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016 虚ろな街

 『虚ろな街』

*x*




 たまに何の前触れも無く、どうしようもなく遣る瀬無い気分に苛まれる時がある。

 嫌なことがあったわけでも、体調が悪いわけでもないのに、ふと気付けばそういう状態に陥っている。

 前回は 1 ヶ月前の木曜日の夜にそうなった。

 そして今もまた、私は抗えない虚無感に泣きそうになっている。



 大学生の私にとって、生きることはとても簡単なことだ。

 もちろん両親の庇護下にある前提を蔑ろにする気持ちは無いけれど、子が自立するまでを保証するのが親の役割と思えば、萎縮するほど援助を有り難がるのは違うと思う。

 それに大学を出た後も、ただ生きるだけなら、それは今と変わらずとても簡単なことだと思う。


 どんなに社会構造が複雑になっても、結局人一人が生活するのに必要な要素は本人の働きによって賄える様になっている。少なくとも今の日本はそうなっていると、私は思う。

 相応の報酬をもらえる程度に働いて、食べて寝て起きて。簡単すぎて他に言うことがないくらい。


『職場の人間関係が───』

『社会保障が───』

『本当にやりたいことは別で───』

『自分を安売りするのは───』


 一足先に社会に放り出された人たちがそんなことを言う、と、また別の誰かや社会全体がそこかしこで煽ってくる。


 ───うるさい。

 今まで何をやってたの? 教育される義務を放棄したり怠った事を棚に上げて今更何を言ってるの? こんなに甘い社会にすら適応できないの?

 死ぬまで生まれ育った環境のせいにするつもりなら、いっそ今死ねば・・・?


 ・・・自分の精神状態の不安定を目に付く不適合者への呪詛で上書きする、そんな無意味な攻撃性が心にのさばってしまう始末。顔のない "誰か" が本当に存在するのかすら、知らないというのに。


 どうして "人に優しく" をそれなりに取り繕えるくせに、優しい心にはなれないんだろう? 

 きっと本当は、優しくなれない私を誰もが見透かしているのかもしれない。


 けれど考えが湧いてしまうのは仕方ない。だって本当にそう思っているのだから。


 攻撃的な私、恨みがましい私、尊大な私、傲慢な私・・・ある程度を担保された私が、私の裁量の範疇において私の物差しで他者に言及すれば、私は相対的に正しい方向にしか居ない。

 私が考えるだけなら誰にも迷惑をかけないと思う、その心がいつか巡り巡って私を苦しめる様な気もする。けれど私が少なからずそう認識している事それ自体は、誰にも止められない。


 寝て起きて再び寝るまでに、食事をして衣服を着替えて社会の歯車になって少し回って。

 ただそれだけの繰り返しを、どうしてできない人がいるんだろう。なんで私はできない人ばかりに注目して、当たり前を当たり前にやっている大勢から目を背けるんだろう。

 こんなに簡単なことが、どうして苦痛に思えるんだろう。もしかすると私も実際には、できていない人なんだろうか・・・?


