人外ちゃんは命知らずの少年に離れてほしいようです 3話
一ノ瀬さんは、僕と約束してくれた。
次に食事するときは、僕を連れて行ってくれると。その時になったら連絡を入れるから待っていてほしいと。
だから僕は待った。その時を楽しみに、胸を躍らせながら。
待って、待って。
気が付けば――二週間がたっていた。
「一ノ瀬さん!」
「西尾くん!?」
朝、騒がしさを増しだした教室にて。
僕は一ノ瀬さんのもとに向かい、彼女に声をかけた。
友達と話していたらしい彼女は、大きな瞳を丸くしながら驚いた顔をしていた。
「どういうこと、一ノ瀬さん! もう二週間も何もないじゃないか!」
「え、ちょ、西尾君、落ち着いて」
「いや、確かに具体的には、いつって言ってなかったけどさ」
なんだなんだとクラスが騒がしくなる。一ノ瀬さんと話していた友人も、僕をいぶかしげな眼で見ていた。
「いつになったら僕と夜――」
「っ!? ちょ、ちょっと西尾君、一緒に来て!」
「え、一ノ瀬さん!?」
突然一ノ瀬さんは立ち上がると、僕の手を取り教室の外に向かって歩き出す。
「みんなごめん! もし朝のホームルームに間に合わなかったら先生に言っておいて!」
そう教室のみんなに告げ、彼女は僕の手を引き教室から飛び出した。
「何考えてるのよ」
「いや、本当に、すみませんでした……」
体育館裏に場所を移し、僕は彼女の前で正座をしていた。
「二週間も放置した私も悪いけど。あんなところで何口走ろうとしてるのよ」
「えっと、ちょっと熱くなっちゃって。ほんとごめんなさい」
「はぁ……次からは気を付けて。次はないわよ」
何とか許してくれたらしい。最後にもう一度「ごめん」と謝り、立ち上がる。
「別に毎日出かけてるってわけじゃないって言ったでしょ」
「言ったけどさ。いっても三、四日だと思うじゃん」
「不安だったのなら連絡してくれればよかったのに」
呆れたように一ノ瀬さんはため息をついた。
確かに言われてみればそうだけど、でも。
「なんか連絡するの緊張したら怖くなっちゃって」
「あなたの怖い基準が私にはよくわからないわ……」
失礼な。これでも怖いと思う対象は普通の人とそんなに違わないと思ってる。
「実際どれくらいの頻度なの?」
そう尋ねると、彼女は指折り数え。
「月一くらいかな」
「つ、つきい……!?」
「そ、そんなに落ち込む……?」
地面に手をつきうなだれる僕を、彼女は引き気味に見ていた。
いやそりゃそうだ。
こっちはかなり楽しみにしてたんだ。気を抜けるかもしれない誰かと一緒にいられる、もとい退屈な夜の時間から抜け出せると思いきや、それが一か月に一度しかないなんて。
「もうあれだね。普通に夜一緒に散歩しない?」
「あなたそれって――いや、なんでもない。わかった、わかったわよ。さっきみたいに騒がれても困るし」
「ありがとう!」
「……夜の私の何がいいんだか」
小さなため息とともに、彼女はぽそりとそうこぼした。
「ああそうだ」
去り際、彼女は思い出したようにそう言って足を止めた。
「夕菜には気をつけなさいよ」
「夕菜……?」
「ああ、そっか。えっと、小森よ、小森」
「小森……?」
「噓でしょ……」
「いや、知ってる、知ってるよ。小森さんね。有名だよね」
「絶対知らないでしょ。クラスメイトなのになんで知らないのよ。ほら、さっき私と一緒にいた」
「ああ、あの子」
言われてようやく顔が脳内に浮かび上がってきた。よく一ノ瀬さんと一緒にいる女子だ。
金髪に釣り目気味の瞳。少し強気な印象はあるが、容姿はかなり整っていて、一ノ瀬さんとはまた別で人気のある女子だった。
真面目でおとなしい見た目だが華のある一ノ瀬さんとは対照的に、分かりやすくきらびやかな子だった記憶がある。
さっき教室で一ノ瀬さんに詰め寄ってしまったときに一緒にいた子でもある。
「で、小森さんがどうしたの?」
「気をつけなさいよって話。あなた、変に素直なところあるし、うっかりバレないようにね。あの子、なんかすごい鋭い時があるから」
なぜか少し誇らしげに語る彼女に、僕は首をかしげていた。
◆
その日の夜。
僕は前回一ノ瀬さんと再会したマンションの屋上に来ていた。
あの後彼女からの連絡で集合場所として指定されたのがここだった。
待ち合わせの時間として指定された午後九時。僕はその一五分前に到着していた。
「まだいないか」
そこには誰の姿もない。階段で上がってきたときにかいた汗をぬぐいながら、適当な場所に腰を下ろす。
まあちょっと早く着いちゃったし、スマホでも見て時間つぶすか。
そう考えスマホを取り出そうとしたその時、トンと目の前に一ノ瀬さんが着地した。
「早かったわね」
「……ここ六階建ての屋上なんだけど」
「? だからなに?」
何がおかしいのかわからない、といった顔をして彼女は首をかしげる。
そういえば初めて夜の一ノ瀬さんに出会った時も、彼女は建物を飛び越えて去っていったっけ。
今日の彼女は前回二回と比べると、異形成分はずいぶんと抑えめだった。
羽もなく、尻尾もなく。だけどよく見てみると、彼女の黒髪からとがった耳が飛び出ていた。
瞳は二つ。左右に一つずつじゃなく、顔の中央に縦に並んで二つ。一つ眼の二つ眼バージョンみたいな感じ。何言ってるのかよくわからなくなってくるけど。
