第四章 第十一話 狂気との対決(中編)
中編です。まだもうちょっと続きますので、お付き合いください。
何とかまとめたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
「父さんや輝をあんな目に遭わせたのも君だと言うのか」
楽しそうに話す那美に向かって臨弥が怒りの言葉を口にする。
「そうよ。私は臨弥くんとお話しできないのに、輝とか言う子は従妹だか何だかは知らないけど、距離が近すぎよ。しかも恋人と勘違いされるなんて許せないわ。咲田先生もそうよ。生徒指導とか言いながら、臨弥くんと長い時間一緒にいるなんて、腹立たしいわ」
つまり、那美は度の過ぎた狂気のやきもちが理由で2人の女性に呪いをかけて怪我をさせたと言うのか。
「凪元さんのお父さんと、他校の男子生徒を呪ったのは何故?」
ネクラの言葉に那美は当然の事の様に答えた。
「臨弥くんのお父さんは彼のサッカー選手になると言う夢を反対して未来を潰そうとしていたし、あの男子生徒は臨弥くんに怪我をさせたでしょう。だから、制裁したの。悪い?」
「わ、悪いに決まってます!皆さん怪我で済んだからよかったものの、下手をしたら命が危なかったんですよ」
ネクラが言うと那美は怪我をさせた人たちに詫びる様子もなく、残念そうに溜息をついて言った。
「そう。そこなのよね。呪いって生きた人間が施すのは大変なのよ。呪いが返って来ちゃうから」
呪いが返ってくる。先ほどそう言えばそんな事を虚無も言っていた。どういう事かと虚無を見ると彼が説明をする。
「よく言うだろ。人を呪わば穴二つと言うヤツだ。他人に害を与えれば、必ず自分も報いを受ける。恨みを持つ霊が悪霊化する因果もそれにあるんだ。死者が人を呪えば魂は穢れ悪霊となり、生者が誰かを呪えばその重さに比例してしっぺ返しが来る」
虚無の言葉に那美は呑気にもうんうんと頷いていた。
「そうなのよね。呪いの匙加減を間違えると、下手したら自分も死んじゃうから。どんなに憎くても強い呪いはかけられないの。だから全員助かっているでしょ」
那美は絆創膏をしている手をヒラヒラと揺らす。どうやらあの時ネクラが目についた怪我は呪いが己に返ってきた際にできたものらしい。
最近怪我が多いと言うのも理由は同じだろう。そして彼女はそれを理解していながら、身勝手な理由で呪いをかけた。その事実のなんと恐ろしい事か。
「そうして臨弥くんを探しながらそんな生活を続けていた時、チビちゃんとクロくんに出会ったのよ。臨弥くんを探していると知った時は心が躍ったわ。彼はまだこの世にいるんだって希望が持てた」
那美は手に持つナイフを強く握りしめた。那美の狂気を露わにする度にその場の空気が重苦しいものになってゆく。
そしてネクラたちを見て笑みを浮かべながら言った。
「あなた達に出会ったのは偶然よ。でも、会えたのは私の運が良かったかからかしら。こうして臨弥くんを連れて来てもらえたわけだし」
クスクスと笑う那美を恐れながらもネクラは何とか声を絞り出す。
「どうして、臨弥さんに恨まれてもいいと思ったんですか。何故、罪を重ねたんですか。好きな人だったんですよね」
その質問に那美はナイフを撫でながら恍惚として言った。
「だって、愛情よりも憎しみの方が執着心がより強いでしょう。私の事をうんと恨んでもらって、私のところに確実に来てもらいたかったの」
「どうして、そこまでして」
恐怖で顔を青くしながら、訳が分からないと言う表情をするネクラに那美はにやりと口角を挙げて言った。
「理由なんて、ずぅっと私の傍にいてもらうために決まってるじゃない」
那美は両手を広げその場でダンスを踊る様にくるりと回った。
「この部屋はね、臨弥くんのために作った結界なのよ。恨みや憎しみで我を忘れて悪霊になって私を殺しにこの部屋に入った時、ここに封印して一生2人で過ごそうと思ったの。
