第八章 第一話 転生への恐怖
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「あの、死神さん」
ある日の事、悪霊折檻の仕事を終えて自身の拠点である探偵事務所風の部屋で一時の休憩をしていた折、ネクラはおずおずと死神の名を呼んだ。
「なぁに」
死神はキャスター付きの椅子で自分の体をゆらゆらと左右に揺らしながら、ネクラに気の抜けた返事を返した。
「死神補佐から死神見習いになる事って可能なんですか」
その言葉を聞いた瞬間、キャスター付き椅子の揺れで遊んでいた死神の動きがピタリと止まる。
何か空気が重たくなった様な気がしたネクラに妙な緊張が走る。死神はいつもより低いトーンでそして冷たい眼差しをネクラに向けて言った。
「突然どうしたの。冗談だったら全然笑えないけど」
凍てつく視線にネクラは全身が固まり、冷えて行くのを感じたが、何とか言葉を発する。
「じ、冗談のつもりはありません。本当に気になったから聞いたんです」
「ふぅん」
いつになく強気に発言するネクラを見て本気の発言だと思ったのか、死神は冷たい雰囲気を少しだけ和らげ、ネクラをジトリと眺めた。
「本気なら話を聞いてあげるよ。なに、どう言う心境の変化でそんな事思ったの」
死神は気だるげに椅子の背もたれに深く持たれながらネクラの方を見据える。少しは和らいだとは言え、未だ冷たさの残る視線と雰囲気に緊張しながらも自らの想いを語る。
「ここ最近、転生について色々と考える事がありまして……それでその、迷っているんです」
「迷ってるって、転生を?」
死神の短い確認の言葉にネクラはぎこちなく頷き、オドオドとしながら続ける。
「この前の、華さんの件で転生しても必ず望む人生が手に入れられるとは限らない。それどころか悪霊化する恐れもあるって知って……それで」
ネクラはこれまで死神補佐となり、来世に望みをかけて奮闘して来た。しかし、先だって、転生先で再び辛い人生を送り、悪霊化して永久に現世との縁を切られ黄泉の国へと送られた華の魂を見てから、ネクラの中で転生は希望ではなく恐怖へと変わった。
新たな人生を送れたとしてもその先の未来の保証はない。場合によっては悪霊化する可能性もある。それを知ってしまい、ネクラは転生をする事に二の足を踏む様になってしまったのだ。
湧き上がる不安に押しつぶされそうになりながら、口もごるネクラを見ながら死神は鼻で笑いながらその続きを予測して言った。
「それで、転生が怖くなったって事かな」
「はい」
ネクラはしょんぼりと肩を落としながら頷く。死神は薄ら笑いを浮かべた後に大げさに溜息をついた。
「はあ。少しはマシになったと思ったけど、君の後ろ向き加減にはいつも驚くよ。確かに、そんな感じじゃ君が転生したとしても上司として心配だ」
「うう、それが分かっているからこそ、こうして悩んでいるんです」
ネクラは情けなさと恥かしさ震えていた。死神は椅子にもたれる事をやめ、今度は机に両肘をつきながら自信の顎を手の甲に乗せた。
「まあ、率直に言えば補佐が見習いに方向転換できない事はない。前例もあるしね」
「そうなんですか」
若干だがネクラの表情が明るくなる。しかし死神は毅然として言った。
「でも、転生が怖くなったって理由で死神見習いになろうなんて考えは俺としてはお勧めできなし、個人的には却下」
「え……」
突き放す様な態度の死神にネクラは言葉を失い、どうしてなのか悲しげな瞳で死神を見つめる事しかできなかった。
「いや、そんな顔されてもねぇ。動機が不純なのもそうだけど、君は元々霊感も霊力も持たない人間だから、見習いになる才能がないと思うな。これ、前にも言わなかったっけ」
「私に才能がないのはわかっています。でも、そう言う選択肢もあるのなら、考えてみたいなと思いまして……」
ますます気持ちを沈めて行くネクラを死神は面倒くさそうに眺めていた。
