第三話 コードネームは「根暗」!?
名前が思い出せない。
その事実に少女はパニックに陥っていた。
焦りながらも少女は必死で記憶を辿る。
そう、辿る事ができる記憶は確かにあるのだ。
産まれてからの今日の記憶はしっかりとある。
たいした人生ではなかったものの、それなりに楽しかった記憶もあれば、思い出したくもない、いじめられていた時の記憶まで鮮明に思い出せると言うのに、どうして。
少女は自分の中で何かを失った様な漠然とした不安に駆られ、ただ青ざめることしかできなかった。
その様子を見兼ねた死神が、声をかける。
「名前が思い出せないのは当たり前だよ。君が現世を去った際に俺が奪ったからね」
「名前を、奪った?」
死神の言葉の意味が理解できず、少女が困惑していると、死神は言った。
「名前は現世に存在した証、いわば魂と同等の存在だからね。死後は名前を失う事になる」
「それは、どういう意味でしょうか」
死神の言葉を聞きながら、少女は慎重に疑問を投げかける。
「そもそも、名前は生者のためのものだし、人生を諦めた者に人生そのものである名前を持つ資格はない。だから、ここに来た者は例外なく名前を剥奪する事になっているんだ」
人生を捨てたわけだし、今更文句を言う資格はないと思うな。と、にこやかに死神は付け加えた。
「そう、ですか。そう、ですよね」
少女は、寂しそうに納得した。
「あの、記憶は奪わないんですか。記憶も生きた証、みたいなものでは」
「ああ、記憶を奪わないのは、一種の罰みたいなものだよ」
おずおずと少女が言うと、死神がまた残酷な事をさらりと告げ、「罰」と言う言葉に少女の顔が曇る。
「さっきも言ったかもしれないけど、死ねば人生から解放されるって言うのは、人間たちが勝手に思っている事で実際は大きな間違いだからね」
「そ、れは……」
死神が淡々とした口調で、たじろぐ少女をまっすぐを見据える。
「自ら命を絶つ者はね、現世に残して来た者に悲しみや、苦しみ、場合によっては怒りや憎しみを与えたてここへ来ている。それは家族かもそれないし、友人かもしれない。もしかしたら、全く知らない他人かもしれない。少なくとも、自分の都合で命を絶った上に、現世にそんなわだかまりを残した者が解放されるなんて、もっての外だよ」
どんな心境なのか、少女はただ顔を俯かせながら死神の言葉に黙って耳を傾ける。
「名前を剥奪して、生きる資格を奪いながらも死神補佐として活動する間は、生前の記憶を保持しながら過ごす事になっているんだ。残して来た者への業を背負ってもらうためにね。あ、でも安心してね。その辺の業は全部輪廻ポイントでチャラになるから」
調子よく死神が言った。
反論する余地もないと思ったのか少女はただ沈黙していた。
「因みに、生前の名前はどう足掻いても思い出せない様になっているから、考えるだけ無駄だよ。仮に死神補佐の仕事中に君に縁がある人間と関わる事になったとしても、君が生前の名前を思い出す事はないし、知る事もできない」
「別にいいです。もう気にしてません」
ふいっと、そっぽを向く少女に、死神は突如として話を切り替えた。
「それは別として、死神補佐の間は何とて呼べばいいかな。一時のコードネーム的なものだから、適当でいいよ」
「コードネーム!?ええと、いきなり言われても」
名前を忘れろと言ったり、名前を考えろと言ったり、一体何なのだ。
そう思いながら少女は名前を考えるべく、必死で頭を回転させるが、名前などそう簡単に思い付くわけもなく、数分が過ぎた。
「あ、まだ考える感じ?そろそろ、今回の仕事について説明したいんだけど」
この死神はにこやかな口調と表情で圧をかけるな……。
少女はそう思ったが負けじと反論をする。
「な、名前なんて簡単に思い付くものじゃないですよ。少し位時間をくれたっていいじゃないですか」
