第八話 悪霊の正体
今回は少し長いです。
読みにくくて申し訳ございません……。
体育倉庫から離れ、またしばらく校内探索を続けているネクラの胸は未だに高鳴っていた。いや、実際には心臓は動いていないが、そう言う感覚に陥っていた。
優妃の目の前にいる人間が、かつて自分がいじめていた『生前のネクラ』ではないだけでどうして『普通』の態度になれるのか。
思い出してみれば、優妃は確かにネクラをいじめたていたが、クラス内ではそれなりに好かれていた様な気がする。
常日頃から暴君と言うわけでもなく、仲間内には人当たりの良く、姉御肌な一面がある人間だったとネクラは思い返した。
事実、周りの人間にはいつも友好的に接していたし、何事も積極的に行動するところがあるため、寧ろ好かれていたと思う。
皆が彼女を頼り、中には憧れる人もいて、そして慕っていた。
ただ、風紀の面でも彼女の素行は良いとは言えなかった。ネクラが通っていた学校は、進学校とまでは言えないが、それなりに成績優秀者も多く、寧ろ真面目な生徒が多い。
だが優妃は、授業はサボる上に、成績ももちろん良くはない。先ほどの彼女の風貌を見るに、恐らく今もそれを正す様子はない。
化粧もするし、ネイルもする。着崩した制服で町へ出かけて遊びまわる。
まさに、自分の好きな事をして生きている様に思えた。
そして、そんな彼女の真似をする生徒も出て来たため、真面目だった学内の雰囲気が徐々に変化しつつあった。
何故、そんな問題だらけの彼女を、学校側は対処しないのか。それの理由は彼女の家系にあった。
優妃の家系である『一目財閥』はネクラが住んでいた町で代々続く金持ちの家で、優妃の両親ともに会社をいくつも経営しており、娘の優妃が通っているこの学校にも多額の寄付をしているのだ。
一目財閥の金で支援されていると言う事実が、優妃を自由にさせてしまっているのである。
彼女は恐らく、生まれてからずっと奔放に暮らして来たのだろう。
「それにしても、『私』じゃないとあんなに普通に接するんだな」
むしろ体育倉庫は危ないと注意してくれるほどに友好的だった。
態度が急変した時は正直驚いたが、あれも自分を『生前のネクラ』だと思っての言動だった様子だったため、少し暗い気分になった。
「私、なにか一目さんに標的にされる様な事、したかなぁ」
そんな言葉がこぼれ出て、原因を考えてみるも何も思い当たる節はなく、ネクラは大きくため息をついた。
いじめに理由などないかもしれないが、それにしても他人に普通の態度が取れる人間が、特定の人間にだけ普通になれないとはどう言った心境なのだろう。
そして、先ほどから燻ぶる、不安にも近い違和感は一体何なのか。
そんな事を考えながらネクラは他の手がかりを求めて校内を探索した。
何人かの生徒に話しかけ、積極的に情報を集めた。しかし、やはり自分が得た以上の情報を得る事はできず、ただ時間だけが無駄に過ぎてゆく事を感じ、ネクラは落胆した。
そして、窓の外が夕日でオレンジに染まり始めた頃、ネクラが辿り着いたのは資料室だった。
職員室に侵入した際、小太り教員の西関がここ最近の事件が書かれた新聞記事をまとめたファイルを持っていたのを思い出したのだ。
ここには、学校に関する色々な資料が保存されていた記憶がある。
そろそろあのファイルもここへと戻ってきているはずだ。
ネクラは資料室の戸をすり抜けた。
資料室には一面にギッチリと資料が敷き詰められており、ネクラはその想像以上の圧迫感に圧倒されてしまった。
室内が薄暗かったため、廊下に誰もいない事を確認したのち、こっそり電気をつける。
そして、一番新しそうな資料が集めて置いてある棚を発見し、目的のファイルを探す。
「あった。これだ」
『〇〇高校事件ファイル』と書かれたそのファイルを引っ張り出し、ネクラは夢中でページをめくる。
そして、過去4件の連続怪死事件の記事にを発見した。
それにざっと目を通す。
「うーん……おおよそは墨園さんが言っていた通りか」
記事に書かれていた内容は、昼休みに志月から聞いた内容のものばかりだった。
新たな収穫と言えば、被害に遭った生徒たちの名前を確認できたと言う事ぐらいだ。
