第八章 第八話 残された両親の想い
この度はお読み頂いて誠にありがとうございます。
こう言う題材を取りあげて小説や漫画を書く時、なるべくキレイ事にならない様に心がけているのですが、説教くさくなっている時点でキレイ事になってしまうんですかね……。
特にご意見を頂いたわけではないし、評価に変動があったわけではないですが、何となく思ってしまいました。表現をするって難しいです。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
襖を開け、仏間に姿を現したのはネクラの母親だった。手には湯気を放つおかずとお茶が入った小さな湯呑が乗ったお盆を持っていた。
ネクラの記憶にある姿よりは若干、年老いた印象はあるが懐かしい母親の姿だった。
再び姿を見る事ができた嬉しさと、自ら命を絶った事への罪悪感、その他色々な感情がネクラの中でぐちゃぐちゃに渦巻いき、鼻の奥がツンとして涙が零れそうになる。
衝動的に駆け寄りそうになったネクラだったが、はっとして動きを止めた。目の前の母親は自分を見ていない事に気が付いたからだ。
残念ながら、霊体であるネクラと死神の姿は霊感のない母親には視えていない。もちろん、声も届かない。その事を改めて思い知らされ、ネクラは悲しそうに母親へと伸ばした手と言葉を引っ込めた。
下を向いてその場で立ち尽くすネクラを覗き込みながら死神が言った。
「こら、俺の前ではウジウジ禁止って言ったよね」
「そうですけど、これはさすがに……」
自分から手に届かないところに旅立ったとは言え、比較的良好な関係だった実の親を目の前にして複雑にならない魂があるだろうか。
こればかりはウジウジ禁止と言われても無理だと宣言できる。ネクラはくっと唇を噛み、湧き出る様々な気持ちと言葉を抑え込む。
「まあ、君の場合『残された人間』はいたわけだからね。こうなる未来は少なからず予想できたはずだけど、まさか考えなしだったの」
死神は何を今更と言わんばかりに呆れた表情でネクラを見やる。ネクラは言葉を詰まらせて黙り込む。
考えなし、とは言い得て妙だと思う。あの時は現状から逃げたい一心で、現世から離れる事以外ないも考えていなかったのは誤魔化しようのない事実である。
「ははあ、考えなしだったんだね。そりゃ自ら命を絶つ魂が多いわけだ」
死神はネクラの心中を読み取ってさらに呆れて言った。恐らく、ネクラだけではなく、自ら命を絶つ全ての魂に呆れている様子だった。
「つらくて苦しい気持ちに支配されると、どうしても周りが見えなくなります。それに、悩んで命を絶つ人の中には家族にも恵まれない方もいると思います。なので、そんな冷たい事を言うのはやめて下さい」
ネクラは弱々しく、しかしそれでいて懸命に自分の気持ちを述べ、自分と似たような運命を辿る魂たちを擁護した。
「じゃあ、家族と良好な関係を築いていた君はとても哀れな選択をしたって事だね」
「……そうですね、そうかもしれません……」
死神は言葉をオブラートに包む事をしない。そのため、その言葉は厳しく、時には氷の様に冷たく尖って心に刺さる。
そして彼はネクラの精神を攻撃するために厳しい言葉をかけているのではない。死神は事実を述べているだけなのだ。ネクラもそれを十分に理解していたため、反論する事などできなかった。
ネクラが死神から瞳を逸らし、下を向いて黙り込んでいると、再び襖が開かれた。仏間に足を踏み入れた人物はネクラの父親だった。
「お父さん……」
決して届く事のない呟きに近い声をネクラは零す。父親も記憶よりは白髪が増え、年老いた印象は受けるが、少し厳しい印象の表情も、ビシッと伸ばされた背筋も変わっておらず、年齢を重ねてもそれほどの変化は感じられなかった。
仕事人間だった父親が家にいると言う事は今日は休日なのだろうか。ネクラがそんな事を思いながらふとその手元を見ると、花が抱えられていた。
仏間へ持って来たと言う事は、仏壇に供えるためのものだろうか。それにしては仏花と言うよりは鮮やかな花で彩られたそれはブーケに近かった。
「お帰りなさい。ご苦労様、お花ありがとう」
「今日は――の月命日のだからな」
