第九話 頼りになる上司『死神さん』
戦闘シーンって難しいのですね(遠い目)
「死神さん」
優妃の腕から解放され、満身創痍でその場にへたり込んだ状態でネクラは弱々しく見上げながら、その名を呼ぶ。
解放されたからなのか、半透明だった体は元に戻っていた。
「いやぁー。危なかったね。俺の名前呼ぶタイミングがもう少し遅かったら消滅しちゃうところだったよ。まあ、その前に助けるつもりだったけど」
飄々とした掴みどころのないその声と態度に、ネクラは不思議と安心感を覚える。
「ど、どうしてここに」
意識が鮮明になってきたネクラは不思議そうに死神に尋ねる。
「言ったでしょ。俺はいつでも動ける様に姿を変えて近くにいるからって」
死神はいつの間にか拾い上げていたカラスのキーホルダーをちらつかせた。
「そのキーホルダー……、まさかっ」
少女は今更ながらひらめいた表情を浮かべ、死神は自慢げに言った。
「そう。俺は君と校門で君を送り出してからカラスのキーホルダーの中にいた。ずーっと君の傍にいたんだよ。気が付かなかったでしょ」
死神はカラスのキーホルダーに擬態していたのだ。
黒猫でも、カラスでもなく、死神はキーホルダーに姿を変えていたのだった。
真相を明かした死神は何故かドヤ顔で胸を張っていた。
そして調子よく喋り出す。
「このカラスのキーホルダー、人間界に遊びに行った時にゲームセンターで取ったものなんだけど、こんな風に使えるなんて思ってもみなかったよ。何でも取っておくもんだね」
ヘラヘラとする死神を見つつも、そのゆるい雰囲気にすっかり安心してしまったネクラは素直に感謝の言葉を口にする。
「ありがとうございます。死神さん」
「お礼なんていらないよ。俺は君の上司なんだからね。部下を助けるのは上司の役目でしょう。でも、ギリギリ限界まで頑張るのはもうやめてね。はい、お守り返すから」
「はい。すみません」
死神はキーホルダーをネクラに返し、それを受け取ったネクラは大切そうにそれを握りしめた。
そんな安堵の雰囲気がその場に流れ始めた瞬間、それを打ち破る様な低い声が辺りに響いた。
「なんダ、テめぇ、邪魔スんじゃネぇ!!」
「ひっ」
ネクラは声がした方を見て思わず声を上げる。
そこには、体育倉庫の天井に届くほどに大きな真っ黒い塊があり、かろうじて人の形はしているが禍々しく、そしてオドロオドロしいオーラを放ちながら、威嚇をするかの様に前後に揺れていた。
その黒い塊を、ネクラは真っ青な顔で眺めていた。
「死神さん、あれは一体……」
震えるネクラとは対照的に死神が言う。
「俺たちが探してた悪霊だよ。もっと言うのであれば君がさっきまで対峙した相手。一目優妃」
「い、一目さんあれがっ!?」
ネクラは思わず声を上げ、瞳を見張った。先ほどまで見知った姿をしていた人物が、突如として全く異なる姿となった故の当然の反応だった。
ただならぬオーラを放ちながら不気味にグネグネと動き続けるその様はまさに『悪霊』と呼ぶにふさわしい姿と言える。
「どうして。さっきまではちゃんと人間の、一目さんの姿をしていたのに」
「あれこそが悪霊化した人間の成れの果てだよ。でも、ここまで人間の姿から逸脱した魂は久々に見たよ。君と再会して、よっぽど感情が高ぶったんだろうね」
死神の冷静な分析を聞いてネクラが慌て確認する。
「一目さんがあんな姿になったのは、私のせいなんですか」
まさかと思い不安な表情でネクラが死神を見つめる。
死神はあっさりと肯定した
「そうだよ。君だけのせいではないと思うけど、原因の一部であるとは言えるね。それにしても君、よっぽどアレに恨まれていたんだねー」
死神はこの状況に不似合いな、のんびりと間延びした声で言った。
その言葉を受けたネクラは衝撃を受けた。
優妃があの様な姿になってしまったのには自分のせいであると言う事実にネクラの中に罪悪感の様なものが込みあがる。
そんな事を思いながら、ふと優妃、もとい『悪霊』の方を見やると、こちらに狙いを定める様に動き始めた事が確認でき、思わず身構える。
「し、死神さん、どうしましょう。私、どうすればいいですか」
無意識に死神のマントを掴み、すがる様にネクラが言うと、死神は小さく笑った。
「大丈夫。心配ないよ。ネクラちゃん」
