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偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで 3話

 パートリッジ家の屋敷からモート家の屋敷までは馬車で約二時間。この距離を僕は週に二日“エレノア”の姿で(かよ)ってる。


 うちの馬車はかなりガタが来てるんで、あれに乗って行けっていわれたらさすがにちょっときつかったと思う。

 だけどありがたいことに授業の日にはサラがちゃんと気を配ってくれる。朝になると例のピッカピカな馬車が迎えに来てくれて、夕方にはちゃんと送り返してくれるんだ。一日のうちにパートリッジ家とモート家を往復することになるんだけど、馬車の乗り心地が悪くないから想像以上に楽でいられる。一日に二往復もする御者さんは大変だと思うけど、でも全然嫌な顔をしてないんだよね。もしかするとサラから臨時の手当でももらってるのかもしれないな。


 今日も僕は馬車に揺られてモート家に到着する。玄関ではオレンジ色のドレスを着たサラが出迎えてくれた。授業は今日で五回目だけど、サラは見るたびに毎回違うドレスだ。一方の僕は……。ま、まあ、僕が主役なわけじゃないから、同じドレスでも構わないよね。


「おはようございます、エレノア様」

「ごきげんよう、サラさん」


 優雅に頭を下げるサラに僕も同じように返す。女性用のお辞儀に慣れてきた自分が怖い。


 僕がサラに教えているのはマナーのほか、貴族同士の付き合いに使えそうな社交術とそれに付随する話題。歴史とか、絵画とか、織物とか。内容によっては商人の家に生まれたサラの方が良く知っているものもあるので、僕がしているのはその辺りの補完みたいなものかな。


 あとは食事のマナーもだけど、これに関してはサラの家の料理人が「どんなメニューを出したらいいのか分からない」そうなので、僕がメニューを考えて昼食に出してもらってる。

 ただし渡すメニューは次回の分。朝に渡してその日の昼に出すっていうのはさすがにちょっと難しいからね。


 そしてこれは僕にとってものすごくありがたいことでもあった。なにしろ僕も同じメニューを食べさせてもらえるのだ。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。おかげで毎回メニュー考案に力が入っちゃうけど当然だと思う!


「こちらが次回のメニューとレシピですわ」

「拝借しますね。……ええと……」


 受け取ったサラは書面に目を落とし、途中でぽつりと呟く。


「……今回のメニューにも、山ウズラのパイ包みがあるんですね」


 ぎく。


「え、ええ! ございますわ! パイ包みは食べにくいですから、慣れるため回数を多めにしておりますの!」

「そうですか」


 サラが深く追求しなかったので僕はホッとする。

 食べにくいから回数を多めにしてる、なんて真っ赤な嘘。本当は僕が食べたいだけ。


 山ウズラの肉、特にパイ包みにしたものは僕の大好物。だけどパイ包みを作るには手間も材料もかかる。パートリッジの屋敷では給金の関係もあって専任の料理人をもう雇っていないし、食材もあんまり使えないせいで出てくる食事は簡単なものばかり。おかげで山ウズラのパイ包みなんて何年も食べてない。

 だけどモート家なら山ウズラのパイ包みを作るのだって余裕だから、ここに通ってる間は可能な限り食べさせてもらおうと思ってる。ああ、今日のお昼も楽しみだ。

 と、思っていたんだけど、メニュー表から顔を上げたサラが思案する様子で僕を見る。


「ところでエレノア様。このメニューは次回ではなく次々回にお出ししてもよろしいでしょうか?」

「それは構いませんわ。でも次回のメニューはどうなさいますの?」

「今日お出しする予定だったメニューを使います」


 ん? んん?


「……今日はどうなさいますの?」

「今日は、いただいたメニューを使いません」


 なんだって! じゃあ今日の昼には山ウズラのパイ包みが出てこないわけか?

