第三章 第三話 憧れの人を見る時はサングラスを所望する
ネクラは今回の仕事対象である魂、未練を残し浮遊霊となって現世を彷徨う、トップアイドル蒼井美空もとい美空碧を探しに街に出て来た。
若者や普段着の人間が少なく、スーツを着こなした人々が交差点を忙しく走り回っている事からおそらく、今は平日の昼間だと予想ができる。
早く美空碧を見つけなければ。ネクラはそう思っていたが、心に衝撃を抱えすぎて未だに動揺していた。
ネクラは先ほどの会話を思い返す。
『その……死神さんがやっているバイトってなんですか』
『え、ああ。俺さ、この三条プロダクションでバイトしてるんだ。裏方だけど』
『えええっ!なんでそんな事』
『人間界で買い物したり、遊ぶ時にはお金がいるだろう。だから稼いでるの』
『稼ぐのは……まあ、置いておいて、どうして芸能事務所なんですか』
『最初は人間界を現界して散歩してたらスカウトされたんだよね。でもさ、現世との深い関わりは持つべきじゃないし、でもお金は欲しいしで裏方ならいいですよって言ったらオッケーもらえて、ここでたまーにアルバイトしてるの』
『え、その長身と銀髪でですか。目立ちません?』
『スカウトされた時は長身だけど茶髪だったからねぇ。今もその時の姿で働いてるから目立たないよ。あ、イケメンで目立ってるかもだけど』
『もういいです。要するに、人間界で遊ぶお金が欲しいから遊び感覚でバイトしているんですね』
『そう言う事』
「はあーーっ」
回想を終え、ネクラは大きく溜息をついた。
なに、あの死神自由すぎると言うのが正直な感想だった。人間界で遊ぶお金が欲しいから芸能事務所でバイトってなんだそれ。しかも当初はスカウトだったとかなんだそれっ。
そもそも芸能事務所ってそんな簡単にバイトとかできるものなのか?
ネクラの中に様々な疑問が渦巻いていたその時、視界の端に見覚えがある姿が映った。
その人物は、交差点近くのビルに映し出された広告をぼんやりと眺めており、映し出された映像からは心が癒される様なしっとりとしたバラードが流れている。
行き交う人は皆、トップアイドルがそこに存在している事に気付かずに通り過ぎて行く。
動きが止まっているからチャンスとばかりにネクラは急いでその人物に近づく。
「あの、美空さん、美空碧さん」
「はいっ」
ネクラは声をかけられたその人物が振り返った瞬間に思った事が口から出た。
「眩しい、サングラス欲しい」
「はい?」
ネクラは碧が振り向いた瞬間のアイドルスマイルをその身にまともに受け、その眩しさで消し飛びそうになった。
呼び止められたらスマイル。それはアイドルである彼女の条件反射であろうが、芸能人を生で見た事がなく、至近距離での出来事でもあったため、陰キャを自称するネクラには刺激が強いものだった。
そもそもネクラはめんどくさいオタクなのである。
推しの声優やアイドルの握手会やサイン会、イベントには一切の参加経験がないのだ。
その理由は『推し自分を認識して欲しくないから』である。
自分と言う人間がファンである事自体失礼と考えてイベントの参加応募さえしないため、実物の推しを間近で見てしまい、ネクラは精神の限界が近かった。
意識が飛びかけのネクラがったが、今度は戸惑い気味に疑問形の反応があったため、ネクラは我に返って気を取り直す。
「こ、こんにちは。私は死神補佐のネクラといいます」
ネクラは激しく動揺していたため、自身が不満に思っていたはずの名前を口にした。
ネクラがそれに気が付き、しまったと頭を抱えていると、くすくすと鈴が鳴る様に小さくかわいらしい声で碧が笑っていた。
「あ、あの?」
ネクラが不思議に思い声を掛けると碧は言った。
「ごめんなさい。あなた、感情が全部行動に出ているから面白くて」
「えっ」
かわいらしい声で大分ショックな事を言われネクラは固まった。
それを見た碧が取り繕う様に言う。
「あっ、笑ってしまってごめんなさい。その通り。私は美空碧です。何か御用ですか。ネクラさん」
再びにっこり微笑まれ、あこがれのアイドルを目の前にしたネクラにとんでもない緊張が走る。
「あの、実は……」
ネクラは自分が何故ここへ来たかを碧に話した。
自分は碧が元トップアイドルである蒼井美空であるとわかっていた事を最初に話した。
そして、碧の末路を知っている事、未練を持っている事もその内容も承知しており、自分はそれを取り除くために来た事など、普通ではとても受け入れがたい内容だったが、碧はそれを真剣にうんうんと頷きながら聞いていた。
「うん。あなたが私の正体を知っているのは何となくわかっていました」
「そうなんですか」
ネクラが目を丸くして言うと碧は楽しそうに言った。
「だって、ネクラさん。すごく緊張しているんだもの。私、一応アイドルなんですよ。握手会とかでネクラさんみたいな反応する人、たくさん見て来ましたからわかるんです」
「はい、私はあなたの大ファンです……」
碧の笑顔を前に、ネクラはヤケクソになって心の内を暴露した。
顔を赤くして俯くネクラを見て碧はやはりおかしそうに笑う。
「うふふ。あっごめんなさい。また笑っちゃった……。でもネクラさん本当にわかりやすくて、ふふっ」
「うう、恥ずかしい……」
