第七章 第二十三話 転生するとはどう言うことか
この度もお読み頂きまして誠にありがとうございます。
七章、ようやく着地できました……。明日はエピローグを投稿予定です。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
「お待たせしてすみません」
朔夜の部屋を後にし、ネクラと虚無は学校の門の前で待つ死神と鐵に合流した。
「ホントに待ったよ。時間をあげるとは言ったけど、まさかここまで待たされるとは思わなかった」
「うっ」
死神は笑顔ながらも嫌味な口調でネクラたちを出迎えた。ネクラは思わず言葉を詰まらせる。
「こら、あまり補佐の子を責めるんじゃない。現世に留まる事を許可したのはお前だろう。なら、お前が寛容になりなさい」
鐵は死神を諭す様に言ったが、死神はプイッと明後日の方を向いて唇を尖らせた。
「仕事が終わったのにわざわざ『不必要な』時間を与えてあげたんだ。それだけでも十分寛容だと思うけど。気を遣うべきは恩恵を受けた部下の方でしょ」
「……お前の情緒はどうなっているんだ」
明らかに不機嫌で拗ねた口ぶりに鐵は呆れ顔で頭を押さえていた。
鐵の言葉には正直なところネクラも同意だった。死神は色々と助けてくれるし、ネクラや虚無の申し出には基本的に全て対応してくれるが、その後の態度が塩対応と言うか文句が多いなと思う事がある。
「今回の事、帝さんは全て忘れてしまうのでしょうか」
死神の機嫌は気になるが、ネクラはそれ以上に朔夜の事が気になった。校門から遠い先に見える男子寮を見ながらネクラは切ない表情で言った。
ネクラたちが仕事で関わった現世の人間の記憶はネクラたちが現世を去った時に消える。それは本来、生者と死者が深く関わるべきではないため、当然の摂理である。
元々霊感がある朔夜は、学園で起こる事故や事件に輝夜が関わっていると言う事に勘付いていた。だからこそ彼は時折、罪を犯し続けている妹を想い、そして妹を死の運命から救う事が出来なかった自分を悔やみ、儚げな表情を浮かべながら悩んでいた。
偶然とは言えネクラたちと出会い、悪霊となった輝夜と対面し、そしてネクラたちの力によって輝夜は現世から去ったため、もう罪を重ねる事はないと知り、安堵していた。
そして輝夜が現世から去ったと知り、朔夜は少しずつ前向きに歩んで行こうとしている。輝夜の死に向き合おうとしている。
だが、今回の事を忘れると言う事は、そう言った記憶も全て消えると言う事になるのだろうか。
もし、今回の事が全て記憶から消えてしまうのならば、彼はまた妹の事で悩み、苦しむ事になってしまうのではないか。
朔夜への心配を募らせるネクラの心中を察した死神がバッサリ斬り捨てる。
「もちろん全て忘れるよ。霊感があろうとなかろうと、そこに例外はない。彼が君たちと関わった以上、彼の記憶から君たちの事は綺麗さっぱり消える」
「お前はまたそんなはっきりと……」
まったく気を遣う事なく事実を述べる死神を見て鐵がやれやれと頭を抱える。死神は呆れられた事に腹を立てたのか、不服そうに反論した。
「なんだよ。聞かれたから本当の事を言っただけだろ。こう言うのは言葉を選んだって意味がないんだ。俺は事実を伝えてだけ。こんな事に使う優しさなんて生憎と俺は持ち合わせていないから」
死神はツンとしてソッポを向く。鐵は疲労感を露わにし、やれやれと呟きながら大きく溜息をついた。
「帝さん、これから大丈夫でしょうか」
ネクラがジクジクと痛む胸を押さえながら、不安そうにしていると死神は眉間に皺寄せたままネクラに向き直る。
「そんなの知らないよ。ネクラちゃんには関係のない事でしょ」
「そ、そんな言い方しなくても……」
いつもの事とは言え、あまりに冷たい対応にネクラは思わず反論する。死神は鬱陶しそうに息を吐いてネクラに意見する。
「はあ、出たよ。ネクラちゃんのお人好し。前にも行ったかもしれないけど、死者が生者の今後を心配する資格なんてないの。まもなく彼の記憶から消える君が悩んだところで何の役にも立たないと思うけど」
「ううぅ……」
超直球の正論にネクラは言葉を詰まらせる。死神の言葉は厳しいが基本的には間違った事は言わない。
二度と関わる事がないであろう朔夜の今後をネクラがどんなに心配しようとも、それは無意味な事なのかもしれない。
「人の死に向き合うのも、過去を悔やんでそれでも前に進もうとするのも生者にしかできない事だ。どんなに辛い現実があったとしても、前に進むか停滞するかは本人が決める事だと俺は思うけどな」
「そう、ですよね……」
ネクラは何か腑に落ちなかったが、自分が正しいと思える答えもなかったため、納得がいかないながらも死神の言葉を受け入れた。
「大丈夫だ。あいつは一度立ち直っているのだから。例え俺たちの記憶がなくなっても、また立ち上がる事ができるはずだ。信じてやれ」
