ベルの依頼
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ベルの依頼
登場人物:
グラウリー:大柄な斧戦士
ラヴィ:女性鍛冶師
バニング:暗殺者
マチス:老練な短槍使い
トッティ:若い鈍器使い
ボケボケマン:オークマスクの魔導師
エイジ:蒼の魔導師
トム:商人
ギマル:部族出身の斧戦士
ベル・ブルジァ:リドルトの姪。
※
みーん…みーん…と、どこか遠くでセミの鳴き声がする。
遠くに本邸が見える、広い庭園を走っていた。
黒々とした緑の葉がそよそよと風に揺れる。日差しは刺すように暑い。短く刈り込まれた芝の上を息が弾むほど走り回ると、とくとくと波打つ胸を静めるように庭の極めて細い小川の横を歩いた。
ふと眼が悪戯っ子のように輝くと、サンダルを脱ぎ捨てて火照った足を小川に浸してみた。
ひんやり、涼しい。緩やかな小川の流れが素足に少しこそばゆかった。
そのまま小川にかかった小さな石橋――彼女の大股一歩ほどの長さの――の所まで行き、石橋に腰かける。脚をちゃぷちゃぷと水につけてみる。
広い庭園に、いるのはわたしだけ――。
大声を出して呼べば本邸にいる爺やは来る。だけど、お父様は仕事でいない。お母様は自分が三つの時に流行り病で亡くなった――。
ふと気付くと、どこかで楽しそうな笑い声が聞こえた。
何だろうと思って立ち上がると、声がした方向の塀のすぐ脇に生えていた木に登ってみた。
木の上から見た塀の向こうの光景。
自分と同じくらいの歳の汚い格好をした子供達が4人で、背を向けて楽しそうに走っていっていた。
手には木の棒の剣と、お鍋の蓋の盾を持って。冒険者の真似ごとをしているらしかった。
声をかけようかと思った。
――ねえ――と。
でも、やめた。
子供達はすぐに見えなくなった。
木の上から広い――けど誰もいない庭園を見渡してみる。
みーん…みーん…と、どこか遠くでセミの鳴き声がした。
*
「眼が覚めたか」
グラウリーが椅子から後ろを振り向いて声をかけた。ベルはふと気付くとソファの上にいた。肩から下には毛布がかけられている。木の板がむき出しになっている大きな部屋で七、八人の男女がテーブルを囲んでいた。
「……ここ…どこ――あれ――」
寝ぼけた頭が高速で状況を判断しようとする。瞬間、あの黒いローブの怪異が自分に向けて伸ばした手を思い出して、ベルはソファからずり落ちた。
「あ、アイツは!?伯父さんは!?――そうよ、秘宝!!」
「まあ――落ち着けって」
「エイジの言う通りだ。とにかく落ち着いて話を聞いてくれ――ベル」
グラウリーは椅子から立ち上がるとベルをソファに座らせ、肩に手をかけた。
戦いと冒険と言う予断の許されぬ世界に長く身を置いた壮年が持つ深く黒い瞳は言外の説得力を持っていて、ベルは言い返す事ができずにソファに腰を降ろすのだった。だがそのエメラルドグリーンの瞳は後ろで結んだ金髪のポニーテールの中に映えて、燃え立つようだった。
「結論から言おう。あの黒ローブの化物は退散していった。ベル――君が無意識にあの水晶球の秘宝を掲げた時、白い光が漏れ出して何故かあの化物は逃げていったんだ。
そしてリドルト氏だが…あの怪物に左肩のあたりを手で貫かれたらしい…ただ、不幸中の幸いと言うべきか――致命傷は免れている。街のパラディン隊に病院に運ばれ、手当てを受けるとともに聖騎士団によって護衛されている。だが、面会謝絶になっていて今は会う事ができない。トムが――俺達の仲間の一人があれから病院まで付き添って行って、まだ帰ってきていない。詳しい話は彼が戻ってきてからでないとわからんのだが…とりあえず今我々が知っているのはこれくらいだ」
