第六章 第十四話 指輪に秘められた思い出
「六条愛が源信孝に憑りついたから、その魂を飲み込んだと、そう言う事か」
死神がきっぱりと言ってのけた薫子に死神が確認すると、彼女は先ほどまでの愁傷な態度から一変し、悪びれる事なくけろりとして言った。
「ええ。そうよ。信孝さんのした事で彼女が残念な選択をしてしまって事には驚いたし、彼の妻として申し訳ないと思ったわ……だけどっ!」
突然語調を強めて歯ぎしりをする。穏やかだった薫子の表情がまた憎しみが込められた鬼の形相に変わり、ネクラと華は突然の変貌ぶりに身構えるが、死神と鐵は平然として薫子を眺めていた。
「この女、信孝さんを呪い殺そうとしていたのよ。一時でも信孝さんに優しさを向けられたくせに!それなのに!私の大切な人にそんな仕打ち許せない。身の程知らずにも程があるわ!だから、取り込んでやったのよ」
薫子は、あはははと狂った高笑いを上げる。そしてひとしきり笑った後、スンと真顔になり、また淡々と語り出す。
「私、ただのちっぽけな生霊として存在時は信孝さんをどうこうなんて思っていなかったの。まあ、女性関係の監視くらいはしたかったぐらい。でもね、信孝さんを呪い殺そうとしているこの女を憎いと思った時、突然力が溢れて来たの。だから、ずうずうしい魂を消し去ってやる事にしたの。最初は抵抗されて苦労したけれど、いざ取り込んでみたらそいつの力までモノにできるなんて幸運だったわ」
力を確かめる様に両手を握りしめながら早口でまくし立てる。まるで安定しない薫子の情緒に狂気しか感じる事ができず、ネクラは恐怖で震えてしまう。
華の方を見れば彼女もコロコロと変化する薫子の感情に嫌悪を抱いた様で、顔をしかめて彼女を見ていた。
「ふむ。やはり精神が安定していないか」
鐵が顎に手を当てて冷静に薫子の状況を分析する。死神も腕組みをしながらそれに答えた。
「そうだね。その辺は彼女が長年蓄積させた源信孝への不安と恨みの念が生み出した生霊であると言う事と、同じく彼を恨んでいた六条愛の魂を取り込んだせいだと思うけど」
情緒が安定しないのは霊の特徴なのだろうか。死神2人は冷静に彼女の状況を分析していた。
「それで、六条愛を飲み込み、力を手に入れた君は、源信孝に近づく女性たちを呪い、怪我をさせる様になったわけだね」
死神は憐れみの視線を薫子に送りながらか言うと、情緒が不安定な状態でふらふらと体を揺らしていた薫子が動きを止め、口角を限界まで上げながらにやりと笑った。
「そうよ。だって、結婚している男に近づくなんて悪い女じゃない。だからお仕置きしてあげたの」
「お仕置きって……あんたの旦那が誘った場合でもそうしてたわけ」
薫子の狂った理由を知り、華が呆れた口調で言うと薫子は平然とした様子で言った。
「私は信孝さんの浮気癖を知って結婚したわけだし、それは彼の会社有名のはずよ。それを全て理解して、チャンスと思ってそれを受け入れる女よ。質が悪いのはどちらだと思う」
抑揚のない声で淡々と紡がれる言葉。しかし、所々で震えが生じており、会話の途中でいつ情緒が崩れ、爆発するかわからない状況だった。
「で、でも、仕事の都合で源さんと一緒にいた人もいました。たまたま声をかけただけの人も。そんな人まで呪ったのはどうしてですか」
ネクラはいつ爆発するかわからない爆弾の恐怖に耐えながら問いかける。
「だって、信孝さんは素敵だから。少し優しくされただけでも好きになられてしまうかもしれないじゃない。そんな感情が生まれる前に彼には関わるとこうなるってわからせてあげないといけないでしょう」
薫子は真顔のまま首をコテンと傾かせてそう言った。彼女の極端な考えにそこに一同が言葉を失う。
「君が本体の姿をしていないのは何故かね」
鐵が問うと薫子は眉をピクリと動かして不機嫌な表情になる。
「この女の魂を飲み込んだは良いけど、姿まではコントロールできなかったの。飲み込んだ魂を乗っ取った形になってしまったみたい」
薫子は拗ねる様な口ぶりで言ったが、直ぐに笑顔を見せた。
「でもね。結果的によかったわ。信孝さんは自分のやる事に口出しされるのを嫌うし、ちょっと罪悪感はあったけど、この姿で脅したら、お願いを聞いてくれる様になったし。そう言った点では、この女の体に感謝しないとね」
クスクスと笑う薫子に悪びれる様子はとても不気味だった。
「どうやって源信孝にこの依り代を持たせた。アレを見る限り、人間が将来を共にする約束を交わす時に渡すものとは少し違う様だが」
死神がコピーの指輪を見せ、空中に流れる映像を視線で指しながら問う。それはネクラも疑問に思うところだった。
依り代になる物は霊にとって馴染みに深いものでなければ存在を繋ぎ留める事は出来ないと死神は言っていた。
彼は信孝の妻であるのだから、結婚指輪や婚約の方が彼女にとって大切な物であるだろうし、何より持たせやすいはずだ。
映像から推測するにこれはデートの際に市場で買ったアクセサリーだ。それとも、あの指輪には何か大きな価値でもあると言うのだろうか。そんな事を思いながら、ネクラは薫子様子を窺う。
彼女は死神の手で輝く指と空中の映像を交互に眺め、幸せそうに微笑む男女をぼうっと眺めてから静かに言った。
