第七話 忌まわしい再開
志月は事の詳細を語り始めた。
「根倉さんは、転校生なのよね。この学校で最初に起きた事件は知っているかしら」
その言葉を聞いたネクラの体がピクリと反応する。
「転校初日に、ウワサ程度に聞いた事があるくらいで、詳細までは」
ネクラは動揺を悟られない様に誤魔化した。
「事の発端は今年の夏、2年3組のとある女子生徒が旧校舎の屋上から身を投げた事から始まったの」
やはり、最初に起きた事件とは自分の起こしたものだった。
ネクラはあるはずのない心臓が激しく脈打つ錯覚にとらわれる。
「そうなんだ。原因は?」
ネクラは他人事の様に聞いた。
志月はネクラの動揺に気付く様子もなく話を進める。
「遺書とかはなかったみたいなんだけど、その子の両親や。クラスメイトの証言から、いじめが原因なんじゃないかって言われているわ」
「両親が、証言……」
ネクラの脳裏に、両親の姿が蘇る。
いじめで悩んでいる時には真剣に相談に乗ってはくれなかったが、一人娘の自分をここまで育ててくれてくれたし、いじめの件を除けば優しく、立派な両親だったとネクラは思った。
実際、生活には不自由はしていなかった様に思う。
事後とは言え、自分の事をちゃんと学校に話してくれたていた。自分に無関心なわけではなかった。
その事実にほんの少し、ネクラ喜びを覚えた。
今思えば、両親は子供の自主性を尊重する人間だった。
おそらく、いじめを相談した際も、今はつらい思いをしているが自力で這い上がってくるだろうと思っていたのかもしれない。
ただ、当時の自分はあまりに弱りきっていて、両親のそう言った思惑に気が付かなかったのかも知れない。
少し、ほんの少しだけ、信じて待つだけでなく、自分の心の限界を察して、手を差し伸べて欲しかったと思わないではなかったが。
そんな思いが巡り、ネクラは両親を残して来てしまった事を、今更後悔した。
時間にして数秒、そんな風に呆けていたからか、志月が心配そうにネクラに呼びかける。
「ネクラさん。大丈夫?こう言った話は苦手だった?」
「あ、ううん。違うの。その子のご両親、気の毒だなって思って」
ネクラが本心を含めて苦笑いで返すと、志月も苦い表情になる。
「そうね。でも、そのご両親がとても必死に訴えたから、学校側も重い腰を上げて動いたわけだし、その女子生徒の落書きまみれの上履きや机とか、その女子生徒が先生に相談していた事実とか、言い逃れできない証拠がたくさん出てきたの。それはひどい有様だって聞いたわ」
実際にその被害にあったのは自分だったため、その記憶を思い返したネクラは固く口を結び、溢れ出そうな怒りと口惜しさを何とか飲み込んだ。
「当然、この事はマスコミにも取り上げられて学校側は謝罪。それでも世間は一人の女子生徒を追い込んだこの学校を、マスコミは連日報道し続けた。携帯を片手にした正義気取りの一般人もいたわ」
正義気取りの一般人とは、恐らく勝手に突撃取材をしてネットに自作動画を公開する人たちの事だろう。
そう言った人間も、もちろんマスコミも、事件がある度に面白おかしく記事や動画を公開するのだ。
志月によると、報道陣や面白半分で騒ぐ一般人で連日の様に人が溢れていたらしい。
校門前は連日たくさんの人が我先にと取材に訪れ、生徒も教員も、連日に様にインタビュー目的で追い掛け回され、大変な思いをしたそうだ。
「中には亡くなった女子生徒を批判する内容の記事もあって、すごく辛かった」
被害者である自分の事も、少なからず悪く書かれている可能性がある。そう思うとネクラは暗い気持ちになった。
その雰囲気を察してか、志月が遠慮がちに言った。
「でも、形はどうあれ、学校はいじめの事実を認めたわけだし、亡くなった女子生徒も少しは浮かばれたと、私は思いたい」
「うん。そうだね」
ネクラとしては人生を終わらせたかっただけであり、いじめの事実が世間に露呈しようがしまいが、そんな事はどうでもいい事だった。
しかし、両親も、学校も、行動する気持ちが少なからずあったのであれば、自分が命を絶つ前に行動して欲しかったとネクラは思った。
「でもね、悲しい事けど、どんなに凄惨な事件でも、時が経てば薄れるし、忘れてしまう事だってある」
「うん」
悲しそうに語る志月に、ネクラも悲しそうに返答する。
「旧校舎での事件が、学校内でも、世間でも薄れ始めたころ、また事件が起こったの」
