地下迷宮の死闘
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地下迷宮の死闘
登場人物:
グラウリー:大柄な斧戦士
マチス:老練な短槍使い
トッティ:若い鈍器使い
ボケボケマン:オークマスクの魔導師
エイジ:蒼の魔導師
トム:商人
ラヴィ:女性鍛冶師
バニング:元暗殺者
ギマル:部族出身の斧戦士
トモトモ:隠れ支部の鍛治師
ベル・ブルジァ:闇の巫師ブルジァ家の力を継ぐ者
※
紅蓮に包まれた手から人間の頭ほどの大きさの火球がいくつも解き放たれた。火球はルキフルのマントに当たって爆発をする。ボケボケマンは絶え間なくそれを連打し、ルキフルにダメージを与えているかのように見えた。だが、次第にルキフルは体勢を立て直してマントで自身の体を覆い、防御体勢を取った。
先程まで体に当たっては爆発をしていた火球が、マントに吸い込まれるように音もなく消滅し、替わりにマントが赤味を帯びてくる。その事に気がついたボケボケマンは一旦攻撃をやめ、距離を取った。
「小賢しい!」
ルキフルがマントを両手で解き払うと、マントからボケボケマンが打ち込んだはずの火球が飛び出してきた。火球はしかも、ボケボケマンが打ち込んだ時よりも明らかに強大になっていた。
「くっ」
四方に飛び散る火球をすんでの所でかわす。
「やはり魔法反射か、道理で魔法が効かない」
魔法を跳ね返されてもこの魔導師はその不気味な眼の光を絶やさない。忌々しい眼をする、とルキフルは思った。それはまるで獲物を狙う捕手動物のような眼だった。
「ええい…ならば――」
ルキフルは素早い動きでボケボケマンとの距離を狭めに行った。魔法はどうせ自分には効かぬのだ。ならば相手の攻撃を恐れる必要はない――彼は近距離での奥の手を使うつもりだった。
テレポートで再び距離を離すボケボケマンを、再びルキフルもテレポートで追う。幾度かのいたちごっこを経てついにボケボケマンは壁際に追い詰められた。
「ここまでだ――」
ルキフルはそのしわがれた手を左右から伸ばしボケボケマンの頭を掴んだ。彼が力を込めると、マスクの下から甘美なエネルギーが彼の指をつたって体内に流れゆくのを感じた。
「ウ…ウオオオオオォォッ……!」異形の魔導師は絶叫を上げる。ルキフルはその声が心地よい音色である、というようにいやらしい笑みを浮かべて自分の勝利を確信した。
これが彼――リッチが近距離戦で使う奥の手、エナジードレイン(デスタッチ)であった。生を超越し生きとし生ける者全てを呪う彼の体表は、恐ろしく冷たく、恐ろしく渇望に満ちている。その手で生物に触れれば即座にその生物の生命エネルギーを吸い取る事ができるのだ。
「ファハハハ――干からびてしまえ!」
「ァァ――……ア…」
生命エネルギーを随分と吸い取った。魔導師の絶叫も徐々に細く小さくなりつつある。もうすぐこの男は乾燥したミイラのようにカラカラになるのだ。
思ったよりもしぶとい――優越感に浸って眼の前の男を眺めていると、突然男の両手が伸びた!
「――がッ…!?」
両手はルキフルのこめかみに当てられる。その両掌は何かドロドロの液体で濡らしたようにぬるぬるとしている。二人は互いに互いの頭を抱える格好となっていた。魔導師の足元には、いつの間にか封を開けられ割られていた一本の試験管があった。
「な…何を――」
男に頭を掴まれた瞬間、ルキフルは自分の手から生命エネルギーが流れて来るのを感じられなくなっていた。何かを、この男が仕掛けた――。
「フ…フフ……なにも――エナジードレインは…リッチの専売特許――というわけではあるまい――」
段々とその手に力が込められてゆくのを感じ、ミシミシという音が頭の中でかすかに響く。
「入手ランクAランクの涙の精霊の血…コイツさえあれば俺達魔導師にだってできる魔法だ…!」
「馬鹿な!触媒があったとしても人間などに扱えるわけが!」
「伝説の魔導の聖地、風の都でさえ異端と謳われた ”俺達” を甘くみたな……エナジードレインをかけた術者にエナジードレインをかけ返すとどうなると思う…?逆流するんだよ、全てのエネルギーが……。そう、全てのエネルギーがお前を襲う――干からびるのは俺じゃない…お前だよ!!」
凄まじいまでのエネルギーの奔流がルキフルを覆う。ルキフルは段々と意識が遠のくのを感じ、自分の手はボケボケマンの頭から離れ、だらんとだらしなくぶら下がった。
油断した――!人間の魔導師一人だと侮った――!!