亡くなった生徒3人は、先ほど再開した優妃と常に行動を共にしており、志月が言う様に、優妃と一緒になりネクラをいじめていた人物たちだった。
俗に言う『取り巻き』と言う存在だ。何をするにも優妃と行動し、何を根拠にしているかは不明だが、自分たちは偉いのだと言わんばかりに振る舞っていた。
この人間たちがいじめをしていた事は、身を以て感じた事実であり、そう言った面ではこの学校に恨みを持つ悪霊のターゲットにされてもおかしくはないと思うが、ではこの学校に留まっている悪霊とは『何』なのか。
ネクラは頭をひねった。
「そう言えば、首を吊って亡くなった生徒もいたな。その記事も多分、ファイルされているはず」
ネクラは再びページをめくり、そして目的の記事を見つける。
「あった、これだ。体育倉庫首吊り事件。えっと……亡くなった生徒の名前は……!」
記事に記された生徒の写真と名前を確認し、ネクラは目を見開き、息を飲んだ。と同時に、ひらめくもがあった。心の隅でずっと燻ぶっていた違和感の正体がわかった気がした。
ただ1つ、自分が恨まれる理由がわからなかったが、ネクラは弾かれた様に資料室から飛び出した。
真相に辿り着いたネクラがやって来たのはやはり、事件が多発している体育倉庫だった。
やはり、全ての現況はここの場所にある。
そう思ったネクラは、体育倉庫にすり抜けて忍び込む。
室内は薄暗かったが、血と思わしき赤黒いシミが壁一面に広がっている事が見て取れ、ネクラ思わず声を上げてひるんだ。
しかし、自らを奮い立たせる様に頭を振り、頬を叩き、気を取り直して、深呼吸をする。
そして、恐らく自分を見ているであろう悪霊に向かって叫んだ。
「やっと見つけたわよ。悪霊、出てきなさいっ」
体育倉庫の小さな小窓から、外の風景が見える。
外は日が落ちる寸前で、先ほどまでのオレンジの色を失い、徐々に薄暗くなってゆく。
体育倉庫の電球は切れており、日が落ちると同時に室内は薄暗さを増してゆく。
窓が開いたままになっているのか、風が冷たそうに木々を吹き鳴らす音がする。
その全ての状況が不気味さを感じさせ、決意を固めたネクラの心が恐怖で折れそうになる。
ネクラが叫んでから時間にして数秒が過ぎた後、薄暗い体育倉庫の奥から、ゆらりと1人の人物が現れた。
「ネクラ、だったか。アタシに何か用か」
闇の中から怪しく微笑みながら現れたのは、ネクラをいじめていた張本人、一目優妃だった。
「やっぱり、あなただったんだね。一目さん」
「なんの事だ。ここは、アタシのお気に入りの場所だって言ったろ」
緊張を隠せず言葉を発するネクラとは対照的に、どこか余裕の笑みを浮かべながら不穏な雰囲気を纏う優妃に飲まれそうになるも、ネクラは追及を続ける。
「とぼけないで。私、わかったの。ここで首吊りをし、3人の生徒と杉本先生を惨殺した悪霊の正体は、あなたよ」
真実を語るネクラの声と体は震えていた。しかしそれでも、優妃から瞳を逸らすことなく彼女を力強く見つめていた。
優妃は動揺する事なくにクスクスと笑った。
「ふぅん。なんでそう思うんだ」
「確信を得たのは、資料室で新聞記事を確認した時だけど、あなたと最初にここで会った時に、あなたには、私が見えていたから」
「ほぉー」
優妃は面白そうに相槌を打った。現状を楽しんでいるかの様な優妃を不信に思いながらも、ネクラは続ける。
「今の私は、霊体。私から話しかけないと普通の人間は私を認識できない。でも、あなたは、体育倉庫の前に立っていた私に、あなたから声をかけた」
「うんうん」
優妃はまるでネクラをバカにするかの様な相槌を打つ。
その一切の動揺を示さない優妃の態度に、段々と狂気じみたものを覚えて来る。
「最初は、あなたに霊感がある可能性も考えた。でも、新聞記事であなたの事を見て確信したの。あなたがもうこの世のものではないって」
ネクラは言い終えると、優妃はパチパチと拍手をした。
その光景にネクラがたじろぐ。
そした、優妃はおかしそうに言った。
「ああ、そうだよ。アタシがあいつらを殺した。それがどうかしたか」
「な……」