 そんな……楽しみにしてたのに……。


 じゃ、なくて。


 ええと、どういうことだろう。前回メニューを渡したときのサラはいつも通りで、特に何か問題がありそうではなかったのにな。

 僕が首を傾げると、サラはふっと空を見上げる。


「ねえ、エレノア様。今日は久しぶりに晴れましたね」

「そうですわね」

「だから私、少し考えたことがあるんです」


 にこっと笑ったサラは「行きましょう」と言って屋敷の中へ入る。いつものように自室まで先導すると、「ジャーン!」と言いながら机の上を示した。そこにあったのは――。


「……王都の地図?」

「正解です!」


 サラは腰に手を当てて胸を張る。その行動はどう考えても淑女のものではないけど、まあ、まだ授業前だから大目に見ようかな。


「エレノア様にはこれから私とクイズをしてもらいます! 私が問題を出す役、エレノア様は答える役です!」

「どうしてクイズなんてしますの?」

「お願いがあるんです。私が勝ったら、今日はピクニックの日にしていただけないかなと思って」

「……ピクニック?」

「いえ、野外授業です」


 嘘だ。いま絶対「ピクニック」って言ったよね。

 澄ました顔のサラはどうやら押し切ることにしたようで「いかがです?」なんて言いながら王都の地図をぽんぽんと叩く。

 いかがです? って言われても……。

 うーん。

 わざわざ王都の地図を出しておいたということは……。


「サラさんはこれから、王都に関する問題を出すつもりでいらっしゃるのね?」

「うわあ、素晴らしい! 正解です!」


 サラは思い切り感心した調子で言って、僕に拍手をする。


「今回のクイズは二十問の予定でいたんです。でもエレノア様は私の考えをあっさりお見通しになられました。その慧眼に敬意を表して、問題の数は十九にいたしますね!」

「え? 私はまだクイズをするとは言っておりませ――」

「さすがは“最高の淑女”と名高いエレノア様です! 私ではまだまだエレノア様のお足元にも及びませんね! そうだ、もしかしたらエレノア様は、私がどんなクイズを出そうとしているかもお気づきでいらっしゃるんじゃないですか?」


 サラの思う壺にはまってるのは分かってるんだけど、そんなふうに言われては無視もできなくて僕は机の上に視線を向ける。

 地図にはたくさんの建物が記されている。中心の王城はもちろん、公園や教会、劇場なども。そして……。


「……サラさん、伺ってもよろしいかしら?」

「なんでしょう」

「どうして道の名前を紙で隠してますの?」


 王都にはたくさんの道が通っていて、一つずつに名前がついている。

 もちろん地図にだって道は描かれて名前も併記されてる……んだけど、机の上に広げられているこの地図は道の名前が小さく切った紙で覆われ、見えなくなっていた。


「そこにお気づきになられるなんて、さすがはエレノア様ですね!」


 再びサラが大げさな拍手を僕に送る。

 いや、こんなあからさまな隠し方に気づかない方がどうかしてると思うけど。


「これでまた私の出題数が一つ減ることになっちゃいました!」

「ですから私は、クイズをするとは一言も」

「残りは十八問ですね! こんなに聡明なエレノア様ですもの、クイズなんてしたら本当は私の方がずっと不利ですよね! ああ困った!」


 本当は困ってないサラと違って僕は本当に困ってる。どうあってもサラは僕にクイズを出したいみたいで、その内容はきっと王都の道の名前当てなんだろうなあ。


 王都にもパートリッジ家の屋敷はあって、エレノア姉上は昨年からそちらで暮らしてる。だけど僕は王都にほとんど行ったことがない。王都での生活は結構なお金がかかるし、馬で五日かかる間の旅費を考えるだけでも頭が痛いし。