しかし、そう思った時は既に遅かった――。
「馬鹿な、馬鹿な!水晶球を使われるでもなく、ベル・ブルジァでもなく、たかが魔導師風情に――!」
「生憎だがな…」
ボケボケマンは更に力を込めた。指先がルキフルのこめかみを突き破りめり込む。ルキフルが今度は絶叫を上げる時だった。
「 ”俺達” は誰にも負けるわけにはッ!いかねえんだよ――――ッ!!」
頭がきりきりと小さな穴に吸い込まれるような感覚がした。
「あ…あ………………」
勝てる――否、勝つ!ボケボケマンはここが最大のチャンスとありったけの全魔力を注いだ。ルキフルの力が失われてゆくのが指先から感じられた。
剣を打ちに行ってくれたラヴィ達には悪いが――自身の手でルキフルを倒し父の呪いを解きたいと思うベルには悪いが――。
ボケボケマンはベルの事が嫌いではなかった。まだあどけなさが残る純粋な性質も、だが決して人に媚びようとせず、気高く芯の強いベルを旅の中で認めている。だから彼女の悲願であるルキフルを倒してやりたいとも思う。
しかし、彼は忘れていた――。一時だけ――その暖かさに身を委ねた――。
仲間がいるという事、背中を預けられる友がいるという事。
常に一人で動く事の多いボケボケマンにとって、バルティモナから始まったこの旅は楽しかった。時には辛い場面などもあったが、久しぶりに感じた仲間は彼が自覚していた以上に頼もしかった。
まだマスクをかぶっていなかった時、エイジやトモトモと若い頃風の都で語り合った冒険、その頃持っていた燃えゆく情熱をかすかに甦らせるものがこの旅にはあった。彼のマスクの下は、決してそのマスクのように無表情でも、無感情でもなかったのだ――。
だが――だが彼は思い出している。呼び覚まそうとしている。己が何者で、何の為に魔導を磨き、何の為に異形のマスクをつけて決して手放さないのかを。
――なあ、そうだろう。エイジ、俺達は誰にも負けちゃいけない――。
一瞬の追憶は狂気に変わり、狂気は力を生んだ。
「!」
もう少しで倒せる――!そう思った瞬間、頭に一瞬の激痛が走り、空が重くなったように感じられた。眼の前がブラックアウトし、何かが途切れる。
「ハァ――ッ!、ハァ――ッ!」
ルキフルは倒れたボケボケマンを見て荒い息遣いをした。
暗闇の中に何か大きなものがあった。壁だと思っていたそれは、ボケボケマン、そしてルキフルなどとは比べものにならぬほどの巨大な、樽ほどもあろうかという二の腕を持っていた。
「よくやった。よくやったぞ――」
巨大な腕を持つ者は、その言葉に返事をせずに再び静かに闇に消えた。一瞬だけ、わずかな部屋の明かりに照らされて巨大な顔がよぎった。それはまさしく巨人の顔だった。
ルキフルは自室へと戻って行った。玉座に腰掛け、失われた体力の回復を図る。
生を超越した肉体の回復は早い。干からびて細くなった手足に次第に魔力の感覚が行き届く。
だが、彼の脳裏に刻み付けられたものは肉体のそれよりもずっと深い。恐怖――久しく忘れていた感情をベルは、ボケボケマンは呼び覚ました。屈辱と怒りとで唇が震える。
「危険だ――ベルだけではない…。ベルと一緒にいた者達…ティルナノーグ……!奴等を根絶やしにせねば儂に安息はない」
使い魔に引きずられたボケボケマンを憎々しげに睨んだが、彼は処刑するのを思いとどまって別の部屋に連れて行かせた。
「こやつには使い道があろう…儂は一刻も早く研究を完成させねば…」
※
原始林の隙間が濃い紫色に染まり、闇一色だったこの地に再び太陽の恵みが近く訪れるという事を示している。
「ボケ……」
エイジは外を見ながら窓ガラス戸を力なく叩いた。時刻は午前四時四十二分を指している。
ボケボケマンは帰って来ない。逃げるルキフルを追って原始林へと姿を消してから、一向に戻る気配を見せなかった。
あれからグラウリー達はやむなくブルジァ邸に戻り眠れぬ夜を過ごした。皆、ボケボケマンを待っていた。
「エイジ…」
トッティは力なく外を眺めているエイジを見た。
どうしてこの二人が命を狙い合っているのだろう、と思うほどに、ボケボケマンとエイジはウマが合っているように見えた。二人の天才魔導師はタイプが違い、お互いちょっとした事で意見の食い違いがあったり、些細な事でちょっとした口喧嘩をするような時もあった。
だがきっと根底ではどこかが繋がっていると言うように、いざという時は驚く程息の合ったコンビネーションを見せた。恐らく、自分と唯一同等の力を持つ魔導師として互いに認め合っているのだろう。
二人の凄腕の魔導師がいたお陰で若いトッティには安心感があった。この二人がいれば勝てない相手などいないのではないか、とさえ時として思うほどに。だからトッティにだってボケボケマンが敗れる所など想像する事ができない。
昔から互いに競い合ってきたエイジにしてみれば、自分よりもずっとボケボケマンの敗北などという事を信じたくないのだ。そうトッティは思う。
「あっ」
徐々に薄紫色に染まっていく草原の上を何かが動いたように見えた。
窓に近づいてよく眼を凝らす。トッティは眼がいい。
「鳥だ…まだ薄暗いのに」
小さな鳥が飛んでいる。何気なくそれを眺めたトッティは、やがてそれがこちらの方向に来る事を知った。
「鳥だと」
エイジは何かに気付いたように外を見、窓を開けた。肌寒い秋の夜風が吹き込む。
鳥はエイジ達を目指すかのように館の下まで飛んで来ると、開け放った窓のサッシの部分へ止まった。
「エチゼン!」
青い小鳥は部屋の中に入って来、エイジの肩に降りる。
「エチゼン?」
「ボケの使役している鳥だ!見ろ、足にメモがある!」
彼等は騒然とした。メモを開くエイジの周りに皆が顔を寄せる。そこにはルキフルのアジトの方角や大まかな場所が書かれていた。
