017 歪の結晶
ハヌマーン 『比喩で濁る水槽』
*a*
アーカードの限界が近い。
ワルドは答えに近付いている。
そして私はと言うと、旅の終わりが予感される中、転移した世界で不意に私の中の奔放な意志の輪郭に触れた。気がした。
「どうしたの、アナザン?」
気分が悪くなりそうなほど平面の目立つ街並みの中、たまにすれ違う人の好奇の視線を避けるようにうずくまった私を心配して、ドラグラシルが声を掛けてきた。
「ここ、変なところだね。」
「そうね。」
「ボク、ちょっと怖い・・・。」
今まで何度も異世界に転移して、その度に新鮮な気持ちで新しい世界を感じてきた。
けれどこの世界はどうにもおかしい。
「珍しく夜だが、妙に明るいな。」
ワルドが言うように転移直後は明るいことが多かったけれど、今回は陽が沈んだ頃合いだった。夜が深まるにも関わらずあちこちに火ではない光が灯っていて、その明るさが光の届かない闇を強調する様に感じられる。
「ねぇ魔王ワルド、ボクの勘違いじゃなかったら、"悪" の存在を感じないんだけど。」
「お前が私に問うとは珍しいな。」
ドラグラシルが私も思っていたことをワルドに尋ねる。もしかすると私がうずくまっているから、代わりに聞いたのかもしれない。
「ボクでも分かるほど “異常事態" ってことの確認だよ。ねぇ、そうでしょ?」
「・・・ふっ。私の勘違いでもなかったのだな。」
ラムダはともかく、3 人が共通にこの世界の異質を感じていたらしい。
黒い平坦な道の上、たまにすれ違う人々は上質な布の服で着飾り、一様に何やら怪しげな道具をいじっている。
・・・嫌な予感がした。
あと数歩で渡り終える吊り橋が目の前で切れるような、慎重に組んだ術式が完成目前で異物を混じるような、そんな不吉な予感。
いや、現実に目を向けなければ。つまりドラグラシルの言ったことは、私たちがこの世界から "正しく" 帰れないのではないか? という私の直感と直結している。
これまで私たちは転移した世界の "悪" を尽く倒してきた。
それが各世界にとって本当に良かったのか分からないけれど、私たちは毎回悪を見つけたし、むしろ悪の方が私たちを排除しようと動いていた。
私たちは私たちなりに、全ての旅に意味を見出してきたわけだ。
もしかするとこれまでのやり方がそもそも正しくなかったのかもしれない。"それらしく" 終えた初回の転移のやり方が、たまたま二回目以後もずっとうまくいったので "それらしい意味" として私たちに定着しただけかもしれない。
これまでの "正しさ" が正しいとすれば、この世界で私たちが見つけるべき悪はどこにいるんだろう?
間違っていたのだとすれば、私たちは一体何をすればいいんだろう・・・?
私がうずくまっているのは、転移直後から感じているこの不安の大きさのため。
・・・そしてもう一つ、私の中の意志が、明確に独立した "個" として私に語りかけた気がしたため。
『懐かしい。』
『けれどどうしてだろう、なんだか気持ち悪いのよね。』
『ねぇ "あなた" はどう思う? この無機質な世界を───』
───
転移から数日。
私たちは幻影魔法を纏って人目を避け、町外れの林に拠点を確保した。
転移から数週間。
大きな街道沿いに "悪" を探して幾つもの町を巡っても、それらしい気配どころか "力" すら見つからない。
何度か転移魔法を起動して黒い世界に戻ることも検討した。それは私の提案だったり、ワルドの言葉だったりした。
けれど結局、この世界の異質を解き明かさないと帰れないと云う強迫的な考えを全員が暗に共有していて、誰からともなく思い留まった。
───連立議会は今どうなっているんだろう?
アーカードは、セレナの支えだけで魔剣の支配に耐えられているだろうか?
この世界との不和、置いてきた世界の気がかり。
日に日に不安が増して、不安それ自体が対処すべき新たな問題になり始める。
そして転移から数ヶ月。
私たちは遂に力の結晶を見つけた。結晶を宿す "彼女" を。
"彼女" の力は悪ではなく、けれど手放しに善とも言えなかった。
「あら? 取り零した覚えは無かったのに。」
彼女は他の人々と同じような格好で、同じ様な雰囲気で、なんの変哲もない街中の道を歩いていた。
「わざわざ隠れてるなんて怪しいわね。・・・とりあえず場所を移しましょう。」
彼女は姿を隠している私たちに告げると、彼女の家らしき建物まで黙々と歩いた。
誘われるがまま建物に入るとやはり彼女の家らしく、そこここに力の気配を感じる。
「いつまで隠れてるの? どうせ消えるにしても、少しくらい話したらどうなの?」
椅子に腰掛けた彼女が言う。
私たちは突然現れた力の主の反応が予想外だったせいで、どう対応したものか迷っている。
彼女の力それ自体は、私たちが対応可能な規模に思える。
「ねぇ、あなたはこの世界の何?」
幻影を抜け、私は名乗りもせずに問いかける。普段ならそんなことはしないけれど、きっと疲れていたんだと思う。
彼女が答える。
「・・・もしかして別の世界から来た?」
・・・?!