 おかげで王都の道なんてずっと昔に覚えたきりだから、サラの出すクイズに勝てるとは思えないんだよな。


 よし、断ろう。

 決意して地図から顔を上げると、サラがキラッキラの瞳で僕を見ていた。

 これからの遊びが絶対に楽しいと確信をもっていた、子どもの頃と同じ瞳。


 ……ああ、ずるいなあ。

 こんな瞳をされたら断れるはずがない。


 覚悟を決めた僕は「分かりましたわ」と言ってうなずく。


「サラさんのクイズ、させていただきます」

「それでこそエレノア様!」


 笑顔のサラはクイズの説明を始めた。僕の想像は当たっていて、やっぱり王都の道の名前を答えるというものだった。これを言えばもしかしたら更に一問減らしてもらえたんじゃないかな。ま、いっか。


「答えるまでの制限時間は十秒としますね」

「分かりましたわ」


 僕だって今日のために『織り模様による年代の推移』なんてものを読み込んできたんだし、ちゃんと授業はしたいんだ。

 だけど今は単純に「勝負に負けたくない」なんて気持ちの方が大きい。ようし、全問正解してみせるぞ!


「問題です」


 息を吸ったサラが通る声で言う。


「王都の主要な道につけられた名前の元になったものは?」

「東西は植物。南北は鳥」

「正解です。では、王宮から伸びるこの一番大きな道の名は?」

「紅薔薇通り」


 サラが地図の紙をぺりっと剥ぐ。下から『紅薔薇通り』と書かれた文字が現れた。


「正解です。では、貴族街へ続くこの道の名は?」

「大鷲通り」

「正解です。では、劇場が多く並ぶこの道の名は?」

「まがりかえで通り」

「正解です。では――」


 何しろ王都は大きい。主要な道だけでも驚くほどの数があるのに、今のところ僕はちゃんと答えられていた。昔ちょっと覚えただけだけど、意外に忘れてないもんだね。

 おかげで答えた数は十七になった。あと一つ答えられたら僕の勝ちだ!

 なんて思った、その油断が良くなかったのかもしれない。


「商業区から住宅区に抜ける川横のこの道の名は?」


 覚えてたはずの道の名前がスポンと記憶から抜けてしまった。

 なんだっけここ。まずい。思い出せない。


 正面のサラが「いち、に、さん……」とカウントを始める。焦った僕はとにかく何でもいいから答えを探して口に出した。


「や、山ウズラ通り!」

「不正解! ここは川スズメ通り。山ウズラ通りはこっちです。私の勝ちですね!」

「ああ……」


 僕はガックリと椅子に座りこんだ。悔しいなあ。もう少しだったのに……。


「最初の約束は守っていただきますね、エレノア様。今日は野外授業です!」

「……分かりましたわ」


 紅潮した頬のサラは地図に貼った残りの紙をぺりぺりと剥いでいく。そういえばサラはピクニック……いや、野外授業がしたくて、地図にこんな細工をしたんだよね。王都の道は多いから、紙を小さく切って貼り付けるのも一苦労だったんじゃないかな。

 時には紙が想像以上に大きすぎたり、あるいは小さかったりしたかも。そのたびに「しまった」って思いながら眉を寄せて、でも野外授業のために気を取り直して、また改めて紙を切って。


 そんなサラの姿を想像するとなんだか可愛い。負けた悔しさによる渋面だって緩みそうになるけど、ここでニヤついては教師としての威厳が片なしだ。頑張れ僕の顔、今は耐えろ! サラがいなくなったら表情を崩してもいいから!

