024 裸の心
BUMP OF CHICKEN 『記念撮影』
*a*
ラムダを土手に連れて行ったけれど、今日はヨシノがいなかった。
ナミネの家でラムダとの曲合わせに慣れてきたので、たまにはラムダも外に連れ出そうという思いと、ラムダの歌をヨシノにも聴かせようという思いが半々。
人が増えたせいで必要な物の量が増えたからと、ナミネは買い出しのたびにラムダをお供に連れて出る。けれどラムダはそれ以外ずっとナミネの家にいて、家では歌っているか、道具の映像を見ているか、それかナミネに借りた初学者向けの本で計算を勉強している。
「待っていたぞ。」
ナミネ家に帰り着くなりワルドに告げられた。
何のために私を待っていたのかは、聞かなくてもわかる。
「・・・そう。早かったわね。」
「まだ時間をかけた方が都合の良いことがあったのか?」
「いえ、そういう意味じゃないわ。」
ギターの練習が軌道に乗り始めたところだったので、水を差された感じがする。
それに、もう少し時間があれば "私" のことももっと知れた気がする。
けれどそのどちらも、幾多の世界を巻き込む黒い世界の問題の前では些事なのだと、頭と理性で理解している。
「それで、どんな様子なのかしら?」
「急かすな。難しい話でもない。」
急かすつもりは微塵もないけれど、中途半端な私の諸々への未練が募る前に行動に移りたい気持ちはある。
夕食後、全員がソファや椅子に好きなように腰掛けて話合いになった。
「私と魔剣の間には強固な繋がりがある。」
ナミネの淹れたお茶を飲みつつワルドの言葉を聞く。
「私には境こそ分からないが、私の力と魔剣の力は重ね合わせの状態にあるとの認識に至った。」
「現世とアンベイル・ワールドのような関係かしら?」
「制御権の問題だ。今ここにある空気を私が呼吸するか、お前が呼吸するか・・・そう云う感覚に近い。」
「なら力そのものは一つなのね。なんで "そう" だと理解したの?」
何故かナミネが積極的に質問している。私が聞きたい事も大体同じだから、別に構わないけれど。
「私は前提を間違っていたと気付いたのだ。そして気付きが、小さな差異の積み重ねを呼び寄せ、私自身と魔剣に対する理解を深めた。」
「えっと・・・?」
難しい話ではないと言ったくせに、端折り過ぎていて頭が追い付かない。
・・・ワルドなりに説明してくれたことを私なりに理解するなら、こんな感じだろうか?
ワルドはずっとワルド自身が魔剣そのものと思っていた。けれど私が、ワルドと魔剣は別の存在だと指摘した。
はじめは否定していたけれど、心の奥底にあった "自分自身の存在への懐疑" が真相を求めたことで、黒い世界に連なる異世界への旅に踏み切った。
旅は感情を揺さぶり、感情は心の在処を見出させ、心は魔王たる自身の存在をより確からしくし、自己が明瞭になるにつれ感情は一層純粋な高まりとして感じられる───
そしてナミネの世界に至り本格的に魔剣と向き合った時、ワルドと魔剣はもはや異なる存在でしか有り得なかった。それは何故か? 必然、魔剣も自我の有無は別として独立した "個" だったからだ。
そして "個" である魔剣の輪郭を丁寧に紐解く作業が、今日ようやく終わった・・・。
「そう言うからには、分離の方法にも目処が付いたってことよね。」
「概ねだがな、アナザン。」
「流石に完全ではないのね。」
「仕方あるまい。今はまだ、ヤツの方が上なのだ。」
「魔王ワルド。その作戦はボクが実行部隊なのかな?」
ドラグラシルも話に加わる。
「いや、お前とアナザンと私のチームだ。パーティと言ってもいい。」
「へぇ。これまで一緒にいるだけでずっと別々だったのに、わざわざワルドがそんなことを言うなんて、不思議な感じだよ。」
「私もだ。しかし敵は強大である。」
敵。魔剣ワルド。
一緒に旅をしてきて、"ワルド" の力に不安を抱いたことなんてなかった。それはワルドの力があまりにも大きく比較の対象すら現れなかったから、あるいはそれだけ、魔剣が魔王に力の自由を許していたから。
魔王は自分自身の力そのものを敵とみなしている。・・・少なくとも分離の瞬間、魔剣は敵である、と。
「強大だが、絶対ではない。」
「つまり?」
「私の精神世界に "ゲート" を繋ぎ、そこで魔剣の核たる存在を目指す。核それ自体は一個の自我に過ぎないと推測している。」