全く悪びれないその態度にネクラが言葉を失う。
「どうして、そんなひどい事をしたの」
ネクラが悲しさを滲ませながら言うと、優妃はあっさりと、それでいてどこか怒りと憎しみが込められた声で言った。
「決まってんだろ。復讐だよ」
「復讐?」
ネクラは訳が分からなかった。
なぜなら、優妃は素行こそ悪いが嫌われてはいなかった。むしろ慕われていた。
金持ちの家系に生まれ、友人もいて、生活に恵まれていた彼女に、復讐する様な理由がない様に思う。
「復讐って、どう言う意味?ううん。なんで首吊りなんてしたの」
自分も屋上から身を投げた身だが、彼女が命を絶つ理由が分からないネクラは疑問を投げかける。
すると、先ほどまで比較的落ち着いた様子だった優妃の様子が急変した。
ネクラを恨めしそう睨み、目は血走り、体からは黒いモヤの様なものが溢れ出ていた。
「お前のせいだろぉがぁぁぁぁぁっ」
「ひっ」
優妃の怒号が衝撃波の様にネクラを襲う。それは瞳を開けていられない程の威力で、まるで台風の様に体育倉庫に置かれている様々な物を吹き飛ばし、辺りを散らかしてゆく。
ネクラは吹き飛ばされそうになったが、顔を手で防御しながら踏ん張る。
時々、吹き飛んできたボールなどがネクラを襲い、彼女の体を攻撃する。
空気がビリビリとしたものに変わった事が、霊感のないネクラでも分かった。
「う、わ、私のせいって、ぐっ」
自分のせいとはどういう事なのか、それを確認したかったネクラが理由を聞こうと衝撃波に耐えながらも、優妃を見据えようと瞳を開け様と試みたその時、その声は遮られた。
いつの間にか距離を詰めて来た優妃が、ネクラの首を絞めあげたのだ。
その力は女子高校生とは思えないほど凄まじく、ネクラの体は宙に浮いていた。
必然的にネクラは優妃を見下ろし、優妃はネクラを見上げる姿勢になる。
首を絞められていても霊体であるためか、息苦しくはなかったが、それにも関わらず意識が揺らいでゆく感覚がする。
ネクラの脳裏に死神の言葉が蘇る。
『失う命はないけど、悪霊に取り込まれてしまうと君はその一部になり、魂自体が消滅してしまうから、行動には細心の注意を払ってね』
まさか、自分は今、優妃に取り込まれ様としているのか。
そう思ったネクラは、この状況から逃れようと必死でもがく。
「おいおい。暴れんなよ。取り込みづれぇだろ」
優妃の言葉を聞き、取り込まれそうになっていると言う推測が確信に変わる。
「は、放してっ、放しなさいっ」
2人の力の差は歴然だった。
ネクラが必死で逃れようと努力する一方で、優妃は余裕の笑みを浮かべてネクラを捕らえている手の力をさらに強める。
「お前、やっぱり――――だろ」
「うっ」
優妃がネクラの生前の名前を呼んだため、ネクラを再びめまいが襲う。
めまいに苦しみ、黙り込むその様子を肯定と取ったのか、優妃が狂気をはらんだ声色で言う。
「ネクラなんて偽名まで使いやがって。お前、やっぱりアタシの事ナメてやがったな」
「ちが、偽名じゃないっ」
どんなにもがこうとも、優妃の腕からは逃れる事は叶わず、時折意識がぼやけ始めた事から、このままでは本当に危ないと、ネクラは焦る。
「いやぁー。最初にお前を見たときは驚いたぜ。もう自分じゃ殺せねぇと思っていたから、ラッキーだって思ったよ」
「ど、どうして私が憎いの。私、何もしてないじゃないっ」
ネクラは必死で訴えた。
本当に心当たりがない。生前、散々好き勝手してくれたのは優妃の方ではないか。自分に非などある訳がない。
ふつふつと怒りが込み上げてきたネクラは優妃を睨みつけ、先ほどまでに恐怖心などなかったかの様に強気に言う。
「恨みたいのは、憎みたいのは私の方よ。あなたが私にした事、わかっているんでしょうね」
「はぁ?」
ネクラの言葉に優妃は何を言っているのだと言う様子で言葉を返す。
「アタシがお前をいじめていたのはお前が私を頼らなかったからだ」
「は?」
今度はネクラが聞き返す・
「アタシの周りにいる人間はな。皆、アタシを頼るんだよ。ファッションの事、メイクのコツ、奢って欲しい、金を貸して欲しい。アタシは皆に頼りにされていたし、必要とされていた。なのに、お前はっ」