 頬をヒクヒクさせながらこらえたけど、僕の努力は徒労に終わった。何しろサラは僕の方を見ないんだ。折りたたんだ地図を棚にしまって、「準備をしてきます!」なんて言って弾むような足取りで扉から出ていく。よっぽど嬉しかったんだろうな。


 うーん。サラがいなくなったならもういいか。

 僕の頭が顔に「表情を崩しても良し!」って指令を送ったところで、完全に閉まる前の扉が再び大きく開いた。顔を覗かせたサラが僕を見て、悪戯っ子みたいにニッと笑う。


「エレノア様のお好きな山ウズラのパイ包みは出せませんけど、お弁当には別の山ウズラのメニューを入れてもらいますからね」


 そう言って今度こそ扉を閉めて去って行った。

 正面の鏡には固まっている僕が映ってる。浮かべてるのはバカみたいな笑顔で、必死に保とうとしていたはずの教師の威厳なんてかけらもない。あーあ……まったく、サラには敵わないな。


「まあ、でも、仕方ないか」


 僕は窓の外に広がる、大半がまだ緑のままの芝生を見ながら呟く。

 そう。すべては仕方ないんだ。


 王都にほとんど行ったことのない僕が、しばらく王都に住んでたサラよりも道の名前を覚えてないのも。

 冬に向かうこの時期は天気が悪いことが多いのに、今日は珍しく好天に恵まれてるのも。

 おかげで外に出ても寒くないくらいポカポカ暖かいのも。

 サラが僕の想像以上に可愛いからワガママを許せてしまうのだって、全部ぜーんぶ仕方がない。


 だから今日はサラの希望通り、野外授業(ピクニック)だ!



◆◆◆



 夏みたいに綺麗な青い色の空だけど、夏じゃないっていうのは日差しの強さで分かる。

 そういえばサラと一緒に屋外へ出るのも子どものとき以来だ。でも当時は走り回っているほうが多くて、こんな風に並んで歩くなんてことの方が少なかった。

 もちろん淑女になった今のサラと一緒に走り回るなんて無理な話。しかもドレスを着てる僕は“エレノア”だから余計に。社交界に出たあとに婚約者が決まるはずのサラとはもう二度と“ケヴィン”として会うことはないだろうな……。


「ラーララーララーラ タララッタ ラーララーララーラ……」


 突然、横のサラが口ずさみ始めた。どうやら彼女はずいぶんとご機嫌みたいだ。クイズ勝負なんて挑んでくるくらい野外授業をしたかったんだもんね、当然かも。


「ワルツですわね?」

「はい。晴れて気持ちがいいときには歌いたくなっちゃうんです。子どものころの大事な思い出の曲なんですよ」


 頬を染めたサラがそんな風に言うので僕はドキッとした。


 子どもの頃のサラと遊んだ中には『舞踏会ごっこ』があった。これは外じゃないとできなかった遊びの一つだ。ハドリーが来るときの家の中はいつもずんと沈んでて、踊れるような雰囲気じゃなかったからね。

 晴れた空の下で僕とサラは向かい合って、お辞儀をして、互いの手を取って踊った。踊りかたは僕が教えたし、曲は僕が歌った。

 あれも楽しかったなあ。芝生の上では思うようにステップが踏めなくて足を踏んだり踏まれたりしたし、たまに石につまづいて転んだりもしたけど、思いがけないトラブルがあったってサラとなら一緒に笑いあえた。


 ……うーん。考えれば考えるほど僕は暢気(のんき)だ。ハドリーが来た理由は知ってたけど、それよりサラと遊ぶほうを重視してたもんな。だけど僕はサラと一緒にいるのが本当に好きなんだ。昔も、今もね。

 立場が昔とは変わってしまった今、サラに僕のことを好きでいて欲しいとは思わない。だけど「大事な思い出の曲」と同じくらい、僕と遊んだことを大事な思い出にしてくれてたら嬉しいなって思うよ。


 風が吹いて髪を揺らす。飾りが落ちそうになってそっと押さえたところで僕は横にサラがいないのに気が付いた。振り返ると、サラは少し離れた場所から僕を見ている。


「どうしましたの?」


 戻った僕にサラが言う。


「良かったら、踊りませんか?」


 そうしてサラは僕にお辞儀をしてみせた。

 子どもだったあの頃と同じ、ちょっとぎこちないお辞儀を。

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