そうすれば臨弥くんは私しか見ないでしょう」
「封印!?」
ネクラがとんでもない言葉に驚くと那美は瞳と口を三日月の様に細く釣り上げ、興奮した口調で続けた。
「そう。ここの部屋に入った魂は永久にこの空間に縛られる。成仏なんてさせない。臨弥くんの魂は私のモノよ。この術式を組むのは苦労したんだから」
何と言う事か。那美が臨弥を探していた真の理由は成仏させる事ではなく、彼を捕らえて我が物にする事だったのだ。
「つまり、あなたが凪元さんを手にかけた理由は『自分に執着して欲しかっただけ』そのためにわざと顔が見える様に凪元さんの命を奪って、その後彼の周りの人たちに危害を加えたのもほとんど腹いせだと言う事……」
明らかになった身勝手で恐ろしい思惑に、ネクラが身を震わせる。彼女が臨弥を手にかけた理由が分かった。本来ならばこれで今回の仕事の任務は達成だが、この状況では臨弥も満足はしないだろう。
しかも彼女の『この部屋には魂を閉じ込める特殊な術が施されている』と言う発言が事実ならば、例え未練が断ち切れようとも輪廻転生は叶わないと言う最悪な状況だ。
絶体絶命のこの状況にネクラが恐怖と緊張で喉を鳴らす。
辺りが緊張で包まれる中、那美の語りは続く。
「でもせっかく2 人きりになれると思ったのに、臨弥くんに人としての理性はあるし、余計なものもついて来るしで計算外だわ」
そう言って那美はネクラたちを睨んだ後、すぐに笑顔になった。その笑顔は張り付いたものであったが、口調はかなり上機嫌で、それが彼女の異常さを引き立てる。
「でも、丁度良かったのかもしれないわ。どんな術も術者が死んでしまうと解けてしまうから、私に何かあった後はどうしようかと悩んでいたんだけれど……」
彼女は狂気を語りながらその場をウロウロと歩き回り、そして動けないネクラ、虚無、死神とそれぞれの前を通り過ぎる。
そして、那美は死神の前でその歩みを止め、抑揚のない声で言った。
「でも、使えるものは使わないとね」
「やだなぁ。死神をもの扱いなんて罰当たりだぞ」
張り付いた笑みの那美に死神は胡散臭い笑顔で返す。那美は背の高い死神を瞳を見開きながら下から覗き込んで言った。
「死神の魂を土台にすれば、結界はもっと強固なものになるんじゃないかしら」
「「!?」」
ネクラと虚無が同時に反応する。
「何?俺を利用するつもり?」
死神が動揺する事なく那美に言うと彼女は瞳を細めて言った。
「そうよ。この中ではあなたが一番力が強そうじゃない。一番強い人から始末した方が後々楽よね」
丁度あなたも動けない様だし。と那美はクスクスと笑い、死神から離れて手に持っていたナイフを神棚に戻した。
「ちょっと待っててね、死神を始末するにふさわしい獲物を用意しないと」
あはは、と笑いながら恐怖の宣告を残して那美は障子を閉め、部屋から姿を消した。
獲物、と言う事は何か道具を取りに向かったんだろう。何にしても早くここから逃れなければならない。
先ほどの口ぶりから彼女は臨弥以外の全員を始末するつもりなのだ。全滅確定は目に見えている。
「どうしよう、何とかしないとっ」
「くそ、あいつ頭がおかしいくせに力は一級品か」
「そうだねぇ。中々の実力者で俺もビックリだよ」
死神はのんきに笑っていた。この死神は今、一番危機的状況にあるのは自分と言う事が分かっているのか。
この状況になっても焦る様子どころか抵抗する素振りも見せない死神に不信感を覚えながら、ネクラは虚無を見る。
彼は緊縛術をかけられてからずっと術を解こうともがいているが、ここまで何をやっても一向に効果がなく焦りと苛立ちを覚えている様子だった。
そんな必死の彼をみながら、自分は何もできない事が情けなく、ネクラが涙目になった時、緊縛の苦しさと恐怖に耐えながら、臨弥が言った。
