第五話 潜入捜査、始まる。
ターゲットの一人は自分。
それは一体どういう事なのか、少女は訳が分からなかった。
「ここの悪霊はこの場所によほど強い恨みを持っているみたいだね。ここの生徒や教員が既に何人か悪霊によって命を奪われているみたいだ。どうやらまだ恨みを晴らしたりないらしい。しかも、その殺してやりたいほど憎い内の1人が君みたいだ」
まあ、君はこの世にいないからこの悪霊も君を恨むだけ無駄なんだけど。と死神は笑っていた。
「ターゲットって事は、私は恨まれているって事ですよね。どうしてですか、私、人に恨まれるような事なんてしていませんっ」
少女は興奮気味に叫んだ。
むしろ、恨みたいのは、憎みたいのはこちらの方だ。
毎日の様に苦しめられた日々が、少女の頭にフラッシュバックする。
わざと聞こえる様に紡がれる、笑い声と好奇の視線を混じらせた心無い言葉、毎日の様に紛失される持ち物、泥や油性ペンで汚される上履きや机……思い出せばきりがない、吐き気がする様な毎日。
「私は被害者ですよ。周りの人と違って人を貶めた事なんてないし、貶め様とも思わなかった。ひどい事をたくさんされて、一度も抵抗すらできなかった。それなのに、どうして私が恨まれなければならないのっ」
怒りと口惜しさが込み上げてきた少女の拳が固く握られる。
死神は無表情でその様子を見つめ、少女の言葉が途切れた事を確認した後、冷静に言う。
「それは、悪霊本人に聞けばいいよ」
それは、極めて当たり前の一言だった。
「簡単に言うんですね」
「だってそれ以外、方法がないだろう」
「どうして、私が恨まれているとわかるんです」
「仕事に関する情報は全部この端末に入ってくるから。悪霊が何に、もしくは何処に執着して誰を恨んでいて、誰がターゲットになるのかが送られてくる」
送られてくる、と言う事はこの死神に支持を出している者がいると言う事か。そう思った少女は聞いた。
「あの、死神の社会ってどういう仕組みなんですか。他にもたくさん死神がいると言っていましたが、その死神たちを取りまとめる人がいて、その人が支持を出しているんですか」
「いや、そんなのは存在しない」
死神はきっぱりと言った。
少女は疑問を深める。
「え、じゃあその端末に入る情報はどこから……」
「現世で人間が亡くなる度に、死神の力量に合わせて仕事が自動で入ってくる仕組み。難易度も様々。で、仕事を受けると自動的に悪霊の情報を始めとする仕事の詳細が入ってくる。ただそれだけ。他の死神も同じだよ」
「そうなんですか」
やはりよくわからないが、これ以上聞いても同じ様な気がするので、追及はしなかった。
「それじゃ、そろそろ潜入捜査を始めよう。初仕事頑張ってね。根暗ちゃん」
ポンと肩を叩かれ、少女は死神を凝視した。
「ええっ。私1人で行くんですかっ!?あと、根暗ちゃんって呼ぶのやめてください」
「あたり前だよ。輪廻ポイントを貯めるのは君でしょう。さっさと悪霊を見つけて来てね。ネクラちゃん」
予想外の言葉に少女は動揺していたが、死神は二つの抗議をさらっと流すかの様な態度だった。
あと絶対にわざと改めて『根暗ちゃん』と呼ばれた気がした。
しかし、不安が募っている少女も引かない。
「1人は無理ですよ。探し方もわからない上に、私を恨んでいる人に心当たりなんてないんですよ」
「学校の中を適当にプラプラしてれば、向こうから来るんじゃないの。悪霊を見つけるのに時間制限もないわけだし、君さえよければ何日でも時間をかけて釣りなよ」
時間制限がない、そう言われて少女は驚いた。勝手に制限があるものだと思い込んでいたからだ。
「時間制限がないのですね。なんだか意外です。こういう場合、時間制限とか日数の制限があるものと思い込んでいました」
アニメとかゲームでは、決められた時間や日にちまでにミッションを達成しないとゲームオーバーで世界が滅びたり、死んだりするイメージがある。