「事件……」
それが死神の言っていた『自分より後に命を絶った人間』の事であろうと察し、ネクラは身構えた。
「また2年3組の生徒が、今度は体育倉庫で命を絶ったの。体育倉庫にあったロープで首を吊っていたそうよ」
やはり、そうか。とネクラは確信する。
「体育倉庫って、先週先生が亡くなっていた場所?」
ネクラの言葉に志月が驚いて瞳を瞬かせる。
「そうよ。先週の事件、よく知っていたわね。その時はもうこの学校に来ていたのかしら」
「う、ううん。丁度この学校への転校が目前に迫っていた時に、ニュースを見て驚いたの」
本当は今さっき、職員室に侵入した際に得た情報なのだが、ネクラは適当に誤魔化した。
「じゃあ、それ以外の事件は?」
「それ以外?」
ネクラが疑問で返すと、志月は頷いて言った。
「体育倉庫で生徒が首を吊ってから……多分1週間後ぐらいだったと思うけど、2年3組の生徒が3人、立て続けに怪死すると言う事件が起こったの。杉本先生で4回目ね。先生は3組の担任だったわ。皆、同じ亡くなり方をしたそうよ」
「四肢が、ひどく欠損していたってやつだね」
「ええ。しかも、4人とも体育倉庫で亡くなっていたのよ」
志月が眉をひそめながら言う。
ネクラは疑問を持った。
「立て続けにそんな事件が起こった場所なんて、取り壊しにならなかったの?」
「もちろん。そう言う計画もあったみたい。でも、取り壊そうとする度に工事の人が何人も怪我をして、取り壊し計画はストップしてしまったの」
「工事の人まで被害が……」
ネクラが困惑し、志月も顔を俯かせる。
「最初の首吊り事件の後は、警察による立ち入り禁止が解除されてから、なるべく日程を空けて使用していたけど、その後に立て続けに人が亡くなった人たちの状況があまりにも悲惨でしょう?怪我人が出るから取り壊しもできないし、それに、ほら、血とかも飛び散ってしまっているから、特殊清掃をお願いして、できるだけ綺麗にして、使い物になる必要最低限の物だけ体育館の小さい倉庫に移してからは鍵をかけて立ち入り禁止にしているのだけど……」
言い淀んだ志月の言葉をくみ取る様にネクラが言った。
「被害者は何故か体育倉庫で亡くなるんだね」
ぎこちなく志月は頷きながら言った。
「ええ。人が近付くとしたら、毎回先生が見回りに行くぐらいかしら」
「亡くなった人たちに、所属クラス以外で共通点はあるのかな」
「そうね、2年3組だと言う事以外だと……」
志月は少し考え、それから言った。
「亡くなった生徒たちは、旧校舎から身を投げた生徒をいじめていたらしいわ。多分、首を吊っていた生徒も、その子をいじめていたと聞いた覚えがあるわ。杉本先生については、わからないけど」
「え……」
ネクラは顔を引きつらせた。
また、体が冷たくなっていくのを感じる。
「だからね、変な噂が立っていて……」
「変な、噂……」
なんとなく言葉の先が予想できたネクラは、ただ言葉を繰り返した。
そして、志月は暗い表情で、言いにくそうに答えた。
「旧校舎から投身自殺をした生徒の呪いなんじゃないかって」
呪い、その言葉を聞いたネクラに緊張が走る。
違う、私じゃない。そう言った思いがネクラの中を駆け巡る。
「の、呪いだなんて、そんな……。身を投げた女子生徒は遺書も何も残していなかったんでしょう。恨みなんて、持っていなかったのかもしれない。その子のせいするなんて、ひどいよ」
ネクラは必死に、自分ではないと訴える様に言った。
志月はその様子に少し戸惑っていたが、ネクラをなだめる様に言った。
「落ち着いて、根倉さん。確かに、こんな事件を亡くなった人のせいにするのは良くないと、私も思うわ。でも、状況的にそう思っている人がこの学校に多い事も事実よ」
「そんな……」
ネクラは悲し気に、そして悔し気に目を伏せた。
その様子を、志月もやはり悲しそうに見つめ、そして重い空気を断ち切る様に言った。
「さあ。私が知っている事はここまでよ。ほとんどが伝え聞いたもので申し訳ないけれど。お役に立てたかしら」
優しい声色で言われ、ネクラも気持ちを切り替えて笑顔で返す。
「うん。ありがとう、墨園さん」
「どういたしまして。さ、お昼休みが終わってしまうわ。昼食を済ませましょう」
そう言って、志月は自分の弁当箱を広げた後、ふとネクラの手元を見た後、不思議そうに言った。
