028 表と裏
pegmap 『肌色同盟』
*a*
急に笑い出した魔剣ワルド。私たちがたじろいだ隙に、彼は絶界で一番弱い敵を襲った。
一番弱い敵。それはラムダに他ならなず、ラムダは為す術なく闇のうねりに呑み込まれた。
何でいつの間に、こんな近くに? マントの効果は? そんな考えが思い浮かんだけれど、理由は明白だった。
・・・魔王が私に近付いたことで魔剣の力の拡大は抑えられたけれど、代わりに魔王が自身の影響を強く及ぼせる範囲が狭まっていた。当然ラムダは近くに寄ることになって、戦ったことなど無いラムダは魔剣の攻撃に反応できなかった。
仲間のような単なる保護対象のような、何とも言えない存在だったラムダが一瞬で消えた。
その事実が想定以上に私を揺さぶっていると気付いたのと同時、更に悪い知らせを魔剣が言い放った。
「・・・ほう。実に興味深い。」
私も魔王もラムダ救出の可能性を残すため攻撃の手を止め、魔剣の言葉の続きを待つ。
「魔王よ、お前は随分と嗅覚に優れていたようだ。」
「・・・? 何のことだ。」
クックと嗤い、魔剣は続けた。
「こいつこそ、新たな時間軸におけるお前の正しい姿だったのだ。いや、ある意味で間違った姿かもしれないがな。」
・・・私は魔剣の言葉の意味がよく分からなかった。
「・・・戯言も妄想も、私には無意味だ。」
「戯言だと? バカを言え! お前は薄っすらと察していたはずだ! だからこそ何の取り柄もない路傍の石を連れ出したのだ!」
私は魔王に視線を向けたけれど、魔王の表情は読めなかった。
かつてのような虚無故ではなく、あまりにも複雑に感情が混ざって表れていたから。
「まぁいい。いずれにせよ関係のないことだ。私が全てを再誕させた暁には、お前も一人のラムダとして生きられよう。」
・・・一人のラムダとして?
「魔王ワルド。どう云うことなの?」
「私にもはっきりとは・・・。とにかく、今はヤツを倒すことが先決だ。」
はぐらかされた感があるけれど、それどころじゃない。
魔剣が攻撃を再開する。
ラムダを取り込んだことで魔剣の力が増したわけじゃない。私も少し疲れているけれど、まだまだやれる。
・・・ただ、魔王の動きが目に見えて悪い。
(魔王がラムダ? どういうこと?)
(私にも分からない。)
心の声でドラグラシルと短くやりとりする。
『なるほど。』
『確かに。』
『むしろ困るわね。』
一方で "私" は勝手に何かに納得しているけれど、攻防で忙しい私を案じているのか、考えを意識の表層まではあげてこない。
あぁ、違う違う。
今問題なのは、ラムダを取り込んだ魔剣を倒してしまっていいのか? ということ。
「ねぇ! 魔王!」
「何だ、アナザン。」
「倒していいの?!」
魔剣を、ラムダを絶界で攫った魔剣を。
「・・・やむを得ん。」
あぁ。
私は心の中で溜息を吐いた。良い意味合いの溜息を。
魔王は随分と情を知って、情に脆くなったらしい。
返答とは裏腹にラムダの行方を案じていることがはっきりと分かる。
だからこそ、私は更に問いかけた。そうすべきだと思った。
「違う、そうじゃない。」
「・・・?」
「私はあなたの気持ちを聞いているのよ。」
うねる絶界を混じるアーカードの魔剣と、ドラグラシルの魔法を纏い赤橙に燃える私の剣。
甲高い音や鈍い音を撒き散らしながら二つの剣が交わる音。
ガガ、ゴッ! キキン!
カカガ! ッガッガ!!!
ドグ・・・ゴガガッッ!!
生命の音が途絶えた城を埋める剣戟は、ともすれば人の声など容易に掻き消してしまう。ドラグラシルを装填して五感が強化された私でも。
けれど私ははっきりと言葉にして問いかけたし、魔王の弱々しい返答も、はっきり聞こえた。
「・・・あれはおそらく、"正しい私" だ。そして同時に "偽りの私" でもある。」
魔王は私に答えているようで、実際には魔剣に宣言したように思えた。
「返してもらうぞ。私の未来を。私の過去を。」
静かに、しかしはっきりと魔王は言った。
既に魔王は私を見ていないけれど、私は私のすべきことが分かった。
───魔剣を倒す。それだけだ。
*-*
アナザンや魔王ワルドが意識を失ったリビングでは、残された波音が宙に固定された "スピリット・サークル" の変化を観察していた。
(何これ、気持ち悪い。)
ワルドたちが通過して以後、暫くの間何事もなく固定されていたスピリット・サークルは、この数分で急激に揺らぎ始めていた。
不規則にうねる輪郭は明らかにワルドの発動の意図とは異なるものに思えて、波音は体だけ残されたワルドやアナザンに影響がないか、それから自分やこの世界にも影響があるのではないかと、サークルから漏れる力に神経を尖らせていた。
(もしかして、これ・・・。)
サークルからは闇よりも濃い "黒" が漏れ出ているようにも、逆にサークルが "黒" を取り込んでいるようにも見える。
魔王ワルドと魔剣の関係性を大雑把に聞いていた波音は、この変化が魔剣に由来するものなのだろうと想像し、それゆえに力の大きさに戦慄していた。
(これが、アナザンたちの敵なの?)
