023 完成された停滞
EARNIE FROGs 『Ordinary』
*a*
ドラグラシルをアンベイル・ワールドに送り込むのは最終手段にして、魔剣からのワルドの独立を優先する方針になった。
私の勘はよく当たる。
それは単に私が勘が良いわけではなくて、私の中の慎重な意識が色々と考えてくれるから。
『行き詰まったかも知れない。』
『こういう時は大抵アレなのよね。』
『そう、アレ。明確な犠牲───』
私は内なる "私" の意見を無視できなかった。
もちろん魔王ワルドの解決を優先したところで予感される犠牲がなくなりそうなわけではない。だからある意味で、私は問題を先延ばしにした。長年苦楽を共にしてきたドラグラシルを失いたくない気持ちもあった。
「暫し待て。お前たちの力が必要になった時に伝えよう。」
ワルドの言葉で方針が固まってしまうと、それまでと同じような日々に戻った。
既にこの世界を訪れて 2 ヶ月は経過している。
連立議会はどうなっただろう? アーカードはまだ無事でいるだろうか? そもそも時間の流れはどれくらい違っているのか・・・。
気になることばかりだけれど、私にできることは無い。
本当は私も、ドラグラシルが何食わぬ顔で密かにこの世界の力の解析を進めていたように、現状打破の策を模索するべきなのかもしれない。
けれど私は "私" の意見も込みで、今は "私" と対話しつつギターを練習することが大事だと思っている。
・・・なんでこんな時に音楽?
分からない。分からないけれど、"私" との繋がりには音楽が欠かせなくて、そして "私" を理解すること・・・あるいは "私" が私を理解することは、ワルドが魔剣と分離することと同じく意味があると思っている。
「ねぇ、安芸さんは元々どんな音楽を聴いてたの?」
たまに河原でヨシノと合って、ギターの上達を披露する。別にナミネの家でラムダやナミネ相手に聞いてもらってもいいんだけど、私が練習しているところは見られているので改まってみせる気分になれない。
「私は音楽って、あんまり聞いてこなかったわ。ラムダの歌が本当に上手いんだなって、最近ようやく分かったくらいだもの。」
「弟さんだっけ? 俺も聴いてみたいな。・・・ホントは風道の演奏も聴きたいんだけど。」
「本人次第ね。その気は無さそうだけれど。」
ヨシノは上達を手放しに褒めるのではなく、その後で私に足りないところとコツも教えてくれるので、ギターの師として丁度良い気がする。経験があるらしい "私" に聞いても、イマイチ要領を得ない返事ばかり返ってくるから。
もちろん私が暇に明かして四六時中ギターを触っているから、という理由もあるのだろうけど、確実に上達していることがヨシノを通して分かるので有難い。
「あの、ちょっと聞きたいんだけど。」
「うん? 何かしら。」
珍しく神妙な雰囲気のヨシノ。答えにくいことは適当にはぐらかすから、もう何を聞かれても動じない。それくらいにはヨシノとも話をしてきた。
「安芸さんって、もしかして───」
「もしかして?」
「変なこと聞くけど、えっと、"超人" だったりします?」
おっかなびっくりの表情で私を見るヨシノ。
超人といえば、ナミネに教えてもらったこの世界のもう一つの側面であるアンベイル・ワールドの住人だ。
超人は人間ではなく、体躯は巨人のそれだと聞いている。どうしてヨシノは人間大の私が超人なのではと思ったんだろう。
「どうしてそんなこと聞くの?」
できるだけ優しく、質問で返す。
「いや、違うならいいんだ。何でもないから。」
「何よ、気になるわね。」
「気にしないで。俺も気にしないから。ホントに・・・。」
・・・? 何なんだろう?
