025 彼我の差
GRAPEVINE 『光について』
*w*
精神世界での時間は私の体が夢を見ている時間を利用することで加速できる。夢現の間、物理的な肉体は一瞬を引き伸ばして体感し、体感は精神世界の遅延をもたらす。
「”スピリット・サークル”。」
夢遊状態のまま、精神汚染魔法を改変した魔法 ”スピリット・サークル” を発動。
まず私がサークルを潜る───
「───さすが魔王の精神世界って感じだね。」
私の後に続いてアナザンとドラグラシルが到着し、すぐさまドラグラシルが感想を漏らした。失礼なヤツだ。
「普段と様相が異なっている。今回は私も “サークル” を利用してお前たちと共に来たわけだが・・・魔剣も臨戦態勢の様だ。」
言うが早いか、どこからか風切り音が迫り、咄嗟に構えたアナザンの剣が見えざる風の刃を弾いた。
「・・・そのようね。行きましょう。」
「あぁ。」
目的地は、遠くでこれ見よがしに聳え立つあの黒い城だ。
ここは精神世界。私のではなく、私と魔剣が共有する精神世界である。魔剣の精神世界を反映して黒い城があっても不思議ではない。
そして城を目指し歩き始めようとした時、ドサっという音で私たちは振り返った。
「・・・何をしている?」
「僕も行く。」
見れば、丸腰のラムダがいた。
「お前はナミネと共に・・・いや、今更言っても仕方ないか。」
今回ばかりはこれまでの旅と勝手が違うとラムダも理解しているだろうに。
つい溜息が漏れるが、魔剣の散発的な攻撃に応じるアナザンを待たせても仕方ない。それらしくラムダに装備を施す。
「迷わず着いて来い。」
私の指示にラムダは大きく頷いた。
スピリット・サークルはそれぞれの精神体を他者の精神世界に捩じ込める様に調整している。
アナザンはいつものドラグラシルを兵装した戦闘衣姿で、攻撃もそれに準じている。環境そのものが魔剣とも言えるため遠隔攻撃こそできないものの、持ち前の近接戦闘技術を存分に発揮している。
私は魔剣のレプリカを手に培った剣術と魔術を放つ。・・・放つが、やはり本物の魔剣ワルドではないため理想的な動きができず、アナザンに遅れを取ってしまう。
「くっ・・・。」
力が足りないことが、これほどにもどかしく苦痛だったとは・・・。知識として理解していても体感するのでは全く違うな。
そしてラムダは、意外にも最低限の自衛ができている。
私がラムダに誂えた外套が上手く機能したようだ。
「ラムダ、大丈夫?」
「大丈夫だよアナザン。」
「そう。良かったわね、ワルドにマントを貰えて。」
外套は声の振動を捉え、周囲に防御膜を施す。ラムダ唯一の能力とも言える歌を、遠距離不可の条件で活かせる形が他に思い浮かばなかったのだが、ひとまず問題無いだろう。
「それにしても手数が少ないわね。」
「魔剣の攻撃のことか?」
「えぇ。」
核たる私自身が移動していることも影響しているだろう。共有する精神世界であれば、互いの核の中心ほど、他方の影響が弱まるのは道理だ。
もっとも、私の方にヤツの核を脅かせるほどの力が無いことも同時に明らかなのだが。
「・・・気を抜くな。城はまだ遠い。」
*a*
ワルドの精神世界は降り立った時の印象以上に広く、遠くに見える城に辿り着くまで体感で 3 日もかかった。
精神体にも睡眠は必要なようで、ワルドが小屋を創造し、私とワルドが交代で見張りに立って休息をとった。
道中には砦が幾つも待ち構え、砦にはワルドがかつて倒したと言う勇者や英雄の成れの果てが立ちはだかった。
正気の感じられない "彼ら" は、黒いオーラを纏わせて剣を振りかざす。
『正義を犯すものを俺は許さない・・・。』
『見よ、世界を正す力を・・・。再誕を待て・・・。』
もしかすると彼らは魔剣の意志を投影しているのかもしれないし、そうではなくて魔剣に洗脳され黒い力に操られているだけなのかもしれない。
『力に溺れた弱き者よ、抗いなど無意味と知れ・・・。』
『・・・うぅあ・・・。』
幽鬼の様に砦を守る成れの果てたちは、きっとかつてどこかで、真の正義だったのだろう。
私たちが旅した異世界の悪を、打ち倒す存在だったのだろう。
洗練された踏み込み、薙ぎ、斬り付け、突き、溜めの剣技一つ一つが、彼らが "彼ら自身" だった時の栄光を垣間見せる。
・・・けれど魔剣は彼らの力を理解していない。彼らを包む黒い力が、出力こそ底上げしているものの技術の良さを殺してしまっている。
そして完成していない剣ならば、私とドラグラシルの敵ではない。
龍脈を巡る中で、一体どれだけ生きた剣を、躍動する武を乗り越えて来ただろう?
何度死にかけて、何度辛酸を舐めて、そして何度、奇跡のような勝ち筋を勝ち取って来ただろう?
