第四章 第五話 凪原臨弥との出会い
「呪いって、那美さんはさっき死神さんが言っていた一時的に祓った霊に恨まれているって事!?」
ネクラが目を丸くして言うと虚無はゆっくりと頷く。
「ああ、最近怪我が多いとあの娘が言った時、気が乱れているのが確認できた。恨みやの呪いの類だとは思っていたが、何故そんなものを纏っているか確証が持てなくてな」
「さっきの死神さんのお話で確信したんだね」
「ああ」
中途半端な力の者が霊を祓っても一時的なものでしかなく、霊に恨まれる恐れはあるが自分で何とかできるだろうと死神は言っていたが、やはりそれなりに被害には遭うのかもしれない。
勝気に笑う那美の姿を思い出し、ネクラは突如彼女の事が心配になった。
「もし、那美さんが先に凪元さんの魂を見つけて、親切で成仏をさせようとした場合、彼女は未練がある凪元さんに恨まれる可能性もあるって事だよね」
心配そうなネクラに虚無は短くはっきりと告げる。
「可能性はゼロではないな」
「じゃあ、なおさら私たちが先に見つけないと。急ごう!」
しかし、急ごうと決意したのは良いものの、凪元臨弥に関する情報は全くないと言うこの状況で何をどうすれば良いのか。
ネクラが頭を悩ませたその時、商店街の路地裏を横切る紺のブレザーの学生が視界に映った。
その姿と記憶が一致した時、ネクラは思わずその人物に指を差し、大声で叫んだ。
「いたーーーー!」
虚無は冷静にネクラが指さす方へ視線を向ける。
そこには紺色のブレザーに灰色のズボン姿の整った顔が印象的な男子高校生、そしてネクラたちが探し求めていた魂である凪元臨弥がいた。
ネクラの叫びに驚いたのか目を見開いてこちらを見て立ち尽くしている。
ネクラが恐らく何も考えずに駆け出し、仕方がないなと呟いて虚無も彼女を追いかけた。
「凪元さん。凪元臨弥さんですよねっ」
男子高校生、凪元臨弥の目の前に辿り着くや否や、ネクラは臨弥の顔を覗き込みながら興奮からか彼に凄む。
「は、はい。そうですけど……君たちは?」
ネクラたちを警戒しているのか、後退りをしながら臨弥はネクラと虚無の姿を確かめる様に交互に見る。
ネクラはそんな彼の警戒を解こうと声をかけようとして、喉元まで出かかった言葉を止めた。
「私は、えっと」
那美と出会った時の事を思い出し、発言をする事に慎重になっていたネクラが臨弥には名前を言っていいのか、と目線で虚無に確認すると彼が首を縦に振ったので、すっかり自分に馴染んだ名前を口にする。
「私はネクラって言います。こっちは虚無くんです」
「どうも」
虚無は軽く頭だけを下げてそっけなく挨拶をした。
臨弥は2人の様子を見て、危険人物ではないと判断したのか、警戒心を緩めて言った。
「こちらこそ、どうも。あの、僕の事が視えるんですか」
「はい。お会いできてよかったです」
臨弥が嬉しそうに笑う。そんな彼にネクラは丁寧に自分たちの目的を話す。
自分たちが何者であるか、臨弥が亡くなっている事もその原因も知っており、臨弥が何故現世に留まっているか、説明できる範囲で彼に伝えた。
「私たちは、凪元さんの未練を断ち切るためにあなたを探していました。どうか事情を教えてくれませんか」
ネクラの言葉に臨弥は少し言葉を詰まらせた後、愁容な顔で言った。
「わかりました。僕が分かる事なら全てお話します」
「よし、決まったな。場所を変えるぞ」
臨弥の了承を得た虚無がその場で指をパチンと鳴らす。
店が立ち並び、まばらだが人がいたその場所が一瞬で真っ白な世界に変わる。
「えっ。結界?なんで」
ネクラが驚いて虚無を見る。臨弥も突然の事態に訳が分からず、挙動不審に辺りを何度も見渡した。ネクラたちの一時的な拠点『死神空間』によく似たこの空間は死神が創り上げる結界だと以前の仕事でネクラは知っていた。
だが、死神の結界は本来、悪霊が町中や人通りが多い場所に現れ暴れた際に、現世の被害を最小限にするために張るものではないのか。
そう思いながらネクラが臨弥と一緒に戸惑っていると、見兼ねた虚無が彼女に言う。
「ここは生者が介入できない空間だ。またあの娘が現れるかもしれないからな。結界内なら時間も経たないし、第三者の話を盗み聞きされる事はない。好都合だろう」
あの娘とは那美の事だとネクラは思った。確かに、彼女が成仏させるために探していると言う凪元臨弥は今ここにいる。
話を聞く前に祓われてしまい、最悪それがきっかけで彼が悪霊化してしまっては困る。
死神の結界は戦闘時以外にもこんな便利な使い方があるのか、とネクラが感心していると、臨弥がまだ少し怪しんでいるのか怪訝な表情で2人の様子を窺っていた。
その視線を感じ、ネクラは慌てて臨弥に向き直る。
「凪元さん、ここなら誰にも邪魔されないです。改めて、お話を聞かせて下さい」
「ああ、はい。わかりました、あまり思い出したくないけど……」
ネクラに促され、臨弥は苦笑いで話を始めた。