ネクラと死神のやり取りを黙って見ていた虚無が優しい口調で言い、ネクラは少しだけ言い淀んだ後、モヤモヤを振り払う様に首を勢いよく横に振ってから虚無に笑顔を向けた。
「うん。そうだね、帝さんなら頑張れるよ」
「ああ、それは信じてもいいと思うぞ」
虚無の言葉にネクラは無言で頷いた。そしてもう一度男子寮がある方角を向いて、瞳を閉じ心の中で強く祈った。
(帝さん、どうか、どうかお元気で)
「っと、これはもういいな」
虚無はポケットから紙を取り出した。それは朔夜と簡易な契約を交わした時に渡された彼の名前が書かれた紙だった。
「燃やすぞ」
虚無がそうと同時に、紙は虚無の掌の上で炎に包まれて跡形もなく消えて行った。これで本当に朔夜と縁が切れたのだとじ
「よぅし、それじゃあ帰ろうか」
一区切りついた事を見計らった死神が呑気な口調で言った。ネクラも虚無も鐵も、反論する事なくそれに同意し、校門に集まっていた4人は指パッチンの音と共にその場から一瞬で姿を消した。
現世からいつもの探偵事務所風の拠点に返って来たネクラは、二人掛けの黒皮のソファーに腰を掛けていた。霊体のため肉体的な疲労は感じないが、精神的な疲労にはいつまで経っても慣れる気配がない。
鐵は他の補佐の仕事の面倒を見なければならないと言う事で途中で別れ、いま同じ空間にいるのはネクラの他には死神と虚無のみだった。
「私、転生したら人生をやり直せるつもりでいました。生前の様にいじめられない人生を送れるものだと勝手に思い込んでいました」
静かな時間が過ぎていたが、突然ネクラがポツリとそんな事を言い出した。隣に座っていた虚無がゆっくりとネクラに視線を移し、自分用のデスクの椅子に腰かけていた死神もネクラの方を見る。
「ん。どしたの、突然」
死神が瞳をぱちくりさせながら尋ねてきたので、ネクラは今回の仕事を通して感じた事を話始めた。
「人生をリセットしたくて屋上から身を投げたのに。最初に死神さんに出会った時自ら命を絶った者は転生の資格はないって言われて絶望して、でも死神補佐として頑張れば転生できるって言われた時は希望を持てたんです。転生できるなら頑張ろうって、本気で思って今日まで走り抜けて来ました」
一生懸命に話すネクラに死神と虚無は黙って耳を傾けていた。ネクラは震わせながらも思いの丈を語る。
「でも、輝夜さんを……転生した華さんを見た時に驚きました。ショックも受けました。自ら命を絶って、死神補佐として頑張って転生できたとしても『明るい未来』なんて保障されてないんだと実感しました」
ネクラは自らの膝に置いた拳を強く握りしめる。
「それはそうだよ。何度も言うけど、何度転生しようと魂の性質は同じ。だったら当然、転生しても似通った人生を歩む事になるのは普通の事だよ」
「……私は、転生してもまた根暗なせいでいじめられてしまう可能性があると言う事ですか」
かすれた声で尋ねるネクラに死神は即答した。
「そうだね。『君』は転生しても『君』だからそうなる可能性はある。根暗で後ろ向きな性格は死神補佐になって幾分かはマシになってきているけど、ここでの経験や記憶は転生の際に全て君の中から消え去るから、このまま転生すれば君は元の根暗な人間に戻るだろうね」
「そんな……」
もう誰かに悪口を言われるのも、仲間外れにされるのももう嫌だ。惨めで、恥ずかしくて苦しい人生は送りたくない。
死神補佐として活動して、物事の捉え方や考え方が前向きになりつつあると言うのに、それすらも持ち越せないと言うのか。
負の気持ちで心がぐちゃぐちゃになり、ネクラは唇を噛んだ。
「そんなの、転生する意味がないじゃないですか」
顔を俯かせ、溢れ出そうになる涙に耐えながら言うネクラを虚無が切なそうに見つめ、声をかけようとした時、死神が強い口調で言った。
「そんな事で意味がないなんて言うのはおかしいよ。ネクラちゃん」
「え」
「……」
ネクラが驚いて顔を上げ、虚無も死神の方へと視線を向ける。
「生まれた先での幸せが約束されていないのは君だけじゃない。幸せ目的で生まれ変わろうなんて考えがそもそも間違ってるよ」
「君は短い人生だったからわからないのも無理はないけど、生まれてから死ぬまで絶え間なく幸せだった人間なんて俺は見た事がない」
「そ、そんな事わかってます」
「わかってないよ。わかってないから幸せにすがるんでしょ」
人生と言う道が平坦でない事ぐらい分かっているつもりだ。そう思ったネクラは死神に意見したが、死神はネクラの言葉に被せる形で言葉をぶつけて来たため、ネクラはひるんでしまう。
口を噤んだネクラに構うことなく、死神は更に言葉をぶつける。
「人生において『幸せ』には個人差はあるだろうね。必要以上に苦労を味わう人間もいれば、何となく生きてそこそこ人生を全うする人間もいると思うよ」