「今から死神見習いを目指すとなると一からやり直しになるんだよ。せっかく貯めた輪廻ポイントが全部ゼロになって今度は死神ポイントを貯めなければならない。君が今まで頑張ってきた事が全て水の泡となる。それでもいいの」
「ポイントがゼロになるんですか」
死神の話によると、転生のために必要な『輪廻ポイント』は自ら命を絶った事で失った徳を取り戻すためのものであり『死神ポイント』は簡単に言うと人間だった魂を神に近づけるための魂の強化であり、二つのポイントは似て非なるものらしい。
「君と出会って間もない事に説明し様な気もするけど、死神見習いが死神補佐に戻る事も可能って言ったのは覚えているかな」
「はい、覚えています。転生を望まない人は死神見習いの道を選ぶけれど、見習いの試験は厳しいからその道を断念する方もいて、そう言う人が補佐に戻るってお話でしたよね」
ネクラが記憶を思い起こしながら言う。確か虚無と初めて対面した時の事だと記憶している。
自ら命を絶っても転生を望まない魂もあり、その場合は死神を目指すか黄泉の国へと行くかの2択になると言っていた。
黄泉の国は悪霊が留まる場所のため、恐らく全ての魂が死神見習いになる事を選ぶのだが、死神になるにはそれなりの適正が必要で、戦闘訓練もあり厳しい教育を受けなければならないのだ。
多くの魂はそれについて行く事ができず、挫折して黄泉の国へと行くぐらいならと死神見習いから死神補佐へとなる、と言う話だった気がする。
しかし、それがネクラが転生を迷っている事にどう関係しているのかがわからず、ネクラは首を傾げていた。
「ネクラちゃん。一旦死神見習いになって、やっぱり無理だと思ったらもう一度補佐に戻ろうなんて甘い考え、持ってないよね」
死神が真っすぐにネクラを見据え、とてつもなく冷たい声で質問を投げかけて来たため、ネクラはビクリと肩を震わせた。
「そ、そんなつもりはありません」
それはネクラの本心だった。本当に死神見習いになって頑張ってみようと思っていたし、見習いで躓いたらまた補佐に戻ればいいなんて考えてもいなかった。
しかし、死神にそれを指摘され、体の全てが凍てつく様に冷えた時、自分は心の奥底でそんな風に思っていたのかもしれないと言う気がして来た。
「そう。ならいいけど」
死神の言葉に瞳を泳がせ、挙動不審になっていたネクラだったが、死神はネクラの否定の言葉を素直に受け入れて追及はしなかった。
居心地が悪くなってしまったネクラは死神を直視する事ができず、ただ下を向いてスカートの裾を強く握りしめる事でしか精神の安定を保つ事ができなかった。
「私、どうしたらいいかわかりません。転生するのが怖い。でも、死神見習いになったとしても平凡な私では立派な死神になる自信もない。ここのところ、そんなモヤモヤがずっと私の中にあって辛いんです」
ネクラは下を向いたまま自分の心の内を明かす。涙声になっているネクラの言葉を最後まで聞いた死神だったが、彼から返された言葉はとても冷たく、しかし正しいものだった。
「俺にそんな事を言われてもどうしようもないよ。最終判断を決めるのはネクラちゃん自身なんだから。不安でも辛くても、自分の行く末は自分で決めなよ」
「うう……」
死神が助言をくれないであろう事は予測できていたが、本当にバッサリ斬り捨てられると精神的に刺さる。
ネクラは返す言葉もなくその場で唸った。何をどうすればいいかわからなくなり、こころがぐちゃぐちゃになってしまったネクラの瞳に涙が滲む。
今にも泣きだしそうなネクラを見て小さく溜息をつきながら死神は先ほどよりは優しい口調で言った。
「自分の今後について、もう一度よく考えて見なよ。君はもういつでも転生できるんだから」
「は……」
死神からいとも簡単に告げられた言葉にネクラはぽかんと口を開けて間抜けな表情と声でその場で固まった。