012 あなたに問いかけている
Belle (中村佳穂) 『導き』
*w*
扉を越えると、一面に鮮やかな景色が広がっていた。
知識に照らせばここは荒野なのだろうか? 踏み締める大地はしっかりとした感触を持ち、時折頬を撫でる風には砂塵が混じっている。
土と草木、風と光。遠くに連なる山々は霞み、鳥の囀りや動物の鳴き声がどこからか聞こえてくる。
そして何より、大地を押し潰さんばかりの圧倒的な空。途方もなく広がる空はしかし落ちてくることもなく、穏やかに私を受け入れているように感じられた。
大地の鼓動と空の寛容に浸る私を尻目に力を練っていたアナザンだったが、彼方に見える城に "悪者" がいると言ったお供の言葉に同意して城を目指し始めた。
城は私の城と違い装飾が凝っていて、なるほどこれが華美なのだなと思ったものの、アナザンには白い目を向けられた。違うらしい。
あっさりと魔人の王を倒し、世界に力が還元される様子を見届けた私たちは元の世界へと帰還した。
初めての旅は私の知識に色を与え、知識を経験へと昇華させた。
それは何も世界の在り方だけの話ではない。・・・私は人が人であるとはどう云うことか、実感を伴って理解したのだ。
「アナザン、お前の目に魔人の王はどう映った?」
「どうも何も、"見たまま" だったけれど。」
「あの王は正気だったか、ということだ。」
アナザンは一拍置いて答える。
「私は本当の意味で誰が正気で、そして誰が狂気なのか判断できないわ。あの世界で魔人の理想が魔人にとって理想のまま実現するのだとしたら、魔人は正気でしかないじゃない。」
いや、そうではない。私が問いたいのは客観性などと云う曖昧な表現を必要としない、お前自身の感覚なのだ。
ただアナザンの答えは逆説的に、私の求めた答えを示してもいる。
「そうか、お前たちにとって奴は "正気" だったのだな。」
「・・・?」
私には王も衛兵も、明確な意志を持ち独立した一個の生命として感じられた。
目的に塗り固められ自我の判然としない、黒い城への襲撃者たちとは完全に異なる存在に見えたのだ。
もちろんアナザンも "正気" に思えるが、私にとって彼女はきっかけの具現であり、在り方を推し量る対象ではない。
「随分と機嫌が良いな、魔王ワルド。」
玉座に座るアーカードに声をかけられる。
「そう見えるか?」
「あぁ。」
・・・何しろ薄暗いこの城ですら、色を帯びて見える。
私は初めて "人間" の感性を知ったのだ。機嫌が悪かろうはずもない。
「機嫌はともかく、"きっかけ" は得られなかったわね。」
「まだ一回であろう。」
アナザンは私が "一個の生命としての私" を見出すことが、黒い世界や私に答えをもたらすと考えている。
しかし焦ったところで事態が好転しやすくなるとも思えない。
私は数多の敵を延々と倒し続け、戦いの中で魔剣を深く理解し過ぎてしまった。魔剣と深く交わり過ぎてしまった。
ほとんど合一としか認識できない私と魔剣の交わりに、新しい経験が少々降りかかったところで高が知れている。
「一回目だからこそ大切なのよ。二回目以降と一回目では雲泥の差があるわ。・・・あなたもそう思うでしょ? アーカード。」
「そうだな。あらゆる物事に初めては一回しかないのだから。それに魔王ワルド、お前も心の奥底ではそう感じているからこそ、お前の最初の敵である俺を召喚したのだろう?」
お前を選んだのはお前が一番強かったからだ───と言葉にしようとして、ふと思い直す。
本当にアーカードは一番強かったのか? "狂気" に染まった彼らの中で、こいつ以上に "正気" に近かった者もいたのではないか?
・・・私はアーカードたちを殺したことで、すでに原初の私とは変質してしまっていたのではないか?
「まぁいいわ。」
アナザンが無表情に言う。
・・・そもそもアナザンは何故ここにいるのだ? 正気の彼女であればこそ、正しい世界の中だけで生きていけば良さそうなものだが。
ドラグラシルがレミリアと何やら言葉を交わしている。レミリアはアーカードから生み出されたにも関わらず、私との相性が悪いのかうまく "読めない"。
模造品の模造品など所詮その程度なのかも知れない。
もっとも、アーカードは彼の本質を残していたからこそ存在を許されたのだから、本質そのものの結晶である彼を模造品と呼ぶのは相応しくないのだろうが。
「すぐに発つのか?」
「私は行けるわ。」
「ボクも〜。」
アーカードが問い、アナザンたちが答える。
無論私も。私にとってこの城は私自身であり、安らぎや癒しの場ではないのだから。
一度目の旅は旅と呼ぶにはあまりにも短く、しかし確かに私を人間たらしめうる情景があった。
錯覚だろうか? そうではないと信じたいが。
私は何を知るべきなのだろう。私には、何が足りないのだろう。
*A*
冬、私の日々は灰色の視界がそのまま記憶に張り付くかのように、単調に過ぎていった。
今年も変わり映えしない、なんて言ってしまうと、小さい頃の思い出を蔑ろにするようで心の隅が痛むけれど、少なくともここ数年はそうなのだから仕方ない。
冬の寒さを、寂しさを、どうして私は灰色と重ねるんだろう。薄くかかる雲は陽の光を遮ることなく、ぼんやりと霞んで見える空気はむしろ乾燥して澄んでいる。
街の色はきっと夏と大差ない。道行く人たちの服装が落ち着いているせい? クリスマスの電飾に冬の彩りは全て押し込められてしまったとか?
