グラウリーの過去
7
グラウリーの過去
登場人物:
グラウリー:大柄な斧戦士
ラヴィ:女性鍛冶師
バニング:暗殺者
マチス:老練な短槍使い
トッティ:若い鈍器使い
ボケボケマン:オークマスクの魔導師
エイジ:蒼の魔導師
トム:商人
ギマル:部族出身の斧戦士
※
「俺はバルティモナの下層よりも先に進んだ事はない――前にそう言った。だが、本当は違うんだ」
グラウリーが背にしている重そうな石の扉の両脇には、小さなランタンが灯っている。その火は普通の火とは違って青白く揺れ、ぼおっとあたりを薄青く照らしていた。魔道師連中には馴染みの深い、決して消える事のない魔法の炎。その揺らめきに照らされていなかったとしても、グラウリーの顔色は普通ではなかっただろう。
何か他人には理解できぬ程の深い遺恨に、回想の中で出会っているのか、口を開きかけてはかすかに首を振り、眼が深く沈む。どれもが最悪のカードだとわかっていながら、なおもどれかを引かなくてはならないのだという、いかさまゲームにはめられた賭博士のような絶望的なためらいがそこにあった。
「ある、一つのパーティーが…かつてバルティモナ山を目指した。彼等は若いが力に溢れ、絶大なる自信と大いなる野心を持っていた。その時はまだハーピーの大量発生などなかった時代で、彼等はバルティモナに入ると運良く始めの大空洞を抜けていった。下層は大空洞を抜けた後に広大な迷宮が待っている。多くの冒険者たちは大抵そこで迷宮に迷ったり、思わぬ強敵に深部への探索を断念するが、彼等は持ち前の幸運と力で、とうとう下層を抜ける事ができた。かつてほとんどの冒険者が脚を踏み入れる事さえできなかったと言われる、魔境の深部へと踏み込んだ彼等は狂喜した」
グラウリーは息を継いだ。
「『俺達がバルティモナの謎を解く』『俺達がバルティモナに眠るといわれる秘宝を手に入れる』、と彼等は息巻いた…。中層は予想に反して攻略が出来、全ての道を探索した彼等はいかにもいわくありげな石の扉一つを残すのみとなった。『きっとここが上層に通じる扉だろう』『中層も何てことはなかったな。俺達なら上層にどんな魔物がいたって制覇できるさ』
…彼等は絶対の自信が故に、バルティモナを攻略できる事を信じて疑わなかった…だから――そこに隙が生まれた――」
そこで一旦言葉を切ると、遠い眼で仲間達を見渡した。彼等を見ているようで、もっとずっと違うものをみている――そんな眼だった。彼はくるっと向きを変えると、左手で石の扉に触れた。途端、指に力がこもり掻き毟るように指を立てると、わなわなと震えた。
「…よく、聞いてくれ…この扉を開けた時…向こうに広がった地獄の話を。
――仲間のうちの一人が扉に手をかけ、開けた…するとそこには鏡が部屋中にあったのだ。奇妙な部屋、そう思った瞬間にパーティーは鏡から発したまばゆい光に包まれた。目の前が真っ白になったかと思うと意識が遠のき…男達のうちの一人が気がついた時、彼は忽然と暗黒の空間にたたずんでいた」
「あ、暗黒の空間って…ま、まさかぁ?」
不吉な印象を感じながらトッティが少しおどけた顔で言った。
「異空間に飛ばす罠かなにか…?」
どかっと拳をトッティの頭に落としつつ、エイジが眼を細める。
「…そう、それはまさに異空間に飛ばされる罠だった。男が飛ばされた暗黒の空間には、上と下というものが存在しないかのようだった。天井も、足元も真っ暗な闇が広がっているだけだった。だが…その左右に、大きな…大きな…古い鏡が横一列に並んでいた。それはさながら迷宮の壁のようにずっと続き、(鏡の回廊)と呼べるべき代物であった。男はその光景の不思議さに、しばし鏡を見やった。すると――」
「男はすぐにその鏡の怪異に気付いた。鏡を見ていると、自分の中に何か黒いもやのようなものがとめどなく湧き上がってくるのを感じた。それは、怒り、恨み、狂気、絶望…言い尽くせぬほどの負の感情が自分を圧倒的に征服した。自分以外の何でも、そして自分にさえ深い憎しみを覚え、全てを壊してしまいたい衝動に駆られて…男は回廊をひた走った。
…するとそのうちに男の仲間の一人に出会った。しかし、仲間の男さえも鏡の魔力によって既に正気を失っていたのだ。鏡は、彼等の最も強い思念を増幅させた――即ち、野心」
まるでその場に居合わせたかのように、仲間達は眼差しに異様なかぎろいをはらみ語るグラウリーを見守った。
「仲間は突然男に切りかかった。仲間の男の眼は、赤く充血し、眼の下にくまができていた。それはさながら誰をも信ずることのできなくなった独裁者の末路にも似ていた。