「ここが奴のアジト!――ボケボケマンは一体……」
マチスはが言いかけて後の言葉を飲み込む。
「いや…だが…囚われているのかもしれん…!とにかく、早くいかなくては!」
「そうですね…アジトの場所が星の位置を元にして書かれている。夜が明けて星が見えなくなるまでに辿り着く事ができなければ、明日の夜まで我々は待ちぼうけを食らう」
「イシュタラズリの剣は間に合わなかったか…」
誰かがトールズの方角を見て言った。
「ボケボケマンの事が心配だ…ベル、今からルキフルのアジトへ向かおうと思う。いいか?」
「…うん。助けに行かなくちゃ、ボケボケマンを――そしてこうなったら…ルキフルを倒してしまうしか…ない」
ベルは水晶球を握り締めて言った。
(水晶球でルキフルを追い詰める事ができた――ラヴィさん、御免!お父様とボケボケマンの命がかかっている…わたし、もう行かなくちゃいけない)
ベルは食い入るように水晶球を見た。手の中の水晶の星は再びぐるぐると渦を巻いていた。
(ベル……)
グラウリーはそんなベルの様子が気に掛かる。この娘はブルジァ邸に来てから何かが変わった――…。
だがそれをいとう時も今はない。確信と言えるほどの違和感を覚えたわけではないのだ。
「そうだな…。ベルの事は俺達が守る。ルキフルを倒そう!」
大柄な手をベルの肩に置く。小さな、ひ弱な肩だ。守ってやらねば、とグラウリーは思う。だが彼は知らぬ。
ベルがその小さな肩にどれだけの覚悟を背負っていたのかを。
「一分で仕度しろ!ティルナノーグッ!出るぞ―――ッ!」
おおお――!と力に満ちた声が響く。
長い、長い旅路の末の、これが最後の戦いになるだろうという事を皆知っている。そして行方のわからぬ仲間を救いに、全てを終わらせにと彼等は赴くのだ。
「お、お嬢様!」
老執事が現われベルを呼んだ。彼は息を切らせて焦った顔をし、ジルの容態が変わった事を告げた。
「お父様――」
白かった異形の繭は今や黒く変色し、どくどくと波打ってそれ自体が生きているかのように、臓器のように不気味な鼓動を繰り返す。ベルが近づくと繭の一部が盛り上がった。
「キャアッ!」
よく見ると薄い繭の向こうに人の手のようなものが見える。繭の中のものは繭から今にも出んとばかりに時折手や脚、そして顔で繭を押す。――中がどうなっているのか、想像したくなかった…。
「呪いが進行したというのか――」グラウリーはその様子を立ち尽くして見ていた。
ベルは眼を閉じ、そして自分の手を繭越しに中の手と合わせた。
「――お父様…わたし、お父様がわたしの事をあんなに気遣ってくれていたなんて、日記を見て初めて知ったよ……お母様が早くにいなくなって、なのにわたしは子供の頃からどうしてお父様はわたしの事をあまりかまってくださらないのだろう…って、ずっと、そう思ってた……。
……絶対にお父様を助けます。そして、わたしがお父様の代わりにブルジァ家の呪われた運命を断ち切ります――」
ベルは水晶球に力を込めた。水晶は光を帯び、発光する。その光を受けると繭は一旦その鼓動をやめたのだった。
「お嬢様…」
「爺や、わたし行ってくる――もしかしたら、お父様は掛けられた呪いのせいであなたに危害を加えてしまうかもしれない…。だから…」
「その先は言わないで下され!」
老執事は細い眼を必至に開いて訴えた。
「死ぬまで主に仕えようと決めた身でございます…。そして私めはお嬢様の帰りをも待ちとうございます」
「――――!」
ベルは無言で老執事を抱きしめた。
「爺や、行って来る」
「行ってらっしゃいませ――」
部屋を後にするベルとグラウリーを、執事はずっと頭を下げたまま見送った。
時刻は五時〇二分。人数分の馬を用立てた彼等は、ついにルキフルのアジトへと向かう――。
※
刻はやや遡る――。
トモトモの隠れ家にはあれから鎚が鉄を叩く音が絶えない。
彼等が叩くのは神の鉱石イシュタラズリ。その繊細な性質を持つ稀有な石を、細心の注意を払い、ありったけの気持ちを込めて叩く。鬼気迫る面持ちで憑かれたように鎚を振り上げては下ろすラヴィとトモトモの姿を、ギマル、そして負傷を手当てしたバニングはじっと見守っている。
トモトモはやはり伝説の鍛冶師と言うべき腕の持ち主であった。虎鉄流派の皆伝免許をもらったラヴィでさえも凌駕する業を持つこの鍛冶師は、ラヴィの頭にあるコテツ師匠のイメージよりもさらにその上を行く。
鍛冶に魔導の業を用いる――。この男は既存の技に安心する事無く、さらに新しい何かを求めて風の都を訪れた。彼がそれを行ったのはまだラヴィと同じ位の歳の頃であったという。
(まだまだや、あたしも)
そう心の中で思いつつ、しかし丹念に、マナを吸い取られてフラフラの体で力強く鎚を降ろす。バニングの方をちらと見る。バニングもラヴィを見ていたのか、眼が合う。
バニングとギマルは、ラヴィ達を護る為に炎の魔人エーフリートと決死の戦いをし、負傷したのだという。
(この人が護ってくれた道――半端なものを作る訳にはいかない)
毒塗りの剣を指摘して喧嘩をしたあの時――それは何故かもう遠い出来事のようだ。
「もう少しだ、ラヴィ、もう少しだぞ!」
トモトモは体のあらゆる部位から汗を流していた。エルヴァルの火を入れて火力を増した炉は益々燃え盛っている。
イシュタラズリ――蒼い鉱石は今ほぼ完全な剣を形どっていた。蒼い炎から出して金床で叩く蒼い剣は、その中に炉の超高熱を宿したかのように紅いエネルギーを渦巻かせている。
ラヴィの全身も火がついたように暑い。暑くて少しばかり頭が朦朧としてくる。
機械仕掛けのように動く体。全身から汗が噴出す。そんな中、ラヴィはふと下腹部に小さな痛みを覚える。
極限まで研ぎ澄まされた感覚の、その中で起こった痛み。
「――産まれる!」