私は彼女の返答に自分の眉根が寄るのを感じた。
何だろうこの気持ち悪さは。
初対面にも関わらず、しかも異世界から来た私たちの境遇を "知ってますよ" とでも言わんばかりの、彼女の察しの良さは・・・?
「うーん、じゃぁ別にいいのかな・・・。」
私たちのことはお構いなしに考え始める、まだ名前も知らない彼女。
「お前、その力はお前のものか?」
今度はワルドが問う。
「うん? うーん、まぁそうかな。今は。」
「力の停滞は不浄を呼び、不和を繋ぎ、やがて滅びをもたらすぞ。」
ワルドが彼女に言ったことは、多くの異世界で "正しさ" を求めた末に辿り着いた、暫定的な結論。
彼女はじっと私たちを見つめてから答える。
「あー、そうかもね。そうだったのかも。」
「かも、とは?」
「もうそんな段階にないんだよ、ここは───」
そして彼女は語った。
正しさを失った世界の結末を。終わることのない不和の物語を。
*w*
女の話を信じるならば、私たちはこの世界に囚われた可能性がある。
実際、彼女の話を聞いてすぐ転移の扉を開こうと試したが、世界の理に弾かれる感覚があった。
「あぁ、無駄よ。そういうふうに組み変えてるから。」
俄に信じ難かった彼女の言葉の信憑性が増す。そして何の変哲もなく思えた彼女が、無へ通じる強大な何かに見えてくる。
「私にすら関与できないにようにしてあるから、諦めるのね。」
「・・・どう思う、アナザン。」
「どうもこうも、今聞いたでしょう。」
「違う。黒い世界のことだ。」
おそらくアナザンも私の意図は察しているだろう。
彼女の力が大したことないなどと愚かにも錯覚した小一時間前の自分を怒鳴りつけたい。
力の存在を見出せなかったこの世界で、彼女だけが力を宿していたのは偶然ではなかったのだ。つまり、彼女だけがこの世界の力の形を知っており、世界の行方を掌握していたのである。
「それで、どうする? 大人しく "拡散" を待つ? それともひと思いにサヨナラ?」
力を誇示するでもなく、淡々と現実的な選択肢を提示する彼女に悪意は感じられない。
むしろ話を聞いた後では、彼女の理想と理想のための並々ならぬ自己犠牲、それらを成し遂げた強靭な精神力を賞賛する心持ちすらある。
彼女の語ったことが本当であるならば、それだけの重責を彼女は一人で背負ってきたのだから。
だがしかし、私とて数多の世界に手をかけていることを自負する手前、引くつもりはない。
そして彼女の世界は私たちの想定する "正しさ" に照らせば、ただ延命を図っているに過ぎない。
「私には私の運命がある。それを、私は知っている。」
「ふぅん。それで?」
「・・・正しい終焉を、解き明かしてみせる。」
私の答えに、彼女はニッと口角を上げた。
彼女、ナミネ=カザミチの構築した世界を正確に理解する必要がある。
ナミネを葬っても何の解決にもならないことは既に明らかであるから、それ以外の脱出方法、あるいはこの世界における "悪" を探す方策が必要だ。
ナミネ曰くこの世界の力は強制的にナミネか幾つかの定点に少しずつ収集、分散され、最終的に "EMT" なる装置に集約されるという。
それは世界の調和を使命として課されたナミネが、不和の元凶たる恋人を消滅から救うために編み出した唯一かつ究極の手段だったらしい。
「力の停滞が "アンベイル・ワールド" の "超人" を無限に増殖すると突き止められたのは、ある意味幸運だったのよ。停滞の解消方法が理論上ですら不可能に近いことを無視すればね。」
「でも何とかした。何とかするしかなかった。」
「その結論が、あなたを捉えた今のシステムよ───」
淡々とナミネは告げたが、現状に至るまでに、"世界全て" を自身の力の制御下に置くという暴挙に伴う耐え難い苦痛を、永く経験したことだろう。
しかし彼女自身も理解している。歪に押し留められた力はいつか綻びを生み、元の無秩序に戻る定めにあると。
だからこそ彼女は先へ進むことをやめた。
ならば、私の結論は変わらない。
根源たる黒い力、黒い世界。その結晶である "魔剣ワルド" を介して根源世界を崩壊に導くことが、ナミネの世界含めた全ての救済に繋がるはずだ。
「いいだろう。お前の歪な闇すら救ってみせよう。」
そのためにはやはり、私は私の力と向き合わねばならないようだ。
 




