【番外編】 気に食わない同僚 ~死神とカトレアの昔ばなし 中編~
2人は目的の小学校に到着した。日はすっかり落ち、辺りはシンと静まり返り闇に包まれている。聞こえてくるのは虫や鳥の鳴き声ぐらいだ。
門の外から小学校を見やりながら、女性はふと思い出した様に男に言った。
「そう言えば名前、聞いてなかったわよね。私はカトレアと名乗る事にしたの。現世に咲く花の名前なの。素敵でしょ。あなたは?」
自らをカトレアと名乗る女性が自信たっぷりの自己紹介をした後、男は首を傾げて何の事かと言う表情をしていた。
「名前?そんなの考える必要があるのか?」
けろりと言ってのけた男にカトレアは瞳を丸くした。
「まさか、名前を考えないつもりなの?」
「名前なんて生者が現世に存在するために必要なものだろ。死神には必要だとは思えないけど」
男が素っ気ない態度を取ると、カトレアは腕組みをしながら呆れた様子で言った。
「それはあなたの主観でしょう。今後、死神見習いや補佐に教育する時には必要になると思うの。仮でもいいんだから何か考えておいて方がいいんじゃないの」
その言葉に男は心底迷惑そうな表情を浮かべた。
「余計なお世話だよ。自分の名前なんて適当に呼ばせておけばいいさ。君も俺の事を好きに呼べばいい。俺は文句は言わないから」
あくまで考えを変える気のない男にカトレアはうんざりとて溜息をつく。
「はあ。あなた、変わった死神ね。何て言うか、とっても頑固。仕事前なのに疲れたわ」
「それは奇遇だ。俺もだよ」
2人の間にピリついた空気が流れるが、カトレアの方が何とか感情を抑えて小学校を見ながら言った。
「どうでもいい話はここまで。そろそろ仕事に取り掛かりましょう」
「ああ。早く終わらせたいね」
2人の死神は闇に包まれる小学校へと足を踏み入れた。誰もいない校舎に入り、男が物珍しそうにあたりをキョロキョロと見回す。
「へぇ、結構キレイなところじゃん。悪霊がいるとは思えないね」
「遊びに来ているんじゃないのよ」
仕事中にも係わらずはしゃぐ男をカトレアが叱るが、男はヘラヘラとしていた。
「だって、俺、今日自分が死神って自覚したんだよ。だから現世に来るのも初めてなんだよ。不思議とそれなりに現世の知識は備わっているけど、自分の瞳で見るのはこれが初」
「……あなたもそうなの。私も今日、死神として存在する事になったのよ」
意外な返答に男は驚きを見せ、そして生まれて来た好奇心を抑える事なく、ずいっとカトレアに詰め寄る。
「え!そうなんだ。あれだね、現世の言葉で言う同期!そんで新人!同じ立場の者同士、仲良くしようよ」
男はつい先ほどまでカトレアを気に食わないと思っていたが、親近感がわいたのか急にカトレアに対して友好的な態度をとる。
しかし、カトレアの態度は変わらなかった。ツンとした態度を改める事なく男の向かって冷たく言った。
「仲良くはお断りね。仕事のパートナーとしてなら考えてあげるわ」
「もー。素っ気ないな」
男が顔を膨らませて拗ねるが、カトレアはしれっとして真っすぐ前を向いたまま歩みを進めていた。
会話もなくなり、互いに無言で歩き続ける事数分。男は沈黙で退屈になったのか、カトレアに話しかける。
「今回の悪霊はどんな奴なのかな。今日が初仕事だから気になるんだよね」
少しウキウキしている男にカトレアが信じられないと言った視線を送る。
「まさか……あなた、詳細をちゃんと見てないの?」
「ざっくりとしか見てない」
男が正直に言うとカトレアは仕方ないわねと悪態をつきながら説明を始めた。
「この小学校に憑りついているのはいじめを苦に自殺した子供の霊よ。その子の死後、立て続けに人が行方不明になったり、亡くなったりする事が増えているの。今もその現象は続いているみたいね」
「ん、複数の霊って書いてあった気がするけど、憑りついているのは1体だけなのか」
男が端末を見て情報を確認しながら聞くと、カトレアは神妙な顔つきで言った。
「そこなのよね。悪霊がこの学校に憑りついてから何人もの死神が折檻にやって来ているらしいど、何度倒してもいつの間にか悪霊が湧き出て同じ悪行を働いているみたいなの。だから、複数の悪霊が憑りついているって事になっているの……って書いてあるでしょ」
「あ、ホントだ。書いてある」
呑気に端末を確認している男にカトレアが呆れて溜息をつくと男は端末をしまい、にこりと笑って言った。
「小さい画面見るより君に聞いた方が早いや。ねぇ、空間を歪めて生者を取り込んでいるってどういう事?」
男が全て自分させる気だと悟ったカトレアはジトリと男を睨みながらも、情報共有を怠り仕事の妨げになっては困るので説明係になる事を受け入れた。
「……その子、悪霊なのに自我と知性があるみたいなの。悪霊と言うよりは妖と言う方が近いかもね。普段は異空間に潜んでいるみたいなの。人間を襲う時はその空間に引きずり込んで事に及ぶみたいね」
「へぇ。子供の霊のくせに中々賢い事するねぇ。空間を歪めれば例え死神だって辿り着くのは困難だもんね」
カトレアは悪霊に感心する男に何度目かの呆れた視線を送り、こういう奴に文句を言っても無駄だと自分に言い聞かせ、湧き上がるイラつきを抑えた。
「でも、なんで夜に来たの」
カトレアが隣で怒りに肩を震わせているとも知らず、男がケロッとして質問を続ける。
