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018 境地

 ACIDMAN 『今、透明か』

*x*




 あるいは誰も一人でしかいられないのかもしれない。

 母親と繋がって生まれたとしても、臍帯を切られた瞬間から人間は独立し、形ある存在としては二度と別の個人と一つになることなど叶わない。

 手を繋いでも、固く抱き合っても、性の快感を求めても、それは自分の体の感覚を確認する過程でしかない。


 呼吸が止まり鼓動が止まり、意識が途切れ息絶えるその時まで、けれど人は一人では生きられない。

 悲しみの朝も、諦めの夜も、街の片隅で、自室で、雑踏の中で、どうしたって誰かの存在を感じないままには過ごせない。


 複雑になりすぎた人の世で、他者と自己を綺麗に理解することなど不可能なのだろうか?

 時に自分自身すら偽らなければ生きられないなら、そもそも人間を理解することなど始めから無理なのだろうか?


 悲嘆してばかりでは前に進めない。

 瞬間瞬間を切り取れば、心が分かり合う錯覚はそこここに散らばっている。


 応援するチームが得点した時。

 社運をかけた企画が達成された時。

 映画のクライマックス。

 他にも、他にも・・・。


 きっと今、誰も同じ心で同じ気持ちになっていると、誰もが思う。

 私たちはそれらしく分かり合えた気になれる。


 それでいいのかもしれない。多くを望み過ぎているのかもしれない。

 誰も、誰かとの関わりに意味を求めすぎるべきではないのかもしれない。


 ・・・そう考える “私” は、つまり何が欲しいんだろう?