まあ、自分はもう死んでいるから世界が滅び様と関係ないのかもしれないがと思いった少女は自嘲気味に笑った。
「時間制限はないけど、悪霊を放置したら被害者は増える可能性があるから、良心が痛む様なら急いだ方がいいと思うけど」
「えぇぇぇ」
少女は頭を抱えた。口からも悩まし気な声が漏れる。
自分には時間があると言う希望と、時間をかけることによって被害者が出る可能性を心の天秤にかけて葛藤しているのだ。
「死神さん的には、即日対応と、時間をかけてでも任務達成、どちらの方が都合が良いでしょうか」
少女は助けを求める様に死神を見た。
すると死神は自分で決めろよと言わんばかりにちらりと少女を流し見て言った。
「俺としては、どちらでも。悪霊に恨まれてる人間ってそれなりに理由があるから、逆恨みとか以外なら守る価値も手を差し伸べる価値ないって思うし、悪霊に命を奪われた人間の魂は、襲われた人間の業がよっぽど深くない限り『寿命を全うした魂』と扱いは同じになるからね。命を奪われて、そのまま輪廻転生の波に乗るわけだから、何人悪霊に襲われても俺の仕事は増えないし、手間ないもん」
聞いた自分が馬鹿だった。そう思いながら少女は、より一層頭を抱える。
悪霊を探など初めての経験であり、ましてや1人でやり遂げなければならないのであれば、マイペースに頑張りたい。
だが、そのせいで被害者が出る、と言われてしまうと正直迷いが出る。
この学校には生徒にも先生にも良い思い出はないが、悪霊に命を奪われろとまでは思わないし、どうしたものか。
少女は数分「むむむ」と唸りながら、頭を押さえて悩むも、突如ガバッと顔を上げた。
「よし、よくわかりません。わからないから、とりあえず行動してから決めます」
「うんうん。思い切りがいいのは好きだなぁ」
息巻く少女を見やりながら、死神は面白いものを見るかの様にクスクスと笑う。
「このまま学校に入ればいいんですよね。今、何時でしょうか。授業始まっていすかね」
「今はねぇ、人間界で言うと朝の10時みたい」
死神が端末を見ながら言った。死神の持つ端末にはどうやら時計の機能もあるらしい。
「じゃあ、やっぱり授業始まっていますね。どうしましょう。1限目が終わるまで待った方がいいですか」
「いや、別に待たなくてもいいでしょ。君は『存在』しているだけなわけだし、転校生でも何でもない、この学校に『元々いたかもしれない』一生徒なんだから。授業とか気にする必要ないよ」
「でも、姿を見は見えているんですよね。授業時間に校内をウロウロしていたら、先生方に不信に思われませんかね」
少女が尤もらしい質問を投げかけると、死神がお得意の面倒くさそうな態度で返す。
「ああ。それは心配ない。君の姿は常に人に認識されているわけではないから。君が誰かに自分から話しかけたとき、相手は君を認識する様になっているんだ。君が霊体である事には変わりないからね。もしも、君が話しかけていないのに君を認識する誰かがいるのなら、それはその人間に霊感があるか、或いは君と同類だろうね」
「話しかけなければ誰にも見えないと言う事ですね。じゃあ、安心して好きに校内を歩き回れますね」
「そうだよ。ああ、それはそれとして」
死神は思い出したようにマントをごそごそと探り、そして何かを取り出した。
「はい、これあげる」
すっと差し出されたそれを、少女は反射的に受け取る。
それは、片手に収まるくらいの小さなぬいぐるみ型のキーホルダーだった。
「これは……カラスのキーホルダーですか。なんか目つきが悪いですね」
手に収まるサイズのカラスはフォルムは丸く、愛らしいのだが、デフォルメな表現はされているが目がキッと吊り上がった、今にもカァカァと鳴出しそうな、まるで不満を垂れている表情をしていた。
「そう。かわいいでしょう。目とか君そっくりで」