父親の言葉の一部にノイズが走り、ネクラは思わず耳を塞ぐ。恐らく、父親はネクラの生前の名を呼んだのだろう。
自ら命を絶ち、死神の元へ辿り着いた魂は生きた証である名前を奪われる。そしてそれは二度と本人に戻る事はなく、思い出す事も知る事も許されない。
もし、第三者から名を呼ばれる様な事があった場合、この様にノイズが走りそれを阻害する。
どの様な状況においても、生前の名前を知る事はできない。死神補佐や死神見習いになった魂の宿命だった。
最初は名前を奪われたと知り、喪失感を覚えていた。しかし、死神が一時的に与えてくれた『ネクラ』と言う、半ば適当に名付けられた当初は非常に不本意だった名前にも慣れてきたせいか、本当の名前の事など存在自体を忘れていた。
久々に名前を遮断された感覚にネクラは顔を歪める。
「君の月命日だって。いいタイミングに来られたね」
ノイズに苦しむネクラに構う事なく死神はのんびりとして言う。ノイズに気を取られていたネクラは改めてその事実を理解する。
そして死神に疑いの眼差しを向けて言った。
「……。死神さんは最初からわかっていたのではないですか」
死神は時々、ある程度の情報を入手しておきながらそれを伝えない事がある。全ては転生を望む魂たちのため。頑張りによって得る量が変わる『輪廻ポイント』のため、自分の力でギリギリまで努力させる。それが死神の指導方法だ。
そのため、今回もネクラに何かを掴ませるため、色々と思惑を隠している気がしてならなかった。現に死神が絶えず浮かべている笑顔は心なしか嘘くさい。
ネクラに疑いをかけられている死神はにっこりと笑って白々しく言った。
「ええ、疑り深いなぁ。まあ、想像に任せておくよ」
「うむむ……。やっぱり怪しい」
はぐらかすところがますます怪しい。ネクラはそう思い眉間にぎゅっと皺を寄せたが、両親が会話をし始めた事によりネクラの意識がそちらに向く。
「この子の事を1日たりとも思わなかった日はないけれど、月命日は特に胸が苦しくなるわ」
ネクラの母親は仏壇に飾られた彼女の写真を眺めながら瞳を潤ませていた。父親も仏壇の近くまで来てブーケを飾り、そのまま線香を上げて手を合わせる。
「そうだな。俺もそう思うよ」
ネクラの父親は静かに同意した。そのまま暫くどちらも言葉を発する事はなく、ネクラの写真を眺めながら静寂が続いた。
その様子を見ているとネクラは妙に居心地が悪くなり、自分のせいでこの雰囲気が生まれたと自覚している事もあるのだろう。ネクラはこの場から逃げ出したい衝動に駆られ、その場から離れようとした時、死神がネクラの腕を掴む。
「だめだよ。ちゃんと君の両親の今を見届けて」
「……。はい」
死神があまりにも真剣な眼差しで見つめ、そして強く腕を握って来たためここから離れる事は叶わず、ネクラは力なく頷いて再び両親の方へと視線を移した。
「あの子がいなくなってもう十年以上なのね。もし生きていたら、あの子は今どんな人生を送っていたのかしら」
「叶わない未来を俺たちが描くのは良くないと前にも言ったはずだ」
父親が厳しい口調で母親に言い、母親はごめんなさいと小さく呟いて表情を暗くして俯く。
そしてすぐさま顔を上げ、悲しげな表情のまま別の話題に切り替えた。
「でも、さすがに10年以上も過ぎるとマスコミも、世間の人もあの子の事件に興味をなくしてしまうのね。当時はあんなに騒がれていたのに。連日家にマスコミが来ていたし」
「ああ。一般人が面白半分で写真を取ったり動画を回したりしていたな」
父親は不快な感情を露わにして吐き捨てる様に言った。
やはり、自分の行動は家族に迷惑をかける羽目になっていたらしい。冷静に考えればそうなるとネクラは思った。
いじめを苦に学校の屋上から投身。これをマスコミや世間が注目しないわけがない。こう言う事件が起きた場合、マスコミはそれを取り上げて連日報道する。
家には多くの記者が訪れ、インタビューを求めるのだ。
ニュース番組では特集が組まれ、似た様な事件と比較しながら専門家やコメンテーターが討論するのだ。
ネットには悪口目的のスレッドが立ち、近年では素人の意味のない考察動画が投稿されたりする。
特に両親は責任問題を問われる事だってあるだろう。ネクラは生前にテレビやパソコン越しにそんな光景を他人事の様に眺めていた事がある。