 生きることが辛いのは、今たまたまそういう時間だからか、それとも私の本質か。



「・・・ぅぐっ・・・。」


 地平線を去った太陽は、カーテンを閉めないままの窓から薄暗さを送り込んでくる。

 ベッドの上で蹲って影に溶けて輪郭がぼやけた家具をぼんやり眺めていると、次第に何を見ているのか分からなくなってしまう。

 分からなくなって、いつしか嗚咽が込み上げ、別に悲しくもないのに視界は涙に遮られる。


「・・・なんでこんなに・・・。」


 なんでこんなに、私は弱いんだろう。

 どうして一人でいることを好むくせに、一人でいる空間が堪らなく怖いんだろう。


 ・・・虚無感が酷くひたすらに遣る瀬無い。

 こんな時私は気が向くまでずっと部屋の隅で蹲って、それから高校生の頃から好きなお決まりの曲を一回聞いて、大抵深夜になっているので人通りの少ない夜道に散歩に出る。


 曲が終わった。散歩に出よう───



 季節に関係なく夜は私を落ち着かせてくれる。

 昼の活気や熱を奪う空の濃紺が私の内に渦巻くもどかしさまで吸い上げてくれる、そんな気がする。


 トレモロのように点滅するだけの信号機。

 羽虫の如く人を吸い寄せるコンビニ。


 冬には冷たい風が、夏には生ぬるい風が、エアコンの効いた部屋では忘れてしまう私自身の体の形や境界線を、静かな闇の中そっと教えてくれる。


 行き交う大型トラックの光、振動。

 時折遠くに聞こえる眠れない動物たちの叫び。

 心地良い。


 歩いているとフッと、どれだけ人生が簡単に思えても、そして果てのなく繰り返す日常が苦痛でも、結局等身大の私でしか生きられないと思い出す。

 何の解決にもならない結論が夜闇の抱擁の中では救いに思えて、そのまま何とか "浮上" する───



 部屋に戻って、ついさっきまで蹲っていたところが狭く感じられたら成功。

 失敗して虚無のままなら、もう一度繰り返す。


 壁掛け時計は 2 時前を指している。


 ・・・一応今回は成功ということにしよう。




*w*




 ある時を境に、私は魔剣の意志とでも呼ぶべきものを遠くに感じ始めた。

 私自身であるはずの魔剣ワルドが単に一つの武器として私から分離していく感覚・・・いやむしろ、私自身が魔剣から分離しようとしているのだろうか?


 私と魔剣との分離は、しかし私から力を奪うものではない。

 初めから "そこ" にあったらしい力の形が次第に明るみになる感覚を頼りに、私は力のありかを探っていった。



「魔王ワルド、順調か?」

「あぁ、問題ない。」


 アーカードに問われ、答える。私が私自身を確立できれば、同時に魔剣ワルドの・・・黒い世界の本質を暴くことができるだろう。

 この予測は元々アナザンから告げられたものだが、今では私も同じように考えている。

 すなわち。


「この世界に終止符を。そして "答え" を───」

「ふぅ、分かっているなら良い。」


 アーカードは消耗し、次第に表情が虚になってゆく。

 しかしその様子とは裏腹に彼の力、存在感は増し、最近では城そのものがアーカードなのではないかと見紛うほどである。


 ・・・。

 ・・・あぁ、そうか。かつての私はきっと、今のアーカードと同じ状態だったのだろう。



「アーカードさん、どうなるの?」


 珍しくラムダが聞いた。アナザンではなく私に。


「ラムダ。もう少しで私たちの旅も終わる。その時こそ、この暗き城の闇は祓われるだろう。」

「よく分からない。」

「・・・おそらくアーカードも私も、魔剣に囚われた全てが解き放たれる。」


 ラムダは疑わしげな視線を寄越すが、私も確定的なことは言えない。

 それにアーカードに関して言えば危惧すべき点がある。私の代役である彼は、ともすれば "身代わり" の運命から逃れられないのではないか? ということだ。


 魔剣との分離が進むにつれ、アーカードと私で共有されていた感覚は途切れつつある。


 私が見出した力のありか。それは魔剣にもたらされた知識や考え方ではなく、私自身に由来する意志と同じところにあった。

 ・・・転移した世界の鮮やかな情景が、そこに住まう人々の表情が、そして共に旅をしてきたアナザンたちとの関わりが、誰のものでもない私自身の感覚を呼び覚ましたのだろう。


 しかしアーカードがまだアーカード本人だった時代に築き上げた彼の本質は既に魔剣に奪われ、今の姿は記憶を容れた器に過ぎない。それゆえにアーカードの記憶は、黒い世界そのものである今の体、器との整合性を得られないままの可能性がある。


 ならば次なる者を、という訳にもいかない。私の身代わりにはアーカード以外に考えられず、そしてアーカードが返り討ちにした襲撃者も、話を聞くに程度が知れているからだ。



 ・・・所詮すり減った記憶の上澄みに過ぎない彼を、私の目的の手段に過ぎない彼を、なぜ私は今更 "惜しい" と感じるのだろう?

 何故、アーカードを救うことが、魔剣を破壊することと同程度に重要に思えているのだろう?



「おい、何をグダグダ考えている? いいからさっさと決着をつけろ、それが・・・それがお前の使命だろう!?」


 吐き捨てるように叫ぶアーカードの声には、怨嗟と悲壮が混じって聞こえる。

 錯覚だろうか? いやおそらく、私の思い込みではないだろう。


 アーカードと私のやりとりを見ていたアナザンが近くによって耳打ちをする。


「ワルド、目的を忘れないで。あなたの目的を。手段は振り返ってみれば、いつだって手段でしかないのよ。」


 分かっている。

 だがしかし・・・私の内に沸くこのやりきれない気持ちは一体何だ?


「無論だ。」


 暗い玉座で項垂れるアーカードを見据える。

 アナザンは静かに言葉を付け加えた。


「あなたが・・・あなただけが鍵なの。それを忘れないで───」


 『虚ろな街』は私の曲です。そのうち弾き語りをどこかにあげるかもしれません。

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