*M*




 神代さんが加わった初めてのバンド練習は、想像していたほどうまく噛み合わなかった。

 神代さんはそのことを申し訳なさそうにしていたけれど、むしろ私たちに付き合ってくれただけでも有難く思う。


 『緩やかに溶ける』を何度も繰り返して予約分の時間が終わると、私たちは茜の部屋に向かった。あの鍋以来の 4 人での女子会。



「多分神代さんの声が、私たちが思っていた以上に “強い” んだろうね。」

「コーラス向きじゃないってことですか? じゃあ私の代わりに・・・。」

「いや、メメが歌わないで誰が歌うの。そうじゃなくて、私と茜ちゃんも歌ってコーラスを厚くすれば、丁度良くなると思うの。」


 柚子先輩が提案すると茜はちょっと嫌そうな顔をした。


「え、私もですか・・・。」

「うん、茜ちゃんも。茜ちゃん恥ずかしがるような声じゃないんだから、思い切ってやってみようよ。」


 茜は練習中たまに歌うけれど、私も茜の声は聞きやすいと思う。地声の落ち着きがそのまま反映されているし、音程も安定しているから。

 コピー曲のコーラスは大抵先輩が歌っているけれど、茜も一応コーラスの練習をしていることは知っている。



 適当に話題が流れて、今回のメインコンテンツであるたこ焼きもタネが尽きてきた。


「そういえばこの前の曲、また聞きたいってずっと思ってたんだけど、あれ何て曲なの?」


 前回同様一足先に酩酊一歩手前の神代さんに柚子先輩が聞いた。


「え? 何の曲れすか?」

「鍋の時に歌ってた曲。もしかして覚えてない?」

「あ、あー・・・あ? あぁ! 『あなたに問いかけれいる』 ですねかね?」

「そうそれ。誰の曲?」

「お父さんがよく歌ってた曲れす。多分、お父さんが作った、のかな?」


 そう言うと、また茜のミニギターを手に歌ってくれた。

 前回鼻歌だったところは神代さんが酔って飛ばしたわけじゃなくて、単に神代さんが歌詞を覚えていないのだと分かった。


   ねぇ君は何になりたいの

   そのために何をするの


 耳に残るサビ。神代さんのお父さんが作った曲だからなのか、神代さんの声とよく合って聞こえる───



「私、芽吹さんの声、好きよ。」

「え、そう? ありがとう神代さん。」


 歌い終わった神代さんが眠そうな顔で微笑む。・・・私が男だったら惚れてるねホント。


 しばらくすると神代さんはクッションを枕に眠ってしまった。

 なんだろう、撫でていいかな? しないけど。


「そういえば綾花のお父さんもここの出身だったっけ。」

「え、そうなの? 茜。」

「うん。お母さんもだったと思う。」

「へぇ。じゃあ軽音部にもいたのかな?」

「そこまでは聞いてないなぁ。」


 別に聞いたからどうと云うことも無いけれど、神代さんが起きたら聞いてみよう。




───




 街路樹に差す太陽が暖かさを帯び始め、また卒業生を送り出した。

 大学生らしく何回か花見に行って、新入生をそれなりに勧誘して。

 季節とともに自動的に進むプログラムは、自分たち次第で進捗が決まる事柄を急かしているようにも思える。


 私が進捗を気にしているのはもちろんバンドのことで、柚子先輩と茜もコーラスに加わった『緩やかに溶ける』はようやく真の完成が見えた。

 あとはひたすら練習して、細部を詰めて曲としての完成度を上げる段階。


「今度のライブには間に合いそうね。」

「うん。ホントは 2 曲目、3 曲目もできてて欲しかったくらいだけど。」


 それはそうかもね、と茜は曖昧に相槌を打った。



 初めてのオリジナル曲だからなのか、コピー曲を合わせていた時には感じられなかった感覚が時々湧いてくる。

 それは喜怒哀楽のどれかだったり、曲にないコーラスの幻聴だったり、あるいは見たこともない景色の印象だったり。

 ほんの数分の中で移り変わることもあれば、同じ感覚に浸ってしまうこともある。



「今日は荒野だった。」

「そうなんだ。私は男の子のコーラスが聞こえた気がした。」


 この感覚は私だけじゃなくて、茜と先輩にもあるらしい。

 キーボード件ギター件コーラス担当になった神代さんには無いみたいだけど。


「随分迷走したからかな?」

「そうね。実は私、秋頃には完成しないままになるんじゃ無いかと心配してた。」

「そうだったんですか? 先輩。」


 先輩はいつも肯定的な役回りをしてくれるから、そんなふうに思っていたとは気付かなかった。


「早くライブで演奏したいな。」

「茜がそんなこと言うなんて。コーラスの自信がついた?」

「それは別よ。」



 完成度が上がるにつれて深まる不思議な感覚を楽しみつつ、私たちはライブの日を待ち望んでいる。




*-*




 アンベイル・ワールドの超人。

 風道波音が滅した裏世界の覇者。

 超人の目論むアンベイル・ワールドの顕在化を阻むため組織された、波音が名前を思い出せないチーム。そして名前の思い出せない “彼”。


 波音は “彼” を救うべく超人を自身に取り込み、アンベイル・ワールド側から超人の計画の要である “EMT” を改変した。

 結果、表と裏の世界は表裏一体の関係から隣接次元上で相同の関係になり、変化のために消費された全ての力は、その後 EMT の強固な自己保全システムに捕縛された。


 改変後の EMT は性質上表の世界と裏の世界の差異を許さず、”彼” をはじめとする異物は波音の思惑と裏腹にかき消された。

 さらに、保険的に余剰の力の収集を続けていた EMT はいつしか世界から力を奪い尽くし、EMT に直接組み込まれた波音だけが力を持つ世界が生まれたのである。



「どれだけ力を持っていようと、あなたたちが誰であろうと、このシステムは例外を許さないわ。」


 彼との再会のため、そして力の適切な分散のため、波音は考えられる限りのことを試した。

 試し尽くし、そして諦めた。


 波音は力を失った世界には衰退しか残されていないと気付いている。それが 100 年後か、1 年後か、あるいは数秒後かは分からないが、EMT によって枯渇した世界がガラス一枚隔てた真空のように危うい状態にあることを察している。

 しかし大きすぎる力の前で、彼女ができることなど最早何も無かった。


「だからあなたちも諦めることね。」


 当然本心ではない。

 本当なら、何にも支配されない世界をもう一度見たいと波音は思っている。

 例えそれが超人との争いで人類が疲弊した世界だとしても、いつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えて生きるよりはマシだろう、と。


 けれど口を突いて出るのは否定の言葉ばかり。

 それは波音が、本心とはまた別のところで恐れているからだった。


 完全に諦めた世界を、誰かに今更救われてしまうことを。


 とても大切だったはずの “彼”。自分のせいで失った彼の存在を、波音は既に完全に諦めている。

 自分自身に見切りをつけ、大切な全てに見切りをつけ、世界そのものに見切りをつけた───

 そのことを、他の誰かが解決することで “無駄だった” と暗に指摘されることが、 あるいは “残された可能性を自ら切り捨てた” と提示されることが、怖くて仕方なかったのだ。



「お前が何者であろうと、私が私であることを歪める理由にはならない。」

「・・・好きにしなさい。私は忠告したわよ。」


 自分の経験した絶望を彼らが味わいませんように。

 波音は本心からそう思い、言葉をかけている。


 そして同時に、もう一つの心で願う。

 できれば彼らも失敗しますように。

 私の絶望を・・・希望の形をした絶望を、私に見せつけてくれませんように、と。


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