少女の反論に死神はうっとしい、面倒くさいと言う態度で言った。
「だからぁ、仮のものなんだし、適当でいいって。別にいいじゃん、根暗ちゃんで。そのままだし、カタカナ表記にしたら可愛いかもよ。ネクラちゃん」
「可愛いくないし、何か嫌です」
なおも反論する少女に、死神は大きなため息をついた。
「しつこいな。じゃあ、思い付くまで考えときなよ。それまでは根暗ちゃんって呼ぶから」
「は、はい。わかりました」
正直、まったく納得がいってなかったが、話が進まない気がした少女は、とりあえず納得する事にした。
「死神の人って、皆さんそんな感じなんですか」
「それは外見?内面?」
「り、両方でお願いします」
早く話を進めたいんだけど、意味合いを含んだ笑みを浮かべ、死神は質問に対して質問をした。
少女はビクつきながらも教えて欲しいとお願いをし、死神は仕方がないと言った様子で答えた。
「外見は、それぞれかな。と言うか、死神って決まった姿がないんだよね。こう、概念みたいなものだし。こうでなければならないってのもないよ。死神は己の好きな姿で魂の前に現れる。ヒト型、動物型、ぬいぐるみ……様々だ」
「ぬいぐるみの死神もいるんですか」
ぬいぐるみ姿の死神を想像してか、少女がやや驚いて言う。
「だいたいの死神は、自分のところへ来た魂に、少しでも親しみを持ってもらうために姿を変えるからね。まあ、確かに俺も、多くの人間が思っているドクロや化け物みたいな姿より、ヒト型のほうが親しみやすいし、ぬいぐるみの死神もアリだと思うよ。補佐とは言え、一緒に仕事をするわけだし、親しみやすさは大事だろう?」
親しみやすさは大事かもしれない。だが、この死神みたいに溢れ出る胡散臭さと他人に対して失礼な態度と発言をを連発する様な死神に親しみやすさなんて湧くだろうか。
少女は心からそう思った。
「因みに、この姿は俺が人間界に遊びに行った時に見たゲームのキャラなんだよ。なんかすごい流行っていたみたいだし、格好良かったから模写しちゃった」
死神は嬉しそうに全身を見せる様に一回転した。黒いマントがひらひらとはためく。
「あ、黒マントは死神のアイデンティティみたいなものだから、常に羽織ってるよ。死神は全員黒マント。その辺は人間のイメージ通りかな」
「ええ、まあ、黒い布で身を覆っているイメージですね」
少女は返事をしながらも、死神の言葉でとある事実を確信して少しだけ戸惑っていた。
ああ。そう言えば最初に出会ったときから何か既視感あると思ったら、そう言う事か。
少女は納得した、そして思い出した。この死神の姿は、自分がよく知る某乙女ゲームのキャラクターなのだ。
作品トップの人気キャラで、ファンアートも作中のキャラの中で最も取り扱われている存在。
少女もこのキャラを攻略した事があるし、なんだったら彼女の最推だったりする。
ただ、こんなに性格が最悪ではないため、記憶と結びつけることができなかったのだ。
これぞ解釈違い。と少女は心の中で頷いた。
なにしろ彼女は生前は二次元系のオタクだったため、そう言う知識と感情には長けていたりするのだ。
「でも、この姿になったのはつい最近。俺、飽き性だから姿も頻繁に口調も変えちゃうんだよね。だから時々キャラが安定してないかもしれない」
「キャラとか言っちゃうんですね」
だんだん死神との対話に慣れてきたのか少女に小さなツッコミを入れる。
「と言うか、人間界に遊びに行くってなんですか」
「俺さ、人間自体はどうでもいいんだけど、人間が創り上げる文明?みたいなのは好きなんだよね。視てて楽しいし、面白いを事思いつくなぁって思う。だから仕事の合間にちょいちょい人間界で遊ぶんだよ」
人間自体はどうでもいい。さらりと流すように言ったその言葉を聞いて、少女は理解した。
「ひょっとして、人間が嫌いですか。なんか、私にも当たりキツイですし」
