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006 移ろう心なら

 安藤裕子 『手を休めてガラス玉』

*w*




「あなたも救われたいのね。」


 唐突なアナザンの問いに、私は答えられなかった。


 私は救われたいのか? 私が?

 幾多の運命を奪い城に吸収してきた私が、今更一つの命を願うなど烏滸がましいことだ。そもそも魔剣ワルドと融合した私には、闇に呑まれる未来しか残されていない。


 ・・・いや、そうじゃない。

 それは私に付帯する状況の説明に過ぎない。そこに "私" はいない。いないが───


「お前たちは希望を求めてやって来る。しかしお前たちの望む未来に私は存在し得ないのだ。」


 私はある種の現象に過ぎない。

 魔剣に支配された、人の形を模した崩落の集合体なのだ。


「私は私の世界で、倒すべき敵を倒してきたわ。彼らはどうしようもなく世界と相容れない存在で、そして私にとって "悪" だった。

 ・・・あなたは自分自身のことを私の敵と言うけれど、どうしてだろう、私にはそう思えない。」

「ふっ。甘言、戯言、妄想、大いに結構。だがそれをどう証明する? 結局のところ、私を倒さねば何一つ分からないままであろう。」


 アナザンがついに剣を構える。

 ・・・そうだ、排他的関係にある私とお前たちは、戦うことでしか真意に近付けないのだ。


 アナザンを包む魔力回路が紋様となって現れ、剣ごと彼女の存在感が高まってゆく。


「黙って見てなさい。」


 言うが早いか、アナザンは側面に並ぶ柱に向け剣を振り抜いた。

 剣筋をなぞる様に力の結晶が奔り、太刀筋を受けた数本の柱がズルリと崩れ落ちる。


「・・・何をしている?」

「仮説の検証。」

「仮説? それに何の意味がある。」


 私を無視してアナザンは流れるように剣を薙ぎ、攻撃によって広間の壁がひたすらに抉られてゆく。

 抉られ、削られ、穴の空いた壁の先で更に奥の壁まで貫通した時、にわかに魔剣がざわついた。


「やめろ。」


 魔剣が暴走の兆しを見せ、思わずアナザンに静止を求める。


「・・・止めたいなら私を斬ればいい。そうしないのは何故?」


 その言葉に、私は思考が数瞬停止するの感じた。


 確かにそうだ。何故私は私の城を傷付けるアナザンを止めなかったのか。何故、魔剣の憤りに身を預けなかったのか。

 アナザンの仮説とは何だ?

 これはつまり・・・つまり何を意味している?



「・・・ふうっ。」


 剣を収め、アナザンが再び私に向き直る。


「ねぇ、どう思う?」

「さっきから何がしたい。」

「あなたはこの世界・・・城や魔剣そのものと言った。けれど、それは本当なの? 

 あなたは本当に、救いようの無い存在なの?」


 何故私はこの女の言葉に耳を貸しているのだろう。

 右手は、憎悪の念を増し震える魔剣に添えられている。左手は右手の衝動を抑えている。


 私は、救われたいのか?




 *-*




 単調に過ぎる時間はいつしか惰性そのものに本質を見出させ、有耶無耶の中に視界は押し留められる。

 知るべきこと、考えるべきこと、選ぶべきこと、そしてそれらの前提条件はやがて視界から外れ、ただ負の慣性に従って無明を進む人格はもはや、惰性の保全機構に過ぎない。


 "リトライ" により仮初に消滅した一連の世界にとって、黒い世界は "失敗" の完遂を唯一の目的に据えながらも、目的の理由を失った不完全な存在だった。

 既に役割を終えたにも関わらず、幻想に成り果てた "完結" を追い求める性質の集合体───それこそが魔剣ワルドであり、魔王ワルドは外界への干渉機構として生まれた。



「どうやら私には時間が必要らしい。」


 剣を収めたアナザンにワルドは告げ、右手を魔剣から離すと虚空に向けて魔法を発動した。


「"レプリケーション"。」


 魔法はアナザンたちを黒い世界に受け入れた扉を形作り、扉には不規則に光を帯びる模様が浮き上がってゆく。

 その様子をアナザンは戸惑い半分驚き半分の表情で見ていた。


「え、まさか・・・。」

「言ったはずだ。私は運命の簒奪者、そしてこの城そのものであると。」


 それなら、いやむしろ・・・アナザンは独り言を呟くが、ワルドとの遣り取りから想定した以上に "救いの目" がありそうだと気付き、迷宮への帰還の目処が立ったことも重なって緊張を和らげた。