「それはね、信孝さんとのおでかけした時にもらったものなのよ。私にとっては婚約指輪よりも結婚指輪よりも価値のあるものなの。私の依り代にするには最高のものだと思ったわ」
過去を懐かしむ様に幸せそうに、うっとりとした表情で言った彼女だが、突如暗く悲しい表情になる。
「でも、信孝さんはもうそれを持っていなくて……。それはちょっと許せなかったけれど、私の本体からそれを譲り受ける様に言ったの。六条愛のフリをして、その指輪を肌身離さず持たなければ信孝さんも妻である私も呪い殺してやるって言ってやったの」
薫子は自分の姿が六条愛である事を最大限に活かし、行動に移していた様だった。それもそうだろう。信孝は六条愛を死に追いやったと言う負い目がある。
愛に恨まれている自覚はあるだろうから、愛の姿をした者は目の前に現れ脅しをかければそれに応じてしまうだろう。薫子本人は計算をしていたわけではない様だが。信孝の心を上手く利用した行動である。
沈む表情の薫子だったが、パッと表情を明るくして頬を染め恍惚とし、自慢げに言った。
「そうしたらね!信孝さんってば、言う事を聞くから妻には手を出さないでくれって、泣きながらお願いしてきてね!愛を感じちゃった」
両手で頬を押さえながら薫子はくねくねと体を動かす。その姿はまるでのろける女性そのものだったが、口調がどこか狂っているせいでうらやましさなど微塵も感じず、寧ろ薫子への恐怖が増幅しただけだった。
しかし、自分の行動を正しいと思い続けている薫子は嬉々として語りを続ける。
「私が六条愛になりすまして以降は信孝さんのナンパや遊びグセも治った様子だし。あの指輪を依り代にして正解だったわ。そう、指輪……指輪よ」
目の前の薫子は笑ったり、怒ったり、落ち着いたりを繰りかえし、そして死神手に持つ指輪に視線と意識を戻し、また怒りの感情をネクラたちに向ける。
「指輪、ああ、あああ、指輪。あの人からの結婚前の、初めての贈り物。大切な、大切な思い出。返して!返せ!返せぇっ!」
指輪に意識が戻った途端、薫子は癇癪を起し、再びネクラたちを守る防御壁を破ろうと攻撃する。防御壁が揺れ、映し出されていた映像も搔き消える。
死神は『あぶないなぁ』と言いながら指を鳴らしてホワイトボードを消す。
「わわ。また暴れ出した。死神さん!ホワイトボードより指輪しまって下さい」
今、薫子の意識は指輪に向いている。彼女が指輪を求めるのはそれが大切なものであるからなのか、それとも自分の弱点となる指輪が敵である死神の手の中にあるため焦っているのかはわからなかったが、わざわざ相手の怒りを煽る必要もない。
ネクラは必死で死神に指輪をしまって欲しいと願ったが、死神は指輪を手で遊びながら呑気に言った。
「ええ、これ偽物だからなぁ。それを教えてあげれば大人しくならないかな」
「もう!死神さんっ」
そんな2人のやりとりを見ていた華が組んだ腕をトントンと叩きながら苛立たしげに言った。
「いい加減にして。いつまでもくだらない事をしていないで、依り代である本物の指輪を破壊すれば解決するんだから、早くその方法を考えなさい」
「す、すみません。遊んでいるつもりは……」
機嫌の悪さが限界を迎えそうな華にネクラは謝罪をしながらも、決して遊んでいるつもりはなかったため、弁解をする。
しかし、華はネクラの謝罪などいらないと言わんばかりにキツイ口調で嫌味っぽくで言った。
「で、呑気なネクラさん。本物の指輪を破壊する方法は思いついているのかしら」
「え、ええっと……本物の指輪は結界の外の信孝さんが持っているはずなので、やはり一度結界を解除するしかないのでしょうか」
突然の質問にネクラが首を傾げながら意見を述べると華は呆れた視線をネクラ送る。
「あの生霊とやらが暴れたり、逃げたりする危険がある以上、気軽に結界は解けないし仮に解いたとしても、指輪を壊すためにはこの防御壁から出ないといけないでしょ。それは危険なんじゃない」
「うう。そうですね」
グサグサと釘を刺される様に意見を否定され、痛い視線を送られる。
何度目かのギスギスとした雰囲気を醸す補佐2人を死神2人が肩をすくめて眺め、そして死神同士は頷き合った。
「はいはい。ストップ!まあ、死神の手によれば結界を解かず、防御壁から出ずとも遠隔で指輪を破壊するなんて容易い事なんだけど……ここは輪廻ポイント増量ために補佐に花を持たせるとしよう」
死神はネクラと華の間に体を割り込ませて仲裁した後、にんまりと笑って腰を屈め、ネクラを覗き込む。至近距離に迫った顔だけは良い死神の顔に妙な照れを覚えつつも、その瞳を見つめ返す。
「ここで問題です。死神補佐の君にでも防御壁から出ず、死神結界を解かなくても簡単に指輪を破壊できる方法が1つだけあるよ。考えてごらん」
死神が微笑みながらネクラのポッケトをちょいちょいと指さした。ネクラはハッとしてポケットを探る。
手に触れたのはカラスのキーホルダーだった。これには死神の力が込められ、1日に1回だけ、死神と同等の力が使えるものだ。
「そうか!これですっ」
「なに、それ」
ひらめきを見せたネクラの手にあるカラスのキーホルダーを華は訝しげに見つめる。ネクラはそんな華の視線を受けつつもキーホルダーを握りしめる形で祈る。
「お願いします。結界の外にいる信孝さんの指輪を破壊してください」