「茜隊員。」
「何でしょうメメ隊長。」
「そろそろ暖まったか、確認をお願いします。」
「わかりました。」
テーブルの真ん中には鍋が二つ。片方では普通に鍋をして、もう片方では日本酒を入れた徳利を湯につけている。
元々 3 人で鍋の予定だったのが、綾花も加わることになり大きめの鍋を綾花が持参したので一つ余った。何故かカセットコンロまで持ってきた綾花の気遣いを無駄にしないために、わざわざ熱燗をつくることにしたわけだ。
「メメ隊長、飲み頃であります。」
「うむ、皆に振る舞うが良い。」
潤いもある。楽しい時間もある。
けれど───
「芽吹さんに誘われれ来ましたけれど、お邪魔じゃなかったれすか?」
「うん? そんなことないよ。むしろ楽しいから。」
"夜明け前" の集まりに入ってよかったのか、綾花はまだ気にしている。確かに曲のことも話すけれど、綾花にも混じってもらった方が新鮮な心持ちになれるので居て悪いことなんてない。
先輩とあんまり話したことがないと言っていたから、先輩に対して萎縮している可能性はある。でも先輩はそんなこと気にしない。
というか、言葉とは裏腹に綾花からは遠慮している雰囲気はあまり感じない。何故って、静かにしつつも用意していたお酒を勝手に飲み続けているから。既に若干呂律が回ってない。
「神代さん、飲み過ぎじゃない? 大丈夫?」
「え、あ、大丈夫ですよ。大丈夫。あー、あー、あ、私はあっちれギター弾いてますから。」
アルコールの摂取量に関して、大丈夫な人は自分で大丈夫と言わない。そんなことは大学一年生ですら知っている。
「芽吹きさん借りるね〜。」
「うん? どうぞ〜。」
メメが答えたけれど、綾花が手に持ったのは私のミニギターだった。こじんまりとした雰囲気が好きでなんとなく買った、子供でも弾けるサイズのアコースティックギター。
「ふんふんふ〜ん、ふんふ〜ん。」
・・・何か歌い出したんだが?
綾花が歌うのは初めて聞く。ちょっとびっくりしてメメと先輩を振り向くと、二人も静かに綾花の歌に耳を傾けていた。
流石に酔っているせいか流れるような演奏ではないけれど、手癖に鳴らされるギターが奏で、鼻歌には時折歌詞も混じっている。
知らない曲だった。
らら〜
他愛無く自嘲するらけなら
みんなそうだねって笑ってくれる
あ〜うぅあ〜
ねぇ君は何になりたいの
そのためい何をするの〜
ふんふん〜
・・・
沢山のことがれきた
何一つ誇れなかった
そんなんつまらないえしょ
それがぁらら〜
ねぇ君は何になりたいの
そのために何をするの
ら〜らららるぅ〜
・・・
歌い終わると綾花は満足そうにギターを置いて、クッションを引き寄せて横になるとそのまま眠ってしまった。
初めて聞いた曲のメロディが、妙に耳に残っている。
ねぇ君は何になりたいの
そのために何をするの
私はまだまだ酔っていないのに、妙にぼんやりする頭で考える。
・・・ねぇ、私は何になりたいの。そのために何をするの。
私の冬はいつまでもモノトーンの寂しさでしかいられないんだろうか? いつか夏でさえ、冬の様に平坦な記憶を積み重ねるだけになるんだろうか?
そして私はいつまで、私を貶め続けるつもりなんだろうか。
「あぁ、そうだよね。」
「何か言った? 茜。」
本当は分かっている。多分、正しく理解している。
ただ認めたくないだけ。認めてしまうと、何もない自分と向き合い続けるだけの素晴らしくも耐え難い日々が待っていると知っているから。
「ねぇ、『緩やかに溶ける』に足りないものって、神代さんの声なんじゃないかな?」
柚子先輩が唐突に提案した。
殆ど完成しているけれど、3 人とも完全には満足できていない "夜明け前" 初めての曲。
先輩の言う通りな気もするし、決定的に違う気もする。よく分からない。
私は脳内で再生される綾花の歌、儚さと力強さが同居した不思議な声を、微睡の中しばらく繰り返し聞いていた。