関係者でもない人々が不必要に話題にし、騒ぎ立てる事に不快な思いをしていたが、まさか自分がその話題に上がる存在になるとは思っても見なかった。
死神の言う通り、自分は考えなしだったのかもしれない。自ら命を絶てば現世での人生は終わるが、現世の時間はネクラの死に関係なく流れる。
ネクラの人生が終わったとしても、両親の人生は続くのだ。残された両親は自分のせいで残りの人生を苦しむ事になってしまったのか。
「あの頃は毎日家の外が騒がしくて、ノイローゼになりそうだったけど。こうして周りが落ち着いて行くとあの子の行動は世間では完全に過去のもになってしまったのだと思い知らされるわ」
母親はスンッと鼻を鳴らしながら声を震えさせた。
「それは仕方がない。こう言う事件で人が亡くなる場合、家族以外はいとも簡単に忘れ去ってしまうものだ」
感傷に浸る母親とは違い、父親は割り切っている様で悲しむ母親の言葉に毅然として返した。
当然の事を述べた父親だったが、今の精神状態の母親には辛い言葉だったらしく、抑え込んでいた感情が溢れ出る。
「あの子の話をきちんと聞いてあげればよかった。あの子なら、どんな辛い状況にでも打ち勝って立ち直るって、信じていたのに」
母親は両手で顔を覆い隠し、その場で震えながら泣いた。その姿にネクラの胸が締め付けられる。自分の母親が自分の事で泣いている。それがどうしようもなく悲しかった。
「それは俺も同じだ。俺たちは少し子供を信頼しすぎていたのかもしれないな。ネガティブな苦しみは本人にしかわからない。今はそう思えるがあの時はあの子なら大丈夫だと思い込んでいた。自ら命を絶つまで追い詰められているとは思わなかった、その結果がこれだよ」
父親はネクラの写真を悲しく、そして罪悪感にあふれる眼差しで眺める。
両親はかつてのネクラへの対応を悔いている様だった。その姿を見た時、ネクラの中に今更後悔されても遅いと言う気持ちと、どうか悲しまないで欲しいと言う気持ちがせめぎ合い、頭が痺れる。
「あの子は私たちを恨んでいるかしら」
母親が取り出したハンカチで涙を拭きながら言った。
ネクラは思う。助けて欲しかったと言う思いはあったが恨んではいないと。
「さあ、どうだろうな。親として失望されていても仕方がないな」
父親は落ち着いた口調でそう返した。
ネクラは思う。少しの不満はあれども失望はしていないと。
「……っ」
気持ちを沈めて行く両親に何か声をかけたかったが、何も言葉が出て来なかった。そもそも、霊体であるネクラの声は届かない。その事実を思い出したネクラは口を噤んだ。
「俺たちは確かに未熟な両親だった。だから、残された者としてあの子に恥じない生き方をするしかない」
父親はしゃくりあげる母親の肩を抱き、優しい口調で気遣う様に言った。
「あの子を救えなかった私たちにそれができると思えないわ」
ハンカチでは拭いきれない涙を溢れさせながら母親が言うが父親はゆるゆると首を横に振る。
「できないんじゃない。やるんだ。世間が忘れても俺たちがあの子を忘れない。あの子が抱えていた苦しみと俺たちへの不満を少しずつ理解して行こう。俺たちは前を向くしかないんだ」
母親は言葉を詰まらせた後、涙を流しながらコクコクと頷いた。
「お父さん。お母さん……」
支え合う様にしながら寄り添う両親をネクラは泣きそうになりながら見つめた。
自分はこんなにも両親を悲しませてしまった。辛さに負け、苦しさに負け、誰も自分を理解してくれないと言う不満に負け、後の事は考えずに命を絶ってしまった。
ああ、自分は何と言う事をしてしまったのだ。心の底からそう思った時、ネクラの瞳から涙が溢れて来た。
暫くして、両親は立ち上がり、父親が母親の肩を抱く形で歩き、仏間から姿を消した。
線香の香で包まれた部屋は物悲しさ感じる。
「行こうか。ネクラちゃん」
「はい」
もう用事は済んだとばかりに死神が短く提案し、ネクラは涙を拭きながら素直に頷く。
部屋を後にする際、ネクラは一瞬だけ仏壇を振り返り、飾られている自分の写真を見た。そして暫く写真の中の自分と見つめ合った後、すっと目を逸らして先を歩く死神の後を追いかけた。