「嫌いとかじゃないな。そんな感情がわかないレベルで興味がないだけ。本当にどうでもいいんだ。君に対する態度については、決められた寿命があるのに、わざわざ強制終了する君の様な人間の気持ちが理解できないと思っているだけだから、それが態度に出ているだけじゃないかな」
流暢に紡がれたその言葉にを聞き、少女の中で急に理解が生まれた。
分かった。この人は変人だ。いや、変死神だ。
少し怖いところもあるけれど、この人はこれが普通なのだ。
「ああ、でも同じ死神でも人間好きはいるよ。そいつがさぁ、魂に対しての態度をちょっとは改めろって、うるさいんだよね。でも、人間にも色んな性格があるわけだし、色んな死神がいてもいいよね」
同意を求められたが、返答に困った少女はとりあえず無視をした。
それと同時に、死神が全員この死神の様な性格ではないと知り、自分が他の死神に会う可能性はないだろうと思いつつも安心した。
「じゃ、雑談はこれぐらいにして、そろそろ今回の仕事について説明するよ」
「あ、はい」
目覚めてその日にいきなり仕事とは、なんと忙しない。
少女はそう思ったが、来世を手に入れるためと自分に言い聞かせ、死神の声に耳を傾ける。
「まずは、今私たちがいるここ。ここが俺たちの拠点になるから」
死神が真っ白な地面を指さしながら言う。
「拠点、ここがですか」
少女は辺りを見回す。目覚めて数十分ぐらいここにいるが、実に殺風景だ。
本当に何もない。一面真っ白な世界が地平線の如く広がり、それはどこまでも続いている。
入口もなければ、出口もない。本当に「空間」と言う言葉がふさわしい場所である。
「そう。俺に仕事が入るまではここで過ごして、仕事に行って、それで仕事が終わったらここに戻る。そんな場所。君が輪廻転生するまでの仮の拠点だし、それ以外する事なんてないんだから、何にも必要ないでしょ。それとも部屋っぽくしたい?できない事もないよ」
死神によるとどうやらこの空間は模様替えができるらしい。
殺風景な空間だったため、それが可能であればと少女の心が揺らいだが、今はそれどころではないと考えなおして、少女はその申し出を一旦断る事にした。
「いえ。模様替えについては少しだけ興味深いですが、とりあえず保留でお願いします」
「そう、じゃあ気が向いたら言ってね」
死神もこの話を軽く流したので、少女は気を取り直して聞いた。
「そんな事より、1日の仕事量ってどれほどのものなのですか」
少女はアルバイトもした事がない高校生だったため、働くことがどういう事かわからず、不安を抱いていた。
「ここには日にちって概念はないからなぁ。死神の仕事は現世で魂が途絶える度に自動的に振り分けられて、死神が持つ各端末に入ってくるんだけど……」
そう言って死神はマントから端末を取り出した。
それは長方形の真っ黒いもので、少女にも親しみのある造形をしていた。
「す、すまほ……使っているんですね」
戸惑い驚く少女に死神は言った。
「そ、人間の文明をパクッちゃった。情報管理とか便利だよね。会話機能もあるし、メッセージでもやり取りできるよ。これで死神同士連絡を取り合う事もある」
それはまさに少女がなじみ深い携帯電話と同一の機能ではないかと少女は思った。
「でも、さっき私に事を死因を確認する時、本を見ていませんでしたか」
少女が言うと死神はそれが何かと言わんばかりに笑顔を見せて言う。
「あの本は名簿みたいなものだよ。担当者名簿って言えばいいかな。一応、君の個人情報が記録されているわけだし、データ管理してハッキングとかされるよりも紙の方が安全だし、それに個人情報の保護は基本でしょう」
「はぁ」
死後の世界にも個人情報保護は適応されるのか、ハッキングなど存在するのか、少女は様々な疑問も持ったが、にこにことする
死神を見て馬鹿らしくなり考える事を辞めた。
