014 歌
Syrup16g 『汚れたいだけ』
*a*
ワルドが声をかけ、私たちと旅をすることになったラムダ。私の目には特段変わったところは見受けられないけれど、ワルドには惹かれるものがあったらしい。
・・・敢えて言えば、ラムダの歌は私がこれまでに聴いたどんな歌よりも、どんな楽曲よりも私の心を落ち着かせた。
声変わり前の少年のあどけなさ。そこに本人の見た目からは想像できない仄暗い影が同居している気がする。
「ボクには、特別な声には思えないけどね。」
「そうだね。特別かと言われると、少し違うかも。」
ドラグラシルの感想に相槌を打つけれど、私の思う特別とドラグラシルの特別、それからワルドの特別はそれぞれ意味合いが異なるのだと思う。
「・・・それで、その子をどうするつもりだ? いたずらに小さな命を振り回してみろ、先のことなど捨て置いて俺はお前を滅ぼすぞ。」
成り行きでラムダを黒い世界に連れ帰ると、早々にアーカードが批難の目を向けた。
まだ事情が掴みきれていない精霊セリナでさえ、明らかに部外者なラムダを巻き込んだことを良く思っていない様子。
「私とて遊んでいる訳ではない。ただ・・・。」
「ただ、何だ?」
「・・・いや、言っても伝わるまい。」
「貴様ッ・・・。」
憤りを露わにするアーカード。しかしその様子にラムダが怯え、私の影に隠れるように後ずさったのを見て、アーカードは殺意を収めた。
・・・どうにも様子がおかしい。
勇者アーカードは初め、今ほど感情に身を委ねていただろうか? もう少し慎重だった気がする。
それだけじゃない。私たちが旅を重ねるにつれ彼の纏う闇が少しずつ濃くなり、闇と反比例するように彼の瞳から生気が薄れて見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
度重なる戦闘による疲労をまずは考えたいところだけど、魔剣や城の魔力と馴染んでしまった今、アーカードが苦戦を強いられるほどの強者は早々現れないはず。
・・・戦闘が原因でないとすると事態は深刻味を帯びる。
何故なら、魔王ワルドの代理と云う重役に彼が押し潰されつつあると考えられるから。
「セレナ。アーカードは大丈夫?」
本人に聞いても仕方ないので、パートナーに聞く。アーカードに聞かれないよう彼女を隅に引き寄せて。
「随分耐えているけれど、限界も近いわ。そうでなければ彼ほどの剣士が、心のままに取り乱すなんてあり得ない。」
「そうよね・・・ありがとう、よろしく頼むわね。」
セレナはこくんと頷く。
魔剣とある程度離れた存在だからこそ、セレナはアーカードに引っ張られて闇を背負う危険を免えているんだろう。
アーカード以上の適任は居ないとワルドが言っていた以上、二人に頑張ってもらうしかない。
「もういい。早く次の世界へ行け。」
・・・力なく玉座に項垂れるアーカードに、思いがけず声をかけたのはラムダだった。
「お兄さん、疲れてるんだね。あの、ぼく、ぼくには歌だけだから、歌うね・・・。」
場違いな言葉。しかしまだ怯えを残す少年が振り絞った言葉には、小さいながら勇気が宿っていて、誰もラムダを止めなかった。
———傷を癒す夕べ 鳥は囁いて何処へ
誰も孤独に耐え 人の熱を待って
赦される語り部 罪の幻は果て
星と並び歩め 眠りから覚めたら
傷を癒す夕べ———
何度か聞いた歌だった。
短いフレーズが緩やかに繰り返されるこの歌を、ラムダは子守唄と言っていた。子守唄と呼ぶには物騒な雰囲気があるけれど、母親が何度となく枕元で歌ってくれたと言われては、それ以上言及する気になれない。
抑揚の少ない歌が場内を反響して、体の輪郭が溶け出しそうなふわふわした気分になってくる。
いつしか玉座で目を閉じてしまったアーカードをセレナに任せ、私たちは新たな扉を開けた。
*m*
私が茜と一緒にいるのは、茜のちょっと変なところが気に入ったから。具体的に何が変なのかは言い表しにくいんだけど。
別に悪いところなんて無く見える茜は、何故か本人の自己評価はとても低くて、妙に厭世的に振る舞おうとする節がある。
自然体でいられない自分自身と云う在り方それ自体が既に自然体な茜が、不自然を取り繕うばかりの私の目に羨ましく映ったのかもしれない。
茜は言っていた。
割と仲の良い両親は二人とも公務員で、子供も一人だったから生活に不自由はなかった。そこそこ勉強はできて、そこそこ運も良かったから、それなりの高校に通って大学受験も躓かなかった。わざわざ挙げるほど好きなことはないけれど、人に嫌われることだけは怖くて避けてきたし、そうできるだけの社会性は身につけた。