「力の勝負を避けるわけね。」
「左様。そもそも精神世界では力など、有って無いようなものだがな。」
ワルドは魔剣の核に自我があると考えているらしい。けれど外部との交流の意志があるかまでは分からない、と。
ナミネが問う。
「それ、私の家でやるの?」
「何か問題があるか?」
「問題というか、精神世界に行けない肉体はどうなるのかな、と思って。」
「それは当然、物質世界に残される。」
「・・・誰が世話をするの?」
ワルドは何くわぬ顔で答える。
「せいぜい数日、死にはしないだろう。頼んだぞ。」
・・・思わず私はナミネと顔を見合わせる。
「ちょ、え、ちょっと待って。ゲートって、いつもの転移装置よね?」
「そうだが?」
「なら体ごと移動できないの?」
「体は力の媒介だ。この戦いには不要どころか邪魔だ。」
理屈は分かるけれど、体を置き去りにするのは抵抗がある。
それに数日も意識の無い人間の世話をするなんて、相当の労力になるはず。気軽に頼むようなことじゃない。だって場合によっては排泄とかも・・・。
「私はただの学生なの。そんなこと、無理。」
「む?」
「代案を考えるべきね。」
「む・・・。」
ナミネに案を否定されて、その場はお開きになった。
ワルドにとって体は器に過ぎないんだろうか? 確かに彼はドラグラシルのように擬似的な体を顕現させることだってできるだろうし、世界に匹敵する力があれば体の創造すら容易いのかもしれないけれど。
それから数日後、ワルドは精神世界で時間を加速させる方法を提示し、ちょっと疑わしかったけれど他に案も無いので実行が決まった。
ほんの数日だったけれど、この間にヨシノにラムダの歌を聴かせることができたことは良かったと思う。
「随分と深い声だね。」
ラムダの歌の後、ヨシノはそう言った。私にもその感覚はなんとなく分かる。
「ありがとう。」
ラムダは屈託なく笑った。
初めて出会った時、ラムダはこんな風に笑っていただろうか? いつの間にか自然に笑うようになったラムダは、けれど誰かが特別目をかけたわけでもない。
ワルドの気まぐれが一人の少年の人生をダメにしてしまうのでは? と思っていたけれど、ラムダは私が思っていた以上にちゃんと生きていける術を元々備えていたんだろう。
「そろそろお別れかもしれない。」
「そうなんだ。安芸さん、国に帰るの?」
「まぁそんなところ。」
「へぇ。風道にさ、また楽器やったら? って念を押しておいてほしいな。」
「分かった。本人次第だけどね。」
陽が沈み、街並みの向こうから差す光が夕闇に負け始めた頃、私たちは立ち上がって帰路についた。
『結局、一人でしか演奏できなかったわね。』
『早々上手くいかないよ。』
『けれど、期待はあったわ。』
振り返っても、夕暮れに溶けてヨシノはもう見えない。
“私” の言葉は珍しく私の想いと重なって、けれど声にならず心に溶けていった。
*-*
夕焼けの中、ラムダは歌った。
見知らぬ世界の歌を、見知らぬ世界の人のために。
「随分と深い声だね。」
ヨシノの言葉が、とても嬉しかった。
ナミネはじっとラムダの歌を聴くことはあっても、感想は言わなかったから。
ラムダはワルドに誘われてからずっと、ただひたすらワルドたちに着いて行った。
“自分には歌しか無い” と思うラムダを、ワルドたちは除け者にしなかった。
それは何でもできてしまうアナザンや絶対の力を持つワルドにとって、ほとんどゼロに近いラムダの存在が大した意味を持たないからかもしれないし、あるいはそもそもどうでもいいと思われているからかもしれない・・・とラムダは考えたが、尋ねないので理由は分からないままだった。
ラムダは歌った。
黒い世界の城で、旅先の道端で、草原で、荒野で、湖で、宿で・・・大体は一人で、たまにセリナや、道ゆく吟遊詩人と。
歌は必ず虚空に消え、後には何も残らない。けれどラムダは歌の間、あるいは歌が終わった余韻にワルドたちが見せる穏やかな表情が好きだった。
「ねぇ、どうしてワルドは僕を連れて行こうと思ったの?」
一度だけラムダは疑問を口にしたことがある。
他にも聞きたいことは幾つもあったが、一つだけを問いかけた。
ワルドは無表情にしばし沈黙した後で素っ気なく答えたが、ラムダはその答えに安堵を覚え、ワルドたちの旅を自分なりに楽しむようになった。
「・・・お前の歌が、私をそう仕向けたからだ。」
 




