若き鈍器使いの憂鬱 3
なんで言ってしまったのだろう。
何となく――咄嗟に、ベルが寂しそうな顔をするのが嫌だと思ってしまった。
そう思うが、たった――たった十数秒なのに時間は巻き戻らぬ。
「ト――トッティの……お母様の料理を――わ、たしが――」
金髪の令嬢は立ち止まって口をぱくぱくとさせている……。黒髪の鈍器使いは慌てに慌てて――。
「い、いや、なぁんてね……ハハハ」と、冗談に紛らわせようとした。
ベルは、トッティとは反対の方を向いてしまった。しまった――怒らせてしまった――?
「お母さま……って、どんなご夕食を――ご用意されるのかしら……?」
普段ハキハキと喋るベルが、そっぽを向きながら実にボソボソと呟く。
「え、な、何?どんなって?いやさ、全然普通の家庭料理だけど――」
「それってつまり――料理人を招いて用意させるとか、どこかで出来たものを買ってくるとか、そういうものじゃなくて、お母様が手づから作られるってこと?」
「そ、そうだよ――ハハハ、ご、ごめんね……お嬢様にそんなもの勧めるなんて、どうかしてる。旅路の中での携帯食ならともかく、ベルクフリートにはたくさんの高級レストランもあるのに――」
「――く」
ベルの小声に、戦士は聞き返す。
「――い、行く……いえ、行き……たい――その、でも、突然そんな、不作法ではないかしら……他所様のお屋敷に突然ご夕食を――なんて」
「は、はひ……?いやいやいや、そんな事ないよ!ウチはそんな、迷惑だなんて、きっと母さんもマル――弟も思わないから!それよりも、出てくるのはいわゆる普通の家庭料理だけど、そっちのが大丈夫かな?」
「いいの!」ベルが詰め寄った。
「本当にその――ご迷惑でなければ――トッティのお母様のご夕食、ご相伴に預かりたい……わ」
ベルは何故か戦士の家の夕食に意欲満々だったが、それを前面に出すのを恥じていた。呪われた家系ではあったとはいえ、上流の家系である。幼少のみぎりより使う使わないに関わらず、父や叔父、老執事に淑女としての作法も受けていた。
「本当に大丈夫だよ!じゃ、じゃあ行こう。レストランじゃなくって、悪いけどさ」
かくして、二人ともぎこちない足取りで戦士の実家へと脚を向けた。トッティはふわふわの雲の上を歩いている様で、いつも通っている帰り道なのにあわや道を間違えそうになってしまったのだった。
*
「た、ただいま――」
トッティが木製のドアの前でそう言うと、奥から軽快な足取りが近づいてきた。
彼の実家はベルクフリートの中央部からやや離れた、小さな民家が連なる地区にあった。建坪はそれほどでもないが石造りの二階建ての建物。それがトッティと彼の母親、弟が暮らす家だった。
「兄ちゃんおせーよ!もう母ちゃんの夕飯できてるよ!」
木製のドアがガチャリと開けられ、トッティから爺臭さを抜いて少し少年にしたような男が出てくる。
「あ、ああ――ごめんマル。遅くなって――」
するとマルと呼ばれた少年は待っていた筈の兄の後ろに同年代の少女がおずおずと中を伺っているのに気がつき――一瞬固まった後、部屋の中へと取って返して――。
「母ちゃん!母ちゃん!大変だ兄ちゃんが彼女連れてきた!」と、走り去ってしまった。若い二人は再び否定をしようとすると、奥から母親がやってきた。
「まあまあ、初めましてだわね、トッティの母です」
トッティと同じ、やや青みがかった黒髪を胸元まで伸ばした、背の低い優しそうな母親だった。
「や――夜分遅く失礼致します。トールズのジル・ブルジァが娘、ベル・ブルジァと申します」
ベルが帽子を脱ぎコートの裾を持ち上げて頭を下げ、淑女の礼をした。見れば口元が震え、頬は紅くなっている。
礼の仕草で母親は身分の高い家の出自である事を察したようであるが、とにかく寒いからと二人をすぐに家へと引き入れた。
*
「――と、言うわけだから、お嬢様――ベルは、友達というか、知り合いなんだよ」
鈍器使いは食卓に着くと家族にそう説明した。
「そうなのね、でもよくいらしてくださって。夕食まだでしたらご一緒に召し上がっていってくださいな」
「なんだ、兄ちゃんにしては綺麗すぎる女の人だと思ったんだよな〜」
そう言って家族はすんなり納得した。トッティは家にいきなりベルを連れてゆけば先程のような展開になるのが目に見えていたのに、自分が先に家族に説明をすればよかったのだと後悔した。
「うわあ……!」
トッティの母親――レジーナが用意した夕食はトッティやマルにとってはいつもと変わらぬ献立である。ゆで卵とブロッコリー、蒸し鶏のサラダ、ポークシチュー、焼きたてのパンなど温かな料理がテーブルに並ぶ。だがそれらを見てベルは感嘆の声を上げた。
「さあさ、お口に合うかはわからないけれど、召し上がってくださいな」
「はい!いただきます――!」