「あら、あなた、昼食はどうしたの」
「え、ああ。慌てて来たから、教室に置いて来ちゃった。今から戻って食べるよ。お邪魔しました」
そう言えば先ほどから、空腹になる気配を感じなかった。恐らく、既に亡くなっている身であるため食べる必要がないのだろう。
そう悟ったネクラは誤魔化すように立ち上がった。
一緒に食べるつもりだったのか、志月が残念そうに言う。
「そう。残念だわ。またお話ししましょうね。今度は楽しいお話がいいわ」
「うん、そうだね」
また今度、本当にその日が来ればいいな。とネクラは思った。
志月の事を初対面ではもっと真面目で融通が利かないタイプだと思い込んでいたが、実際に会話をしてみると、良い人だった。
印象だけで、人を判断するのは良くないのだなとネクラは感じた。
笑顔で手を振る志月に、自分も手を振り返し、ネクラは文芸部を後にした。
志月と別れた後、ネクラは件の体育倉庫へとやって来た。
ここで亡くなった人間の死に様は首吊りを除き、明らかに人間業ではない。
恐らく、自分が探している悪霊が関わっているに違いない。
ネクラはそう思い、この場所に訪れた。
「うーん。外から見た感じは普通かぁ。特に何も感じない」
何も感じないのは元々自分に霊感がないからだと思わなくもないが、と思いつつもネクラは体育倉庫に近づく。
ネクラが通っていた学校の体育育倉庫は一般的な学校とは異なっていた。
スポーツにも力を入れたいと言う現校長の意向で、大きく改修されたくさんの体育道具やスポーツ用品が収納できるようになった。
その縦にも横にも大きい出で立ちは倉庫と表現するにはあまりに大きく『蔵』や『コンテナ』といった表現がふさわしいと言える。
それなりに体育道具が収納されていたが、生徒数人が走り回れる余裕がある広さだったとネクラは記憶している。
倉庫の中には古いものから最新鋭のものまで様々な体育道具が収納されていたが、怪死事件でほとんどが使えなくなってると志月が言っていた事を思い出し、もったいないなとネクラは思った。
例え鍵がかかっていたとしても、すり抜けが可能である自分には造作もない事だが、人が何人も亡くなっている場所だと聞いてしまうと、いくら自分が死人と言う意味では悪霊と同類と言えど、恐怖を感じていた。
「でも、こんな事で躊躇していたら、いつまで経っても悪霊を見つける事なんてできないし、他に被害者も出る可能性もあるし」
ネクラは深く息を吸い、意を決して体育倉庫に歩を進めた、その時だった。
「なに、あんたもサボり?」
背後から気だるげな声がして、ネクラは反射的に振り返った。
そして息を飲む。
頭と背中が、すうっと冷たくなるのを感じた。
声も詰まり、ただ口を数秒パクパクしていたが、何とか声を絞り出す。
「一目さん」
青ざめるネクラの前には、肩までのウェーブがかった派手な茶色い髪に、袖のホックを外して肘まで捲り、スカートの丈を膝上まで折り上げて、ローファーを躊躇なく踏みつぶした、派手な化粧を施した女子生徒が気だるそうに立っていた。
ネクラはその人物に見覚えがあった。否、忘れるはずがなかった。
一目優妃。かつて、ネクラをいじめていた人物の一人で主犯格とも言える人物だった。
生前、ネクラが最も恐れた人物が、目の前にいる。自分を見ている。その事実にネクラの体がヘビに睨まれたカエルの様に動かない。
優妃がネクラに一歩ずつ近づいてくる。
突き飛ばされる、髪の毛を引っ張られる、水をかけられる、それを声高に、楽しそうに笑いながらいじめられた際の記憶が次々とフラッシュバックする。
ネクラが恐怖で身を固まらせている間に、ついに優妃はネクラの目の前まで距離を詰めた。
ネクラは反射的に目をつぶる。
すると目の前の彼女は、ネクラにとっては予想外の態度を示した。
「ここ、アタシのサボり場所なんだ。誰も来ないし、最高だよな」
馴れ馴れしいその態度に、ネクラは呆気にとられる。
そう言えば、今の自分は当時の姿とは天と地ほど変わっていた事を思い出す。
ネクラは既に死んでいるわけだし、恐らく、優妃も目の前にいる人物が、かつて自分がいじめていた人物と同じだとは万が一にも思うまい。
あの優妃が自分に対してあまりにも呆気からんとした態度を取っているため、ネクラはそう結論付けた。
心の隅で少し、何か違和感を覚えた様な気がしたが、恐らく自分がこの状況に戸惑っているせいだろうと思い、気を取り直した。