「あの……僕、少し疑問に思っていたのですが、何故、彼女はあのナイフを持っているのでしょう」
「ナイフ?」
あのナイフとは今、那美が持っている血塗られたナイフの事だろう。恐らく、あれで臨弥の命を奪ったと思われる。
「あれが僕を襲った凶器で、ついている血痕が僕のものだった場合、立派な証拠ですよね。そんなものを何故わざわざ持っているのでしょうか」
「た、確かにそうですよね」
警察は臨弥の事件を通り魔事件として捜査している。目撃者がいなかったからとは言え、いつどこに捜査の手が及ぶかはわからない。
もしかしたら目撃者が出てくるかもしれないし、ナイフの購入履歴から身元を特定される可能性も十分にある。
臨弥をこの部屋に閉じ込めて永遠に傍にいたいと思う人間が、すぐに捕まる様なリスクを負うだろうか。
「でも、那美さんの臨弥さんへの執着心は異常だし、深い事は考えずに、ただあのナイフを持っていたかったと言う可能性はあるかもしれませんよ」
今の那美の精神性であれば、その様な単純な考えであっても頷ける。それに、那美はこの町では随分と信頼されている陰陽師だ。
その信用を利用してうまく切り抜けるかもしれないし、自分の邪魔をする人間が現れれば、また呪術を使う可能性もある。
ネクラがそんな思考に飲まれていると、先ほどまで焦りを見せていた虚無の顔が冷静さを取り戻していた。
むしろその瞳にはひらめくものを宿していた。
「そうか。媒介だ」
「媒介?」
ネクラが聞くと虚無は頷く。
「人間が強力な術や結界を使う時は、自身の体に負担がかからない様に仲立ちする道具が必要なんだ」
「え、えーっと?」
「つまり……?」
虚無の真意がわからず、ネクラと臨弥が疑問符を浮かべていると、虚無は神棚のナイフを見ながら力強い口調で言った。
「あのナイフはこの部屋とあの娘の力を繋いでいる。つまり、あれを破壊すれば少なくともこの部屋からは解放されると言う事だ」
虚無の言葉にネクラと臨弥が目を見開いて見つめ合い、死神が良くできましたと言う様に笑顔で頷く。
その場にこの部屋から脱出できるかもしれないと言う希望の光が差す。しかし、その光はすぐに曇りとなる。
「でも、私たちは今動けない状況だよね。あのナイフを破壊するにしてもどうやればいいのか考えないと」
今のネクラたちは全員が指一本も動かせないのだ。神棚までは数十歩ほどの距離だが、ナイフを破壊したくともそれは叶わないと言うもどかしい状況にある。
早く何とかしないと那美が戻って来てしまう。そうなってはもう絶望的だ。ネクラそう思った時、目線の先で死神が口パクをしている姿が確認できた。
こんな時に何かと思いネクラは必死でそれを読み取る。
『ポケット』
そう言っている様に見えた。ポケット、と言われてネクラは数秒考え、そしてその意味を理解する。カラスのキーホルダーだ。
パニックになりすぎていたのか存在を忘れていた。これなら念じるだけなので体を動かす必要もない。
「キーホルダーさん。ナイフを破壊してっ」
ネクラの叫びと同時にポケットから黒い稲妻が走り、神棚に祭られていたナイフに真っすぐ進んで行ったかと思うとそれに勢いよく突き刺さり、バチバチと黒い電撃を放った後ナイフは粉々に砕け散った。
同時にその場の空気が若干だが軽くなる。
「やった!」
ネクラが喜びの声を上がるが、すぐにその瞳は絶望の色に変わった。
「うそ、体が動かない」
「く、ダメかっ」
虚無も同じ状況の様だ。何故、媒介は破壊したはずなのに。ネクラが焦っていると、障子がゆっくりと開かれる。
「残念ね。結界と緊縛術の術式は別物なのよ。結界の媒介を破壊しただけでは緊縛は解けないわ」
そこにはギラリと輝く鎌を持った那美が妖艶な笑みを浮かべて立っていた。
キーホルダーの力を1日1回だけ。ネクラの思考が完全に止まった。