第六章 第九話 指輪に憑く悪霊
この度もお読みいただきまして誠にありがとうございます。
話が、話が進まない(泣)文字数は多いのにっ……。
六章、あともう少し続きます。どうかお付き合いくださいませ。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
青ざめる信孝の前に現れたのは、ひどく怒った様子の女性が目の前に立っていた。長い黒髪が美しい30代前半と思われるスレンダーな女性だった、
一見、穏やかで綺麗な女性に見えるが、腰までの真っ黒い髪の毛が意志を持つかのようにうねうねとうごめき、まるで黒い蛇を思わせ、大きな瞳は瞳孔が開き切り、口の端から見える牙も合間ってまさに鬼の形相と言う言葉がふさわしかった。
「あ、あれは、悪霊……ですよね」
「ええ。指輪に潜んでいたのね」
悪霊に見つかってはならないとネクラと華は出入り口付近の積まれた段ボールに身をひそめながらその光景を眺める。
悪霊と思われる女性は冷たい視線で信孝を見下ろし、腕組みをしながらオーラで威圧しながら言った。
「あなたってどうしてそんなに女性に好かれてしまうのかしらね」
「し、知らない!女性の方から声を掛けて来るんだ。それに最近は誘いに乗っていないだろう!約束は守っているはずだ!」
信孝は青ざめて震える声ながらも強い口調で悪霊に言い放つ。しかし、どんなに強気の態度で訴えようとも悪霊の顔から冷たさと怒りの感情が消える事はなく、それを見た信孝は整えられていた髪をぐしゃぐしゃにかき乱してから顔を押さえる。
「どうして!どうしてこんな事をするんだ。愛!あんなに謝ったじゃないか。きちんと反省した。お前と約束して以降は一度もそれを破っていない。なのに何故!お前は俺を苦しめる。そんなに俺が憎いのか!」
信孝はヒステリックに心の内を叫ぶ。そんな男性を見ても尚、悪霊は眉1つ動かさずに情けなく震える信孝を見据えていた。
「愛……。それがあの悪霊の名前なんですね。源さんの軽率な行動がきっかけで命を絶ってしまった浮気相手の方、ですよね」
ネクラが悪霊とは言え、複雑な事情を持つ愛の心情を思い切なそうに言うと、華はそれに同意した後、信孝を睨みつけて言った。
「ええ。あれが間違いなく今回の私たちが探していた悪霊ね。まったく……情けない男ね。相手になにかあってから反省しても遅いって事が何故わからないのかしら」
信孝に対する情けない男と言う華の意評価にはネクラも同意した。身の危険を感じて震え、懇願しながらも信孝の口からは、愛への贖罪と言うよりも自分を擁護する言葉しか出ていない気がして、ネクラは同情する事ができなかった。
「源さんには私たちの姿は見えていなかった様ですし、恐らく霊感は持っていませんよね。あの悪霊は意図的に彼の前に姿を現しているんでしょうか」
以前に死神が悪霊はネクラたち死神候補と違い、意図的に人間の前に姿を現す事が可能だと言っていた。
恐怖を与えるため、無念を晴らすため、悪霊によって姿を視せる理由は様々な様だが、あの怨霊にはどんな理由があると言うのだろうか。
「ええ。そうでしょうね。今のところは危害を加えるつもりはない様だけど、呪われる心当たりでもあるのかしら。あの男、相当怯えているじゃない」
華が情けないと言った視線を信孝に送り、ネクラも改めて信孝の方を見る。
「もう、もういやだ。お願いだ……これ以上、俺を苦しませないでくれ。憎まないでくれ」
視線の先では悪霊・愛と信孝のやり取りが続いて行く。震えてついには弱々しい言葉を吐きながら座り込んだ信孝を、正面から覗き込みながら愛が牙を見せながら妖艶に微笑んで言った。
「何度言えばわかるの。言ったでしょう。私はあなたを憎んでいないって。私はね、心の底からあなたを愛しているの。だから許せないの、私の愛しい愛しいあなたに手を出す輩が。そう、あの子たちみたいな!」
「「!?」」
慈しむ様に信孝を見つめていた愛が突然、目を剝きグルンと首を勢いよくネクラと華の方へ向ける。そのあまりの不気味な動きと存在を気付かれていた事の焦りから、2人は息を飲んでその場で固まる。
信孝も何の事かと2人がいる方へ視線を向けるも、やはり普通の人間である彼にはネクラたちの姿は捉える事ができず、ただ呆けている。
「誰も、いないじゃないか」
声を震わせながら言う信孝に、愛はネクラたちから瞳を逸らさぬまま、抑揚のない声で言った。
「いいえ。いるのよ、そこに。女の子たちがずっと、あなたを見ていた。1人はあなたに触れ様としていた」
愛は真っすぐに華を指さした。思わず華が身構える。
「許せない、許せない。呪う、呪う。呪ってやるっ!」
最初はぼそぼそと小さな声で、しかし段々と抑揚を強めてヒステリックに叫んだ。
「お、おい。一体何なんだよっ。なんで怒ってるんだ」
突然怒りを露わにした愛に信孝は怯えていた。
