010 印象
平井堅 『ノンフィクション』
*w*
アーカードは期待通りの強さを示し、城の守りは問題なさそうだ。
唯一気になる点は、アーカードが城に踏み込んだ者たちにしつこく対話を求めることか。
「"彼ら" だった俺だからこそ、彼らを無碍にしたくない。」
「結論が変わらないとしても、か?」
「何故変わらないと決めつける? 俺は人の可能性を信じているんだ。」
それをお前が、私の言葉に耳を貸さなかったお前が言うのか。
思うところはあるが、アーカードとて魔剣ワルドに触れた身。何が最善か本能的に理解し、私との関係性の中で客観的に承知しているからこそ、外敵を取り零しはしない。
「お前の意図はともかく、俺は俺の理想を諦めていない。それがどんな形であろうと。」
「好きにするが良い。
所詮私と同じく囚われの立場。いずれ真実が訪れるなら、私とて望むところである。」
私たちは殆ど同じ目的のために存在していると、私もアーカードも理解しているからこそ、互いの言葉を深く聞き入れることができる。
黒衣を纏い黒い仮面で表情を隠したアーカードはもはや私そのものであり、私は次の "成果" の到来を心待ちにしている。
───
アーカードが私を代理し、十数回の戦闘に危なげなく勝利した後、私の矛盾の代弁者たるアナザンが再び城に踏み入った。
「久しぶり、になるのかしら?」
アナザンは以前と異なる力を宿し、前回は姿の見えなかったお供を連れている。
「・・・知っているぞ、アナザン=アキだな。そうか、魔王ワルドはお前に希望を見たのか。」
「そう言うあなたは、ワルドではないようね。」
「あぁ。俺の名はアーカード。見ての通り魔王ワルドとは共犯関係にある。」
共犯か。言い得て妙である。
「気にするな。アーカードは私であって私でない。」
「あぁ、そこにいたの。」
外套と仮面をアーカードに託した今、私の素顔を見るのはアーカードたち以後アナザンが初めてになる。
「・・・アーカードの存在は、私の仮説にとって中々悪くないわ。」
「俺を単なる手段の一つとして扱うのはやめてくれないか。」
「あら、ごめんなさい。けれどきっと、あなたにとっても悪くない結末に繋がるはずよ。」
アナザンの言葉にアーカードは険しい顔つきになるが、私もアナザンの言葉の意図を掴みかねている。
仮説とは何か、そしてどんな結末を思い描いているのか。
「まぁいい、所詮俺は守護者だ。・・・聞くとしよう、お前の "救済" を───」
───アナザンの提案は、理屈は通らなくもないが、到底受け入れ難い内容だった。
「ワルド自身が黒い世界で、黒い世界が破滅の運命の詰め合わせなのだとしても、ワルドの意識を司る部分まで運命を担う必要はないはず。ねぇ、考えてもみて。本当に崩壊だけが定めなら、ワルドの存在は無為でしかないわ。」
「あなたは運命と対峙できるだけの強さを持たされている。例えあなたを内包する世界が闇に呑まれるとしても、あなた自身には異なる運命を歩める余地がある。そうでなければ私は今ここにいない。」
「ワルドの言葉をそのまま受け入れたとして、何故わざわざ世界それ自体に意識が宿ったのか、ずっと考えていた。これは私の予想だけど、きっと黒い世界も "もっと大きな流れ" の中で負の側面を負わされているだけなのよ。それを魔剣は自覚して、緩和しようとしている。だからあなたはこの世界の、魔剣と対を成すもう一つの意志。」
「魔剣ワルドが世界そのものだとしても、ある側面では魔王ワルドはそうではないはず。それを、あなたは自覚しているでしょう?」
「・・・だから、私と旅に出ましょう。あなた自身を探す旅。あなたの強さを見つける旅。」
「黒い世界は襲撃の全てを記憶していると言ったわね。そしてあなたは私の世界への道筋を創ってみせた。魔王が城に引きこもっている必要は無いと思うの。それにきっと、あなたはもっと多くを知るべきなのよ———」
確信を微妙に避けた言葉たち。しかし要するに、私の認識が間違っているだけで実は私は黒い世界の善的な側面で、私の力を私は正しく理解していないと言いたいようだ。
分からなくもないが、旅云々などと言われても実感が湧かない。
・・・いやそもそも受け入れ難いなどと考えている時点で、私が魔剣やこの城に囚われていると云うアナザンが指摘した前提を、私自身が無意識から外しているのだとも考えられるか。
