第四章 第八話 臨弥の死とその後の事件
応接間へと通された虚無は茶色のソファーに腰を掛けていた。ネクラは人間には姿が視えないため、そのまま虚無に続いた。
認識されないとわかっていても、実質自分は無断で入っていると言う罪悪感でネクラはとてもそわそわしていた。
「よろしければどうぞ」
「お気遣いなく」
女性が手に紅茶を持って虚無に声をかけ、虚無もそれに答える。
女性は臨弥の母親だった。
「話、と言っても大体の事は警察の方にお話ししたのですが」
臨弥の母親は自分もソファーに腰を掛けて話を切り出した。
「事件の前、息子さんに変わった事はなかったですか」
本来の目的は臨弥の父親に関する話を聞く事だが、いきなりそれを聞くのは不信感を持たれるかもしれないと思ったのか、虚無は無難な話から始める。
「いいえ。何かに悩んでいる様子もなかったですし……あの子が私たちに心配をさせまいと黙っていただけかもしれませんが。息子は優しい子でしたから」
スンと臨弥の母親が鼻を鳴らし、ポケットからハンカチを出して口元を抑える。
「部活で帰りが遅いのも普通だったと聞きますが」
「はい。でもあの子は帰る前には必ず連絡をくれていましたし、寄り道もしていないと思います。部活以外で帰りが遅くなることも、私の記憶ではなかったと思います」
一通りの質問をした後、虚無は本題に入る。
「息子さんの後、旦那さんも不自然な事故を起こしたと聞きましたが」
その言葉を聞いた途端、臨弥の母親の全身がビクリと震えて顔が青ざめる。
そして震えながら頷いて言った。
「はい。あれは恐ろしい事故でした。だって、前日の車検では異常は見当たらなかったんですよ。主人の話によれば通勤時にはブレーキは正常に作動していたそうです」
「では事故は帰宅時に起こったと」
虚無の言葉に臨弥の母親は目を閉じながら何度も首を縦に振った。
「警察にはブレーキの故障と聞きました。でもおかしいでしょう。車検も済ませて、午前中にもきちんと作動していたのに、事故なんて……」
臨弥の母親は嗚咽を挙げて泣き始める。息子を失い、夫まで失いそうになった恐怖が伝わり、ネクラは胸を締めつけられる思いで彼女を見つめた。
「旦那さんは今はどうされているのですか」
「幸いに大事には至らなかったので、今は仕事へ行っています。そう言えば輝ちゃんも無事でよかったわ」
「ああ従妹の」
虚無がネクラから聞いた記憶を辿って言うと、臨弥の母親は頷いた。
「そうです。臨弥とは1年違いだけど、とても仲が良くて。特別鈍いわけでも、運動神経が悪いわけでもないのですが、歩道橋から落ちるなんてありえないわ。やっぱり呪いのなかしら」
臨弥の母親は疲れた様に溜息をついてたその時、玄関の扉が開く音がし、続いて可愛らしい声が響いた。
「こんにちは。おばさん、遊びに来たよ……って、お客さん?」
軽い足取りで応接へと入って来たのは、肩までの茶色い髪を二つに結んだ学生服姿の活発そうで小柄な少女だった。
「あら、今日は早いのね」
「うん。テスト期間中だから……この人は」
食卓の椅子に手早く鞄を置きながら、少女は虚無を怪訝そうに見つめた。
その視線に気が付いた臨弥の母親が言う。
「この方は探偵の助手の黒崎さん。臨弥の事を調査しているそうよ。黒崎さんこの子がさっきお話しした天羽輝ちゃんです」
「こんにちは」
紹介をされた輝が遠慮がちに挨拶をし、虚無も会釈で返す。
「そうだ。輝ちゃんもせっかくだから何か気が付いた事があれば黒崎先生に話してあげて。臨弥のためなの」
臨弥の母に必死に言われ少し戸惑っていた輝だが、彼女を気遣う様にチラリと横目で見た後、虚無に目線を向けて立ったままポツリと言った。
