第八章 第四話 悩む心、虚無の言葉
この度もお読み頂きまして誠にありがとうございます。
登場キャラにはなるべく見せ場を作ってあげたい。そう思って毎回文章を書いていますが、中々難しいですね……。もっと精進します。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
「なるほどな。で、それであいつはどこへ行ったんだ」
「うん、次の仕事が入ったらしくって、カトレアさんが呼びに来たよ」
柴とネクラが気まずい雰囲気の中で互いに無言で向かい合っていると、カトレアが再びこの部屋に戻って来た。
死神への用事は済んだのかとネクラが尋ねると、カトレアは笑顔で『ええ、なんとかね』とだけ答えた。
そしてネクラの正面に腰かける柴に次の仕事が入ったから行こうと伝え、柴は渋々とソファーから立ち上がった。
「先輩、迷いが解消されたら俺に報告して下さい。先輩の選択によって俺の心の準備が変わってきますから」
それだけを言い残し、柴はカトレアと共にネクラを残して部屋から立ち去った。
転生への悩みと柴からの告白じみた言葉で動揺が隠せずにぼんやりとソファーに腰かけるネクラに声をかけたのは自主練習帰りの虚無だった。
虚無もネクラの様子がおかしい事に気が付き、事情を聞いて来たのでネクラはこれまでの事を全て話した。虚無は納得した様子で頷いた。
「悩んだら原点に返れ、か。あいつもまともな事を言うじゃないか」
「柴くんは案外、冷静に物事を見る事ができる人だよ」
ネクラが何となくフォローを入れると虚無は『知ってる』と短く答えた。そしてネクラの隣に腰を掛けて聞く。
「で、どうなんだ、原点には返れたのか」
その言葉にネクラは力なく首を横に振る。
「ううん。なんだか考えがまとまらなくて」
考える間もなく虚無がやって来たと言う事もあるが、柴の告白じみた言葉のせいで何から考えれば良いかわからなくなったと言うのもある。
柴に相談してアドバイスを貰えたのは良いが、別の悩みと言うかモヤモヤができてしまった様な気がする。
虚無は悩みながらも少しだけ頬を赤らめるネクラを見つめて素っ気なく言った。
「しかし、お前は悩むのが好きだな。いつも何かにモヤモヤしてる気がするぞ」
「う、悩むのが好きなんじゃなくて、そう言う性格なんだよ。後ろ向きになりたくないけどなっちゃうの。これだけはどうしようもないよ……」
ネクラはシュンと肩を落とし、そして無表情の虚無を見て言った。
「ねぇ、前にも聞いたかもしれないけど、虚無くんは本当に死神見習いの道を選ぶ事に悩んだり、不安になったりする事はなかったの」
虚無には生前から『寿命が視える』と言う特殊な能力を持っていた。それに悩み苦しみ、そして心から大切にしていた弟の死を防ぐ事も受け入れる事をできなかったのをきっかけに自ら命を絶ったと言う過去がある。
そして死後、この『死神空間』で死神と会い、その能力を買われて死神にならないかとスカウトされた。虚無はそれを承諾し、転生の資格を捨て、死神見習いの道を選んだと以前に本人から聞いた。
転生すると言う事にそれほど重きを置いていなかったと言う事、死神になる事により自分の能力が活かせるのであれば言う理由から虚無は死神見習いとなったが、転生を諦めると言う事は未来を捨てると言う事。そこに本当に迷いはなかったのか。
以前にも似たような質問を投げかけた様な気がするが、ネクラは今一度それを問うた。虚無は表情一つ変える事なく、それでいてハッキリと答えた。
「ない。迷いも不安もなかった」
「……転生しなかった事に全くないって事?後悔はない?」
「ああ。ない。後悔した事は一度もない」
全ての質問にて迷いない答えを返す虚無にネクラはもう何も問う事ができずに黙り込む。
また下を向いてしまったネクラに虚無が更に続けて自身の気持ちを述べる。
「別に俺は転生したくないと思った事はない。だが人生をやり直したいと思った事もなかった。ただ、死神サンから転生しても魂の性質は変わらないし、能力も引き継がれる可能性があると言われた時、自分の能力はより活かせる立場になりたいと思ったから死神見習いの道を選択しただけだ」
ネクラはゆっくりと顔を上げて虚無の方を見る。虚無の表情は相変わらず無のままだったが、その瞳は至って真剣で、彼の意志と心の強さを物語る。
こんなに自分の意見を持てる人間が一時の心の翳りで自ら命を絶ってしまうのだ。元々精神的に未熟な自分がどんなに考え、悩んだところで人生の岐路で選択などできるはずもない。
とてつもない情けなさに苛まれ、ネクラはますます憂鬱になる。そして、誰かに話を聞いてもらう度にこうして臥せってしまう自分にとことん嫌気が差した。
「私、本当に答えなんて出せるのかな。自信がなくなって来たよ……」
悩む事に疲れたネクラは溜息をついてうな垂れた。そんなネクラに虚無は冷静に言った。
「もしお前が決断できない時は死神サンが無理やり転生させるだろう。お前が黄泉の国へ送られる心配はない」
「無理やり転生?」
虚無の言葉にネクラは驚いた。まるで自分には選択肢がないと言わんばかりの言葉にネクラは動揺してしまう。
そんなネクラに構うことなく虚無は当然だと言わんばかりに言葉を続ける。