『体は心が動かすもの。』
『心は体が動かすもの。』
『要するにバランスが相乗効果を生むのよ。』
精神世界だろうと、体の形があり、それを動かす心が “ここ” にあるのならば、私は私の最善を尽くせる。
「ボクもね。」
もちろんドラグラシルと共に。
・・・そうか、だから私はこの世界でも強く在れるんだ。
今この瞬間、私の精神体だけはドラグラシルと私の二人分が一つになっている。例え魔剣が強くても、魔王が言うように “核そのもの” だけの強さが誰も平等なら、私は魔剣の倍強いことになる。
ならば当然、魔剣の残滓に過ぎない彼らの剣技がどれだけ洗練されていても、私を上回ることなどできない。
それが黒い力に掻き乱されているなら、尚更。
「アナザン、油断するな。」
「分かってる。」
ずっと頼もしかったワルドが力を失っている今、私は状況の危うさとは裏腹に、かつての "私の冒険" が戻ってきた感覚に高揚している。
異世界への旅は提案こそ私がしたけれど、実際のところ私はワルドにただ同行しているだけだった。彼の心象が、異世界の風景をどのように反映してどのように移り変わったのか、一定の距離を保って彼を見ていただけの私には分からない。
・・・それが今、ワルドは私の庇護下にある。
裸の心とも言い得る精神体。ワルドの心は出会った時に想像した以上には強く、けれどまだ弱さを見せている。
今私が捉えている彼の心と、旅立ち前に私が想像した彼の心。多分、その二つの心の強度の差が、旅を通じてワルドが得た力なんだと思う。
隣で同じ方を向いて歩いていただけだったけれど、今ようやくそれが分かった。
つまり、ワルドは "私" が予想した通り、ちゃんとワルド自身として強くなった。
私はそのことが嬉しくて、私の冒険心は一層高まる。
別に私はワルドの親でも親友でもないし、まして恋人でもないけれど。
旅の仲間の成長が、私はとても嬉しかった。
黒い城が迫り、物語が次の段階へと進む確かな予感が湧いている。
「あなたの半身だろうと、私は容赦しないわよ。」
「当然である。」
魔剣の精神体と対峙した先で何が起こるのか、予想はできても確証は無い。
『きっと上手くいく。』
『目的に近づける。』
『あなたの目的に。私の目的に。彼女の目的に———』
*-*
魔剣ワルドは自身を観察する魔王ワルドの干渉に一切答えなかった。魔剣にとって魔王は単なる外界との通信機器であり、魔王に何が芽生えようと自身を脅かすほどの力を持つなどあり得ないと判断していたからだ。
力の根源が魔剣に属していることだけでなく、魔王の体験を全て魔剣も同じように体験していることもまた、魔剣が魔王を意に止めない理由だった。
魔王が恐るるに足らない存在ならば必然、魔王と共に旅をする魔王よりも弱いアナザンやドラグラシルもまた、取るに足らない弱者と言える。
・・・だからこそ魔剣は目の前の事実をどのように解釈すべきか分からなかった。
「ほぅ、それがお前の本当の姿か。」
魔王と共有する精神世界に存在する魔剣の精神体の前には、彼らを返り討ちにするはずだった刺客を打ち破って魔剣に辿り着いた魔王たちが立っていた。
「随分と頼り無い姿をしている。」
魔王の手には魔剣のレプリカが握られている。
そして本物の魔剣を握る "魔剣の精神体" は、魔王ワルドが指摘するように、見る者によって捉え所無く映った。
「お前は "誰" だ? "魔剣" とは "お前" にとって何なのだ?」
玉座に座る "彼" は魔王の問いに立ち上がる。
そして遂に、初めて魔王に答えた。
「・・・世界を正しく導く力。我は誰でもあり、誰でもない。」
"彼" は誰でもあって誰でもない。
その言葉の意味を即座に理解できたのはアナザンの内なる自我だけだったが、魔王も真意に近いところまでは解釈していた。
彼の姿は彼の言葉を体現している。
つまり "彼" などと云う存在は本来どこにも居ない。それゆえ "彼" の姿は彼が魔剣を通じて取り込んだ数多の命の集合かつ模倣であり、結果として捉え所無く、あるいは頼り無く見える。
「破滅に向かう運命そのものこそ我であり、同時に破滅に抗う力である。」
魔王ワルドとは違い、真の意味で魔剣と合一の存在である彼 "ワルド" が語る。
「我は、我に連なる世界の杭。一つの現象。そして鍵。」
魔王は "ワルド" の言葉を、侵入者を無感情に排除し続けた日々の自分自身の心境と重ねて聞いていた。
外界と直接関わったからこそ変化に恵まれた自分とは異なり、精神世界という厚い隔たりのために何処にも歩き出せなかった彼の言葉を。
「我の仮初の欠片よ、役目を果たせないならば降りるが良い。・・・見よ、我の新たな使い手を。」
瞬間、ゴゥッ! と "ワルド" を中心に風と光が巻き上がり、アナザンたちは剣を構えて成り行きを見守る。
ほんの数秒で風が収まった後、そこに "ワルド" の姿はなく、代わりに魔剣を手に一人の剣士が立っていた。
「・・・やぁ。遅かったな。」
鈍く漆黒に艶めく魔剣の剣身からゆっくりと視線を上げた男は、口端に薄っすらと笑みを浮かべている。
「・・・そのようだな。」
彼、精霊魔法剣士アーカードが既に魔剣の手に堕ちていたことを知り、魔王たちは苦々しい表情で剣を構えた。
 