「臨弥兄ちゃん本人の事じゃないけど……襲われた人に共通点はある、と思う」
「共通点?」
虚無が言うと輝はぎこちなく頷いて、話を始める。
「警察の人にも言ったんだけど……私、一連の事件で被害にあったのは、皆臨弥兄ちゃんと関係がある人だと思うの。私は学校では恋人に間違われるぐらい仲が良く見えていたみたいだし、襲われた咲田先生も進路相談で最近兄ちゃんと一緒にいる事が多かった」
輝は自らの腕を抑え、顔を青ざめ震えながら続ける。
「伯父さん……兄ちゃんのお父さんは、兄ちゃんがプロサッカー選手になるための留学に反対して、最近言い争いが多かったし、練習試合をした他校の男子生徒も実は兄ちゃんに怪我をさせたんだよ……わざとじゃなかったみたいで和解はしたけど、一歩間違えれば大けがだったんだよ」
ネクラと虚無は考えを示し合わせる様に目線を合わせた。
一連の不可解な事件の被害者は臨弥と仲が良かった女性、そして臨弥に危害を加えた男性と言う事になる。
やはりネクラが当初推測していた通り、臨弥本人と何かしら関わりがある人間が襲われている。ネクラも虚無もそう確信した。
「そう言えばそうだったわね……。それでしばらく私も、夫も輝ちゃんも、周りの人間から近くにいたら呪われるかもって距離を置かれてしまったものね」
臨弥の母親が悲しい表情で目を伏せた。それを聞いた輝も顔を曇らせていた。
家族を奪われ、周りの人間からも敬遠されて相当辛い思いをして来たのが分かる。
臨弥の母親も輝も黙り込んでしまい、元々無口な虚無も言葉を発さないため、その場に重い沈黙が流れる。
「でも、逢沢神社の娘さんだけは違ったのよ」
その場の空気を変えようとしたのか、臨弥の母親は比較的明るい声色で言った。
『逢沢』と言う言葉を聞いてネクラと虚無が反応する。
「逢沢神社、と言うのは逢沢那美さんのご実家ですか」
虚無が言うと臨弥の母親は笑顔で頷いて嬉しそうに続けた。
「そうです。さすが那美さん。探偵事務所の方まで知っているなんて、余程有名で優秀な陰陽師なのね」
「うん。優しくていい人だよ。あの人のおかげで助かった」
輝もその言葉に同意した。虚無は詳しく話を聞くために質問をする。
「助かった、と言うのは具体的にどういう事ですか」
臨弥の母親は臨弥が命を落としてからの那美の行動を詳細に語り始めた。
「彼女は元々、この町で唯一の神社の娘さんで陰陽師としての活動はメディアでもよく取り上げられていたため、とても有名でお名前は知っていたのですが、実際にお会いしたのは今回の件が初めてでした」
「私も。同じ学校なのに、最近まで那美さんには会った事がなかった」
輝も那美とは学校内で会った事がないと言う。彼女は仕事が忙しいから学校にはほとんどいなかったと臨弥も言っていた。
那美が陰陽師の活動を精力的に行っていた事が覗える。
「陰陽師として、臨弥と私たちの力になりたいってお祓いまでしてくれて。彼女のおかげで最近私たちの周りでは不可解な事件は起きなくなりました。その後、彼女が周りに呼びかけてくれたおかげで、敬遠される事もなくなりましたし、本当に感謝しています」
臨弥の母親は那美に感謝の気持ちを露わにした。
輝も那美には相当感謝している様で興奮気味に言った。
「臨弥兄ちゃん、まだ成仏してないらしくて……でも兄ちゃんの魂を必ず成仏させてくれるって約束してくれたの。今では那美さんの方から声をかけてくれる様になって色々相談にも乗ってもらってる。那美さん、かっこいいんだ。陰陽師の仕事もあるのに文武両道で学校でも生徒の憧れの的なんだよ!でも……」
輝は突然表情を暗くして黙り込んでしまった。その様子を不自然に思った虚無が輝に問いかける。