眼を閉じてしまわないように必至に気を張りながら、再び鎚を降ろした。
ギマルが、窓からこちらを目指してくる青い鳥に気がついた。
*
荒い息遣いは次第に収まってゆく。もうとうの昔に心臓は鼓動をやめ、全身をめぐる血は血ではなく魔力となった体で。
息を荒げたのは、恐怖。命が尽きようとする、この世から消えてなくなりかけた瞬間に感じた恐怖。
その冷たい感覚が半不死の体に深いダメージを刻み込んだ。彼は魔力を奪う牢に閉じ込めた、異形の面をかぶった人間の魔導師に眼をやった。
(このままでは――或いは危ういかもしれぬ…。半不老不死の体のままでは奴等には勝てぬかもしれぬ)
ルキフルは玉座を立つと傍にある巨大な石の祭壇まで歩いて行った。そこには何本もの蝋燭が火を灯されて立ち並んでおり、その虚ろな明かりは、祭壇の中央の異形の邪心の石像を怪しく照らし出していた。
祭壇の棚の上には、奇妙な形をしたフラスコに入った様々な色の毒々しい液体がある。ルキフルはそれ等を幾つか混ぜ合わせると、震える手でそれを飲み下した。
「ウ…オ…オオォ……」
体中の穴という穴から白煙が噴出し、彼は危うく倒れそうになった。よろけるうちに次第にその干からびた体は、元のさらに半分ほどの太さへと変貌してしまって、まるで枯れ枝のようだ。妖しい輝きを放っていた銀髪はごっそりと抜け落ちていき、残った髪も銀色から白髪へと変わってしまう。
「ハァ…ハァ……――。だ、だが、これでいい…。ここまでしなければ奴等を殺す事はできぬ。仮に一度不死の体を失ったとて、あの水晶の力を取り込めば良いのだ…フ、ハハ……」
よろけながら再び玉座へと座る。呼び出した使い魔にボケボケマンを別の部屋に連れて行くように命じた。
主の変わり果てた姿に驚きを隠せぬ使い魔には、だがその真相など知らせはせぬ。言われた通りに魔導師を運ぶ使い魔。彼は知らず己の体が震えている事に気がついた。
枯れ枝のようになってしまった主の四肢。だがそれを覆う黒衣のマントはいつもよりも長く、そしてより黒く。
まるで本物の闇をまとっているかのように――彼にはそうとしか見えなかったし、その闇に異様なるエネルギーを感じたのだ。そしてその闇の上に煌く双眸は以前よりも、血のようだった紅は今や紅蓮の炎のように赤く、自分以外の全てを――敵どころか同胞でさえも――憎むような絶対的な絶望に彩られていたのだ。
使い魔である彼は死者を甦らせるアンデット達とは違い、ルキフルに服従して魔界より召喚されし小悪魔である。彼はあの眼を思い出して、召喚の契約も何もかも忘れて逃げ出してしまおうかと考えた。
「来るか…ベル・ブルジァ……」
ルキフルは玉座にそびえる。もう恐怖の心は無かった。全てを統べる絶対者の如く、彼の倒すべき敵、そしてつけねばならぬ因縁を待つのであった。
「ここか――」
エチゼンの脚につけられたメモを頼りに原始林の奥深くにある墓地を見つけた。墓地の位置は夜の星の位置によって書かれていて、トムはそれを時差の分を補正して場所を特定したのだ。午前五時三十九分。もう空は白んで今にも星が見えなくなってしまう所だった。
「エチゼン、もう一度トモトモさんの隠れ家の方角まで戻って」
ベルは紙に書いた新しいメモをエチゼンの脚に縛り付ける。ここに来るまでの間にあちこちに目印をつけながら来た。ボケボケマンは恐らくラヴィ達の方にも使役する鳥を飛ばしている可能性が高いが、念の為星が見えなくともルキフルのアジトの場所がわかるようにした。
「ラヴィさん達がわたしの為に作ると言ってくれた剣だもの…できれば…間に合うといい…」
エチゼンはメモをしっかりと脚に結び付けられ、トモトモの隠れ家の方角へと羽ばたいて行った。
「いよいよ最後だ――。ボケボケマンを救出し、ルキフルを倒して全てを終わらせよう!」
グラウリーは皆にそう呼びかけると、墓地の中の建物の重い扉を開けた。
すると、途端に中から黒い一つの影が飛び出した。
「!」エイジは素早くそれへ魔法の矢を放つ。ギャッ、と矢が刺さって地面に落ちたものを見に行くと、それは体の小さな悪魔であった。
「悪魔…奴の使い魔か何かか!?」
「おい、貴様!オークのマスクをかぶった魔導師がここにやって来ただろう!そいつはどうなった!?」
悪魔の首根っこを掴み上げた。
「ギ――…、や、奴は…さ、最深部の牢へと幽閉した…生きてるか死んでるかどうかは――ギギ……」
エイジの手から逃れようと身をもがく悪魔だったが、やがて息絶えてしまった。仕方なく死体をそのままにし、建物の内部へと降りる。
暗く長い階段を随分長い事降り、やがて広い部屋へと着いた。薄明かりの中で見回してみても天井は高く、そして縦横にとてつもなく広い長方形の部屋だとわかる。大きな支柱が何本も立ち、天井を支えていた。
地下にこんな大きな大迷宮が…。と思わずにはおれなかった。かつて地下にその帝国を築いたという、死を司る呪われし商人達の住処であったのかもしれぬ。その、ぞんざいに、まるでゴミクズのように扱われた命、そして染み付いた怨気こそがルキフルが好んでこの場所を根城とした理由であったのだろうか。
階段を降りて右側にずっと行った所に大きな石造りの扉が見えた。他に扉の見当たらぬ彼等はその扉が開くかどうかを見てみる事にする。
――歩いている間、まるで支柱の影から誰かに見られているかのような感覚をマチスは感じた。
不思議だ。自分達の足音以外、何一つとして、地上とは遮断されたこの地下帝国ではしないのに。
他の者も異様な気配を感じたのか、その歩みは徐々に速く、小走りになって扉を目指した。
その途中、ふいにマチスの脚は前に進まなくなった。
驚いて足元を見ると、石畳ではない土の地面の部分から何者かの手が現われ、マチスの脚を掴んでいるのであった!