憧れのアイドルに自分の行動を笑われ、ネクラは自分の顔が羞恥で赤くなっているのがわかった。相手に悪気がなさそうなため余計に質が悪い。
なんでも態度に出す癖を直そう。ネクラは心に強く誓った。
そんなネクラに対して、碧は申し訳なさそうに言う。
「でも、せっかくファンの前だって言うのにこんな地味な格好でごめんなさい。事故に遭ってからはずっとこの姿のままなの」
碧は自分のスカートを引っ張った。
改めて碧の格好を見ると確かにオフだと言う事がわかる。普段テレビの中で見る様な青色のぐヒラヒラとしたフリル満載の生地に星やハートがたくさん散りばめられた、俗に言う『夢カワ』ドレスではなく、黄色のカーディガンと白いトップス、紺色のロングスカートに黒いショートブーツと至って控えめな姿だった。
死神が言っていた。亡くなった魂は亡くなった時に着用していた服装をしていると。つまり、彼女は本当に仕事帰りに命を落としたのだ。
その言葉を思い出し、ネクラの心で憧れの人物が亡くなった事実が現実味を帯び始め、ショックが溢れそうになったが、なんとかそれを抑え込む。
「いえ、私は外見とかアイドルらしさであなたを好きになったわけではないので。私はあなたの歌が好きなんです」
ネクラははっきりと断言した。
なぜならそれは本心だったからだ。アイドルの鑑の如くキラキラとしている彼女に憧れを持っていたが、ネクラが一番好きだったのは碧の、美空の歌声だった。
透明でその場を包み込む歌声。アップテンポでもバラードでも、彼女が一度マイクを握ればもうそこは彼女の世界。
そして、歌っている時の彼女の笑顔は普段以上に輝いていて、歌が好きなのだと言う気持ちが伝わってくる。ネクラはそんな彼女が好きだった。
「そう言ってもらえてうれしいです」
微笑む彼女を見てネクラは自分の発言を振り返りハッとする。
「あ、あのぅ。別に歌だけが好きなんじゃなくて、お顔もダンスも全部好きな上で一番と言うかっ」
「わかっています。大丈夫。あなたの気持ちは伝わりました。それに、未練を断ち切るお手伝いをして頂けるなんて、光栄です。」
死んだのに成仏できなくて困ってましたから。と彼女は微笑んだ。
彼女の笑みには死神とは違い全く胡散臭さはないが、笑うのが癖なのかと思うぐらい全てに笑顔で対応している様な気がした。
「あの、それでさっそくなんですけど、あなたのお話を聞かせて頂いても良いですか」
ネクラが本題に入ると碧は困った様に微笑んで、そしてしばらく考えてから言った。
「では、場所を移動しましょう。その方が話が早いかもしれません」
「移動ってどこにですか」
ネクラが聞くと碧は照れくさそうに、そして寂しそうに言った。
「三条プロダクションです。そこに私の未練の根源、想いを伝えたかった人がいますので」
「え、えええっ」
ネクラはまた大きく驚いた声を上げる。
だが、驚きもするだろう。トップアイドルの想い人は同じプロダクションの人間なのだ。
それは仲良しだと公言していたあの男性アイドルなのか、一時期噂になっていたタレントなのか、まさかお笑い芸人か……様々な考えがネクラの頭を過る。
そして、同時に生前に自分の立場上、その想いを伝えにくかったと言う気持ちも納得ができた。
トップアイドルの恋愛なんてスクープもいいところだ。週刊誌が逃すわけがない。恐らく碧は相手とプロダクションに迷惑がかかる事を想定したからこそ、想いを閉じ込め続けて来たのだろう。
ネクラは未練の片鱗が少しずつ見えて来た気がした。
「では、行きましょうか。ネクラさん」
「はい、あの、敬語やめてもらえませんか。憧れの方からの敬語は申し訳ない気がして」
プロダクションの方へと進もうとした碧を呼び止めて、ネクラはおずおずと言った。
対する碧はキョトンとしている。
「え。でも、失礼じゃないですか。これからお世話になる方なのに」
「いえ、これは私の気持ちの問題なので、どうか敬語はやめてください。推しに敬語を使わせていると言う事実があまりに申し訳なくて、お願いしますっ」
ネクラは勢いよく頭を下げる。今の姿勢では地面しか見えていない彼女からは碧の表情は窺う事ができなかったが、困っている事がなんとなく雰囲気で伝わった。
「わかったわ。ファンに応えるのも、アイドルの仕事だものね。しばらくの間、よろしくね。ネクラさん」
「ありがとうござ、ひっ」
御礼を言おうとネクラが頭を上げた瞬間、碧は彼女の名前を呼びながらウィンクをした。
俗に言うファンサである。当然、碧のファンであるネクラには効果抜群で彼女は御礼の言葉を言い切る事なく悲鳴を上げてしまった。
「ネクラさんは敬語をやめてくれないの?」
「それは勘弁してください」
碧が初めて不服そうな顔を見せたが、ネクラは何故かその表情に臆することなく、再び丁重に断った。
「すみません。それだけは無理なんです」
「むぅ、残念。じゃあ、せめて私の事下の名前で呼んでよ。もちろん本名の方でね」
推しに笑顔で詰め寄られ、ネクラは仕方ないと言った様子で頷いた。
「わ、わかりました。碧さん」
「決まりね!嬉しいわ。じゃ行きましょう。三条プロダクションへ」
「はい」
眩しい笑顔を向けられ、やっぱりサングラスが欲しいと思いながら、ネクラは丁寧に返事をし、元来た道を憧れのトップアイドルと共に戻った。