「……今日は何時?わたしはどのくらいの間気を失っていたの?」
「襲撃があったのは午前二時頃。それから十時間ほど経っている。外は真昼間だ」
グラウリーが指し示した窓からは、昼下がりの柔らかい日差しが部屋に差し込んでいた。
ベルは黙って静かに何度か頷き聞いた事を順に頭に染み込ませるような仕草をすると、突然立ち上がって足早に部屋を出て行こうとした。
「わたし、伯父さんの様子を見に行く――!」
「待って、ベルちゃん――伯父さんは面会謝絶って言ったやないの――」
ベルの腕をラヴィが掴み留める。
「離して!」
「ベル、ラヴィの言う通りだ。今行ってはいけない」
グラウリーはベルの横を通ってドアの前に立った。ベルは急に力を失ったようにがっくりと項垂れる。
「――どうして?どうして私の周りにこんな事が起こるの?お父様が急に病気にかかり、伯父さんの家があんな恐ろしい妖魔に襲われるなんて――」
「その事だ。まさに今我々はその事について話をしていたんだ。君は気を失ってしまって知らないだろうが、あの黒衣の妖魔――リッチは君が掲げた水晶球の白い光にたじろぎながら、こう言ったんだ。『呪われし血に絶望しながら死んでいく運命を、貴様の父は避ける術を持たぬ!そしてその秘宝もいつか必ず我が元に――』と。妖魔のこの言葉からして君の父親がかかったという奇病にこの妖魔が関わっていたと推測できる。そして奴は更にリドルトさんが秘宝の収集をしている事を聞き付け、秘宝を奪う為に館を強襲したのではないだろうか――。
秘宝の奪還を目論む妖魔が、たまたま君の父親の奇病に関わっているのかもしれない。また、君の父親の奇病に関わっている妖魔がたまたま秘宝の強奪を目論んだのかもしれない。それとも――これらの二つの出来事には、あるいは大きな繋がりがあるのではないだろうか。という事も我々は考える」
「……呪われた血――秘宝――……」
ベルは唇を震わせながらその言葉を繰り返した。顔は真っ青になり、思考が定まらぬかのように眼は虚ろで頼りなさげだった。
その時部屋のドアが開いた。そこに現われたのは小柄で褐色の肌の眼鏡をかけた男。リドルトの付き添いでルナシエーナ中央病院に行っていたトムだった。ティルナノーグのメンバー達は驚き彼に駆け寄る。
「トム!リドルトさんはどうなったんだ?」
「ええ、大丈夫です。治療が功を奏したようです。後は病院で静養していれば、徐々に回復していくそうですよ」
部屋中に安堵のため息が流れる。
「ほ、本当なの?」ベルが言った。
「ええ、もちろん本当です。彼は無事ですよ。一流の商人ってのは、案外しぶといものなんですよ」
というトムの言葉が最後まで聞こえたかどうか――ベルは顔を両手で覆った。
「それで…ベル、リドルトさんからの伝言を仰せつかりましたよ」
「えっ」
喋りながらトムは部屋のテーブルの手前に歩いてゆき、椅子に腰掛ける。彼の右手が机の向かいの奥側の椅子を指している。ベルはハッとした顔をするとすぐに涙を拭き、背筋のよい姿勢で腰掛けた。
「いいですか?彼の伝言です。『親愛なるベルよ。秘宝を持って父の元へ行け。私がティルナノーグの皆さんに頼んで取ってきてもらった秘宝に本当に父の奇病を治す効果があるのかどうかはわからんが――今はそれしか方法がないと言うのなら、行くが良い。そして――』」
「そして…?」
『親愛なる我が弟ジルの命を――救ってやってくれ』