レジーナが令嬢に促すと、皆は揃って料理に手をつけた。
いつもと変わらぬ母の料理。身内である事を差し引いても母の料理は美味いとトッティは思う。が、恐らくはトールズの館では料理人が腕を振るった料理を食しているであろう、隣に座るこの令嬢の反応はいかにと横を見やると――。
「美味しい――!お母様、どの料理もとっても!美味しいです!」
と、頬を紅くしながらベルは熱っぽい目でレジーナに語っているので、トッティは胸を撫で下ろした。何故だかは知らないがベルはこの家に来てからずっと嬉しそうな顔をしていた。
料理を一通り食べ終わると、レジーナは食器を下げテーブルを綺麗にしてコーヒーを用意した。
「ベルちゃん。これも、良かったら食べてね」
と、お茶請けに出されたのはバターがたっぷり使われたクッキーだった。芳醇なバター香る生地に細かなナッツが混ぜ込まれている焼き菓子は、砂糖を入れないミルク入りのコーヒーとこの上なく合っていた。
「お母様……これって……」
ベルが焼菓子を食べつつ聞くと、これもレジーナの手作りなのだと答えた。ベルの顔がぱあっと明るくなる。
食事が済みレジーナやトッティらが食器を台所に下げた後、ベルは食器を洗うレジーナの背中をまじまじと眺めていたが、やがてハッと思いついたように席を立った。
「お、お母様!ごめんなさい!わっ私も食器洗い手伝います!」
「あら、お客様なのだからそんな事、いいのよ。座ってらして」
「いいえ、いいえ、あんなにご馳走を頂いてしまって、なのに私ったらなんて――なんて気がつかないのかしら。ごめんなさい。ですからお手伝いさせてください!」
と、せがむのでレジーナもつい――先程の話の様にトッティの恋人ではない様だけれども、歳の頃はトッティと同じくらい、それでいて、子供二人は男子であるこの母親には、もし娘がいたらこんな感じなのかしら、と思えて、ベルが可愛らしく感じられたのだった。
「そうかい……?じゃあ、お願いしようかねえ」
「母さん!お嬢様にそんなことやらせちゃ……」とトッティは言うが。
「いいの!ご夕食と美味しいお茶とお菓子を頂いたのだから、やりたいの!」と令嬢は言った。その必至さに戦士もそれ以上は口を挟めず。
「……ん――ベルちゃん、食器の洗い物したこと、ある?ふふふ……」
と、手元のおぼつかないベルを見て、レジーナは優しく笑った。可哀想な事にベルは耳まで真っ赤になってしまう。
「それはね……こうやって……そうそう!いい感じよ!ふふ」
レジーナはベルの事が一層可愛くなって、手取り足取り食器洗いを教えた。お陰でベルも段々コツを掴みようやっと全ての食器が綺麗に洗われた。
「――ん?」
食器洗いを終えたベルだったが、隣に立つレジーナの元を離れようとせぬ。頬を紅く染めて何かを言いたそうにうつむいていた。時折、心配そうにこちらを眺めるトッティと興味深そうに眺めるマルの方をチラリと見やる。
「あ――あんた達、食後の腹ごなしに外で剣の練習でも少ししておいで!」
レジーナは何かを悟ったようで、後ろの兄弟に命じた。
「ええ?食べたばっかでお腹一杯なんだけど――」
トッティはこの後ベルに自分の盆栽コレクションを披露しようと考えていた。が、さっさと行っておいで!と言う母親と、ギルドで仕事をしているトッティに憧れ自身も剣の腕を上げたいと願う弟に促され、渋々外に木剣を持って出て行った。
「さて――あの子達のいる前じゃ言いにくい事でもあるの?どうかした?ベルちゃん」
「ごめんなさい!――ええっと、その――……」
ベルは相変わらず顔を赤く染めて、レジーナを見上げた。
「全部!どの料理も――美味しかったです。本当に……!わ、私お母さんを小さな頃に亡くしているから――家庭の――料理って、こんな、なのかなって。どれもとても暖かくて!本当に――本当に嬉しかったんです!」
「……そうなんだ。ベルちゃんが喜んでくれたなら、私も嬉しいな。いつでもベルクフリートに来た時はご飯を食べに来なさいな」
二児の母親である。
長男と同年代である、可愛らしい女の子にそう言われては、なんだかもう一人、娘ができたような気持ちがした。ベルもまたレジーナにそう言われて、目の端に涙が浮かびそうになる。
幼少のみぎりに母親に十分な時間甘えられなかった気持ちが、ふと少し出そうになってしまっていた。歳の頃は少女から大人の女性に差し掛かろうという最中であったが、ベルにはまだまだそのようなところがあった。
「あのクッキーも美味しくて――、ああいうの、私でも、作ることが、できますか……?」ベルが問うと。
「気に入ってくれたのかい?ベルちゃんが作りたいなら、今度作り方を教えてあげるわ!」と、レジーナが令嬢の背中を優しく叩いた。
ベルは本当に嬉しそうな顔をして、レジーナに何度も何度も礼を言った。ベルは次にベルクフリートに来訪する日をレジーナに伝え、約束をしたのだった。