ここは多少広さがあるとは言え、閉鎖的な体育倉庫。しかも体育道具が辺りを埋め尽くし、ただでさえ動きにくい上に相手は禍々しいオーラを纏う化け物だ。
それにも関わらず、逃げる様子もなく余裕の笑みの死神にネクラは焦りを感じていた。
「で、でも、あの悪霊、危険な存在なんでしょう?」
ネクラがマントを掴む力を強めると、死神は不敵に笑った。
「そりゃあ、君がアレの相手をするって言うんなら危険かもね。でも心配する事なんてなにもない」
死神はすがりつくネクラの手の上に、そっと自分の手を重ね、そしてその手を離す用に促す。
「死神さん?」
その様子を不安げに見つめるネクラを守る様に死神は右手でネクラを制する様に一歩前へと出る。
ネクラはその様子を瞳を揺らしながら見つめていた。
そして死神は自分の身の丈ほどある大鎌を空中で一振りしてからそれを構え、右掌を上にして手招きをしながら悪霊を挑発する様に高らかに言った。
「ここからは俺の仕事だよ。かかっておいで。悪霊ちゃん」
「フザケルナ、フザケルナアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
その挑発に乗った悪霊が優妃の声を混じらせながら怒号を響かせネクラと死神に向かっって追突して来る。
「あ、ごめん。ネクラちゃん、邪魔だよ。退いて」
「うわぁっ」
悪霊が目前まで迫って来た時、死神はまるでモノの様にネクラを蹴り飛ばした。小突く様な軽い蹴りだったが、ネクラが吹き飛ぶには十分すぎる威力だった。
ネクラはそのまま壁際のバスケットボールが積みあがった場所に激突する。その衝撃でバスケットボールが辺りに散乱し、その内の数個がネクラに降り注ぐ。
「いたたたっ。うう、ひどい……」
地味な痛さに耐えながら、ネクラはヨロヨロと立ち上がると、悪霊が何度も追突を繰り返し、それを闘牛士の様に次々といなす死神の姿が見えた。
「あはは。抱えている恨みとデカい図体の割には弱いねー。君」
死神は狭い空間にも関わらず、壁や積みあがった体育道具の影を利用しながら、子供と鬼ごっこをするかの様に余裕の笑みで逃げ回っている。
「ニゲルナッ!ニゲルナァァァァ!」
悪霊はムキになりながら死神を追いかけ、攻撃を繰り返しているが、それは一撃も当たる気配がない。そして死神は武器である大鎌を全く使っていない。
悪霊が攻撃を繰り出す度に積み重なった体育道具が崩れ落ちるが死神はそれすらも足場にして飛びながら攻撃をかわす。
悪霊は完全に死神に遊ばれていた。
ネクラは戦闘には自信があると言っていた死神の言葉をこの状況を見て理解する。
武器など使う必要はないと言った態度で笑みを浮かべ、戦いを楽しみながらも常に余裕の姿勢で戦う姿に、ネクラは自分が蹴り飛ばされた事を忘れてただ見惚れていた。
「ミンナ、アタシヲバカに、シヤガッテ」
僅かに優妃の理性が残っているのか、悪霊は語り始めた。
「アタシハ、アタシは、悪くない。こいつが死ななければ、アタシは自殺する必要がなかったんだ。皆の笑い者になる必要もなかったんだッ」
悪霊が否、優妃が壁際に避難していたネクラを睨みつける。
「あ……」
その恨めしさが込められた視線にネクラの体が恐怖ですくむ。
優妃が持つ自分への恨みはこんなにも深く、醜いものだったのか。そう思えば思うほどにネクラの心が恐怖で埋め尽くされる。
「ううっ」
ネクラは泣くまいと必死で涙を堪えるが、恐怖や理不尽さで感情がぐちゃぐちゃにかき乱され、涙が溢れてそれは止まる気配がない。
怖い、情けない。自分はなんて泣き虫で、弱虫で、そして無力なのだろう。そんな感情でネクラの心が押しつぶされそうになった時、その気持ちを切り払う様な凛とした声が響く。
「因果応報とも言える理由で命を絶って、くだらない理由で死してもなお他者を恨み、自分の行いを棚に上げて他者の命を奪う。君、随分と自分勝手だなぁ」
ネクラがハッとして顔を上げると、そこには珍しく真面目な顔をした死神が、大鎌を肩に掛けて佇んでいた。
その口調から、随分と怒りを覚えている様子であると察する事ができる。
苛立たし気にトントンと大鎌の枝を叩き、不機嫌さを全開にして死神は言う。
「俺さぁ、人間でも悪霊でも死神でも、自分の中心の奴って嫌いなんだよね。世界で自分が1番不幸って思ってる奴なんて特に虫唾が走る」
「ああん?」
その言葉を聞き、悪霊がネクラから死神へと視線を戻す。
