第七章 第二話 複雑な男心と鈍感少女
「転生……」
虚無がポツリと呟いた。
ネクラが嬉しそうにその言葉を口にした時、虚無と柴が同時に固まった。その反応にネクラも戸惑ってしまう。
思ったよりも反応が薄い。勝手な考えだとは思うがもっと喜んでくれると思っていたのに。そう思ったネクラは未だに固まる2人に呼びかけた。
「あの。虚無くん、柴くん。どうかしたの?」
「……いや。何でもない」
虚無は抑揚のない声で言い、持ち上げていた柴を離した。
「へぶっ」
長身の虚無に持ち上げられていた柴は割と高い位置から落下した。何の前触れもない突然の解放だったため、柴は着地に失敗して変な声を上げて地面に叩きつけられた。
「し、柴君っ。大丈夫!?」
叩きつけられた衝撃で倒れたままブルブルと震える柴をネクラは慌てて助け起こす。ネクラに体を支えられる形で起き上がった柴は、暫く突然襲われた衝撃に震えていたがすぐさまネクラの方を見て、眉を下げ悲しそうな表情で言った。
「ネクラ先輩、転生しちゃうんスか。俺、寂しいッス」
しょぼんと言う効果音が付きそうなほど柴は俯いた。柴の反応を目の当たりにした時、ネクラもはたと気が付いた。転生すると言う事はここにいる者たちとの別れを意味する事に。
その事実に気が付いた途端、妙な寂しさと悲しさに襲われ、あれほど高揚していた感情がすっかり消え去り、突如寂しさに飲まれてしまう。
「寂しい、だけでこいつを引き留めるつもりか。お前だっていつかは転生してここを離れるんだぞ」
虚無が柴にきっぱりと事実を告げるが、柴はそんな彼をキッと睨んで反論する。
「虚無先輩もさっき動揺して俺を落っことしたじゃないッスすか。先輩だったちょっとは衝撃を受けたんでしょ」
「そんな事は、ない」
柴の言葉に虚無はいつもの通り淡々と答えたが、少しだけ言葉に詰まっていた。
「ほらぁ、ちょっと動揺してる!俺の事とやかく言えないッスよ」
「……。うるさい」
やいのやいのと言い争いが始まり、ネクラがどうする事も出来ずオロオロとしていると死神とカトレアが騒ぎに気付いてやって来た。
「なになに。何の騒ぎ」
「ちょっと、楽しそうにしてんじゃないわよ」
死神が何故かウキウキとして様子を窺い、その態度をカトレアが注意した。死神2人が割って入って来た事により、関心がそっちに向いたおかげで小さな争いがピタリと止まった。
言い争いをやめた虚無と柴は一瞬だけ目と目を合わせ、そしてふいっと互いにソッポを向いた。
「ん。何、虚無くんと柴くんが喧嘩?おもしろ……じゃなくて珍しいね」
「今、面白いって言おうとしませんでしたか」
しまったと言わんばかりに口を塞ぐ死神をジト目で見つめるネクラに死神は誤魔化す様に満面の笑みを浮かべて言った。
「そんな事言ってないよ。で、なんであの2人は言い争っていたの」
「えっと……それは」
自分が原因ですとは即答できず、口ごもっていると死神は不思議そうに首を傾げ、そして『んー』と顎に指を添えて考え始めたかと思うと、早くも回答を出してネクラに確認した。
「ひょっとして、あの2人に転生の話した?」
ズバリ的中している死神の推理にネクラは肩をビクッと振るわせ、死神の方を見る。彼は首を傾げてネクラを見ていた。
死神の隣に立つカトレアに視線を移して見る。彼女もネクラに注目していた。表情からは感情を読み取る事は出来ないが、ネクラの答えを待っているのは分かる。
ネクラはたっぷり視線を泳がせたあと『ううっ』と呻いて小さな声で白状した。
「転生の話、しました……言っちゃいけませんでしたか」