ヨシノはその後、私がどれだけ聞いても超人のことについて触れなかった。"レッド・エンディング" に関わることは他所で詮索しないようにとナミネに言われているので、私も深くは追求しない。
ナミネは限られた人だけが人類と超人の戦いを知っていて、その中でも把握している情報には差があると言っていたけれど、ヨシノはどこまで知っているんだろう。
『傷に触れるべきではないよ。』
『でも、手掛かりかも。』
『どうする? 私。』
"私" が唆すように囁くけれど、私はせっかく得たヨシノとの関係を無為に壊す気になれない。
だからこの世界の住人であるヨシノの内面については、ナミネの忠告を尊重して深入りし過ぎないことにした。
*-*
魔王ワルドは彼の意識が目覚めた数瞬前に誕生した。
概念存在ネルにより "リトライ" を施された世界のうち、失敗した世界が完全な消失を辛うじて免れ、その残渣が幾重にも寄り集まってできた情報体系。それが "黒い世界" であり "城" と "魔剣" だった。
リトライは正しく機能し、残滓は集合を許されず無へと拡散していくはずだった。
しかし常に絶対など存在せず、ほとんど無の中に微かな有が生まれ、ただの "1" だったそれは 1 を積み重ね複雑化し、やがて目的を持った。
情報体系それ自体には本来意志など無い。
ただ、あるべきところに戻ろうとする慣性だけは、残滓が共通に持つ要素として顕在化した。
即ち "失敗の撤回" および "複製された偽物の消去” による "リトライ" を求めたのである。
城は器、魔剣は目的を達するための道具であり、魔王ワルドは器と道具の外界との交流のために生み出された。
・・・単なる道具に過ぎなかった魔剣は魔王を通じていつしか意識に芽生え、しかし対話が副次的にもたらすかも知れない害を案じて、ひたすら息を潜めていた。
暗く深い力の泉。魔王ワルドが魔剣ワルドと共有する精神世界の底。
闇の中、水面に刺さる漆黒の剣と向き合い、魔王は魔剣の中核を暴くべく目を凝らす。
時に語りかけ、時に斬りかかり、そして時には自身に突き立てて。
魔剣はあらゆる事象に動じない。例え力の駆動体である魔王が、他のどんな個体より強いとしても。
なぜなら魔剣からすれば魔王すら所詮黒い力の体系から抜け出せない弱者であり、そうである限り魔王は魔剣の目的にとって脅威ではなかったからだ。
奢りではない。奢るほどに他と近しい存在ですらない。
魔剣の自己に対するこの評価は、そのまま魔王の介入を拒む隔たりの大きさでもあった。
「お前の望みは何だ? 外敵を取り込み続けて何を目論んでいる?」
魔剣は答えない。そもそも魔王ワルドは、魔剣に自我があるのかすら分かっていない。
「偽りに隠したお前の "真の目的" は何だ? なぜわざわざ私を欺く必要がある?」
何も語らない魔剣は、しかしただ一つ明瞭な形を持っている。
闇よりも濃い漆黒の刀身は力の結晶。あるいは、力は刀身を取り巻いて雄大に揺蕩っている。
不動を崩さない魔剣。
ならばと魔王は丁寧に黒い力の輪郭を探り、やがて全貌を把握し、力の揺らぎが何を意味するのかを知るべく干渉と観察を続けた。
そして観察の結果、魔王は魔剣と共有していた "あらゆる世界の負の側面を黒い世界が引き受け、正の側面とのバランスを保っている" という目的が偽りであることを見抜いたのである。
・・・見抜いたが、複製された世界の黒い世界による上書きという目論見にまでは至れていなかった。
「・・・お前がいかに強大な存在であろうと、私は打ち破ってみせるぞ・・・。」
「ふぅ───」
部屋の隅で押し黙り続けた魔王ワルドは腰を上げ、人のいない部屋を見回した。
いつもは例の道具で歌などを見ているラムダはアナザンに連れられ出かけており、雑音が無いためにワルドはより深く魔剣へと "潜る" ことができていた。
ガチャ、と玄関のドアが開き、足音が近づく。
「あら。今日は気難しい顔をしていないのね。」
「私はいつも気難しい表情などしていない。」
「そう? そうかしら。」
帰宅した家主の波音に指摘され、ワルドは心境の変化を読み取られたことを不愉快に感じた。
「・・・力を借りる時がきた。」
「私も?」
「いや、アナザンたちのことだ。」
「そう・・・。」
表情を曇らせる波音。
彼女にとってワルドの宣言は、彼女がワルドたちに向ける肯定的かつ否定的な期待の結末が近いことを意味する。
どうにもならず自らの手で封印する形で問題を永劫に先送りした過去。
ワルドたちが成功すれば、その過去は停滞でしかない今を断罪するかもしれない。一方で失敗すれば、EMT を介して構築した現状の正しさが証明され、しかし再び停滞の今に向き合う日々が残される。
守りたかった人がいた記憶だけが残り、声も背丈も顔も仕草も思い出せない想い人への懺悔や後悔ばかりが日々を埋め尽くす・・・そんな日々に、既に波音はほとんど順応してしまっている。
しかしワルドたちと遭遇したことで、諦めと慣れで身を守ろうとする自分自身がいることに気付いたこともまた、異世界人たちの行く末を思う波音の心情を複雑にしていた。
「見届けさせてもらうわ。」
波音の言葉に、ワルドは一つ頷きを返した。




