第七章 第九話 帝朔夜の二面性
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今回もお話が長くなって参りましたが、どうかお付き合い願えますと幸いです。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
「最初から、視えていた……」
虚無の言葉から出た信じがたい言葉にネクラは茫然としながらも朔夜を見つめる。ネクラの瞳に映る朔夜は動揺や焦りを見せる事なく、真顔で佇んでおりその様子に何故か不穏なものを感じてしまう。
すると朔夜は突然にこっと笑って虚無に尋ねた。
「いつから気が付いていたの。僕が君たちの事をこの世のモノじゃないってわかってたって」
朔夜は虚無の言葉をあっさりと認めた。虚無の言葉が事実だと確定し、ネクラは緊張から思わず虚無の服をきゅっと掴む。同時に虚無はより一層ネクラが自分で隠れる様に彼女を庇う体制を取る。
虚無はネクラを自分の身で守りながら毅然として朔夜からの質問に答える。
「いつ、と言われると最初からだな」
「へぇ。そうなんだ。僕、割と自然な反応をしたつもりだったんだけど」
最初から気が付いていた。そう言った虚無にネクラは驚いた。朔夜が不審な動きや言動を見せた事は一度もないとネクラは思っていたからだ。
そこには朔夜も多少は驚いたらしく、少しだけ瞳を見開いて反応していた。
「俺たちには『話しかけた人間に認識される』と言う特殊な術を施してある。廊下でお前と出会った時、確かに俺たちの方からお前に話しかけたがその時に何て言ったか覚えているか」
虚無は淡々と朔夜の行動を暴いてく。その虚無の言葉を聞いてネクラは朔夜と出会った時の状況を思い出す。
自分たちから話しかけた事は紛れもない事実で、編入生で兄妹と言う話になり、学園を案内してもらう事になった。
こうして思い返してみても特に朔夜を疑う点は何も見当たらない。問いかけられた朔夜も同じだった様で、降参だと手を上げて言った。
「はあ、降参。考えてみても特に自分がミスを犯したとは思えないよ。僕のどこを疑ったのか教えてくれるかな」
降参と口にしながらも余裕を持っている素振りの朔夜に虚無はキッパリと言う。
「並んで歩いていたと言っていた、と言っただろう。確かに俺たちは並んで歩いたが、俺たちがお前の姿を確認して声をかけたのは足を止めた状態だった。それまでにどこかしらで俺たちが廊下を歩く姿を視たんだろうが、通常であれば話しかけられるまでは俺たちの事は視えていないはずだ」
虚無の言葉でネクラの脳裏に朔夜の言葉が蘇る。
『やっぱりそうなんだね。あまり似てないと思ったけど、ならんで歩く姿がとても仲が良さそうだったから』
「あ、そっか……」
「それに、授業時間だと言うのに俺たちが廊下にいる事を追及しなかったしな。元々授業を受ける必要がない存在だとわかっていたから聞かなかったんだろう」
そう付け加えて虚無は推理を終了させた。
言われてみれば虚無の言う通りだ。最初にネクラたちが朔夜を見かけた時、彼は窓の外を見ていた。
ネクラたちはそんな彼に声をかけるために近づいたが、その時の動きは生者である朔夜には見えていないはずだ。『ならんで歩く』と言う表現をするのは確かにおかしい気がする。そう表現する可能性があるとするなら、それは虚無の言う様にどこかでネクラと虚無が並んで歩く姿を視ていたか、話しかけようとして近づくネクラたちに気が付いていたかのどちらかだ。
虚無の言葉と状況を飲み込み始めたネクラを見て、朔夜は残念そうに溜息をついてやれやれと肩をすくめて首を左右に振る。
「あーあ。そっか、ヘマしちゃったなぁ。まさか君たちにそんな面倒な術が施されているなんて知らなかったよ。それに君、鋭すぎ」