恐ろしいほどに殺意が込められたその視線にひるむ事なく死神は続けた。
「幸も不幸も要は本人基準だろ。考え方次第で何とでもなる。見方を変えればそれなりに打開策だって見つかるかもしれない。実際に苦しい中でも戦って生きている人間がたくさんいる事を俺は知っている。自分の弱さに負けて、勝手に自分が不幸と思い込む奴なんて俺からすれば世界で、いや現世で最も馬鹿な存在だ」
その言葉に悪霊の動きが止まる。ネクラにも死神の言葉が痛く突き刺さる。
考え方次第、自分は悩みすぎていたのか。もっと真剣に誰かに相談すればよかったのか。
自ら命を絶たずとも、もっと別の道を選べばよかったのか。そんな思いがネクラの頭をグルグルと回る。
「確かに、お前の人生は悲壮だったよ。だが、それはお前の行動が招いた結果だ。お前を蔑んだ奴らがした事を正しいとは言わない。だが、その結末を選んだのはお前自身だ。他人のせいにして、ましてや命を奪うなんて以ての外だ。甘えんじゃねぇぞクソガキ」
最後に死神は毅然とそして諭す様に言い放った。
それを聞いた悪霊が動揺したかの様にその身を振り乱す。
「うるさい。うるさい。ウルサイッ!だって、誰も助けてくれなかった。アタシの声を聞いてきれなかった。皆、みんな、みんな、ミンナ!アタシを無視したくせにっ。アタシを突き放したくせにぃぃぃぃ」
優妃の感情に反応する様に悪霊の体が膨れ上がりその大きさは体育倉庫一面を埋め尽くした。
「うふふ、アッハハハハハ。このままお前らを飲み込んでやる。いなくなれ、皆、いなくなれっ」
悪霊の大きく膨れ上がった体が影の様に広がり、体育倉庫全体を埋め尽くした。その影響で倉庫の中は薄暗さを増し、ただでさえ明かりがなく、見えづらかった視界がさらに不明瞭になる。
かろうじて確認できるのは獲物を狙う、ギラついた悪霊の赤い瞳と、それと対峙する死神の姿だけだった。
そしてそれはネクラと死神、それぞれにゆっくりと迫る。
悪霊の体が体育倉庫にある道具を次々となぎ倒したかと思うと、悪霊が触れた道具が霧になって消えてゆく。
それを見て顔を青くし、オロオロとしながらも逃げ場所を必死で探すネクラの傍に死神がふわりと降り立つ。
「死神さん。これ、すごくピンチですよね。このままじゃ2人とも飲み込まれてしまいます」
ネクラが再び死神のマントを強く掴む。
「うーん。ちょっと危ないかな」
「えええええっ」
死神ならこの状況でもにこやかに大丈夫と笑ってくれる。心のどこかでそんな期待をしていたネクラの口から焦りと驚きの声が漏れる。
「この悪霊、人間の世界で言う地縛霊的なヤツだからさ」
「地縛霊?」
迫り来る悪霊の影に触れない様にネクラは死神に体を密着させる。
「自分が亡くなった事を受け入れたくなかったり、自分が死んだ事を理解できなかったりとかで、その場所に特別な理由で執着して、自らが命を落とした場所から離れずにいる魂。悪霊の中でもトップクラスに面倒な奴だよ」
「死神さんが最初に言っていた事ですね。負のオーラがどうとか言っていた……」
ネクラは学校に潜入する前に死神が言っていた『土地に居座って土地の負のオーラを行動の源にする』と言う言葉を思い出す。
「そうそう。ここに来た時に最初に言った俺が事、覚えてたんだ。やっぱり優秀だよ。ネクラちゃん」
死神が嬉しそうに言うがネクラはそれどころではなかった。
「今、それどころじゃないですよね、ひゃっ」
ネクラが今の状況を物ともせずヘラヘラとする死神にもっ危機感を持って欲しいと詰め寄ると、彼がネクラの肩を強く掴み彼女を自分に引き寄せる。
死神の外見はネクラが生前憧れたゲームのキャラクターである。そして、今まで男性と付き合う機会がなかったため、突如として外見だけだがかつて自分が憧れた男性に抱き寄せられたネクラの胸が高鳴る。
「し、死神さん?」
ネクラが頬を朱に染めながら見上げる。死神は自分の一連の行動を気にする様子もなく、自分の腕の中で固まる彼女に平然と話を続ける。
「でね、地縛霊は自分が亡くなった場所にいると、その強い念で力が高まるんだ。それが今の状況。ちょっとピンチ」
その言葉を聞いたネクラちゃんの顔が赤から青に変わる。
「そんな。ど、どうすればっ」
死神のマントが破れるのではないかと言う勢いで、ネクラはそれを握りしめる。死神のマントはネクラによって皺まみれになっていた。
