」

 気まずそうに背を向けた東を、妙に静かだった南條が、暗い声で呼び止めた。

「あげる。賭けに負けた分のハッピーターン」

「はぁ……」

 ハッピーターンの袋を押し付けられた東は、怪訝そうな表情で二課を出て行った。


 §


 南條が喋らなければ、二課は途端に静かになる。南條のため息が聞こえた。

「瞳子ちゃんと東さん、どちらを選ぶか的な感じになるんすかね」

「かもね」

「究極の二択っすね」

「桝田君はどっちがいいの?」

「多数決すか? 俺は南條さんと一緒でいいっすよ」

「……僕は別にどっちでもいいんだ。そもそも、僕の動機はお金じゃないしね。南條家の長男が横領金を取り戻す偉業を成し遂げたら、僕の家族が嫌そうな顔をするかなと思っただけ」

 見事に全員、揃いも揃って目的が違う。


「このままだと、バラバラになっちゃうっすよ」

「もう手遅れじゃない?」

「南條さんはそれでいいんすか?」

「別に」

 南條が動揺したのを、桝田は見逃さなかった。


 仲良しだから手を組むのではない、とは南條の言葉だ。

 しかしそれは、分かり合える仲間に期待を寄せていることの裏返しではないのか。気持ちは募るが、それを本人に尋ねる勇気など桝田にはない。


「……僕が感情ひとつ我慢できないせいで、こんなに一瞬で崩壊しちゃったね」

「違います。あの時点で、割と詰んでたっしょ」

「いずれにせよ、悪いのは僕だよ」

 南條は座る椅子をゆっくり回転させる。


「僕の説明がおざなりじゃなくて、行動も無茶じゃなかったら、もう少しマシな結果になってた気がする」

「……自覚あったんすか?」

 桝田の揶揄いに、南條は微笑を見せた。

「僕、説明が苦手でさ。何か言ったところで受け入れてもらえないよりは、無茶でも行動に移した方がいいじゃん」

「俺達が受け入れないと思ってたんすか?」

「……いや」

「勝手に一人で責任背負うの、ずるいっすよ」

 思いがけず強い口調になった。くよくよする南條の姿が、桝田にはどうにも受け入れがたかった。


「そりゃあ意外っすけどね。南條さんあんなキレるんだ、って」

「……桝田君、お昼食べに行ったら?」

 南條は少し恥ずかしそうに、瞳子と東が出ていったドアを指した。

「俺、弁当派なんすよ。さーせん」

 低賃金がゆえの節約術である。彩りも何もない、適当に詰めただけの弁当を桝田は律儀に毎日持ってきていた。意外にも南條も弁当派らしく、リュックに手を突っ込み、やたら大きな袋を取り出す。これが昼食らしい。


「南條さんの……なんすかそれ。パンすか?」

「そう。カンパーニュっていう、うちの近所で売ってるパン」

 気まずそうな南條に気を遣って、桝田は無理やり話題を変えた。袋に直接手を突っ込んだ南條は、大きなカンパーニュをちぎって食べる。衛生観念のかけらもない。


「元々は人と分けて食べるためのパンなんだって。僕は分ける相手なんかいないんだけど。でもこれ、コスパがいいでしょ」

「にしても、何も塗らずに食べるパンじゃないっしょ」

 素朴な、極めて普通のパンだ。醬油のない寿司に近い。


「うちの親、結構キツめの自然派信者なんだよね。自然派ってわかる?」

「無農薬的なアレっすか? 南條さんが?」

「僕じゃないよ、親だけ。市販品は全部ダメでさ。あまりにも丁寧な暮らしで育てられたせいで、僕はパンに何もつけたくないんだよね。ジャムとかドレッシングにはどうもまずい印象が……」

「あんなにハッピーターン食ってるじゃないすか」

「言ったじゃん。ハッピーターンの粉は麻薬だって」

 はあ、と桝田は曖昧に返事をする。ハッピーターンは確かに美味いが、それほどの魔力があるとは思えない。


「おからクッキーと玄米アイスで育った僕が、大学の新歓で初めてハッピーターンを食べた時の瞬間、あれは忘れられないね」

 納得が桝田の胸に転がり落ちる。思わず桝田は空笑した。世の中には、大学に入らないとハッピーターンも食べられない人間がいるのか。


 南條は、そんなに不幸な男だったのか。


「こんなはずじゃなかったのにな。今頃、東君にハッピーパウダー二倍の新作を買いに行かせるはずだったのに。ごめんね、桝田君」

「なんか南條さんが謝るの気持ち悪いんで、やめてほしいっす」

 南條には、桝田が追いかけたい南條であってほしい。そして、それは本人に決して伝わってほしくない。


「じゃあ僕、どうしたらいいんだよ」

 不服そうな南條の机に、桝田の手が伸びる。桝田は黙ってカンパーニュをちぎり、何もつけずに食べた。

「いつもの南條さんの変なアイデアを聞きたいっす。あ、これ、パンのお礼のタコさんウィンナーっす」

「……あるよ。アイデアなら」

 南條は初めて見るらしいタコさんをかじる。いつの間にか、目に光が戻っていた。


「森君はちょっと口を滑らせたね。東君の姉さんが詐欺師に金を渡してしまったのが少なくとも三年前、でもその金を動かしたいって森君は言ってた」

「……だから何すか?」

「あの詐欺師達も、まともなロンダリングルートを持ってないんじゃないかな。だからお金を動かすために、僕ら社員を必死に狙っていたんだ。そこにつけ込む。詐欺師を騙し返すんだよ」


「俺達二人でやるんすか⁉︎」

「敵は詐欺師だから、たぶん東君は乗ってくる。瞳子ちゃんも金の匂いがするから飛んでくる」

「じゃあ、四人で詐欺師を騙すんすか?」

 南條は悪どい笑みを浮かべ、首を横に振る。


「まさか。そういう汚れ仕事は、本社の横領犯にやらせるんだよ」

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