「そうなんだ。ごめんね、邪魔したかな」
自然に、あくまで自然な態度を心がけ、ネクラは言葉を発する。
「別に、邪魔じゃねーけど。あんたみたいなフツーな感じの奴がサボってるのは珍しいなと思って声かけただけだよ」
そう言われて気が付く、昼休みが終わっているのだ。
ふと見上げれば、体育倉庫近くに建つ校舎の窓から勉強に勤しむ生徒たちの姿が見える。
「授業中にちょっと気分が悪くなっちゃったの。保健の先生に相談して、早退しようと思っていたところで。ここへは……そう。帰る前に空気を吸いに来たの」
「ふーん」
ネクラは冷や汗が出そうな勢いで嘘をでっち上げたが、優妃は特に不振がる様子もなく、興味なさげに頷いた。
「でもさ、あんた女子なんだし、あんまりここに来ない方がいいぜ」
「えっ」
不意にそんな事を言われ、ネクラは瞳を丸くする。
「何、あんたここの生徒のくせに、この体育倉庫の噂、知らねぇの」
今度は優妃に怪訝そうに言われたため、ネクラは慌てて取り繕う。
「凄惨な事件があったって話だよね。そうだね、こんな所にいちゃいけないよね」
「そうだな。あんな事件があってからは、センセーすらここに寄り付かない。人気がなくて都合がいいから、アタシも最近この辺ではサボるけど、あんまり体育倉庫には近寄らない。あんな死に方したくねぇしな。あんたもそう思うだろ」
「そ、そうだね。気を付けるよ、じゃあね」
優妃がいる限り、体育倉庫の調査は無理だと悟り、放課後もう一度ここへ来ようと考えた。
何より、生前一番苦手だった人物と同じ空間にいたくないと言うのが本音だった。
ネクラは誤魔化す様に愛想笑いを浮かべながら、ネクラはその場を去ろうと歩を進めた。
「なあ。あんた」
「はいっ」
丁度ネクラが優妃の傍を通過した時、つまりは背中合わせの状態になった時、先ほどまでとは異なった強い口調で呼び止められた。
突如として空気が張り詰める。
「あんたさ。――――に似てるな」
「えっ」
優妃が言葉を発したが、一部がノイズとなり聞き取れなかった。
さらに、そのノイズはネクラにとても不快な印象を与えた。
顔を歪ませ、明らかに苦悶の表情を浮かべるネクラに構うことなく優妃は責め立てる様に言う。
「もしかして、あんた――――じゃないのか。化けて出てきたってのか。おい答えろ。お前は――――なのかっ」
優妃は先ほどまでの態度とは打って変わって、強い口調でネクラに迫った。
その狂気とも、怒りとも取れる激しい勢いと、繰り返されるノイズにめまいを覚えたネクラは責め立てられる恐怖と、立て続けに紡がれるノイズの不快感に耐えきれず、思わず立ったまま頭を抱える。
ネクラは直感的に思った。優妃から繰り替えされるノイズの正体、状況からしてそれは、かつての自分の名前である事が推測された。
ネクラはめまいと不快感に耐えながらも、死神の言葉を思い出す。
『因みに、生前の名前はどう足掻いても思い出せない様になっているから、考えるだけ無駄だよ。仮に死神補佐の仕事中に君に縁がある人間と関わる事になったとしても、君が生前の名前を思い出す事はないし、知る事もできない』
あの時の言葉はこう言う事だったのか。
そう思っている間も、優妃の激しく、狂った様な問い詰めは続く。
「おい。聞いてんのか――――だろ、お前は――――なんだろっ」
「……っ」
ネクラのめまいがついに限界まで達した。
このままではとても危険な気がする。そう感じたネクラは、息を吸い、優妃に負けない様に大きな声で言った。
「わ、私のなまえ、はっ、ネクラですっ」
その絶叫を聞き、優妃の問い詰めが嘘の様にピタリと止まる。
そして、優妃は暫くの間、疑わし気にネクラを見つめていたが、ゆっくりと口を開いた。
「ネクラ?――――じゃないのか」
「ち、違います」
ネクラがきっぱりと否定すると、優妃はスッと静かになった。
先ほどまでの狂気的な雰囲気はすっかり消え去り、そして落ち着いた様子で言った。
「そうか。悪いな、興奮しちまって。知っている奴に似てたから、ついな」
「ううん。気にしないで。それじゃあね」
「ああ。気ぃつけて帰んな」
優妃が何事もなかったかの様に、いたずらっぽい笑みを手を振りながら、ネクラを見送る。
ネクラは頭を下げながら、そそくさとその場を去った。
体育倉庫前には、優妃だけが残された。