「……私は、そこそこの人生を送る事ができればそれで幸せです」
ネクラはごにょごにょと言うが、それが聞こえているのかいないのか、死神はネクラの言葉に反応する事なく自分の意見を述べ続ける。
「人間が不幸に見舞われてしまうのは本人を取り巻く環境も影響していると思うけど、結局の努力次第。辛い思いはすると思うけど、不幸を受け入れ、幸せになる事を諦めず、前向きに努力をすれば環境を変える事もできるだろうし、幸せだって掴めるかもしれない」
「かもしれない、断定はしないんですね」
ネクラが暗い心情と表情のまま聞くと、死神はけろりとして答える。
「そりゃあそうだよ。生者は努力次第で人生も性格も変わる事ができるけど、それで必ずしも報われるとは限らないからね。君もそう思ってるでしょ」
「はい、少しだけ……。努力すればなんとかなる、なんてきれい事だなとは思います」
それはネクラが生者から持っている正直な気持ちだった。努力しても認めてもらえず、更に頑張って無理をして過労死をしてしまう華の様な人間もいる。
いじめだって何をどう努力すれば自分が標的から外されるなんてわからない。一度でも標的になればいじめる人間と同じ空間にいる限り、永遠と攻撃され続けるのだから。いじめだけは時間が解決するとは思えないし、努力のしようがない。できるとするならば、理不振に耐え続ける事だけだ。
ネクラはそれを経験しているため、特にいじめの場においては『頑張る』事自体が無駄であると言う事がよくわかっていた。
「そうだねぇ。確かに努力次第と言う表現はきれい事かもしれない。親に虐待されて苦しむ子供なんかは努力のしようがないもんね。それは確かに不幸な事だ。場合によっては実の親に命を奪われる事もある訳だし。残念ながら転生先は選べないわけだし」
生きるための努力を肯定も否定もしない死神に複雑な思いを抱きながら、ネクラは死神の言葉に耳を傾ける。
「転生してそう言う環境に生まれてしまう魂をなんどか見た事があるけど、それは流石に心苦しく思っているよ。俺たち死神は何があっても見ている事しかできないんだから。それは確かに不幸としか言いようがない」
「……はい」
自分もそうなる可能を考えてか、それとも過去に転生した魂の事を思ってなのか、ネクラは死神の方を見ながら辛そうに頷く。
死神はそんなネクラを眺めながらも淡々と言葉を紡いでゆく。
「何の力もない赤ん坊に努力をしろだなんてさすがの俺も言わないよ。でもね、ある程度に恵まれている人間は別だ」
「ある程度?」
「生前の君みたいな存在。学校に行かせてくれる親がいて、キチンと住む場所があって、三食ご飯が食べられる、人間として必要最低限の生活を送っている様な人間」
首を傾げるネクラに指を差しながら、死神はきっぱりとネクラは恵まれていると言い切った。
確かに、いじめられて辛くつまらない人生を送って来たと思い込んでいたが、よく考えれば自分は恵まれていた方なのかもしれない。
あのままいじめに耐え抜いていれば、それなりの人生を送る事が出来たのかもしれない。ネクラにそんな気持ちが過るが、今となってはそれを確認する事は出来ない。
「報われないかもしれない可能性を恐れて足踏みするよりも、未来が開ける可能性を見据えて人生を歩んだ方がうんと人生を得していると思うし、俺たち死神からしてみれば、例え同じ選択をしたとしても、自分で現状を変える努力をせずに不満だけを抱いて人生をリセットする人間より、一生懸命生きて努力した結果疲れてしまった人間の方が同情する余地があるね」
死神の言葉を1つ1つ心に刻みながら、ネクラは転生する事の意味を考えていた。転生先での環境や歩むべき人生に自分の足で立って進んで行けるだろうか。
自分が『ただ転生して人生をやり直したい』と軽い考えを持っていた事にネクラは恥ずかしさを覚えた。生まれ変わった先の事など、一度も考えた事がなかった。
今一度、転生する事の意味をよく考えなければならない。ネクラはそう思った。場合によっては自分も華と同じ道を辿る事になってしまうのだから。
幸せを願い、成功を願い転生した彼女は、もう二度と転生できないと言う結末を迎えた。約束された転生、約束されない転生後の幸福。ネクラの心に迷いが生まれた。
ネクラは数秒間考え込んだ後、ゆるりと顔を上げて死神を見据え、表情を硬くしたまま望む様に言った。
「もし……もし私が転生して、自分の弱さに負けて悪霊化した時は……死神さんが私を折檻してくれますか」
「もちろんだよ。それが僕の役目だからね」
死神はネクラの言葉に即答をした。一瞬だけ寂しげな表情を見せたネクラだが、反面少しだけ心が軽くなった表情を見せ、そして微笑んだ。
「ありがとうございます。死神さん。その時はよろしくお願いしますね」
「よろしくお願いされたくはないけど、任せてよ」
そんな2人のやり取りを虚無は黙って見つめていた。