「ピンチだけど、問題なーい。だって俺は超優秀な死神だもん」
そのまま俺から離れないで。と耳元で囁かれ、ネクラは再び胸を高鳴らせた後、我に返ってマントを握る手にしっかりと力を込める。
「殺してやる、コロシテヤルーーーーっ」
悪霊の怒号、急速に迫る黒い影、辺りに散らばっていた道具は全て消え去られ、体育倉庫に残されたのはネクラと死神の2人だけだ。
もうダメだ。ここで終わる。
厳密には一度終わっているのだが、悪霊に取り込まれてしまえば今度は完全に消滅すると言われていたためネクラは覚悟を決めて、目を閉じる。
「そんな事、させるかよ。バーカ」
死神は悪態をつくいた後、ネクラをしっかりと抱きしめた状態で深呼吸をする。
そして、毅然として宣言をする。
「自らの悲しみに支配された哀れな魂よ。この俺が死神の名を以て黄泉の国へと送ってやる」
怨霊の体がいよいよ2人を取り込もうとした瞬間、死神は大鎌を横一文字に振るった。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
「ああ、あああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
ザンッ。と空気を切る重たい音がして、続いてつんざく様な絶叫。その苦痛とも悲しみとも取れる怨霊の声に思わずネクラは目を一層固く閉じ、死神の体に顔を埋める。
数秒ほどが経ち、辺りがやけに静かになった事を不信に思ったネクラは恐る恐るその目を開けた。
そこには何もなかった。積みあがった体育道具はもちろんの事、あれほど恐ろしかった悪霊の姿も見当たらない。
ただ何もないただのコンクリートの箱となり果てた体育倉庫を見て、あの一瞬に何があったのかわからず、茫然とし見回しているネクラに死神が言った。
「終わったよ。ネクラちゃん。お疲れ様」
「おわった……」
まだ理解が追い付かないのか、ネクラはただポツリと単語を発する事しかできなかった。
「ところでネクラちゃん。いつまで俺にしがみついてるの」
「わっ。す、すみません。私、怖くて」
自分が死神にピッタリと密着している事に気付き、慌てて離れる。
頬を染め、照れた様子でモジモジとするネクラとは違い、死神はマントの皺を伸ばしながら言った。
「いやー。室内戦って動きが制限されるからちょっと手間取っちゃった。でも的が大きいからから当たりも大きくて助かったよ。俺ってば、やっぱ優秀だね」
いつもの如く自画自賛する死神にネクラが言った。
「あの。死神さん」
「ん、なぁに」
神妙な面持ちのネクラに死神が笑顔で聞く。
「あの悪霊、一目さんは黄泉の国に送られたんですか」
確か死神は言っていた。悪霊化した者は輪廻転生と死神補佐になれる資格を失い、二度と悪さができない様に黄泉の国へと送られると。
先ほどの悪霊も、一目優妃も恐らくそれに当たるのだろうと思ったのか、ネクラは確認する様に言った。
死神もそれを受けて答える。
「もちろん。俺がこの鎌で彼女と現世の縁を断ち切ったからね。彼女の魂は黄泉の国に閉じ込められる。彼女はもう二度とあれだけ戻りたいと願っていた現世には未来永劫戻る事はない」
「未来永劫……」
ネクラの表情が曇るのを見て、死神が冷静に言う。
「君が気にする必要はないよ。彼女は死後にも関わらず、それだけの罪を犯したわけだし、それこそが悪霊に対する折檻さ」
死神の言葉に、ネクラは何も返さなかった。
「さ、仕事は終わったし、帰ろうか」
死神が切り替えた様に明るい口調で言う。
「はい」
ネクラは短く返答した。
2人が体育倉庫の外に出ると、辺りはすっかり日が落ち闇に染まっており、秋の夜が物悲しい静寂を作り上げていた。
こんなに大捕り物になったのにも関わらず、人が来なかったのは夜だったからなのか、それとも連続怪死事件の影響で守衛や教員がそれを恐れて見回りを取り止めていたのかは定かではないが、騒ぎにならなくて良かったのかもしれない。
ネクラはふと空を見上げた。生前は下ばかり向いていたため、上を見るのは久々だとネクラは思った。
黒い闇にの中で真っ白く輝く月を見上げながらネクラはぼんやりと思った。
終わった。本当に終わったのだ。
今更ながらそれを実感したネクラは大きく息を吐き、胸をなでおろした。