 いつの間にか、アナザンの中で魔王ワルド自身は "悪" のカテゴリーから除外されていた。


「どうした、行くが良い。」

「それはあなたのため? 私のため?」

「いずれ分かる日が来る、その時のためである。」


 暫しの沈黙。

 仮面の奥から覗くワルドの視線と交わったアナザンの視線は、ついに咆哮すら始めた魔剣の鳴動によって遮られる。


「答えを、考えておいて。」


 何に対する答えかアナザンは口にしなかったが、ワルドは頷き、光の波を零しながら開かれた扉が二人を隔てた。


 光を呑み込んで扉が消えた後には、衝動の矛先を失った魔剣のけたたましい叫びたけが残されていた。




*-*



 黒い世界の解体を担う人物・・・その揺り籠を兼ねる新たな世界の創造は、特に人選面で難航した。

 ガイナは手法的に慣れた異世界転生を組み込む前提で構想を練り、クレアはと言うと基本世界に紛れ込んで問題解決の手掛かりが少しでも見付からないか模索していた。



「結局のところ、人ひとりが耐えられる負荷じゃ収まりそうもない "密度" が最大の障壁なんだよね。」

「それを言い始めると、最終的にはネルのリトライが関わった世界全てを相手取ることになるわよ?」


 お互いに分かりきったことを繰り返す。既に明らかなことでも、何度も口にする内にふと良案に結びつく事があるものだ。


「一番良いのは内側から瓦解してくれるパターンだけど、いずれにせよ最低限の強さは必要だね。」

「強さ、ね・・・。」


 クレアは自身の経験もあって、力は有れば有るだけ良いし、大抵の問題は "絶対的な力" さえあればなんとかなると考えている節がある。

 一方ガイナはクレアの考え方に一理あると思いつつ、けれど黒い世界の本質は失敗した世界が集まったことによる密度や密度に由来する力以外のところにある気がして、根本的な解決策の発見を望んでいた。


 とはいえクレアも軽口で発した言葉は別として、力任せは有効だとしても最終手段的位置付けと認識しているため、結局のところガイナと同じ方向性で解決案を探している。


「最近ようやく基本世界の情報密度にも少し慣れたから、基本世界が内包する自浄作用が一端でも理解できれば・・・と思ってるんだけど。」

「私はいまだに干渉できないから、クレアに頑張ってもらうしかないのがもどかしいところね。」

「仕方ないよ。多分構造が違うから・・・じゃ、行ってきます。」


 小さく手を振って基本世界に溶けるクレアを、ガイナはいつもの様に不安げに見送った。




 クレアは元々基本世界で神代晴としてそこそこ充実した生活を送っていた。

 しかしとある雨の降る夜、落雷に打たれた際に “転生” を司どる概念存在トラミに存在を抽出され、ガイナの世界に転生した。

 成長したクレアは、本来なら基本世界から存在全てが転移していたはずのハルが何故か基本世界に “もう一人の自分” として存在すること知るに至り、彼の日常を尊重して、基本世界を諦め概念世界で生きていくことを選んだ。



「や、元気にしてた?」

「あぁ。相変わらずかな。お前は?」

「私は・・・ちょっと問題ありかもね。」

「つまり相変わらずってことだな。」


 今日、クレアはハルを訪ねている。

 時間の制約から逸脱しつつあるクレアと違い、初めて邂逅した日から流れた時間そのままにハルは歳を重ねた。子供こそ増えていないが、初対面でまだ幼かった娘の綾花は高校生になっている。

 クレアの見解では概念世界は時間の流れが不定であり、しかし概念存在たちの "老い" は時の流れと関係ないところにある。

 それゆえ、基本世界に住むハルたちの変化は時に驚きをもたらした。


「綾花ちゃんは?」

「今は塾に行ってる。最近は受験勉強で忙しいらしい。」

「こんな時間までご苦労なことだね。」


 神代家のリビングで向かい合う二人。時計は 21 時半を示している。

 テーブルには二人だけでなく、ハルの妻一香もいた。


「相変わらず悩みが尽きないのね? 流石勇者様。」


 現実的に現実を生きていたなら到底信じられない様なハルとクレアの事情を、一香はハルから聞いて理解している。

 むしろ新しい友達ができたとでも言わんばかりに、当初からクレアが訪れた際は歓迎していた。


 クレアは勇者でも英雄でも救世主でもなく、むしろガイナの世界では魔王を自称している。しかしクレアの役割を分かりやすく解釈するため、それから揶揄い半分に、一香はクレアを勇者と呼んだりする。


「そうだね。尽きないのが悩みなのか問題の方なのか、私には分からないけれど。」

「あら、若くないくせに若いことを言うのね? 大抵、そう云うものよ。」



 ワインを減らしつつ綾花の成長をネタに 3 人が話していると、当の綾花が帰宅した。


「あ、クレアちゃん久しぶり! 相変わらず綺麗ねぇ!」

「おかえり。そう言う綾花ちゃんも、お母さん似で私は安心したよ。」


 ハルがうんうんと頷き、一香は微笑んだ。

 綾花はクレアを遠い血縁かつ両親共通の友人と認識している。というか、そう刷り込まれて育った。


「流石に受験生は大変。クレアちゃんは受験したことある?」

「あるけど、お父さんとお母さんに聞くのと大差ないと思うよ。」

「そう? 私もお父さんとお母さんくらいはできないと、って頑張ってるんだよ。」

「そうなんだ。応援してるよ。」



 神代家での穏やかな夜は、彼らに何物にも代え難い安らぎを運んでくる。

 変わりゆく事柄を愛でる心を満たし、あるいは変わらない過去への寄り添いを赦すかの様に。


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