朔夜はジトリと虚無を見ながら指を差す。先ほどの優しい雰囲気から一変し、気だるい雰囲気へと変わって行く。
「え、でもなんで帝さんには私たちが視えていたの。まさか、帝さんも霊体なの?」
混乱するネクラがそんな事を口にすると朔夜は鼻で笑い、吐き捨てる様に言った。
「やだなぁ。そんなわけないでしょ。僕はれっきとした人間だよ。君たちと一緒にしないで貰えるかな」
「で。でも、ならどうして私たちの姿が視えるんですか」
馬鹿にするよ様な言い方をされ、引っ込みそうになった言葉をネクラは何とか絞り出し、朔夜にぶつける。
「そんなの単純に考えればわかるでしょ。俺が元々視える人間だからに決まってるじゃん」
簡単に示された答えにネクラは呆気に取られる。確かにそれは単純な答えだった。しかし、とても特殊な答えでもあった。
色々な整理ができず、ネクラが混乱していると虚無が強めの口調で追及をする。
「何故俺たちが霊体だとわかっていながら関わろうとしたんだ」
「興味本位だよ。霊が学生のフリして学校に通うとか滑稽じゃない。それに君たちは害のない霊みたいだったしね。退屈しのぎに付き合ってあげようと思ったの」
朔夜は虫を掃う様に手をヒラヒラとさせて言った。整った顔立ちで毒を吐く姿はからは出会った頃の儚げな様子は見る影もなかった。
しかし、腹黒い一面を見せ始めた朔夜を前にしてもネクラにはあの時の彼の消え入りそうな儚げな雰囲気が演技だとは思えなかった。それに学園の事件の事を話題に出した際に見せた小さな動揺も本物である気がしてならない。
それに朔夜は自分たちの正体を知りながらも学園で起こる事件について話してくれるつもりである様だし、腹黒いだけで話は通じるのかもしれない。
朔夜の変貌ぶりにはまだ心が慣れてはいないが、本来の目的である悪霊を見つける手がかりは欲しい。そのためには情報は必要だ。ネクラは戸惑いながらも朔夜に聞く。
「み、帝さん。学園で起こっている事件について教えてくれると言う気持ちにお変わりはございまさんか」
おずおずとするネクラを見ながら、朔夜はにこりと微笑んだ。
「うん。それについては別に。話してあげてもいいかな」
張り付いた笑みだったが、彼の言葉に嘘はないらしい。ネクラは内心でホッとしたが、朔夜は笑みを浮かべたままとある条件を突き付けて来た。
「話すのは良いんだけど、君たちの事も教えて欲しいな。情報交換ってやつ」
その言葉にネクラと虚無の動きが止まる。その様子を見て朔夜は不服そうな顔をする。
「うわ、何その態度。言っとくけど、僕からしたら君たちは部外者なんだよ。生徒会長として、例え害のない霊であっても、ホイホイ情報漏洩させるわけがないだろう。僕が情報を差し出す代わりに、君たちも君たちの情報を差し出す。これは当然の事じゃないか」
朔夜の言う事は最もだ。人に情報だけ聞いておいてこちらからは何もないと言うのはとても失礼な事なのかもしれない。
ネクラは迷いながらもちらりと虚無に視線を送る。虚無は少し待てと口パクで伝え、朔夜に言った。
「俺たちの事を知ってどうするつもりだ」
「どうするって……別にどうもしないさ。ああ、もしかして名前とか素性を知られると支配されるとか言うやつ?大丈夫だよ。俺は本当に視えるだけの人間だから。君たちを支配する力は生憎持ち合わせていない」
朔夜は一瞬だけキョトンとした後、鼻で笑いながらも、自分は無抵抗と証明したいのか両手を挙げてそう言った。
しかし、普通の人間であるにも係わらず霊体が名前や素性を知られてはならない事を知っているのは気になる。ネクラと虚無は警戒心を強めた。
中々警戒心を解かない2人に業を煮やした朔夜は舌打ちをしながら学ランの内ポケットから生徒手帳とペンを取り出し、サラサラとペンを走らせた後にそれを破き、虚無に手渡した。