申し訳なさそうに言うネクラに死神は首を横に振った。
「ううん。別に極秘情報でもないし。本人が言いたいなら第三者に伝えても構わないよ」
「そ、そうなんですね」
何か悪い事をしたわけではないと確認できたネクラは胸を撫で下ろす。カトレアも死神に続いて言う。
「まあ、言った相手が悪かっただけだから。ネクラちゃんが気にするほどの事ではないわ」
「ん、えっ。どう言う事ですか」
カトレアはフォローを入れたつもりの様だが、ネクラの中に新たな疑問が生まれた。虚無も柴も今まで数多くの場面で行動を共にした間柄だ。それなりに絆の様なものがあると思っていた。だから、転生の話をしても喜んでもらえると本気で思っていたネクラは訳も分からず困惑した。
「ははあ。さてはネクラちゃん、鈍感だな」
死神がからかう様にそんな事を口にしたが、ネクラにはさっぱりわからず、一層考え込んでしまう。
「はあ。いつまでも面白がってないの」
「いてっ」
カトレアは死神の頭をバシッと叩く。それなりに威力があったのか、死神がふらりとよろめいた。
「柴くん。あなたの気持ちもわからないでもないけど、そろそろ行くわよ。あなたはにはあなたの役割があるのだから」
名前を呼ばれた柴はその声に反応し、そしてネクラの方をチラッと見た後にむくれて返事をした。
「はぁい」
どこか不服そうではあったが、柴は素直にカトレアの方へ戻って来た。カトレアは扉に手をかけ振り返る。
「それじゃあ、失礼するわ。またね、ネクラちゃん。転生するまでは柴くんと仲良くしてあげて」
「は、はい。もちろんです」
唐突なお願いにネクラが頷くとカトレアは柔らかに微笑み扉から出て行った。柴もそれに続き、一瞬だけ名残惜しそうにネクラを見たが何も言わずにカトレアの後を追った。
いつもとは様子の違う柴を気にしてか、誰もいなくなった扉をぼんやりと見つめるネクラに死神が声をかける。
「ネークラちゃん。君にもお仕事があるよ。話聞いてね」
「あ、ごめんなさい」
顔の前でひらひらと手を振られ、我に返ったネクラは死神に向き直る。
「それじゃ、今回の仕事を発表しまーす。ああ、虚無くんにも同行してもらう予定だから、君もそのまま聞いてね」
「ああ」
死神はにこやかに振り返り後ろで静かに佇む虚無に呼びかけた。虚無は先ほどの柴との小競り合いがなかったかの様に落ち着いており、ただ短く頷いた。
「今回のネクラちゃんにはとある場所に隠れている悪霊を見つけてもらいます」
「とある場所、と言うのは」
悪霊と言う言葉はいつ聞いても緊張してしまう。ネクラは真剣に死神の話に耳を傾ける。死神は端末を見ながら詳細を話してゆく。
「場所は悪霊が住んでいた学生寮だね」
「学生寮、と言う事は今回の悪霊もまだ若い魂と言う事ですか」
ネクラが悲しそうに問うと死神は首を縦に振った。
「そうだよ。悪霊の享年は17歳。学生寮内での悪質ないじめが原因みたいだね」
死神にとっては珍しい案件ではないのか、特に思う事もない様子で事務的に答えるがそれとは対照的にネクラの心は沈む。
これまで補佐として活動してきた中で、悪霊化してしまった魂は10代が多かった。自ら命を絶つ若者はそんなにも多いものなのか。
自分も10代で命を絶っているのでそんな事を思う資格はないと思うが、それでも若くして人生を諦めてしまうのはとてもやるせない。
しかも、悪霊化すると言う事はそれだけ深い恨みを持って亡くなったと言う事だ。短い人生の中でどれだけ苦しんだのだろう。
自分はただ無気力に死を選んだため、悪霊化する事はなかったが、自分を傷つけた誰かを少しでも恨んでいれば、同じ道を辿っていたかもしれない。