急ぎマチスはショートスピアで手を突き刺した。腐ったものを刺したような感触があり手はボロッと崩れ落ちる。「走れ!」彼等は焦り扉までの道を全力疾走した。
すると彼等が走る石畳の両脇から無数の手が土をつきやぶって現われた。
「ゾンビーか!?」
片手を完全に突き出した者はそれを使って今度は反対の手を出す。そして両手が出ると土の中から這い出るような格好で不気味に腐り果てた顔を出すのだ。その数ざっと五十体はいようか。土のなかから次から次へと手が伸び、頭が伸びる様は地獄の狂乱のようであり、この世のものとは思えない。
「扉が開かない!」
トッティやグラウリーが扉を押しても引いても、扉はウンとも言わない。このままではゾンビーの集団に襲われる事必至である。
「どうする!」
マチスは扉から十歩程離れた左右の壁に、レバーのようなものがあるのを見つけた。マチスはトムに声を掛けて二人で左右のレバーを降ろしに駆ける。
「トムさん、行くぞっ!」
マチスとトムが同時にレバーを引き下げようとする。そのレバーは非常に重かった。彼等は全身の力を込めてレバーを引き下げる。力を緩めればレバーが再び上に戻ってしまいそうだった。
「だあああっ!」
レバー二本が下まで下がりきると、今までびくともしなかった扉が奥に開いてゆく。今だ!というマチスの号令と共にグラウリー達は扉の奥へと入って行った。
「マチスさん、トム!早く!」
閉まろうとする扉を押さえて叫ぶ。しかしマチスとトムがレバーから手を放すと共に扉はすごい勢いで閉まり始め、グラウリーにもとても押さえきれなくなってしまった。
「マチスさんッ!」
「いいっ!先に進め――っ!トッティ!死ぬなよ!」
「う、うん!!」閉まりゆくドアの隙間にマチスの顔が見え――無情にもドアは閉まってしまった。
「マチスさん!トムさん!」
「何とかならないの!グラウリー!?」
「…!クソッ、こちら側にはレバーがないのか!?」
ドアを叩くも押すも、反応が無い。すると再び扉の向こうから小さな音量で、大丈夫だ、先に進め!という言葉が聞こえるのだった。
「…………!」
「…マチスの言葉を信じるしかない。行こう…!」
「死ぬな…マチスさん達…!」
無念の想いをかみ締めて彼等は進む――。
既に何体かのゾンビーは土の中から完全に姿を現している。ゾンビー達は明解な殺意をみなぎらせて、生あるマチス達を食らい殺そうとしていた。
「どどどーするんですか!?この敵の数にふ二人で!」
トムはマチスの影に隠れて震えて言った。彼は商人。基本的には戦う事は彼の担当ではないのだ。
「…トムさん、爆弾一杯持ってきてただろう。あれを使おう」
「爆弾!?持ってくるには持ってきましたが…下手に使えば地下迷宮の支柱が崩れ去ってしまう」
一番最初に全身を現し、マチスに向かってきたゾンビーを連続で突き倒すと、トムを連れて少しでもゾンビーの少ない方へと逃げる。
「そう――支柱。それを使おう――」
「し、支柱?」
「多勢に無勢だ。支柱を使って身を隠しながら、時に爆弾で支柱を崩落させてゾンビーを巻き込む。地下迷宮が崩れない程度の見極めは俺がするよ……なに、対大人数の扱いには実は慣れている。傭兵をしていた頃、トッティの父親と散々経験を積んだからな…」
「! マチスさん…あんた…」
※
初めの間を抜けたグラウリー、ベル、エイジ、トッティは、そこからしばらく一本道の回廊を走った。やがて扉と共に次の間が現れた。
その部屋は初めの間と同じように天井が高く、縦横に広い。ただ初めの間と違っていたのは、床に何かの肉片――それはよく見ると人間の腕や脚などの切れ端だった――がバラバラと転がり落ちていた事だった。
グラウリー達は相変わらず薄暗い部屋を奥の扉の方へと進む。その進路をさえぎる一体の影があった。
「止まれ――!」
かん高い声のその影は、頭から足先までつるりとした毒々しい赤の皮膚を持ち、背中に蝙蝠のような羽を持つ魔族であった。挑戦的な眼差しでグラウリー達を睨む。
「主にここより先を通すなと仰せつかっている!進みたいのなら俺を倒す事だな」
「ガーゴイルだ。地獄の第六位悪魔!」
エイジが眼を細めた。
言うや否や、ガーゴイルは両手から電撃を繰り出して彼等を襲った。
「魔法を使ってくるぞ!気をつけろ!」グラウリー達は四散して攻撃をかわす。トッティが電撃の合間を縫って鈍器で斬り込んで行った。その隙にエイジはグラウリーの耳に口を寄せる。
(ガーゴイルはちょいと厄介だがここは奴一匹らしい。集中攻撃でさっさと倒して先に進んでしまおう)
その言葉が聞こえたのか、大きな耳を動かしながらガーゴイルは口から笛のような奇妙な音を立てた。
メイスを振り回すトッティから羽根で距離を取ると、途端にエイジ達の側面から、丸太のようなものが押し寄せて来たのだった!
「うわぁぁああっ!」
グラウリーは咄嗟に近くにいたベルを抱え、床に伏した。エイジは体を避けたが、巨大な飛来物に体が半分ほどかすって壁に吹っ飛ばされる。そして彼等の一番前衛に立っていたトッティは――!
咄嗟に片手で盾を構えたが巨大な質量でぶつかってくるそれにはさほど効果があったとも思えず――気がついた時には宙を舞っていた。体の全身を打ちつけたような痛みがあった。だが、そしてすぐに今度は本当に床に体を打ちつけたのだった。
「ガハッ!」
「トッティ!」
エイジが痛みをこらえながらトッティを助け起こそうとした。トッティはうめき声を上げて眼をつぶっている。脳しんとうを起こしているのかもしれなかった。丸太のような飛来物が何であったのか。見るとそれは人間のものとは比べ物にならぬほどの大きな腕であり――その先を辿っていくと、エイジ達の身長の三倍、四倍はあろうかという巨人が影に隠れてそこにいたのである。
岩のように固い筋肉質の体に布切れのようなものをまとい、その胸の上についた顔は、何と三つあった。巨人はガラス球のような、感情のこもっていない六つの眼をエイジ達に向けた。
「な…!こいつは一体――サイクロプス…鬼巨人とも違う……!」
「ヒャハハハハ!コイツはティターンさ!だが巨人族ではない。ルキフル様が人体実験を繰り返し、百体以上の死体を混ぜ合わせて作った巨大なゾンビーなのさ!」
鬼の首を取ったかのように得意げに語る。
「コイツと俺様だけでもお前達を始末するのに十分だが――!これを見ろ!」
ガーゴイルは手から小さな炎を飛ばすと、ティターンと呼ばれた三つ首の巨人のもう片方の手を照らし出した。
「――!」
そこには小さな檻のようなものが握られており、よく見るとその檻の中には人が一人――ボケボケマンが入っているのだった!
「ボケ――!」
「くっくっく、無駄だ。呼びかけても奴は気を失っている。よしんば意識を取り戻したとしてもその檻は魔力を遮断する物質で作られている。何もできん――おっと、というわけだお前達、そこから動くなよ。動けば俺がコイツに命令してこの魔導師を握りつぶさせるぜ?」
「くそ…何て事だ…!」
「ボケ――!眼を覚ませ!覚ませよッ!」
エイジは声の限り叫んだ。叫んで必至にボケボケマンに呼びかける。しかし檻の中のボケボケマンからは何のいらえもない。
「無駄だと言っているだろう!よーし、それではお前から殺してやろう。いいか、動くなよ!…やれっ!」
ティターンは再び腕を振り上げてエイジを薙ぎ払おうとした。気絶しているトッティを放して床に置き、寸前の所で転がって避けた。さっき打った右半身が痛む。
「貴様!動くなと言っているだろうがっ!いいかっ!今度こそ動いたら人質を握りつぶさせるぞっ!」
「ボケ!ボケ!起きろよ!」
そして三度鉄槌がエイジを打とうとする。今度はエイジは避けようとしない。拳が迫る寸前までも、エイジはボケボケマンに呼びかけるのをやめなかった。
ゴウッと、何かがぶつかる音がした。ティターンの拳はエイジを打ち抜いたのだろうか!?