虚無は警戒をしながらそれを受け取り、気になったネクラもその紙を横から覗き込んだ。そこには丁寧な文字で『帝朔夜』と書かれていた。
どういう事かと2人が朔夜を見つめると彼は不機嫌そうに眉を上げて腕を組み、不遜な態度で言った。
「何、その顔。俺の事が信用できないんでしょ。だったら僕の名前を君たちに預けておくよ。もし、僕が少しでも不信な動きを見せたり、裏切る様な事があれば、預けたその名前を使って俺を好きにすればいいさ」
名前を書いただけの紙に何の意味があるのか。ネクラがキョトンとしていると虚無は朔夜の行動の意味が分かっている様で静かな声で確かめる様に言った。
「本当にこれを俺に渡してもいいんだな」
「いいもなにも、信用してもらえるにはこれしかないでしょ」
朔夜は苛立たし気にそう言った。2人の間には契約の様なものが成立しかかっている様だが、ネクラだけが置いてけぼりとなっていた。
そんなネクラを見兼ねた虚無が説明をする。
「名前はその人の魂と同等の価値だと言う事は理解しているな」
「うん。それは何度か聞いたよ。名前と魂は結びついているから、力がある人に知られてしまうと悪用されたり、使役されたりすることがあるんだよね」
それは死神補佐として活動する中で何度か聞き、学んだものだった。ネクラはそれを確認する様に虚無に返答し、虚無は頷いた。
「ああ。それは俺たち様な霊体だけでなく、生者にも当てはまる。こいつは俺にご丁寧に紙に名前を書いて寄こした。つまり、今俺はこいつの魂を手に入れたと同じ。と言う事になる」
「え、えええっ!?」
こんなに薄い、しかも手帳を破いただけの紙切れにそんな価値があるなど、ネクラには信じられなかった。まさか、朔夜はそれをわかっていてこの紙を虚無に渡したと言うのか。激しく動揺したネクラが朔夜の方へと視線を移すと朔夜は平然として言った。
「ああ。良い人質でしょ。これで僕に素性を明かす気になった?」
それがどうしたと言わんばかりの態度の朔夜を見ながらネクラは虚無の服の裾を引っ張る。虚無はネクラの顔まで屈み、ネクラは虚無に耳打ちで確かめる。
「た、魂を手に入れたも同然ってホントなの」
ネクラは戸惑いながら聞いたが、虚無は小さく首を振ってからネクラに耳打つ。
「本来ならそうかもしれないが、以前にも言った通り、俺たち死神や死神見習いはどんな形であっても生者の人生や魂に害を及ぼす事は出来ない。これは、俺たちにとってはただの紙切れだな」
その言葉を聞いてネクラは少し安心した。誰かの魂を人質の様に扱うのは非常に気が引けるからだ。自分たちは誰かを犠牲にしてまで任務を達成したいわけではない。
「ねぇ、返事はまだかな。僕がここまでしてるんだけど」
コソコソと話をする2人を前に朔夜が足で地面をパタパタと踏みながら苛立たし気な様子を見せ始めた。
これ以上待たせてはいけない。早く返事をしなければ、とネクラは焦る。朔夜がそうまでして己の潔白を証明したいと言うのであれば、信用してもいいのではないか。ネクラはそう思い再び虚無を見ると彼はこくりと頷いた。そして朔夜の方をまっすぐ見て言った。
「いいだろう。そこまで言うのであれば俺たちの素性を明かそう。その代わり、もし俺たちに逆らうような事があれば、遠慮なく始末させてもらう」
虚無は朔夜本人から渡された名前が書いてある紙を突きつけながら言った。本当は例え名前を渡されようとも生者である朔夜に害を及ぼす事はネクラにも虚無にも不可能な事だが、もしもの時の保険とばかりに虚無は朔夜を脅す態度を取った。
朔夜はしつこいと言わんばかりに眉を吊り上げる。
「しつこいな。いいよ、好きにして」
噛みつくように朔夜に言い、虚無が名前が書かれた用紙をポケットにしまう。
ここに人間と死神(見習い)の契約が成立した。