「面白いじゃないか。魔王ワルド、お前も薄々彼女と似た考えを持っていたのか?」
「お前に何が分かる。」
「分かるさ・・・だからこそ、俺を召喚したのだろう。」
アーカードの表情が妙に勘に触る。
「端的に言うけれど、私にとっては結局、選択肢は一つ。ただ手段が二つあるだけ。」
アナザンはお供の精霊と戯れつつ告げた。
「私があなたの世界を壊すか、あなたがあなたの世界を壊すか。」
*-*
時間は絶対的な均質性を宿す反面、相対的にしか理解されない。
歳を重ねるに連れ月日の移り変わりが早く感じられるのは、一秒の価値が薄まるためか、あるいは一秒を消費する主体の感受性が摩耗したためか。
概念存在たちの住む領域では彼らが創造した世界の時間軸と基本世界との関係性もあって、時間はより歪に流れている。
「クレアちゃん、久しぶり。元気にしてた?」
綾花が大学に進学したとハルから聞いたクレアは、地元の国立大学を訪れていた。
転生前はクレアもハルとして同じ大学を卒業しているため、懐かしさ半分、戻れない過去の象徴としての寂しさ半分に。
「私は相変わらず。綾花ちゃんは、思ったほど垢抜けなくて良い感じだね。」
「垢抜けないって、複雑だなぁ・・・。クレアちゃんも大学は出てるんだよね? 見た目が変わらないから違和感あるけど。」
「ハハっ。」
乾き気味に笑って誤魔化すクレアを、いつも綾花は深く詮索しない。
両親の友人であり遠い親戚でもあると聞かされている、けれど言葉通りの関係性とは思い難いクレア=ソロジーという女性。記憶を遡っても姿や雰囲気の変わらない不可思議な存在であるクレアに対して、綾花は綾花なりの距離感を築いてきた。
「クレアちゃんは音楽、好き?」
「好きだよ。古い曲しか知らないけれど。」
「そっか。私、軽音部に入ってるんだ。バンドは初めてだけど、楽しいね。」
「パートは? キーボード?」
「キーボードとギター。お父さんに入学祝いで新しくギターを買ってもらったの。」
「いいね。歌もやってみたらいいよ。」
「それは気が向いたら。」
朗らかに笑った綾花と別れ、クレアは幻影魔法に身を隠して軽音部の部室に向かった。ハルだった時代、入り浸ってギターを弾いていた部室だ。
部室では 3 人の女学生が楽曲の練習をしているところで、クレアは陰ながら彼女たちの演奏を聞いた。
「先輩先輩。ここ、何か雰囲気が出ない気がするんです。」
「うん? あぁ、前ノリが掴めたら違うと思うけれど・・・とりあえず bpm 通りを繰り返して、もっと 3 人が纏まってからでいいんじゃないかな。」
演奏から明らかだが、会話からもドラムは経験者、ベースは初心者なのだと分かる。
「いやぁすみませんホント、私が全然なばっかりに。」
「メメはセンスあるよ。私が保証する。」
「先輩に言われると、何だかその気になっちゃいますよ?」
メメと呼ばれたギターボーカルも、ベース同様に初心者のようだった。
クレアは彼女たちの練習を暫く聞いた後、思い立って街中の "スタジオ" に向かった。
スタジオはバンドや歌、管弦楽の練習ができる防音室を管理する店のことで、クレアの記憶にあるスタジオは潰れていたものの、近くで盛況な店がすぐに見つかった。
「流石に全然知らない曲ばっかりだな・・・。」
スタジオの各ブースに忍び込んでは出てを繰り返し、クレアは誰にともなく呟く。転生してからですら 20 年以上、基本世界での時間もそれなりに経過している。
流行りの曲どころか、演奏されている曲の中にどういうジャンルかすら分かりかねるものがあったことに、クレアは綾花の成長では意識しなかった "時代の移り変わり" を突き付けられた様に感じた。
「おぉ、これは案外・・・。」
しかし、とあるブースで立ち止まったクレアは、時代を超越する音楽の力を全身で感じることとなった。
当時バンドをしていた誰もが一度はコピーし、憧れたそのバンド。
もはや古典とすら言えるだろう懐メロを演奏する 4 人組は曲に没頭している。各パートは完全に分離可能な鮮明さを保ちつつ、絶妙な協調を経て、心地よい衝動を伴って空間ごと調和していた───
懐かしさだけでない充足感に満たされたクレアは、名も知らない彼らとの偶然の出会いに感謝し、そして模索していた問題の解決案を一つ思いつくに至った。