「ヒャハアッ!殺ったッ!」
エイジは拳が迫る寸前、眼を閉じた。
――しかしいつまで経っても拳は迫っては来ぬ。眼を、開けると、そこには信じられぬ光景があった。
ガーゴイルも、ベルも、グラウリーも、誰もが声が出なかった。
エイジの前に、トッティがいた。盾を両手で構え、何と体ごとでティターンの巨大な拳を止めていた。
「ト…、トッ…ティ……?」
「――べよ……」
時が止まったかのようにトッティは動かない。床に叩きつけられた時血が出たのか、側頭部に髪の下から血が流れ落ちた。
「な…何…?」
「――……もっと…ちゃんと…呼べよ、エイジ…。ボケ…ボケマンさんと…エイジ…、二人揃…えば、誰にも…負けない…。そう…だろ――?」
「トッティ…!」
エイジは息をするのを忘れてしまったかのようだった。だが、思い直して力の限り叫ぶ。
「ボケ――!眼を覚ませよッ!自分一人で突っ込んだ挙句、人質だと!?馬鹿かテメーは!俺達は誰にも負けちゃなんねえんだ!そうだろッ!ボケッ――!!」
「え、えーい、お前達さっきから勝手な真似を!ティターン!まとめてそいつらをブチ殺せえっ!」
ティターンが再びトッティとエイジを叩き潰そうとした瞬間――。
紫電が一閃し、そこにいる人々は眼をくらませた。
巨人の手はとてつもなく熱いものに触れたように火傷し、引っ込み、エイジ達の前に煙の中から一つの影が立ちはだかっている。
その者、しなやかな四肢に魔導師のマントを身にまとう。そして首より上には異形の姿、オークマスク!
「ボケ――!」
「ボケボケマン!」
「お前に馬鹿呼ばわりされるとは――だが、迷惑をかけた――」
ボケボケマンは地力で檻を――魔力の遮断される檻を、その許容量すら上回る魔力で打ち破り復活した。
「トッティにも迷惑をかけてしまったようだ…」
ボケボケマンは血を流して再び意識を失いかけているトッティを見た。
「そうだぜ、全部お前のせいだろが!」
とはいえ、エイジはトッティが身を盾にして自分を守った事に非常な驚きを、そして大きな感動をしているのだった。バルティモナ山の冒険の折、戦士でありながら決死の覚悟さえ持ち合わせていなかった若い鈍器使いメイサーをエイジはいつもからかっていた。だが、かつて自分がそうであったように、数々の冒険を乗り越えてこの少年は大きく成長してたのだ。そう、それはエイジを対等に守れるだけの戦士として――。
(もう馬鹿にできないかもしれないな)
エイジはトッティを入り口側の壁のあたりへ横たわらせると向き直った。
「グラウリー、ベル。ここはボケと俺で何とかなる。が、あのデカブツはちょいと時間がかかりそうだ。一瞬の隙を作るから、脇を抜けて先に進んでくれ!」
「――わかった」
(さあ、トッティ、後は俺達にまかせろよ)
怒り狂った顔をしたガーゴイルと、獲物を仕留めきれず悔しそうな気配の巨人を睨みながら、エイジは不適な笑いを浮かべた。
*
エイジの放った炎の壁の魔法は、ティターンとガーゴイルを怯ませた。次の間へと続く扉目掛けて走り出すグラウリーとベルの動きに気付いたのか、ガーゴイルは何かの魔法を放とうとする。だが、その鼻先をかすめる紫電があった。魔物の悔しそうな舌打ちが響く頃には、彼等二人は既に扉に手を掛けていた――。
細く狭い…真っ直ぐに伸びる暗い道が唯々続いている。
あまりにもその道が長く続くので――先の間での激闘がまるで真実であったのかというようにも思われ、また本当にこの道で正しくルキフルのいる方向に向かっているのか、と僅かながらも思わせた。
暗闇は人の判断を狂わせようとその心に忍び寄ってくる。
だから、だろうか――。いつの間にかベルの小さな手は、前を走るグラウリーの手を握っていた。
暗い一本道の中ではカンテラの光とて頼りない。闇の中にあって確かなものは互いに感じられる温かさだけ、とでも言うほどに、その手から感じられる体温は百の言葉よりも多くを語った。
小さな手は汗ばみ、震えている。
それがわかったけども、グラウリーは何も言えぬ。怖さに負けているのなら最初からベルはここにはいない。
彼女は初めから自身を襲った運命に懸命に立ち向かおうとしていたのだ。だから、今ここで何らかの言葉が何ほどの意味を持つだろう。
ベルに依頼を受けた時から、グラウリー、そしてティルナノーグの戦士達のする事は、彼女を護る事だったのだ。だから今もグラウリーは唯ベルを護ってやるのだ。その使命を果たすのを助けてやるのだ、と思う。
力強く手を握り返してやる。その手の先から、安心したような雰囲気が流れ込んできた。
長い回廊の果てに、ぼうと蜃気楼のように浮かび上がる扉があった。
彼等はその前に着き、息を整える。深呼吸を一度して、取っ手に手をかけた。
「最後だ」
「ウン、皆のお陰でここまで来れた」
水晶をポーチから取り出し、ベルは力強くドアを開け放った。
しんと鎮まりかえった石畳のその先に、玉座はあった。
「来たか――」
そこに座る、生命を持たない、動かないミイラが喋ったように見えた。
いつの間にかルキフルはその姿を変貌させたようだった。枯れ木のような四肢はいかにも頼りなさげで、触れてしまえばポキリと折れてしまうかのよう。だが、その身にまとう禍々しさは、以前とは比べ物にならぬほどであるという事を、グラウリーも、ベルもたちまちのうちに感じている。汗が、噴出した。
「ルキフル・ブルジァ――全ての決着をつけましょう」
濃密なプレッシャーを浴びながらも、その歩を玉座へとじりじり…じりじり…と進めてゆく。
「お前が、ここまでこようとは思ってもみなかった…。ベル・ブルジァ…」
「聞かせて――どうしてあなたは…お父様に呪いを、そして水晶球を付け狙ったの」
すると玉座から立ち上がった。薄暗い王の間でなお、紅蓮のように燃え盛る双眸をこちらに向けた。
グラウリーはベルの前に立ち、大斧を両手で構える。
「儂は昔、貴様と同じようにブルジァ家の一員であった…それはもう知っているのだろう?」
「ええ」
「儂が一族の力を色濃く受け継いだあまりに、人は儂を避けた。また儂も人を避けるようになってからは、自室に引き篭もって先祖伝来の研究に没頭していたのだ…。だがある日、部屋へと入り込んできた父と弟は儂を殺そうとし――」
(お前など死んでしまえばいい!)