迸る黒は EMT の機構などお構いなしにじわじわとリビングを満たし始め、指向性のない力の存在感が波音に圧迫感を与える。
力の回収装置である EMT の影響を弾いているのか、"黒" は時折弾けたり波打ったりしている。
外界の様子はそのまま、精神世界の反映であった。
魔剣はドラグラシルの解釈を基に構築した力の変換術を "黒い力" に応用し、しかし不十分な効率のため敵対するアナザンや魔王の介入に邪魔され、完全には戦況をコントロールできないでいた。
龍脈の力を持ち込んだドラグラシルとアナザンの戦闘形態は魔剣の力の完成を許さず、外界の様相とは無関係に精神世界での勝利も見えた・・・そんな矢先、ラムダが取り込まれ、状況が変わる。
("黒" がサークルを塗り替えていく・・・。)
白を基調として淡い虹の様に多彩な光を放っていたスピリット・サークルが次第に光を失い、闇の波動を纏い始める。
精神世界では魔王ワルドが、ラムダとの関係を魔剣に指摘されたことで動揺し、迎撃の判断に迷っていたタイミングである。
徐々に光を奪われていくサークルは、波音の世界の終焉をも暗示しているかの様に波音には感じられた。
それほどに "黒" が孕む存在感は重く、波音に彼女が失って久しい力の所在を錯覚させた程だった。
(今更身震いしてしまうなんて、私も都合の良い反応ができたものね。)
波音は音の無い部屋で一人、世界の行く末を決めるかもしれない見えざる戦いに思いを馳せている。
*-*
「ねぇガイナ。」
「何? クレア。」
ここはガイナの部屋。
ガイナが創造した世界を容れる球体を眺めながら、クレアが話しかける。
「トラミの "転生" ってさ、これまではタイミングよく基本世界を離れる命が対象になっていたけど、あれ、実際のところどういう基準か知ってる?」
黒い世界への対抗策に窮していたクレアは、概念存在たちが生み出す世界の細かい要素一つひとつに何か妙案が隠れていないかと検討を続けていた。
「うーん、私が聞いた限りではトラミの "転生" は、案外条件が厳しいらしいのよね。」
「条件?」
「・・・本人に聞く? 別に隠しているわけでもないでしょうから。」
「確かに。」
クレアは持ち前の洞察力と考察力に頼りがちで、それから未知の塊である概念存在たちとは深く関わりすぎないよう無意識のフィルターを貼っているため、"概念" それ自体には積極的に手を出してこなかった。
そもそもクレアはガイナの司る "メタフィクション" の影響を多分に受けて概念世界に顕現したのだが、彼女は自身の経験を例外的に捉えていたのだ。それはクレアの、生来の客観視の不得手や、あるいは自身を特別視することで生じる諸々の不都合に蓋をしたいと云う深層心理が影響していた。
「条件? そうねぇ、座標次第かしら。それから情報群のゆらぎの強さ。」
「ガイナには厳しい条件って聞きましたけれど。」
「厳しいというよりも、選択肢が多すぎるの。ガイナちゃんもきっと、特定の誰かを転生させるならって意味合いで言ったのでしょう。」
トラミの説明にクレアは相槌を打つ。肯定でも否定でもなくただ事実確認として。
「・・・なら逆に、あらかじめ指定していれば、抽出は簡単なのですね?」
「そうね。けれど基本世界への介入は御法度よ。」
「・・・それは "あなたたち" が "あなたたちだけ" だった時代の話では?」
既に概念存在たちの空間はクレアたち異物と混ざり、あまつさえクレアは誰も完遂したことのなかった基本世界への侵入を成功させている。
「そうかもしれない。でも私は思うの。例え本当の意味での "御法度" なんて無いとしても、親に相当する基本世界に私たちが強く介入するのはルール違反なんじゃないか、って───」
転生者を生み出せる知り合いがトラミしかいない現状、クレアはトラミと対立する立場にはなれない。
ならばと、クレアは自説を元にした計画の実行のため、転生候補者を複数選定してトラミに伝えた。
いつ崩壊するとも知れない黒い世界への焦りも覚えつつ、クレアは不謹慎にも善良な個人の唐突な死を願っている自分がいることを少なからず嫌悪した。