「でも話す事なんてそんなにないですよ。襲われたのは数か月前の部活帰り、多分8時ぐらいかな。前から来た人物に胸を一突きされた、って事はご存じですよね」
「はい。それは聞いています。人通りのない夜道を歩いていたのは何故ですか」
ネクラは慌てず、少しづつ情報を聞き出そうと試みる。
臨弥は頷いてゆっくりと話を続ける。
「僕、サッカー部なんですが、試合前とかだと夜遅くなるのは当たり前で……あ、本当はダメなんですけど、規定の時間後に学生が自主練してそれを先生もある程度までなら黙認って感じで……」
臨弥は生前を思い出しているのか、懐かしそうな表情で話していた。
「それで、遅くなったら近道をするって言うのが俺の日課みたいになってて、あの日も近道をしたんです。暗くて人通りの少ない路地の裏手に出る必要があったんですけど、数メートル先は住宅街と繋がっているし、僕、男だし。危険はないかなって油断していました」
でも、殺されました。と悲しげに瞳を伏せた。それは油断していた己を責め、反省している様にも見えた。
つい先日までの日常が第三者の手によって突然奪われ、未来をも失った臨弥がそんな事を思う必要はないのに。そう感じたネクラの胸が切なさで締め付けられる。
「1人で帰っていたのは何故です」
「途中までは一緒に帰ります。でも友達は皆別方向なんですよ。それに僕の家は住宅街でも少し奥まった場所にあるので」
臨弥の話によると、部活で夜遅くなるのも、近道を1人で歩くのも日常だと言う。と言う事は行動を把握されていた可能性も出て来た。
無差別な通り魔ではなく、悪質なストーカーの仕業かもしれない。ネクラはそう思いその疑問を口にする。
「普段からストーカー被害とか、嫌がらせとか、そう言うのはありましたか」
「ああ、うん。自分で言うのは恥ずかしいけど、サッカー部とかやってると注目を集めてしまうみたいで、貰う手紙やプレゼントの中には中々過激なものもあったよ。同性からもそれなりに嫌味を言われる事もあったなぁ」
臨弥が顔を引きつらせて笑う。若干顔が青くなっていたので、余程嫌な思いをしたのだなとネクラは感じ取った。
通り魔、ストーカー、逆恨み。様々な可能性が明るみになり、ネクラはついに核心を突いた質問をする。
「凪元さんは、犯人の顔を見ましたか」
その言葉を耳にした時、ビクリと臨弥の肩が動き、目線を逸らしたが、すぐさまネクラに向き直って首をゆるゆると横に振る。
「いいえ。突然の事でしたし、暗かったので、犯人の顔までは……」
「そうですか……」
やはり、そう簡単には解決の糸口は見つからないか。ネクラが肩を落とし、そう思った時、虚無が口を開く。
「ずっと気になっていたんだが、何故お前の未練は『自分の命を奪った奴が知りたい』ではなく、『自分が殺された理由を知りたい』なんだ」
「えっ」
ネクラは驚きの声を発した後目を丸くし、臨弥を見る。彼は表情を硬くして居心地が悪そうに瞳を逸らした。
虚無は追い打ちをかける様に淡々と続ける。
「突然殺されて相手に強い未練を持つのであれば、通常は『自分を手にかけた奴を知りたい、復讐をしたい』と恨みを持つだろう。実際、俺はそう言う奴を数多く相手にして来た」
ネクラは未だに虚無の言いたい事が分からず、それを理解するため、ただ彼の言葉に耳を傾ける事しかできない。
対して臨弥は決して虚無の方を見ようとはせず、明後日の方向を見ながら口を堅く結ぶ。
しかし、虚無の追及は続く。
「俺が見たところお前は現時点では犯人に恨みは持っていないし、未練も『理由を知りたい』と言うこの一点だけ。であれば考えられることはただ一つ」
ネクラと臨弥のそれぞれに緊張が走り、そして虚無は強い口調で臨弥に言った。
「凪元臨弥。お前、犯人の顔を見ただろう。もしくは心当たりがあるな」
そう虚無に告げられた瞬間、精神状態が限界を超えたのか、臨弥の顔色が真っ白になる。
ネクラも驚いて虚無と臨弥を交互に見る。そして、臨弥の様子から虚無の推測が的中している事を悟る。
「凪元さん、そうなんですか」
ネクラが臨弥を気遣う様に優しく問いかけると、彼は何度か視線を泳がせ、息を飲み、拳を握りしめた後、観念したのか疲れた様子で息を吐く。
「はあ……。そうです。見ました。犯人の顔。ほんの一瞬でしたが」
「どうしてさっきは嘘をついたんですか」
ネクラが眉を下げ、悲しそうに聞くと臨弥は暗い表情で答える。
「全くの嘘ではないんです。ただ、僕自身が信じたくないと言うか、見間違いであって欲しいと言うか……」
「信じたくない?」
犯人を庇う様に言葉を濁す臨弥にネクラと虚無が同時に眉を顰める。
「顔を見たのは一瞬です。刺されてパニックになっていましたし、相手も返り血を防ぐためか、それとも闇に溶け込むためか……黒ずくめでしたから。でも、確信はあります」
襲われた時の事を思い出したのか、臨弥の体は震えていた。しかし、それを何とか抑えようと踏ん張りながら、彼は深呼吸した後に言った。
「あれは、間違いなく僕と同じの学校の生徒でした」