「……何見てるのよ」
「いや、日替わりの間違い探しみたいで面白いなって」
「あなたね……。で、何するつもり? 別に今日は食べる予定はないわよ」
「気になってたんだけど、ほんとに月一で大丈夫なの?」
もし人が彼女にとっての栄養源だとしたら、それで足りるとは考えられなかった。少なくとも人間は月に一度の食事では生きられない。
「ええ、それで十分。正直あなたに見つかった二日間が珍しかったのよ」
「うーん、そうなのか。人ってそんなに栄養豊富なのかな」
「そうじゃないと思うけど。私もそれで足りるって聞いただけだから、詳しいことは知らないわね。実際、それで何とかなってるし」
まあ、何とかなってるならいいけど。
でもどこか納得がいっていないのを察してか、彼女は「それで」と話を変えた。
「結局、どうするのよ」
「……普通に散歩とか?」
「いやよ。誰かに見られたらどうするつもり?」
「まあ、それは、たしかに」
確かにこの街は田舎で、今は深夜に差し掛かる時間帯。
道行く人はほとんどいないが、完全なゼロじゃない。それに住宅街にもなれば、もしかしたら家の中から見られるかもしれない。
その辺の道を歩くのは、あまりにリスクがある行動だった。
「あれ?」
ふと、そこで一つ疑問が浮かぶ。
「じゃあ普段、夜はどうやって移動してるの?」
「それは――教えてほしい?」
すると、彼女は突然にやりと笑った。
「う、うん」
「そ。じゃあ、ちょっとこっちきて」
「? わかった――!?」
一ノ瀬さんに近づくと、彼女は突然僕を抱き上げた。
というか、この格好は。
「俗にいうお姫様抱っこというやつでは……!」
「悪い? これが一番楽なのよ」
いや悪くはないけど。一ノ瀬さんの顔が近くて最高ですけど。
跳躍力といい、夜の一ノ瀬さんの身体能力は人間のそれじゃないらしい。それなりの体重がある僕をお姫様抱っこをしても、全く動じないくらいの安定感があった。
「僕がされる側っていうのがなぁ」
「はいはい、文句言わない。じゃあ行くわよ」
「行くってどこに?」
「私の普段の移動方法知りたいんでしょ? 見せてあげる」
「見せてって――うわっ!」
彼女は突然、屋上から外に向かって走り出す。このままだと落ちる、その瞬間。
「わぁ……!」
ふわりと体を浮遊感が包み込む。一気に視点が上がり、空中へ。
トン、トン、と。ウサギのように、一ノ瀬さんは僕を抱えて屋根を跳躍していく。
目に映る場所はどれも知った場所だった。五年間ほぼ毎日欠かさずしてきた散歩のおかげで、どこも通ったことのある道、みたことのある景色だった。
なのに、それを空から見るだけで、こんなに違うのか。
「どう?」
「すごい!」
心臓の鼓動が早くなる。どこまでもいけそうな高揚感。自然と笑みが浮かんでしまう。
「よかった」
そんな僕を見て、彼女は大きな瞳を細めて笑った。
それは、花が咲いたような笑顔だった。まるで、昼の彼女のような。
僕は夜の彼女こそが素の一ノ瀬さんだと思っていた。昼の彼女は、あくまで人間社会に溶け込むための偽の彼女だと。でも今の笑みを見ると、もしかしたらそうじゃないんじゃないかと思えてしまった。
僕は、一ノ瀬さんのことを何も知らない。
夜の彼女がどんな性質なのか知らない。さっきの会話のことだってそうだ。彼女は必要な食事量をこういった。
『私はそれで足りるって聞いただけ』
そんなこと、誰が教えてくれるのか。
じゃあ昼の彼女を知っているのかといわれると、そんなこともない。
僕が知ってるのはあくまで外からたまに見かけることで得られる程度のものだ。
昼の彼女がどんな人なのか。夜とどれだけ違うのか。
僕はやはり、一ノ瀬さんのことを何も知らなかった。
◆
次の日の朝も、僕はなぜか体育館裏にいた。
別に今日は一ノ瀬さんに怒られるようなことはしていない。そもそも僕がここに来る直前、彼女はまだ登校すらしていなかった。
「ねえ、あんた、西尾、だっけ? 遥とはどういう関係なの?」
僕を呼び出した張本人――小森 夕菜はそういって、僕をにらみつけた。
これはまさかあれだろうか。あんたはふさわしくないから一ノ瀬さんには近づくなとか、そういう奴だろうか。
「もしかしてストーカーとか? まあ、遥はちょ、ちょーかわいいから、そうなるのはわからなくもないけど。すっごくやさしいし、すっごくいい匂いするから、そうしたい気持ちもすっっごくわかるけど!!」
なぜか少し照れた顔をして、と思えば鼻息荒くする。
うん、思ったのと少し違うな。
「えっと、小森さん、落ち着いて」
「――あ。んんっ、ごめん、忘れて」
彼女はよしと仕切りなおすと、改めて僕をにらみつけ。
「で、結局どういう関係なのよ」
改めて、そう僕に尋ねた。
一ノ瀬さん曰く、彼女はかなり鋭く。そして不本意ながら、僕はそういうごまかすのが苦手らしい。
つまり、下手なことを言えば、夜の一ノ瀬さんがばれる可能性がある。そこまでいかなくても、何かあると察する可能性がある。
うっかりバレて彼女が殺されるのは忍びない。僕は特に気にしないけど、小森さんとよく一緒にいる一ノ瀬さんは悲しむかもしれない。
さて、どう答えたものか。
背筋に嫌な汗を流しながら僕は頭を悩ませていた。