輝は一拍置いた後にしょんぼりとして答えた。
「どうかされましたか」
「うん、あのね。陰陽師としての仕事もあるのに、毎日すごく頑張ってくれてるんだ。だから、疲れてるんじゃないかな、最近怪我が多くてちょっと心配……」
その言葉を聞いたネクラと虚無は、彼女が左手の甲が隠れるほどの大きさの絆創膏をしていた事思い出す。本人も最近怪我が多いと言っていた。
「そうですか……わかりました。ありがとうございます」
もうこれ以上、聞き出す様な話はないと判断したのか虚無は不自然なまでに話を切って立ち上がった。
「あら、もういいんですか」
不思議そうに虚無を見上げる臨弥の母親と輝だったが、虚無が頷くとすんなり玄関まで見送ってくれた。もちろんネクラも虚無の後に続く。
虚無が門も跨いだ時、臨弥の母親の母親は虚無を呼び止め、そして深々と頭を下げて言った。
「どうか、どうか息子にひどい仕打ちをした犯人を見つけて下さい」
「わ、私からもお願いしますっ」
輝も臨弥の母親に倣って深々と頭を下げる。
そんな2人をいつもの無表情で見つめ、自分は本当は探偵助手ではないし、人間の願いの為に動くつもりはないと思いつつ、目的は同じのため探偵助手らしく答えた。
「はい、必ず」
臨弥の家を後にし、2人は立ち入り禁止の札が立つ雑木林の中で今までの話を振り返っていた。
注意書きの看板が立っている場所など本来は立ち入ってはならないが、ここなら那美と鉢合わせをする事はないだろうと言う考えから、ネクラも虚無も霊体であるため現世の決まり事は適応されないとの見方をする事にした。
「凪元さんを殺めた人物と、凪元さん彼の周りの方々に被害を与えた存在は違うのでしょうか」
臨弥の事件は明らかに人為的なものだが、その後に彼も周りで起こった事件は不可解なものが多く、霊的な何かが関わっている気がしてならない。ネクラはそう思っていた。
「凪元臨弥を襲ったのが人間だと言うのは俺も同じ意見だな」
「私たちが明らかにすべきはその人間の方の犯人ですよね」
「ああ」
ネクラの言葉に虚無は短く答えた。
話がこんがらがってしまったが、ネクラは自分たちの本来の目的が『臨弥の命を奪った者を見つける事』であるのを思い出す。
「凪元さんの周りで起こった不可解な事件も気になりますが、現状ではそちらは放置しないとだめですか」
「全く関連性がないわけではないと思うが、重きを置くのは良くないな」
つまりは『不可解な事件』は優先事項ではないと言う事だ。気になるところだが仕事を成し遂げるためには仕方がないと言う事か。
そんな不満をネクラが顔に出していたのか、虚無は言った。
「俺たちがこの町に来た時には目立った霊体反応はなかった。もしこれまでの不可解な事件が悪霊の仕業だとして、さっき聞いた話が事実なら、あの娘がそれを祓ったんじゃないのか」
だから不可解な事件はもう済んだものと考えろ。と虚無は続けた。
しかし、ネクラはまだ納得できない様子で言う。
「臨弥さんに関わる人が狙われるのであれば、彼を成仏させようと奔走している那美さんも危ないと思って。最近、怪我が多いと言うのが引っかかるんです」
お人好し気質で那美の身を案じ、臨也を殺めた犯人探しを優先する事に首を縦に振らないネクラに虚無は大きく溜息をついた。
「はあー。確かに、あの娘に現在進行形で呪いがかかっている事は間違いからな。そんなに気になるんなら行ってみるか」
「えっ」
ネクラが驚いて虚無を見る。彼は渋々と言った表情で言った。
「あいつの実家。逢沢神社に行ってあいつにかかる呪いの解明をすると言ってるんだよ」
「う、うん。ありがとう。虚無くん」
ネクラが笑顔で礼を述べ、虚無は眉間に皺を寄せながら彼女から視線を外した。