「悪霊の被害に遭ったのは夕方から夜にかけて学校に残っていた者たち。その時間帯が悪霊の力が最も強くなる時間と言えるわね」
「学校にそんな遅くまで残っている奴なんているのかな」
男は学校と言うものを知識でしか知らないが、遅くまで残る様な場所ではないと言う事だけはわかる。疑問に思い首を傾げると、カトレアは素っ気なく返した。
「知らないわ。でも、実害が出ているのだから、遅くまで残っていた人がいたんでしょ。もしくは昼の間におびき出されたか」
そこまで説明したカトレアが歩みを止める。男もそれに倣って歩みを止めると目の前には、2人の全身が収まるほど大きな鏡が壁に埋まっていた
「これ、この鏡から悪霊の気配がするの。恐らく悪霊が時空を歪めるために使っている媒介じゃないかしら。今は繋がっていないみたいだけれど」
「じゃあ、これを破壊すればいいわけだ」
死神が今は何の変哲もない鏡に触れると、カトレアが冷静に頷いた。
「ええ、そうね。そんな簡単に済んだらいいのだけれど」
カトレアが言い終わると同時に、体を翻す。死神もほぼ同時にその場から飛びのいた。すると突然渡り廊下に亀裂が入り土煙が上がる。
2人が振り向くとそこには、黒いスカートに白いブラウスを身に纏った、おかっぱ頭の小学校低学年ぐらいの小さな少女が2人を見据え、佇んでいた。
前に突き出された左手からは微量の霊力反応が感じられ、彼女が力を使い渡り廊下に亀裂を入れた事は間違いないと2人は確信した。
「すごいねぇ。今のが避けられるなんて、お兄ちゃんたち何者?」
少女が楽しげに笑いながらもう一度手を前に出す仕草をすると、白い小さな手から黒い触手が数本生え出て、2人を捕えようとものすごいスピードで迫って来た。
2人はその攻撃も軽やかに躱す。そして同時に大鎌を取り出し、次の攻撃に備える。
「あの子が悪霊ね。子供なのに随分と力があるみたいだけど」
「大方、殺めた生徒の魂を吸収して力をつけたんだろう。で、どう倒す?」
男がカトレアに聞くがカトレアは首を横に振る。
「あの子を倒すだけなら何とかなりそうだけど、複数いるかもしれない相手に下手な行動はとれないわ」
「だよね。でも、本当に複数いるの?見る限りではあの子1人だけど、本当に複数いるの?気配すら感じないけどって、うわっ!危ないっ」
男の顔面に触手が当たりそうになり、慌ててしゃがみ、その後冷や汗をかきながら後ろへ飛び退いて少女と距離を取る。
「ちょっと!顔を狙わないでくれる!?痛いし、顔が崩れたらどうするの!」
「え、あなたそんなボサボサな髪の毛と地味な見てくれのくせして美意識があったの!?」
カトレアが意外そうに言い、男がふんと鼻息を吐きながら自慢げに言った。
「俺、顔だけはイケメンにしてるからね。どんな姿でも決まってない?」
「あっそ。残念ながら私にはそうは見えないけれど」
キリッと決め顔をする死神にカトレアがどうでもよさげに返答し、触手を振りまわす少女に向き直った。
少女は死神と言う存在を目の前にしてもクスクスと笑いながら、まるで遊び相手を見つけたかのように楽しんでいる様にも見えた。
「ちょっと君、死神をバカにしてるよね」
男が眉間に皺を寄せながらきつめの口調で問い詰めると、少女は小さな口を耳まで釣り上げたにやりとした笑みを浮かべて言った。
「だって、私のところに来る死神は私に勝てないんだもん。みぃーんな私を倒したと思い込んで私を置いて帰っちゃうの。それはとってもおかしいわ」
少女は口に手を当ててクスクスと笑う。その間にも彼女の小さな体から生える触手が2人にいつでも攻撃を仕掛けようとグネグネと動いている。
「あああ、もう!ムカつく!余計な事は考えない。とりあえずあいつをたたっ斬る!」
子供の姿で余裕を崩さず、こちらをバカにするような態度と挑発を仕掛ける少女に腹が立った男は、鎌を持ち直して前傾姿勢で少女に向かって走り出す。
「あっ!バカっ、待ちなさい」
カトレアが男を制するが時すでに遅く、男は目にも止まらぬ速さで駆け抜けて行く。
大鎌を持った男が自分の元へものすごい速さで接近しているのにも係わらず、少女はクスクスと笑いながら体中から触手無数の触手を生やし、男を攻撃する。
しかし、男は全てそれを避けきり、ついに少女の目の前まで辿り着き、容赦なく大鎌を横に振るった。
「きゃっ」
大鎌は見事に少女を捕え、少女の姿は霧となってかき消えた。が、男には違和感がった。
まったく斬った感覚がなかったのだ。
「後ろよっ」
「わっ」
違和感のせいでぼんやりとしていた男はカトレアの鋭い声で意識を引き戻され、間一髪で触手による攻撃をかわした。
「あーあ。残念。声をかけるのは反則だよ。お姉ちゃん」
少女は男に攻撃を当てる事ができず、頬を膨らませて残念そうにしていた。
男がいた場所がクレーンで掘り起こした様に穴が開いており、あの場に居たらさすがに危なかったと胸を撫で下ろした。そのままカトレアがいる方へと跳躍で戻る。
「どう言う事。あなた、あの子を斬ったんじゃないの?」
「斬った。けど、感覚がなかった」
「えっ」
己の手を見ながらそう言った男をカトレアが瞳を丸くして見つめると、甲高く舌足らずな子供の笑い声が響いた。
「あははははっ。無理だよ。死神さんたちに私は倒せない」
2人の目の前に先ほどの少女が現れる。そしてまた、にやりと笑って言った。
「もっと、もっと一緒に遊ぼうよ」
続く