似たような思いを抱えて似たような結末を選んでしまったからこそ、ネクラは悲しい選択をする魂たちを救いたいと思う様になったが、それは死神補佐の自分ではできない事だと言う事も理解していた。
死神の仕事は亡くなった魂の救済。ネクラの仕事はその補佐である。現世と異なる存在の者が生者の人生に介入する事は決して許されない。
それは分かっていたが、その事実を実感する度、ネクラは心が締め付けられていた。
「仕事も始まってないのにウジウジモード禁止」
「し、してません。ウジウジなんて、してません」
ネクラの心情を察した死神がジトリと視線をぶつけながら注意を促し、ネクラは余計な思考を振り払うために首を勢いよく左右に振ってそれを誤魔化す。
「……。それで、今回俺とネクラは何をすればいいんだ。悪霊を見つけるだけでいいのか」
話が脱線た事を察した虚無が腕組みをしながら会話に割って入る。それを受けた死神は話を戻し、ネクラたちに要件を伝えた。
「うん。悪霊が何かに擬態して学生寮に留まっているみたいだから。それを突き止めてもらおうと思う」
「それぐらいなら、私1人でもできそうですが……どうして虚無くんも同行してもらう必要があるんですか」
「なんだ。俺の動向は不満か」
その言葉に反応した虚無が珍しく眉間に皺を寄せて不機嫌な表情を見せたので、ネクラは慌てて言葉を付け足す。
「ち、違うよ。虚無くんがいてくれるのは心強いけど、悪霊を見つけるぐらいなら今までも1人でやった事があるし、どうして虚無くんが私と一緒にいる必要があるのかなって思っただけだよ」
弁明をしたつもりだったが、虚無はあまり納得していないのか、無表情の中に不満を残したままネクラを見つめていた。
虚無からの無言の圧にネクラが「ぴえっ」と珍妙で小さな悲鳴を上げて震えていると、雰囲気を察した死神が苦笑いで2人の間に入る。
「虚無くんについて言ってもらうのは……まあ、護衛みたいなものだよ。何人かの寮生の命を奪っているみたいだし、危険度が高い方だから。一応、力がある人が傍にいた方が行動範囲も広がるでしょ。まあ、本当に危ない時は俺が止めるけど」
死神はネクラを安心させるためか、いつもよりも穏やかな笑みを彼女に向けていたが、彼女の表情は曇っていた。
死神補佐となり、ネクラはそれなりに危険で怖い経験もして来た。それでも最近はそれにもある程度慣れて来たと思っていたがまだ恐怖を感じてしまうのか。
そう思った死神と虚無が俯くネクラに励ましの声を掛けようとした時、彼女はポツリと言った。
「また、悪霊によって亡くなった方がいるんですね」
ネクラが補佐になって初めて直面した悪霊、一目優姫の姿が頭を過る。命を絶つほどまでに精神的に追い込まれていた事には同情できるが、悪霊化した後身勝手な理由で元取り巻きや担任を惨殺したあの存在を。
恨みを持たれる方に原因がある事がほとんどだが、それでも残酷な方法で命を奪われてしまうのは何か辛いものがある。
それに、悪霊化してしまった魂の業が増えてしまうと思うと、どうも心がモヤモヤとしてしまう。
ネクラの意志をくみ取った死神は彼女の頭をポンポンと叩いて言った。
「そう思うなら、これ以上悪霊に被害が広がらない様、そして悪霊に業が重ならない様に頑張りなよ」
死神を見上げれば優しい微笑みがそこにあり、ネクラは心の奥にむずか揺さを感じ、はにかみながらしっかりと答えた。
「……はい」
虚無はそんなネクラの様子を無表情で見つめていたが、はにかむ彼女につられたのか、誰にもわからない程度に小さく微笑んでいた。