・・・だから人生から主体性が薄れ、何のために何をすればいいのか、よく分からなくなることがある、と。
私は茜の境遇が羨ましくて、けれど同じくらい要らないとも思った。
だって私には欲しいものがあるから。それが私に必要だと、ちゃんと理解できているから。
「メメ、もう別れたんだ。」
「うーん。上手くいかないもんだねぇ、茜様。」
「上手くいくかどうか、私は関係ないでしょ。」
男女の仲的な意味では関係ないけれど、私の欲全体を俯瞰して見れば、茜の存在も隅っこで関わっている。
「まぁいいじゃない。本当に欲しいもののために、私は妥協できない性格なのだよ。」
「欲しいものって?」
「恥ずかしいから言わない。」
・・・"心の拠り所" だなんて。
「ま、いいわ。それより綾花の件、結局どうする?」
「神代さん寝ぼけてたけど、あの歌を聞いて柚子先輩が提案した気持ちは分かるな。」
「賛成ってこと? 私は異論ないけど、リードボーカルはメメの方が良いと思う。」
茜の切り替えが早いと言うよりいっそドライなところは、一緒にいる上で楽だ。
神代さんは鍋の日以後恥ずかしいからと歌ってくれないけれど、私も茜も先輩も、あの時の直感を引きずっている。
「とりあえず一回、神代さんに混ざってもらって一緒に演奏してみたいな。」
「そうね。」
冬休み後、先輩の実習や私のバイト、期末テストその他諸々の事情で『緩やかに溶ける』の練習は中々できなかった。
近くて遠い完成に辿り着けず行き詰まったので放置した、とも言えるけれど、"寝かせた" おかげか、継続していたコピー曲を参考に改善できそうな気配が出てきた。
神代さんを組み込むなら絶好のタイミングに思える。
「本人はやってみてもいいって言ってたから、次の練習に呼ぶってことで良い?」
「話が早くて助かります茜様っ!」
「後回しにしても仕方ないでしょ。」
人と人の橋渡しをサッとできるのなら、その橋をもっと自分とも繋げれば良いのに、と思う。私は手間が省けてありがたいことが多いけど、茜は自分の存在を薄れさせようとして見えて、疲れそうだなと思う。
神代さんの加入については、茜も先輩も言わないし気にしていないのかもしれないけれど、私には気になることがある。
彼女は "あれ" を経験していない。私たち "夜明け前" が今の関係性になる過程で大きく影響したあれの出来事を。
*-*
煩雑で膨大な情報の海たる基本世界を探索するクレア。基本世界に順応できるだけのスキルを単独で身につけた彼女でも、基本世界の力の流れについて、元の世界や概念世界でできたほど詳細な把握は困難を極めた。
人が増え、人の関わりが増えた時代にあっては、一つ一つの "情報" はあらゆる方向に手を伸ばし他の情報と絡まり、しかし全ては大きな流れの中で更に乱雑な奔放さを持って対流している。
最終的に基本世界そのものの救済を目標としているクレアにとって、観察は全ての始まりであり、そして究極の手段でもある。
例え同じことをしていても、人の心は大抵バラバラな意図を秘めている。
スポーツも、演説も、芸術も、政治も、社会活動のありとあらゆることは望ましい参加理由を示しながら、しかし相反する計略が同居してしまうのが常だ。
・・・そんな中、クレアは音楽が秘める可能性について検討を始めていた。
「私、音楽って聴かないんだけど、そんなに良いものなの?」
談話室でガイナがクレアに訊ねる。
「どうかな。曲とその時の気分との相性だと思うけれど。」
「クレア、基本世界の音楽は私の知ってる音楽とは違うのかしら?」
ペイネもガイナの後でクレアに聞く。
「うーん・・・本質は同じだよ。ただ表現方法が多彩なだけで。」
「多彩?」
「最近は電気ありきの要素が強いから。」
ふぅん? と首を傾げるペイネとガイナ。
「けれど結局、本質は同じ。音楽には・・・歌には人の心を繋ぐ力があると思う。」
「それがどう "黒い世界" と繋がるの?」
「それはまだ考え中。きっかけの一つになりそうって、感覚的に思ってるだけだから───」
しかしクレアは、後は方法論だけで、何かしらの形には持っていけるだろうと考えている。
あの日あのスタジオで "情報群" が懐かしい曲の中、一つの綺麗な流れとして見えたことは、クレアにとって確かなことだったから。




