027 攻防
the pillows 『Hybrid Rainbow』
*a*
これまで何度も見てきたワルドの "絶界"。
闇よりも濃い漆黒が剣筋を追うようにうねり、地を這って迫る。
「触れるなッ!」
剣を振り下ろそうと身構えた私を魔王ワルドが横から突き飛ばし、私は黒の奔流から外れた。
「ワルド!?」
「アレは攻撃であって攻撃でない。ただ、全てを呑み込まんとする慣性の塊だ。」
何度も見て、けれど圧倒的な魔力差のため仕組みの解析はできなかった。
「それじゃあどうやって対応するのよ?」
「反対の慣性をぶつけるか、許容量以上の力を浴びせるか、あるいは無になるかだ。」
ズズ、ゴゴゥ・・・と這い回る闇に抵抗するワルドは、対抗手段のいずれかを行使できているらしい。
「クッ、流石に力の絶対値が違うか。」
劣勢の魔王に、悠然と構え一歩も動かないままのアーカードが声をかける。
「やはりな。お前達には初めから荷が重かったんだ。・・・いいか魔王ワルド! お前はお前自身を見つけたのではない!」
「何だと?」
「お前が見つけたのはお前の弱さに過ぎない。そして仲間とやらが、"弱さ" をさも尊重すべき自己の如く錯覚させただけだ!」
絶界に追われるピンチの中、私はアーカードの言葉に感心した。なるほどそうかもしれない、と。
ワルドはあの城に居続けたなら、ひたすら力を溜め込みやがて完全な強者になっていただろう。成り果てていただろう。
「・・・。」
「そして見ろ。錯覚を追った末路がこれだ! 真に信じるべき "力" を、むざむざ手放したわけだっ!」
確かにアーカードの言う通り・・・彼を取り込んだ魔剣ワルドの言う通り、魔王は魔剣の所有者として相応しくなかったのかもしれない。
けれど魔王は成長した。その証拠の一つが私であり、魔王がこの精神世界に連れ込んだ私たちパーティだ。
証拠の形を見せなければ。
「ワルド。"絶界" にはなんとか耐えられるのね?」
「・・・あぁ。」
「なら私がアーカード本人を討つわ!」
ワルドはチラリと私と、それから壁まで下がったラムダを見て答えた。
「こちらは任せろ・・・!」
頷いて、私は床を蹴った。
アーカードに宿った魔剣ワルドは確かに黒い力を精神世界に持ち込めているけれど、おそらく完全ではない。
なぜなら "絶界" は私が知っている程の規模も速さも密度もないし、絶界を操るアーカードが魔法と並行して動けない程集中している様子も、ワルドの絶界を思えば完成形からは遠い。
「はっ、今更お前に何ができる? 最後の世界で羽を伸ばして、心残りが無くなりでもしたのか?」
ヤツれても精悍さを保っていた面影はどこにもなく、アーカードは見たことのない、見たくもない表情で私を挑発する。
「いいえ。私にはまだまだ、やるべき事が残っているの。」
「ならば選択肢は一つだ・・・大魔王を見捨てて去るがいい。」
「それはできない相談ね。」
なぜなら私には私の役割があって、私は私の役割を正しく把握しているから。
・・・なら目の前の彼は?
「アーカード・・・それとも魔剣ワルドと呼ぶべきかしら?」
「何とでも呼ぶがいい。所詮私は誰でもない。」
ふむ。つまりもはやアーカードではないのね。ついさっきまで薄っすら残っていたように見えたアーカードの意志は、完全に失われているらしい。
彼の言葉は私に哀しみと勝機を見出させる。
「魔剣ワルド。あなたは私たちに勝てないわ。」
「・・・何だと?」
私は知っている。
"私" は知っている。
「力しか信じられない強さは、必ず打ち負かされるのよ。」
(いこう、"私"。いこう、ドラグラシル。)
『うん。大丈夫。』
(いこう、アナザン。)
魔王ワルドが応じている絶界の動きが鈍り、その分目の前の魔法剣士の圧が高まる。
(大丈夫。ボクも伊達に大精霊を名乗ってないからさ。)
ドラグラシルが言う。もちろん知っているし、言葉の意図にも気付いている。
ドラグラシルがこの精神世界で私と同化している、その事実が意味するところを。
(最悪、魔王が敵対しても勝てるようにと思っていたからね。)
そう云う抜け目無いところ、大好きだよ。でも事前に教えておいて欲しかったかな?
構える剣が龍脈の力の結晶に満たされ、私に宿る龍脈の流れと一体化していく。
私にとって基本にして究極の戦闘形態、"龍人化"。
殆ど完全に再現できているのは、スピリット・サークルにドラグラシルが干渉して魂の位相変換を誤魔化したからに他ならない。
「なっ!? なぜお前がそれほどの力を持っている!」
何故って、私は一人じゃないから。
私を支えてくれる "私" や大精霊が、私を強くしてくれるから。
「・・・それが分からないから、あなたは私に負けるのよ。」
もう言葉は要らない。
私は何万回と剣を振った構えをとり、後の先を制するべく魔剣の動きに備える───
───今!!!
