龍火絶消(りゅうかぜっしょう) 3話
第3話『嶋子攻略、其の1』
夕日が射し込む管制塔。
床には鋼鉄製のドアがひしゃげた状態で転がっていて、作業中だった消防士たちの視線はドアが本来あった入り口に集まっていた。
入り口にはドアを蹴破った少年兵と、コートを羽織った女性――デリカが立っている。
デリカは見るも無惨なドアに目をやり、次に消防士たちを見ていく。消防士たちは全員が女性であり、龍の鱗と尻尾を生やした半人半竜の龍化人だ。
龍化人の肌は爆弾に耐え、腕力は鋼鉄も曲げてしまう。生身の人間からすれば怪物。そんな怪物たちの顔に恐れが張り付いている。
その顔は語っていた。
自分たちは怪物なんかじゃない。
そこに本物の怪物がいると。
デリカは隣に立つ少年兵に視線を向ける。
今から龍を占拠するというのに、少年の目や瞳には一切の感情がない。彼が命令で動いていること知っているデリカと違って、なにも知らない消防士には彼が異質に感じるだろう。
そのうえ、今から龍を占拠すると告げられるのだ。デリカは消防士たちに同情し、けれどデリカも娘を人質に取られている以上は退けない。
大国が龍を殺そうと思わなければ。
消防士たちが強ければ。
少年兵が弱ければ。
自分に力があれば。
言葉が頭のなかをよぎり、思考を妨げる。
デリカは静かに息を吐いた。
白い吐息と一緒に雑念も流れていく。
消防士たちの意識を自分に向けるためデリカは会釈をし、宣言する。
「色々と気にくわないので、龍を占拠します」
消防士の1人がスイッチに手を伸ばし、空襲警報を鳴らした。施設中の警告灯が赤く点滅を始め、管制塔内にてマイクに近かった消防士がデリカたちのテロ行為を放送にて告げる。
数分もしないうちに、方法を聞いた消防士たちが管制塔に集まってくるだろう。
そして、集まってきた消防士たちを少年が返り討ちにする。デリカと少年が事前に交わした打ち合わせだとそういう流れになっている。
2人で龍を占拠するためには、消防隊に少年の強さをトラウマレベルで植え付ける必要があると軍は考えての作戦だった。
作戦を考えた人間は、少年が勝つことを前提にしている。その作戦に少年はなんの疑いも抱いていない。
デリカは作戦が気に入らなかった。
理不尽なまでの暴力によって消防隊を黙らせるやり方に。
本土全焼という理不尽を体験した秋津が、
建国のときから一緒だった龍を殺せと他国から理不尽な要求をされている秋津が、
――理不尽をする側に立っている。
デリカは少年を止められない。
消防隊に抵抗するなと言っても大人しく従ってくれるはずがない。管制塔のドアを蹴破って入ってきた侵入者が龍を占拠すると言ったのだ。龍の警備を任されている消防隊は戦うに決まってる。
どちらも止められない。
「タキくん」
デリカは少年の名を呼んだ。
ドアを失った入り口から出ていこうとしていた少年が立ち止まる。
「手加減しても消防隊に勝てる?」
「勝てる」
「消防隊の人に傷ついてほしくないから、その、手加減してくれないかな?」
自分で言っておきながら、とんだわがままだとデリカは思う。それでも少年はデリカのお願いに、「わかった」と答えてくれた。
少年は、他に要求がないか聞いてくる。
――消防隊と戦わないでほしい。
そのお願いはさすがに聞いてもらえないだろうと思い、デリカはなにもないと言葉を返した。
「朝倉も手加減する?」
デリカの娘を逮捕したのは消防隊の朝倉嶋子だ。逮捕まえ、朝倉は学生だと身分を偽った。その件から少年は、デリカが恨んでいるのではないかと考えたのかもしれない。
「朝倉さんも手加減してあげて」
「わかった」
今度こそ少年は管制塔から出ていく。
小さな背中を見送ったあと、デリカはその場にて消防士たちに拘束された。娘と同じく手錠をかけられる。
「答えて。あなたたち以外に協力者は?」
「いないわ」
「目的は?」
「龍の処分撤廃と、娘の遺体との面会」
2つの要求はデリカの考えたものである。
少年を通じて軍から許可は得ており、龍の処分撤廃は龍が好きな娘のためという動機をもたせ、遺体との面会は実際に娘と会う機会を設けるためのもの。
デリカは、生きている娘を見て安心したかったのだ。
そんな事情を知らない消防士は、デリカの要求に疑問を抱く。
「面会?」
「娘が本当に亡くなったのか知るためよ」
「ガリーナさんは亡くなった。そう報告があったはずです」
「報告だけでしょ。娘が亡くなったところも、遺体も見てない」
「報告が嘘だと?」
「容疑者を死亡したことにして、裏で国際法を無視した拷問をやる。私の国の警察が十年まえにやって問題になってたわ――だから娘の遺体に会わせて。この目で確認させて」
「……他に方法はなかったのですか?」
「追い込まれた人間はなんだってするわ。それは秋津だって一緒でしょ?」
国の存続のため龍を殺す秋津。
娘の生死がかかっている母親。
どちらも退けない理由がある。
だが、デリカの行動は認められない。
龍を殺すのは秋津とベリカの国家間による正式な手続きを踏んだものであり、対するデリカの行動は暴力による不当な占拠は犯罪だ。
消防士は認めるわけにはいかなかった。
「――終わった」
入り口に少年が立っていた。
着ている軍服はあちこちが破れているものの、擦り傷もあざもなく、戦闘後とは思えないほど息も上がっていない。