「どこがですか。文句たれとでも言いたいんです?」
不満げな声を上げる少女に突然、大きな体を屈めて頬を寄せ死神は囁いた。
「それはね、お守りだよ。ちゃんと持っていてね」
「お、お守り」
その少し低音で甘いく、色をはらんだ声に、少女の胸が高鳴る。
そして頭が痺らせながら、生理的に頬を染め、体を硬直させていた。
分かりやすく動揺した少女に対し、死神はからかう様に小さく笑い、近づけていた顔を離す。
「悪霊に不意打ちされたら大変だからね。特に君みたいに霊力や霊感を持たない子はいざと言う時に戦えないから対処できないでしょう」
「ふ、不意打ち!?」
不穏な言葉に少女は思わず大きな声を上げる。
「君には失う命はないけど、一つだけ気を付けてもらわなければならない事がある」
「私が、気を付けなければならない事?」
死神が、いつになく真面目な表情で言うため、少女に緊張が走る。
「失う命はないけど、悪霊に取り込まれてしまうと君はその一部になり、魂自体が消滅してしまうから、行動には細心の注意を払ってね」
「消滅!?聞いてないですよっ」
「今、言った」
少女の中に新たな不安と絶望が生まれ、広がってゆく。
その様子を見て、死神はうなだれる少女に『だいじょーぶ』と明るい声で言った後、彼女の頭を扉をノックする様に中指の第二関節辺りでコンコンと軽く小突く。
「そのコには、すごぉーく強い魔力が込められているからね。本当に危ないと思った時は俺を呼んでね」
「はい。ありがとうございます……。あ」
少女はキーホルダーをきつく握りしめ、そして何かに気づいたように死神を見つめる。
死神は不思議そうに首を傾げた。
「ん、どうかした?」
「いえ、死神さんを呼べと言われても私、死神さんの名前を知らないなと思いまして」
「俺、名前ないよ」
「は?」
想定外の言葉に、少女が短く疑問の声を発した。
「だから、名前ないよって。言ったよね。名前は生者のものだから。死神である俺にも当然、ない」
きっぱりと言われてしまい、少女は困惑する。
「では、もしもの時はどうやって死神さんを呼べば良いですか」
「ああ、そっか。んーそうだね……。そのまま死神でいいよ。俺が担当してるもう一人の子もそう呼んでるし」
「そ、そうですか。では、そのまま死神さんで」
少女は死神の口からたまに話題になる『担当しているもう一人の子』が気になったが、今は聞かない事にした。
「うん。それでいいよ。さぁ、そろそろ仕事だよ。一応、俺はいつでも動ける様に姿を変えて近くにいるから。とりあえず何にも考えずにレッツゴー」
「ちょっと、まっ……わっ」
死神を呼び止めようとした時、強い風が少女を襲う。思わず目を閉じ、そして開けたその瞬間、あれだけ目立つ身長の死神の姿はどこにもなかった。
「えっ、えっ、死神さん?」
少女が動揺しながら辺りを見回すと、一匹の黒猫が足元にちょこんと座っており、ミィミィと鳴きながら少女にすり寄ってきた。
その黒猫は猫にしてはかなりスマートでそれでいて大きな体をしていた。
「あ、死神さんですか」
少女が声をかけると黒猫はちらりと少女を見たのち、方向転換をして少女から離れる様に駆け出した。
そして、校門近くの街路樹にスルスルと流れる様に上り、一番太い枝の上で香箱座りで寛いでいた。
時々、なぉーんと鳴きながら顔を洗う仕草をする黒猫を見つめ、少女は呟いた。
「死神さん、じゃないのかな」
はぁ、と小さなため息をつき、少女は大きく深呼吸をした後、お守りだと渡されたカラスのキーホルダーを制服のポケットにねじ込んだ。
ふと校舎を見やれば、忌まわしい記憶が反芻し、躊躇しそうになったが、両手で頬を叩き、気合いを入れてトラウマが残るその場所へと歩みを進めた。
そして、少女は暫く校内を歩き回っていた。
一時間ほど歩き回っているが、収穫はまったくない。
そもそも、現在は授業時間帯のため、当然廊下に人気はない。