*-*
(何故、コイツは私に屈しない?)
異界から呼び寄せたアーカードの意識を上書きして乗っ取った魔剣ワルドは、しかし思う通りに戦況が動かない現状を苦々しく感じていた。
(何故、コイツの剣が私に届く?)
自分とは違う方法でドラグラシルの力を精神世界に持ち込んでいるアナザンだけならともかく、魔王まで倒せない状況に苛立つ。
(何故・・・。)
魔剣ワルドは気付かない。
アーカード本来の能力が、単に質量が大きいだけの力の介入よって完全に機能を奪われたことを。そして魔剣には、これまで外界と直に接触してきた魔王ワルドやアーカードたちと違って、実践的な意味での力の使い方が理解できていないということを。
(私は全てを見てきたのだ!)
魔剣ワルドは全てを見てきた。
魔王ワルドの目を通して。アーカードの存在を通して。
しかしそれらは全て単なる知識に過ぎず、殆どの知識は体感によって完成する。
魔剣ワルドが幾多の世界に匹敵する存在である事は紛れも無い事実だった。
しかし戦闘面を切り取れば、何万回と剣を振り知識が体験それ自体と同化したアナザンという小さな "個" にも遅れを取りかねないことを、魔剣は自身の "力" を客観的に評価するがゆえに気付けないでいた。
なぜなら魔剣にとって情報量と相同の知識によって裏付けられる未来の予測は "客観的に見て既に事実" であり、そこに肉体との関連性はほとんど考慮されていなかった。
「どうしたの?! 大口叩く割には、大した事ないのね!」
「煩い・・・! 今に現実と現の狭間に撒き散らしてやろう。」
内なる自我の肯定を後ろ盾に魔剣を挑発するアナザンに対して、魔剣はアーカードだった肉体に注ぐ力を増す。
魔剣ワルドの振るう剣は精神世界にも関わらず完全に形が固定され、周囲は既に一種の異界と化し物質世界の法則を帯び始めてゆく。
「・・・そうだ、私は私の信じる道をただ進めばいい。」
「それはちょっと、マズイわね。」
魔剣が戦闘と並行して解析を続けていた精神世界への力の持ち込みは、目の前の貴重なサンプルであるドラグラシルの力を理解することで一気に効率化が進む。
対等な条件だったはずのフィールド。それが傾く予兆を感じ、アナザンは焦りを覚える。
「・・・けど、させない!」
龍人化の特徴は速度重視の攻撃特化であり、アナザンはドラグラシルの "目" が追える限界を見極め攻める。
「ハァァっ!!」
龍脈を帯びた剣は熱を纏い光り、アナザンの舞にも似た剣さばきが赤橙色の残像を残す。
ガガッ!
ギ、キキン!!
魔剣は技術など欠片も感じられない瞬間瞬間の反応だけで、何とかアナザンの攻撃を受ける。
「クッ・・・。」
仮想的現実へと次第に塗り替えられていく精神世界。アナザンの攻撃をほんの数分耐えさえすれば、一気に形勢は逆転するだろうと魔剣は算段する。
しかし予想以上のアナザンの圧力は、魔剣のもう一人の敵への注意を削いだ。
そして、アナザンの隣に "絶界" を退けた魔王ワルドが並んだ。
「随分苦戦しているではないか。」
ワルドが言葉を投げる。
アナザンに、そして魔剣に。
「えぇ! そうね!」
アナザンは快活に答え、魔剣は沈黙を返した。
「魔剣ワルド、離別の時だ。」
魔王はレプリカの魔剣を構え、しかし攻撃には加わらず魔剣ワルドと一定の距離を保持し始めた。
魔王の奇妙な行動の理由に、魔剣は即座に気付く。
(ここは私と魔王の精神を共有した世界・・・ヤツとの精神的距離が近すぎるせいで、黒い力の拡充が進まない・・・! それが狙いか!)
魔剣の気付きは正しいが、しかし魔王が意図するもう一つの理由には、アーカードの力をうまく操作できないのと同じ原因のために気付けていない。
(私がアナザンに加勢するには技術不足・・・むしろ足をひっぱりかねん。例え魔剣が持ち込んだ黒い力を、私が奪って使えたとしても。)
ワルドは精神世界で戦う上での自身の弱さを正しく理解し、自身の役割に徹する選択を迷わなかった。
自身の存在意義を求めるが故に他者を知り、そして他者を知ったが故に自身を理解した魔王ワルドと、内的な世界で一人、自身の絶対を疑う機会すらなかった魔剣ワルド。
合一にして排他的な二人の差異が、二つの "魔剣" の前にはっきりと表れていた。
「いけ、アナザン!」
「もちろん!」
ガッ! ガッッ!! ・・・ガッ! ガガッ!!!
更に重さを増すアナザンの攻撃にたじろぐ魔剣ワルドだったが───
「・・・ふふ、はははっ!」
視界の端に勝機を捉え、唐突に高笑いした。
「これだから、これだからお前は愚かでしかいられないのだ! "絶界"!」
───そして闇よりも濃い黒が迸り、外套を纏う小さい影を一息に侵食した。
 