(いなくなってしまえ!)
(消えてしまえ――!)
ルキフルはその先を思い出しただけで、ドス黒い憎悪が全身を満たす。人間というものに感じた恨み、絶望は見えない波動となって間を埋め尽くした。
「――命からがら逃げ出した儂は、研究書を持ちここへやって来た!そうして二百年の歳月がかかる不死者への転生を成した。だが、恨みある父や弟はもう既にこの世にはいない。だからワシは復讐を、父や弟の血を引く、今生きるブルジァ家の者にする事にした!唯、殺すだけでは飽き足らぬ。現在当主のジル・ブルジァを呪いで不死の傀儡とし、呪われた家系に相応しく、永劫儂の奴隷として扱ってやるつもりだった」
「………」
「その中途で知りえたジルの娘――貴様は父よりも強い力を持っている事がわかった。だから儂は潜在している力を引き出す為に、夢の中へと暗示を送り続けていたのだ。貴様もまた、力を引き出した後、父親よりも更に強い僕として扱うつもりだった。しかし、ベル、貴様はあろう事か儂が探していたその水晶球を持ち得ていたのだ!それもこれも全て――忌々しいデュロズが巧みに水晶球を隠していた所為だ!」
「! ……やっぱりあの夢の中でわたしを呼んでいたのは…ルキフル、あなた!……この水晶球には、一体どれほどの力が隠されていると言うの?そもそもこの水晶球は何なのよ!」
水晶はベル、そしてルキフルの高まりに呼応するかのようにいんいんと輝いている。
「――それは、元は我が一族…闇のシャーマンが称えていた神器の一つだ。一族の一人であったデュロズは、持つ者によって聖とも、闇ともなるエネルギーを発する水晶球を、リッチの秘術と一緒に持ち出して逃げ出した。だが、その水晶を扱うには力という適正がいる。デュロズ程の力を持つ者でも水晶を扱うには至らぬ。
だからデュロズは、持つ者によっては自身を脅かす存在になり得る水晶を、自分の手で隠したのだ。だが、儂や――貴様ほどの力を持つ者がそれを手にすれば、無限のエネルギーを得る事ができる。水晶球の力を引き出せば、万物の王になる事さえできよう!それは人間を超越し不死者を名乗る事すら児戯に等しくさせるのだ!」
「だったら――だったらなおあなたにはこの水晶を渡すわけにはいかないじゃないの!わたしにそんな力があるというのなら、わたしは水晶球を使ってあなたを倒すわ!」
するとルキフルは乾いた笑いを響かせながら玉座の階段を降り――。
「何故そのような事をお前に教えたと思う?儂は不死者である事を捨て、命を削り、その身に一時的な力を宿した。水晶の力は既に儂には効かぬ!例えお前がその全てを懸けたとしても!」
両手でマントを大きく広げ――さながら死を運ぶ鳥のように不吉な姿のルキフルは、いよいよ殺意をみなぎらせてグラウリー達に向かう!
ビリビリと全身を電流が流れるような感覚を覚え、だがグラウリーは闇の王を見据えた。
「ベルッ!水晶球を――水晶球を使え――!」
「ウンッ!」
ベルは水晶を掲げると、そこから白い光が放たれた。光はルキフルを襲う!――しかし、ルキフルは低い笑みをこぼしたのみで、さほどの事もあらんとばかりにその歩を緩めなかったのだ。
(確かに――ッ!効かないと言うのか!?)
ベルはなお一層力を込め水晶から光を放つが、光の中をジリジリとルキフルは歩む。ベルを護らなければ!
グラウリーは斧で斬りかかろうと試みるが、神経が麻痺してしまったように呪縛によってその体は動かない。
黒衣の死神がグラウリーの脇を通り過ぎようとすると、掌を戦士の胸の辺りに掲げ――とてつもない波動が放たれた!
「ゴハアッ――!」グラウリーは血を吐きながら見えざるエネルギーに吹っ飛ばされる。
「グラウリ――ッ!!」ベルが叫ぶ。
ルキフルはニタリと笑いながら近づいてくる。ベルは水晶球を掲げたまま、蛇に睨まれた蛙のように動く事ができない。この悪魔のような怪物がわたしに死をもたらす――父や老執事、グラウリー、仲間達の顔が浮かんだが、避けられない死が迫ってくるのを絶望的に、宿命的に直感する自分がいた。
死神はその腐った老木のような顔で、勝ち誇った笑いを浮かべながら死の手を伸ばす。全ての生ある者の鼓動を奪うその手――。
「う、うおおおおぉッッ――!!」
「――おおっ!」
瞬間、差し伸べかけた腕が、肘の先の辺りから宙に舞った。
空気をも一閃した一撃!
放ったのは―――グラウリー!
「死なせはせん!俺の眼の前で――もう二度と、仲間を死なせはせん――!!」
気を失いそうになる程の衝撃波を喰らい、呪縛に逆らった筋肉は大きく震え、口や血管からは血を流し――グラウリーは斧を振り下ろしていた。
一撃――その一撃には彼の全てが込められていた。全てを失ったあの時、墓前に誓ったあの時、彼に大きな闇を落としていた忌まわしい過去は、今眼の前にあるものを決して許さぬかのように彼の中で力と換わっている!