稀に、廊下で今の時間は担当授業がないと思われる教員とすれ違い、注意をされるかと慌ててが、少女には目もくれず通過して行ったため、『話しかけないと認識されない』と言う死神の言葉は本当なのだと思った。
しかし、特に何をするわけでもなく。ふらふらと校内を歩き回るその様は、ただの散歩と同然だった。
悪霊を見つけるにしても、おびき出すにしても、なにをどうすれば良いのか、皆目見当がつかない。
「ここで命を絶っているんだったら、やっぱりこの学校の関係者だよね。まずは亡くなった人の情報集めをするべきかな」
少女がそんな独り言をつぶやいた時、1限目終了を告げるチャイムが鳴り響き、各教室から生徒や教員がぞろぞろと流れ出る。
これは何か情報を得るチャンスと思った少女は、授業を終えた学生の振りをして、一番話しかけやすそうな同年代らしき女子生徒に声をかけた。
「あの。ちょっといいですか」
少女は生前、あまり自分から話しかけることをほとんどして来なかったため、正直なところ話しかけ方がわからなかったが、なんとか勇気と言葉を絞り出した。
声をかけられた女子生徒が振り返る。
「はい?」
「あ。こ、こんにちは」
「え、ああ。こんにちは?」
返事がもらえた。本当に姿が見えている様だ。
話しかけたは良いものの、話の繋げ方がわからず、意味もなく挨拶をしてしまった事に少女は頭を抱えた。
死んでもコミュニケーション障害は治らないのかと絶望していた。
しかも、相手は戸惑いながらも律義に挨拶を返してくれた事に、少女はどこか申し訳なさ差を感じた。
「私に何か」
心の中で陰キャの自分と戦っていたためか、挨拶を最後に数秒黙り込んでいる少女に、女子生徒が声をかける。
「あ、あの、その。わ、わたし、最近転校してきたばかりで」
「はい」
完全に行き当たりばったりな設定しか思いつかず、あわあわと挙動不審な少女とは対照的に毅然とした返事が返ってくる。
よく見れば真面目そうな雰囲気の女子生徒だった。
肩までの髪をきっちりと三つ編みにし、前髪も目や眉にかからない様に黒のアメピンでかっちりと留め、袖の長さやスカートの丈、さらにはソックスまでも校則通りにきっちりと着こなしている、まさに真面目を体現した様な人物だった。
その真面目なオーラに気圧されつつ、少女は言葉を絞り出す。
「て、転校してきたばかりだから、知らない事が多くて、お、教えて欲しいなぁと思いまして」
「何故、私に?転校生であれば、あなたのクラスの委員長を頼れば良いのでは」
「うぐぅ」
最もらしい事を言われ、少女の口から低い悲鳴が漏れる。
あなたのクラスの委員長と言う発言から、この女子生徒も委員長である事が推測できた。
「あなた、何組の生徒ですか。あなたのクラスの委員長に何か話しかけにくい理由があるのなら、私が同じ委員長として、取り持って差し上げます」
「うぇぇ……」
少女は激しく動揺した。そして後悔した。
話しかける相手を間違えたと心の底から思った。
少女が話しかけた女子生徒はあまりにも真面目だった。
普通は他のクラスの問題を取り持つとか言わないだろうに、恐らくマニュアル通りに生きる事が一番正しいと思うタイプだと確信した。
だが、そんなのどうでもいいから小さな疑問はさらっと流して話を聞いて欲しい。
少女は心の中で困惑しながら泣いた。
「さぁ、何組ですか。早く言って頂かないと休み時間が終わってしまいます」
真面目でキビキビとした、少し苛立たし気な声に急かされ、少女は言った。
「に、2年3組です」
それは、かつて少女が所属していたクラスだった。
適当なクラスが思いつかなかったのだから仕方がない。どうかこれ以上突っ込まないで欲しいと心で強く長いながら、少女はちらりと女子生徒を見た。
女子生徒の顔は、青ざめていた。
「2年3組……。そうですか。だから……」
女子生徒は小さく呟き、そして震えていた。