「お前が死神に向いていない事は目に見えているからな。お前がどうしても死神を目指したい。死神になるために努力をしたいと言うのであれば死神サンも考えてくれると思うが、優柔不断のままなら、転生させる方が無難だろう」
「確かに死神さんは私が死神見習いになる事に反対していたけど……でもじっくり考えてもいいって言ってたよ」
死神の思惑など知る由もなかったネクラは虚無の言葉が受け入れられず、不安と動揺を露わにしながら言うが、虚無は淡々と告げた。
「死神サンはお前の意見を尊重しようとしてくれているんだよ。だが、お前はまだ考えがまとまっていないからな。いざと言う時は強行手段にでるだろう」
「……死神さんが待ってくれているとしても、あんまりじっくり考えすぎてもダメって事?」
ネクラの問いかけに虚無は頷いた。
「お前がどんな結末を迎えたとしても、それを納得のゆくものにしたいなら、強制的に転生させられない様にお前自身でなるべく早く決断する事だな」
当然の事の様に正論を述べる虚無だが、それができれば苦労はしないし、こんなに悩む事はない。
虚無の言葉を聞き、ネクラの不安と焦りがますます深まり、加速してしまった。言葉が出ない代わりに大きく息を吐き出す。
俯くネクラの頭にポンと優しい感触があった。ネクラが顔を上げると、普段は無表情だが、いつもよりも柔らかい表情を浮かべた虚無がネクラの頭をワシャワシャと撫でていた。
「き、虚無くん?」
先ほどまで厳しい言葉をネクラにかけていた虚無が突然、慰める様な行動をとった事に驚くと同時に頭を撫でられると言う行為に照れてしまい、ネクラは顔を赤らめる。
虚無は今回に限らず、ネクラが落ち込んだり悩んだりした時はよく頭を撫でて来る。それは恐らく生前の彼には幼い弟がいたためだと思われる。
年の離れた兄弟でよく2人で遊んでいたと言っていた。感情表現が素直且つ不安定な幼子と過ごす時間が長かった影響か、虚無はネクラを宥めたり慰めたりする時は子供扱いをするかの様に頭を撫でる。
前々から虚無にとって自分は子供と同列なのかと少し不満に思っていたネクラだったが、頭から伝わる虚無の気遣いや心の温かさはとても心地が良く、ネクラは頭を撫でられる度に複雑な気持ちを抱いていた。
複雑な気持ち、自分でそう表現したがネクラはその感情に疑問を抱いた。複雑な気持ちとはなんだろう。
自分は虚無に子供扱いされる事が何故不満なのか、何故複雑に思うのか。本心では虚無にどう思われたいのか。
虚無に頭を撫でられながらもネクラはまた新たな思いを抱えて悶々としていた。ネクラの複雑な気持ちになど欠片も気が付いていない虚無は優しく、そして力強い口調で言った。
「死神サンが痺れを切らせるギリギリまで悩めばいい。俺はお前が転生するなら見送ってやるし、死神見習いになると言うのなら先輩としてお前を助けてやる」
「うん、ありがとう。虚無君」
ネクラは答えの出ない気持ちに蓋をして、虚無の優しさに微笑みながら礼を述べた。それを受けた虚無は満足そうに微笑み撫でていた手をネクラから離した。ネクラは少しだけ、名残惜しさを感じていた。
「でも、そっか。もしも私が転生を選んだら、ここで出会った人たちとはお別れなんだね」
「ああ。そうだな」
今まで当たり前の様に話をして仕事で協力する事もある、生前1人ぼっちだったネクラに取って初めてできた仲間と呼べる存在。
転生を選べばその存在すらも失う事になると思うと、それも悩みの1つに変わる。また表情を曇らせ始めたネクラを見てその心中を察した虚無はやれやれと言う表情をして浅く溜息をついた。
「お前は……よくも次から次へと悩みが思いつくな」
ジトリと睨まれてネクラは申し訳なさそうに身を縮こませる。
「だ、だって、考えちゃうものは仕方がないよ。うう、でもどうしよう。なんかもう何に悩んでいるかわからなくなってきちゃった」
転生への恐怖、転生を選択する事でやって来る別れ、死神見習いになると言う選択肢、様々な問題が後ろ向きで優柔不断なネクラを悩ませる。
せっかく柴から『原点に返る』と言うアドバイスをもらったと言うのに、極端に後ろ向きなせいで、自分の心のモヤモヤを何からどう解決すべきかわからなくなってしまった。ネクラは混乱と自身への情けなさで頭を抱えてうな垂れている。
「悪いが今回のお前の悩みについては俺は助けてやる事は出来ない。素っ気なく思われても構わないから言うが、自分の未来は自分で決めろ。選択肢なんざ、どちらを選んでも後悔する事の方が多いんだから」
本当に素っ気なくズバリと言われてしまい、ネクラはその言葉を重く受け止めた。
「後悔はしたくないから悩んでるんだけどなぁ」
正論へのせめてもの抵抗にネクラはそんな事をぼやいたが、虚無はそのささやかな抵抗をもバッサリと切り捨てた。
「いや、後悔はするぞ。特にお前みたいにすぐに悩む人間は特に。だからこそ、自分で決めて自分で責任を持つ必要がある。お前の人生だろ。お前が責任を持たずにどうするんだ」
「う、うう。そうだね。そう、なんだけど……」
正論続きで滅多打ちにされたネクラは肩を落としながら、納得と不満が混じった反応を返した。
「まあ、悩める内に悩んでおけ。話ぐらいなら聞いてやる」
「うん……」
そう言って虚無はまたネクラの頭を撫でた。頭に心地よさを感じながらも、心はモヤモヤしたままのネクラは力なく頷くのだった。