まるで体が動いたのはかつての仲間達が手助けをしてくれたかのような――そんな錯覚さえ彼は感じた。
ぼとりと床に腕が落ちる。床に当たって炭のように消し飛んだ。
「――ティルナノーグッ!どこまでも――どこまでも邪魔をする奴等よッ――!」
ルキフルは再び動けぬグラウリーから抹殺しようと、もう片方の手でグラウリーの喉を締め上げた。
吸い取られてゆく…体中のあらゆる生命の灯火が、枯れた手に吸い込まれていくのを覚えた。やがてごとりと右手から大斧を落とす。
「イヤッ!グラウリーッ!!」
涙を流しながら水晶球に力を込めた。死んでしまう。グラウリーが、死んでしまう!初めてわたしと仲間に――対等に接してくれた人が――死んでしまう!!
水晶球は輝きを増した。ルキフルは僅かにだけ眩しそうに体をすくめる。水晶球に僅かに亀裂が生じた。
その時、ベルの脇に一筋の蒼い光が走った。それは、剣――限りなく蒼く、透き通るような色をした、神々しいばかりの剣であった。
「ベルちゃあぁぁん!取って、剣を、取って――!!」
ハッと瞬間後ろを振り返る。そこには、ラヴィとバニングの姿があった。
(間に合った――!?)
「う、うわああぁ――――ッッ!」
ベルは稲妻のように素早い動きで剣を取ると、水晶を手放して両手で剣をルキフルに突き立てた!
剣はまるで意思を持っているかのように、独りでに闇の王へと吸い込まれて行き――。
――世界が白くなった。
周り中まばゆいばかりの光に溢れ、何物も見えなかった。ただ、その手に握られたイシュタラズリの剣の感触だけはハッキリと感ぜられて――剣を通して、彼女に流れ込んで来る何かがあった。
(憎い――憎い――人間を――憎いとは思わないのか――)
それはルキフルの意思。ルキフルの見た光景や想いなどは全てがベルに流れ行き、そしてルキフルにはベルの全てが流れ込んだ。一本の蒼い剣を橋渡しに、この瞬間根源的に似た力を持つ二人は、互いに互いの事を知った。
(望まぬ力を持って産まれただけで周りの人間に畏れられる。貴様だってそうだったのだろう――貴様が子供の時、庭で一緒に遊んでくれた子供がいたか。父親は遊んでくれたか!)
(違う――違う)
ベルは否定した。だが、彼女の頭に膨大に流れ込むルキフルが人間で在りし頃見た光景は、人との触れ合い、ただそれだけを渇望する乾いた感情。それは、否定してはいたけども図らずもベルの幼少時代の想いとオーバーラップするのだ。
(貴様は儂と似ている――だから、だから ”こちら” に引きずり込むに足ると思った!)
(違う――!)
頭が爆発しそうな、抑えきれぬ質量の念に耐え切れぬまま、ベルは叫び声を上げた。
――!
それは、瞬きするほどの間の出来事。
それはイシュタラズリの剣がなした幻影であったのか、彼等の力が共鳴した為であったのか――。
剣は、ルキフルの胴体に深々と刺さっている。
「ルキフル――!」
「ォォオ………」
スローモーションのような動きで、その手をベルの肩に掛けた。剣を突き立てるベルの上に、寄り被さるような形になっている。ベルはその手から自分の生命、そのものの何かが失われていくのを実感した。
「これでいい……いいのよ…。あなたが力を持って産まれたのは不幸。わたしも力を持って産まれたのは不幸…だけど、わたしの…お父様とお母様から受け継いだ力は…全てを終わらせる為にあったのよ。
――ルキフル…本当に不幸な人…せめて、わたしも一緒に逝ってあげるわ。そしてブルジァ家の呪われた宿命を、今度こそ本当に終わらせましょう――」
(お父様、ご無事で――)
ベルは抵抗をしなかった。このままゆっくりと、死んでゆこうと思った。
(わたしにしてはよくやった――お父様…わたしの事褒めてくれる?)
しかし、いつの間にか自分の腰に手を回す者があった。
「グラウリーッ!」
首を回して見て、驚いた。全身血まみれのグラウリーが、自由の利かぬ体を無理矢理に動かして自分を引っ張っているのだ!
「ベル――ッ!死なせるかよ…ッ。お前は…お前は俺の……俺達の仲間だろうが――ッ!!」
だが――グラウリーの気持ちが嬉しかったが、ベルはそれが無駄である事を悟っていた。自分の生命はもう少しで完全に吸い取られる。だから、もう遅いのだ。
(――!)
ベルの体は突然後ろにのけぞった。ルキフルに肩を捕えられていたはずなのに――ハッと気付くと――ルキフルはその手を放していた。彼女を、解き放っていた――!
「ルキフル・ブルジァ!」
――……儂にも………もし――…おったなら……――。
そのかすかな想いがベルに聞こえたのか、どうか。
とにかくベルは、絶叫した。万感の想いを込めて。怒り、憎しみ、哀しみ、笑い、希望――全ての想いが交錯して、ベル
は叫んでいた――。
ぼおおおっ。
ルキフルの体は、白と蒼の入り混じった不思議な炎に包まれて燃え上がった。イシュタラズリの剣はその腹部に刺さったままだ。続いて、ベルの横で音がした。バルティモナの水晶球だった。水晶は床に落ちて真っ二つに割れていた。その水晶からも、不思議な炎は燃え上がり、それは次第に大きくなっていった。
王の間が揺れた。否、地下迷宮全体が揺れだしていた。
「崩れる!?」
天井から大きな石が落ち、ルキフルを下敷きにした。段々と石が落ちて来る。
「脱出しろ――!」
*
崩れゆく地下迷宮、そして地中に没する墓標の群れを、ティルナノーグの戦士達は小高い丘から見ていた。
彼等は互いに肩を預けあい、膝を突き、木に寄りかかって…誰一人として無傷な者はいない。
土へ――万物の母である大地へと、全てが消えてゆくのを、言葉を発する者さえなく眺めていた。
その中に、グラウリーがその体を支えている者がいる。ベルだった。
彼女は体を横たえて、眼を閉じている――。