「基本的には仕事が入るたびに出動って思ってもらうといい。俺ってば優秀だし、簡単なものから高難易度なものまで請け負う仕事も結構多いから。輪廻ポイントはすぐ貯まると思うよ」
「そうですか。それで、その……悪霊がどうとか言うのは」
心の中で一番不安且つ不穏に思っていた事を少女は聞く。
「ああ、それね。君たちみたいに、現世に強い未練を残して亡くなった者は、決められた寿命を迎えていても、自ら命を絶っていても、現世に留まって悪霊化する事があってね。死神はそれを折檻する必要がある」
「折檻?退治ではなく、折檻ですか」
悪霊退治と言う言葉は聞いた事が悪霊折檻と言う単語を初めて聞いた少女の口から疑問の言葉がこぼれる。
すると死神は常識だろうと言いたげな態度で言った。
「退治は害を及ぼすものを滅ぼす事だろう。死神の仕事は折檻。相手は仮にも元人間。だから滅ぼすのではなく、悪霊化した厳しく叱って、場合によってはお仕置きをしてその魂を正しい場所へと導くんだよ」
「悪霊化って、そんなに深刻な状態なのですか」
折檻と言う物騒な言葉に少女が眉をひそめて死神に確認すると死神は頷く。
「そう、悪霊化するともう手遅れ。己の心に巣くう負の感情に飲み込まれ、現世に生きる者の命を奪う様になってしまう。そうなれば当然輪廻転生の理からは外れるし、悪霊化した時点でアウト。魂自体が、負の感情に飲まれ切ってしまっているからもう輪廻転生はできない。もちろん死神補佐の資格も与えられない」
折檻されたうえで、死神補佐の資格も与えられない、それを聞いて少女は目を見開く。
「では悪霊化した人間は、死神に折檻された後はどうなるのですか」
「元生者が負の感情に囚われた亡者になるほどに穢れた魂は二度と綺麗な魂に戻る事はない。だからこれ以上執着を持ったり、悪さができない様に黄泉の国へと送ることになるんだ。そして、その魂は永久にそこに閉じ込められる事となる」
「そんな、なんて切ない……」
少女は悲しそうに瞳を伏せると、死神はすっぱりと言った。
「何言ってんの。悪霊折檻が一番大変なんだよ。あいつらマジで厄介。俺、戦闘には自信あるけど、人間が持つ恨みのパワーってすごい厄介って思う時があるよ。執着心がえげつない。で、君は補佐としてその現場に行く必要があるんだよ。他人事じゃないからね」
「え、戦闘、戦うんですかっ。無理です、私戦えません」
少女は勢いよく首を左右に振る。
「いや、無理とか言われても。でも、メインの戦闘は俺の役目だし、君には非戦闘員なりに役目を全うしてもらうつもりだよ」
「そ、そうですか……」
少女は胸をなでおろした。
「因みに、今からの初仕事が悪霊折檻だから、気合い入れてね」
「ええっ」
少女は思わず大きな声を出しながら体を仰け反らせた。
「心配ないよ。君はもう霊体なんだから、疲れる事も、怪我する事も、失う命もないんだから。後、本当にヤバい時でも俺がいるから、安心していいよ」
「は、はい」
死神は戦闘に自信がある様子だが、大柄な割に少々細身な気がする。
どう見ても力がある様には見えないし、どちらかと言うと非力な印象を受ける。
死神をあまり信用できていない少女は、疑念を抱きつつもぎこちなく頷いた。
「じゃ、今回の仕事場にワープしようか」
死神が空中を、横に切り払う様な仕草を見せたかと思うと、一瞬で背景が書き換わった。
先ほどまでの白い何もない空間とは一変し、街路樹やエンジン音を響かせながらたくさん車が行き交う道路、そして忙しなく行き交う人々がいる風景が現れる。
そして、少女と死神の目の前には学校がそびえ立っていた。
それを見た少女の瞳が見開かれ、それから掠れた声を漏らす。
「ここ、は」
「なんの因果だろうね」
どうようする少女の隣で、死神は淡々と言った。
そこは、かつて少女が通い、命を絶った場所だった。