消防士は壁に設置された伝声管を使って、施設内の消防士を呼ぶ。
応答はなかった。
「……死者は?」
「全員気絶」
消防士はデリカと少年を見た。
龍を処分しろと他国に迫られ、他国の人間であるデリカに龍を占拠される。当事者のはずの秋津はただ理不尽に振り回されるだけなのかと心のなかで嘆きながら、「降参」を告げた――
※※※
龍が占拠されてから1時間。
占拠と言っても消防士たちは自由に動くことができ、外部との連絡もすべて許されている。軍の特殊部隊を乗せた輸送機が滑走路に強行着陸してくることもない。空襲警報も解除され、警告灯も止まっている。
消防士たちが気絶から目を覚ましたあと、施設中の点検を始め、関係各所から責められながら今後の対応や犯人の要求について協議しているなか――デリカと少年は宿舎の一室でティータイム中だった。
コーヒーに角砂糖をたっぷり入れるデリカと、角砂糖を口に直接運んで甘みを堪能する少年。そんな2人と対面する形で朝倉嶋子が席についている。朝倉にも緑茶が用意されているが一度も口をつけていない。
朝倉がここに居るのは、デリカに呼ばれたからだ。
デリカは2つの要求をした。
1つ目の『龍の処分撤廃』は政府に問い合わせる必要があり、2つ目の『娘の遺体との面会』は警察が遺体を管理しており、消防隊の一存では決められない。
そのことを消防隊から説明されたデリカは2時間待つと告げ、待っているあいだの時間を潰すため新しい要求を付け加えた。
それが、朝倉とのお茶会だ。
少年との戦闘で気絶していた朝倉は目を覚ますなり、デリカから指名されていると聞かされ、軽い診察を受けてすぐデリカたちのもとにやってきた。学生服ではなく、オレンジ色の作業服姿で。
朝倉が席についてから数分。
最初に口を開いたのはデリカだった。
「あざだらけ」
朝倉の顔や手には、青く腫れた箇所がいくつもあった。できたばかりの腫れは見ていて痛々しく、少年との戦闘が激しいものだったことが窺える。
デリカは少年に視線を向け、「手加減したんだよね?」と聞く。
「した……最初は」
「最後はしなかったの?」
「しぶとかったから」
「朝倉さんって熱血なタイプ?」
聞かれた朝倉は、「そんなことより」と会話の流れを切った。
「私を呼んだ目的を果たせば」
「まどろっこしいのは嫌い?」
「あなたが私を嫌ってるくらいには嫌い」
「嫌ってないわ」
「あなたの娘を逮捕したのよ、嫌いにならないなんておかしい! 理解できないっ!」
「あなたは移送に関わった?」
「関わってない」
「あなたの逮捕は不当なもの?」
「……いいえ」
「娘の体調不良はあなたのせい?」
「……」
「嫌う理由がないわ」
「学生のフリをして騙した件は!」
朝倉が声を荒げたのがきっかけだろう。椅子の裏から少年の尻尾が伸び、朝倉の首を絞め上げた。
「ここでの暴力禁止!」
デリカの命令を聞いて少年は朝倉を解放した。
彼女は1時間まえに殴られたばかり。その痛みを覚えていた体が恐怖で震えていた。
デリカはコーヒーを口に運び、ため息ごと飲み込んだ。
「朝倉さん、あなたを呼び出した理由は責めるためじゃない――娘の無実を伝えたくて呼んだの」
「それ以上はダメ」
少年の警告が入る。
「娘が龍の処分を知ってる理由を話すだけ」
「……わかった」
無実を伝えるという言葉に、デリカが娘の生存あるいは秋津軍の関わりを話すのではないかと思っていたのだろう。少年は自分の勘違いだと理解し、デリカが会話の続きを話すことを許した。
「龍の処分は秋津国の国家機密。それを学生の娘が知っていたのはね――私が教えたからよ」
娘は両親の会話を聞いてしまい、龍の処分を知った。その話を聞いた軍は、少年を通じてデリカに伝え、デリカは自分が原因で娘が龍の処分を知ったことを朝倉に打ち明ける。
ただし、娘が盗み聞きした部分だけデリカが教えたと捏造した。
「なんで教えたの?」
「娘に後悔してほしくなかったから」
娘が龍の背中にある学校に留学するとなったとき、その学校についてデリカと夫は安全かどうか調べた。貴族の出であるデリカは龍の処分まで突き止めてしまい、それを知ったデリカと夫は悩んだ。
龍が処分されたとあとになって知れば、娘は深く傷つくに違いない。
しかし、物騒な話が上がっている龍に通わせるのは不安だった――が、不安よりも娘が傷つくのが怖かった。
処分されるまでなにも知らず、処分される理由もわからず、好きなものが殺される。
何年、何十年、もしかすると一生引きずるかもしれない。
それが怖くて、デリカたちは娘の留学を止めなかった。
娘の安全は、デリカが同伴することで守ると決意し――娘の背中を押したのだ。
でも、
「今は、自分の選択を後悔してる」
「……あの子、ここに来たのが幸せそうだった」
朝倉の脳裏には今もガリーナの顔が浮かんでいる。
好奇心に目を輝かせ、学生がいない校舎を見ているときの寂しげな顔も、体調を崩して苦しそうにしながらも処分される龍を心配する姿も頭に焼き付いている。
朝倉は気づいている。
ガリーナはスパイじゃないと。
なのに、自分が逮捕したせいで死なせてしまった。
あの子に謝りたい。
デリカの後悔しているという言葉に、朝倉は心のなかで「私も」と呟いていた…………