そう言い終えるとトムは傍らのグラウリーに眼で合図をした。グラウリーは部屋の隅にある頑丈そうな鉄の宝箱を開けると、その中から中程度の大きさの木の箱を取り出し、トムとベルの前に置いたのだった。トムは箱と一緒に手渡された金属製の鍵をベルに渡すと、先ほどと同じようにベルに右手で箱を指し示した。
「……」ベルは無言で木箱に鍵を差し込んだ。カチリという音がして鍵が開く。ベルは両手でそっと蓋を開けた――。一瞬の白く眩い光と波動がベルの眼前を駆け抜けてゆき、箱の中に水晶球と蒼い鉱石があらわになる。
「……」
「リドルトさんは秘宝を貸し渋った事について、すまなかったと言っていましたよ」
「……でも――どうして――突然…?」
「さあ――そこの所はリドルトさんは特に語ってくれませんでした。でも、彼はしきりに彼の弟さん――あなたの父上の事を心配されてましたよ。そして、あなたの事もね」
その言葉に、拭いたはずの涙が再びこぼれる。にじんだ両眼に景色がぼやけ、そして瞳の奥にある原風景。追憶の光景が思い浮かぶのだった。
そう、あれはいつものように屋敷の広大な庭で一人で遊んでいた時――。
お日様が山に沈みかけてゆく黄昏時。西の空が赤と黄色に暮れてゆく。庭に群生するススキがこの瞬間だけ黄金色になり、金の草原を思わせるように優しく風に揺れている。
もう屋敷に帰ろうかどうか考えていると、長く伸びた自分の影の横に、大きな太い影がのっそりと現われる。ベルが振り返るとそこには逆光によってシルエットとなった大人が歩いていて、でもベルはその影が誰であるのかすぐにわかってしまうのだった。
「おーじーさーんっ!」
そう呼ぶと伯父さんはなんとも言えぬやさしい顔をして、小さなベルの体を抱き上げ、肩車して屋敷へと帰るのだ。
伯父さんは年に一、二度屋敷に来た。だけど、父様と仲良く話をしていたのを見た記憶が無い。本当の兄弟のはずなのに。伯父さんは屋敷に来ても、一泊していっただけで必ず帰ってしまった。ベルが何歳の頃だったかの誕生日の時、丁度来ていた伯父さんに泣いてわがままを言って、二泊していってもらったのを覚えている。そんな伯父さんが『最近忙しい』という理由で屋敷を訪れなくなったのは何時頃からだったろう――。
「――伯父さんは、安全なの?再びあの恐ろしい妖魔が襲ってくるというような事はないの?」
ベルが顔を上げ聞いた。
「ええ、大丈夫ですよ。彼は中央病院で療養していますが、その身辺や建物の周りを街のパラディン達が護衛していますからね。リドルト氏は街の執行委員会の一員として名も通っていますからね。中央自治会も総力を挙げて護衛しているようです。万が一妖魔が攻めてくるつもりだとしても、彼等がいれば大丈夫でしょう。暗がりに潜み闇を好む死の世界に住む彼等アンデットの対極、太陽と生命の力を行使するのが彼等――聖騎士達なのですから」
「そう――なの…」
ベルは一人考え込むような顔をするとコクンと小さく頷き、木箱の中の水晶球を手に取った。
バルティモナの秘宝である謎の水晶球は真昼の日差しを吸い込んだかのようにおぼろげで不思議な白い光を湛えていた。
「何だか色々と急展開でさぁ、まだ俺、話全部把握したわけじゃないけど…あの娘大変だね。父親の奇病にやっと尋ねた伯父は妖魔に襲われる…普通ありえないよ、こんな事。本当に…何かの呪いがあの娘にかかってしまっているんじゃないかと思うくらい…。あんな眼に会ったら、俺だって泣くよ」
部屋の壁にもたれて立っているトッティは同情の眼差しをベルに向けつつ、脇のエイジに小声で話しかけた。
「まあ…そうだな…」エイジも腕を組みながらそのニヒルな口元を尖らせて考え込むような格好でいる。