『お前には宝は渡さん!宝は、俺一人のものだ!』と、荒い息遣いで仲間はしゃにむに男の命を狙うのだった。男もまた正気ではなかったから、斧を強く握り締めて応戦した。ただ、頭を強く支配する黒いたぎりの奥底で、消滅しそうなほどに小さくなった自我がキーンと耳を鳴らしていた。絆を信じた仲間と斬り合う――涙が出なかったかわりに、心が啼いているのかもしれなかった――。
死闘を演じてかなりの時間が経った時。かつての友の骸が彼の足元にあった。それを見た彼は深い悲しみにとらわれた。だが、鏡の魔力はそれをさえも許さない。新たな獲物を求めて回廊をさまよった。
回廊に一条の光が見えた。それは異空間と現実世界を結ぶ接点。男は光に身を委ねると、現実世界…(鏡の間)へと戻った。そこで彼を待ち受けたのは、回廊での出来事に追い討ちをかけるような悲劇。様々な鏡の前で――力ない格好で倒れている友達の――死骸があった。
彼等の体には無数の切り傷や魔法傷があり、一目で互いに殺し合いをしたのだと気付いた。
鏡の回廊を抜け出す事ができた彼は正気に戻ったが、彼の他に生きている仲間は一人としていない。血の慟哭。彼は声の限りを尽くして叫んだ。目の前の光景が、そして自分のやった事が信じられなかった。彼はそこから逃げ出すように走り去り、どこをどうやって通ってきたのかはわからないが、気付くと瀕死の状態でバルティモナの外にいた。こうして彼はただ一人生きてバルティモナを出てきたのだった――」
「――その男…がグラウリー…?」
ラヴィはグラウリーに、言いづらそうに、静かに聞いた。グラウリーは振り絞るような声で、「ああ、そうだ」と答えた。
「恐ろしくて――忌まわしい記憶――。思い出すことさえ、死んだ仲間達への罪の意識にとらわれてしまうような気がして――。俺は、その後何年もの間、あの酒場の男と同じように廃人同様だった…。彼もまた、運悪く中層へ辿り着いてしまった、俺と同じ受難者だ。だが、俺はある日ある男の紹介でティルナノーグに入る事ができた。その仕事の中での様々な戦いは、俺に戦士としての誇りと、新たな絆を甦らせるようだった。運命のあの日から十数年が経ったある日、トムからバルティモナ攻略の仕事を持ちかけられた。たちまち甦る黒い記憶!だが、俺はあえてそのバルティモナ再度向かいたかった。若い頃の俺を悪魔のように奪い去ってしまった過去の呪縛に、打ち勝ちたい。そして―― …」
そこまで言って、グラウリーは言葉に詰まった。
「すまん。この、現場に来る直前まで言い出せなかった――」
「そうか…そんな事があったんだな…」
「…その鏡の呪縛を逃れる方法…というのは、あるか?」
ボケボケマンが腕組みをしながら後ろの方から言った。その不気味なオークマスクの下に覗く眼からは、彼がどんな感情をもっているのか測り知れない。
「…ある程度推測ではあるが。なるべく鏡を、見ない事だ。鏡をまともに見てしまえば幻惑にとらわれる。それでももし見てしまった場合は、鏡を破壊するんだ」
「成程」
グラウリーは右手に握る戦斧を強く握り締めて、皆を見渡してそう言った。全てをさらけ出してしまった今、かえって彼には迷いがない。もう残されているのは黒か白かの結果のみ。それでいても結果が白である事を彼は、彼の見渡す仲間のなかに強く信ずるのであった。
「…俺が言えるべき言葉ではないかもしれない。だが、あえて言わせて欲しい――仲間を、信じて欲しい。どんな時でも、どんなに辛くても!」
そして彼は、左手を強く宙に差し出す。その掌を見る彼のまなざしは見えざる何かを、過去に失ってしまった大事な何かをもう一度つかもうとする決意に満ち溢れていた。
「ああ、信じるぜ!」
エイジがパァーンと強く、その手の上に自分の左手を置いた。
パァーン!
続いてボケが、そのオークマスクの下から唯一つ覗かせているニヒルな口元を引き上げてエイジの上に手を乗せる。
パァーン!
パァーン!
次々と仲間達はその手を重ねてゆく。最後にバニングが少しためらいがちに。ラヴィがちろっと目線をやると、「仕方ないな」という顔をして強く手を乗せた。
「攻略するんだ。バルティモナ!俺達全員、生きて帰るぞ!!」
「オ――――――ッッッッッ!!!」
エイジが引き締まった口元からそう叫んだ。仲間達は、吼えるように賛同する。
冒険者が集うパーティーとして最も大切な事。全てを実行する気力と、そして背中を預けられる仲間がいる事の信頼。まるで教会にかかる巨大な絵画のような、一種厳かな雰囲気さえも称えて、今、彼等はその二つに満ちていた――。