それは当然の事だ。今、愛が怒りを向けているのはネクラたちなのだが、霊感がなく何も見えていない信孝からすれば愛が突然に怒り出した様に見えるのだろう。
「ああ、愛しい人。あなたの魅力は生者のみならず、死者をも魅了してしまうのね。でも大丈夫。あなたは悪くないわ。あなたに近づく愚かものを消し去ればいいだけだもの」
愛は怯える信孝を優しく宥め、牙を剥き、瞳孔を開いた状態でネクラと華に向き直る。ネクラは固まった体が段々と冷たくなってゆくのを感じた。本能が、体が、危険だと叫んでいる。
「は、華さん。これは、ヤバい状況なのではっ……。一旦、逃げた方が良いですよっ」
何とか声を絞り出し、隣で同じく冷や汗を浮かべながら固まる華に今できる最善の提案をするも、華は固い表情のまま首を横に振る。
「いいえ。平気よ。逃げなくていい」
「え、で、でもっ」
まったく逃げようとしない華にネクラが戸惑っていると、愛が2人を捕えようと蛇の如くうねる長い黒髪をもの凄いスピードで伸ばす。
「きゃっ」
なす術のないネクラが反射的に身を屈める。しかし、華は殺気を受けて体を固まらせていても、慌てる様子はなく、力強く言い放つ。
「鐵。悪霊を見つけたわ。任務交代よ」
華の言葉と同時に、目の前まで迫っていた髪がバシンと大きく音を立てながら弾かれる。
「っ!なに!?」
突然の衝撃に愛は忌々しそうに舌打ちをしながら、ネクラと華の前に立ちはだかる影を睨みつける。
「えっええっ」
ネクラも驚いて突然自分の前に出現した背中を見上げる。華は満足そうに笑って言った。
「ありがとう。鐵、信じていたわよ」
「全く……。お前の行動にはいつも肝が冷えるよ」
「死神に肝なんてないくせに」
呆れる声に華が軽口で返す。一体何があったのか。
目の前に見えたのは2人に背を向け、大鎌を構え守る様に佇む鐵の姿だった。
「く、鐵さん、どうして」
ネクラが呆けていると華が当然の事の様に言った。
「どうしてって……。死神は基本補佐の傍で行動を監視しているものよ。呼べば来てくれるし、危ない時は助けてくれるって言ったでしょ」
「そ、そうかもしれないですけど。それでも行動が大胆過ぎます」
間近まで攻撃が迫っていても華が堂々としていたのは鐵が助けてくれると信じていたからだった。
それにしても身の危険がすぐそこまで迫っていると言うのに助けてもらえると確信していた辺り、余程鐵に信頼を置いているのだろう。
自分は担当の死神をそこまで信頼できるだろうか。そんな事をぼんやりと考えつつも、ピンチを回避できた事にネクラは安堵した。
「ネクラちゃんヤッホー」
「死神さん!!」
鐵の隣には死神がにこやかな表情を浮かべ、ヒラヒラと手を振っていた。相変わらずの呑気さに気が抜けてしまったが、いつも通りの死神の態度に少しだけ安心感を覚えた。
「いやぁ、最初はいけ好かない子かと思ったけど、中々の肝の座り方してるじゃない。それほど自分勝手でもなかったみたいだし。やるねぇ君」
死神が華に軽口を叩くと、死神の言い方が気に食わなかったのか、さほど嫌味は言われていないのも係わらず、ムッとして顔を背けた。
「余計なお世話よ。あなたに見直されてもうれしくないわ」
「あはは。つれないねぇ」
「お前の態度も悪いと思うぞ」
冷たい態度の華に死神がヘラヘラと笑い、それを鐵がいさめる。張り詰めた空気が一気に緩み、その光景を見たネクラは自身を支配していた緊張感が薄れて行くのを感じた。
「仲間か。おのれ、こざかしい」
和やかな空気が流れ始めた矢先、愛のおどろおどろしい声がその空気を壊す。そこにいる全員がそちらに視線を移すと、黒髪をゆらゆらと揺らしながらモヤモヤとした黒いオーラを放つ愛の姿があった。
「うわあああっ。もう嫌だ!本当に何なんだよっ」
怒りを身に纏う愛を前にして、信孝の恐怖とストレスがピークに達したのか、叫び声をあげて座り込んだ状態で体を更に丸め、身を守る様にする。
「なんだ。人がいたのか。悪霊折檻の邪魔になるし、結界がいるね」
死神は信孝の存在に気が付いていなかったのか、情けなく丸くなっている信孝の存在を確認した後、パチンと指を鳴らした。
倉庫だった景色があっと言う間に『死神結界』と呼ばれる白い世界へと変わる。
「信孝さん、信孝さんはどこ!?」
辺りが白い景色に包まれ、信孝の姿が消えてしまい、殺気と怒りを込めた視線でこちらを睨んでいた愛の顔色が怒りから焦りに代り、必死で信孝の姿を探す。
死神結界は現世からは断絶された空間であり、生者は結界から除外される。つまりは信孝は結界の外にいるのだが、それを知らない愛は彼が消えたのかと思い、オロオロとその姿を探し回る。
その様子から見るに、愛が異常なまでに信孝に執着している事が分かる。真っ青な顔でひとしきり辺りを彷徨った後、ピタリと動きを止めた愛はゆっくりとこちらを見た。
「お前たち、信孝さんをどこへやった!!」