*
「いやいやまいったよ。マルが全力で撃ち込んで来るもんだから木剣が折れちゃって――」
程なくして、兄弟が帰ってきた。トッティは何かベルと母親とあったのかと二人を見やるが、二人が何やら得意げにニッコリと笑うので何が何やらわからぬ体であった。
「もうそろそろマルチャンさんとの待ち合わせの時間じゃない?」
「あ!いけない!そうよね!」ベルは懐中時計を見やると声を挙げた。
「ではお母様、今度また、是非お願いします――!」ベルは急ぎ、再び淑女の礼をした。
「うん!わかったわよ!トッティ、ベルちゃんを送っていってあげなさいな!」
「う、うん――!」
時計は午後七時半を指していた。
ベルの叔父の豪商リドルトの従者、マルチャンとの待ち合わせ時間である午後八時にダンティノ広場に着くように、トッティが令嬢を送って行った。
小さな民家の立ち並ぶ一帯は広い間隔で街灯が灯り、人通りはまばらで静かだ。家々の窓にオレンジ色の灯りが見えて、その中で家族らしき影が揺れる。
「……母さんと何を話していたの?」戦士が聞くと。
「えへへ……秘密!」窓の影を見やりながらベルが嬉しそうに、悪戯っぽく言った。
「グラウリーにあげるプレゼント、花ともう一つ、決めたの!」
「え?何?」
「だから秘密だってば!」ベルはケタケタと笑いたてた。
「何なのもう……」ベルが何故こんなにご機嫌なのかはわからないが、この令嬢が自分の家に来てこんなに嬉しそうにしているのは、トッティにとっても嬉しかった。
「トッティ!今日は色々つきあってくれて、そしてお母様のご夕食にも招いてくれて、本当に本当にありがとう――!」
ベルに真っ直ぐ見つめられて、愛くるしい笑顔でそう言われると流石にトッティは気恥ずかしくなった。
「うん――お嬢様、さ、本当に――いつか、いつかティルナノーグに入るの?」
まだまだ未来の話で、それまでに気が変わるかもしれないことも十分に考えた上で、トッティはもう一度聞きたくなってしまう。
「あら?そうだって、言ってるじゃない。あなた、私がそのうちティルナノーグに入りたいっていう気持ちを忘れてしまうんじゃないかって思っているんでしょう?」
正に言い当てられてしまって、トッティはばつが悪くなってしまった。それでも嬉しくて、今度はトッティがうつむき加減に、小声で。
「――もし、もしお嬢様が――ティルナノーグに入ったら、その時は、その時までに、俺もっと、グラウリーに少しでも追いつけるくらいに強くなって――お嬢様を守れるように――なるよ」
これで別れてしまったらしばらく会えなくなるせいか――気持ちが昂って、しかし小声で、トッティはベルの方を見ないまま、勇気を出して――今の彼には精一杯の言葉で――言った。
「…………」
言ってから顔が火照る様に熱くなったが、ベルは何も言わぬ。
どうして?と横を見ると、
「え?何か言った?トッティ?」と、ベルが耳を寄せてきた。
「〜〜〜――な、何でも――ないよ!」
聞こえなくてよかったような、肩透かしを食らったような――。そんな気持ちでいると――。
「……ス……クスクス……」と、令嬢が腹を抱えて肩を震わせた。
「あ――!聞こえていたんじゃん!」つい大声を上げてしまった。
「クスクス、ごめんなさい、トッティ」
「も、もう知らんっ!」
「――うん、ありがとう。トッティ、その時は私を守ってね――」
「…………」
何とも言えない気持ちでトッティは顔を真っ赤にして歩いた。
「トッティ」
「何」
少しぶっきらぼうに答えた。
「もう――お嬢様――じゃなくって、ベルで――いいよ」
ハッとして、横を見やる。
ベルも目線を合わせないように、それ以上何も言わず横を向いていた。しかしその頬は赤い。
「――我が儘お嬢様って呼ぶの、もう慣れちゃったのになぁ」
「あ、コイツぅ!言ったわね」
ベルがこちらを振り向きざまに肩でタックルをかまして来る。
何だか可笑しくなって、トッティも優しくやり返す。またベルが肩をぶつけてくる――。
ふ、ふふ――と、笑いが込み上げてきて、そのうち二人で大笑いをしながら歩いた。
「ふふふ――二ヶ月後、また花屋と、トッティのお家、行くからね!」
「アハハ――うん、待ってるよ。その時は依頼がないようにしておくよ」
トッティは考える――。
今は、未来はどうなるかなんてわからない。
だけど今は、今はこんな風に、ベルとまるで兄妹のようにこうしている距離が、楽しくて、嬉しいのだ。
だから今暫くはこうしていたい――。
二人の影が、ダンティノ広場の方角へと消えていった――。
ギルド・ティルナノーグサーガ(Ⅰ)『ブルジァ家の秘密』
ギルド・ティルナノーグサーガ(Ⅰ)『ブルジァ家の秘密』外伝 若き鈍器使いの憂鬱
END