皆の注目を集めながら、ベルは水晶球をじっと見やったまま何も喋らない。窓の外から僅かに聞こえるルナシエーナの昼の喧騒とはうってかわって、この部屋は時が止まってしまったかのように静かだ。
誰もが口を開きにくい…そんな気まずい空気が暫く流れて…。
「――ベル、君の今後の事なんだが」
たまりかねたようにグラウリーが切り出そうとした。
「――ウン!!」
ベルが突然大声で頷いた。
「ベル?」
「皆さん――確か、ティルナノーグっていう請負ギルドのメンバーなんでしょう。伯父さんに請われてバルティモナ山の秘宝の奪還に成功したのよね?腕は相当に立つって事よね」
ベルは袖で涙を完全に拭き取ると、机をダンと叩いてグラウリー達を見回した。
「決めたわ。私、あなた達を雇うわ! あなた達の協力さえあればあの忌まわしい妖魔の追撃さえも逃れて父の元に秘宝を持って行ける。そんな気がする――ううん、それしか方法はないのよ!」
――ええ――っ!? 部屋は騒然となった。思いつきで言ったような話だが、それはどこか真実味を帯びていた。もしかしたらそうなるかもしれない、という事を頭の中では考えもしていたが、その提案がベル自身の口から――一見華奢そうな娘から――もたらされようとは誰もが考えていなかったからである。
「えっ!ちょちょちょ待ってよ!そんないきなりな!」
「あら?私段々至極当然の成り行きのような気がしてきたのよ。これが今一番の上策だって、確信できる。大体私の護衛人をやっつけて退散させてしまったのはあなたじゃない。少なくともあなただけはその替わりに私の護衛人として働いてもらう義務があるわ」
「ぎ、義務ってアンタ……」
「はっはっは」
「エイジ笑ってる場合かよっ!」
「トッティ――お前の見立て違いみたいだな。確かに感情的、すぐ泣く娘だが――、意外に芯はしっかりしているみたいだぜ。なあボケ、これであのリッチにリベンジできるってもんだよなあ!?」
「ああ、このマスクにかけて、奴には手痛い呪文を浴びせてやらないとな」
「そうそう、大魔道師の沽券に関わる」
「ボケさんアンタそんな怪しいもんかけられても…」
「どうするんだ?リーダー」
マチスがグラウリーの顔を見る。バニングも無表情にしているが事の成り行きがどう転ぶかとこちらを見ていた。
「……わかった。ベル、君の依頼を受けようと思う」
グラウリーは大きく頷いた。
「ありがとうグラウリーさん!」ベルはグラウリーの手を取った。
「トム、ギルドの方に追加依頼の伝達を頼みたい」
「わかりました」
「あ、トムさん、私からも――いいかしら?」
「はい?」
「中央病院の人に、伯父さんに伝えるよう言って欲しいの 『伯父さん、ありがとう――大好き』って」
「はは――わかりました。必ず伝えますよ。きっと喜びます」
半ば放心気味だった先程までと違って、ベルの眼には再び光が取り戻されていた。エメラルドグリーンの燃え立つようなきらめきに、グラウリーは彼女の意志の強さを思う。
(俺達が手を貸してやろうと言う事。言いかけていたのだが――)
口元に苦笑が浮かぶ。
怨念――禍々しい妖魔達――父の容態――そして大いなる運命。それに抗う術を持たぬかのように見えるこの小さな体の中には、だがしかし何者にも犯されぬ黄金が存在するのやもしれぬ。
『それは行く先の見えぬ運命の奔流へと、強い一歩を踏み出してゆける勇気。その勇気こそが、我等を未知の冒険に狩りたて、その先にある勝利を勝ち取る力となるのだ――』
冒険者を志すものならば誰もが知る古典の一説。
それは遥か昔異空間より現われて英雄となったと伝承される、勇者ゼルカ=チラスの言葉だった。