「ひぐぅっ」
優妃の手に今まで以上に力が込められ、ネクラは自分と言う存在を保つ力がより多く吸収された事が感覚を感じた。
「なのに、お前は、お前だけはアタシを頼らなかった」
「し、知らない。あなたが、なにを言っているかわからないっ」
ネクラは吸収されながらもその苦しさに耐え、強気の姿勢を崩す事なく優妃に嚙みついた。
それに負けじと、優妃も怒りの言葉をぶつける。
「お前、アタシが遊びに誘った時、断ったよな」
「あっ」
その言葉を聞き、ネクラの脳裏にとある記憶がフラッシュバックした。
この学校に入学して、しばらく経った時だったろうか。まだ、学校生活に慣れていない1年生の頃だった。
優妃が放課後にカラオケに行こうと誘ってきたのだ。
しかし、放課後に遊びに行く事は校則で禁止されていたため、ネクラはそれを断った。
正直、優妃の容姿を見て素行が悪そうな人物と思い、仲間と思われたくなかったと言う気持ちもあった。
「アタシさ、誘い断られたの、初めてだったんだよ。だから、お前をいじめた」
「そ、そんな理由で」
あまりくだらないその理由にネクラ驚愕した。
ただ一度誘いを断っただけ、ただそれだけで自分はあんなにもひどい仕打ちを受けたと言うのか。
「ひ、ひどい。そんなの、言いがかりじゃないっ」
ネクラが悲痛の声をあげると、優妃はフンと鼻で笑った後、続けた。
「なんだよ、被害者ズラか?うぜぇ。でも、アタシ以外の奴らも最初は戸惑ってた様だが、段々お前をいじめる事が楽しくなったみたいだし、お前はそういう人生を送る運命だったんじゃねぇの」
その光景を思い出したのか、優妃はおかしそうにクククと笑う。
「私の人生を何だと思ってるのよ。勝手に決めないでっ」
悪びれるどころかネクラはいじめられて当然だったと笑う優妃の態度にネクラの怒りが頂点に達する。
「気に食わないからいじめて、自分が傷付けた人を見ても自分を正当化して、笑って、馬鹿にして、あなたおかしいんじゃないの。返してよ!私の人生、返してっ」
ネクラの瞳から、我慢していた大粒の涙が溢れ出る。
恐怖や怒り、悲しみ、色々な感情が混じったそれは、体育倉庫の床にポタポタと雨粒の様に降り注ぐ。
その様子を優妃はとても冷めた表情で、未だ自分に絞め上げられ、抵抗できずに宙に浮いているネクラを見上げていた。
そして、ポツリと呟く。
「返して、はアタシのセリフだ」
「え……」
一瞬だけ感じ取れた、その寂しそうな声色にネクラは戸惑いを覚えた。
「お前、アタシがなんで首を吊ったかわかるか」
「わ、わかるわけないじゃない」
感じ取った戸惑いを払拭するかの様にネクラは強めの口調で優妃の問いに答える。
「教えてやるよ。アタシが死んだ理由。それはお前が死んだからだ」
「な、なにを言って……」
予期せぬ言葉に、ネクラは動揺する。
私の死が原因とは一体どう言う事なのか。
ネクラが困惑の色を滲ませていると、優妃は教えてやるよと話を続ける。
「お前が旧校舎の屋上から身を投げてからすぐに、お前のクソ両親が意見して来たこともあったのか、学校は原因を究明するために動いた。そんで、アタシの名前が挙がった」
「……」
ネクラは黙って優妃の言葉に耳を傾ける。
「そんで、学内でいじめアンケートとか言うしょうもねぇもんが始まってな。アタシがお前にした事が全部バレた。アタシは集団にチクられたんだ」
「そう。でも、悪い事をしたのだから、当然じゃないの……っ」
ネクラが不用意に煽ってしまったため、首がさらに絞まる。
「ちゃんと話は最後まで聞けよ。クソが」
「……っ」
お互いを憎む様な二人の視線が空中でぶつかり合う。
「本当は面倒くせぇ事にならねぇ様に、クラス連中に金渡して根回しをしようとしたんだがよぉ。怖いとかなんとかで誰も受け取らなかったんだ」
そんな事、当然だ。自分の悪行を金の力でもみ消そうなど、あってはならない。
ましてや、己の行動で人が亡くなっているのにそれを反省する事なく、その原因すらも消し去ろうとするなど、最低だ。
「その後どうなったと思う?報道ではアタシの名前は隠されたが、何故かいじめの主犯格としてアタシの名前がネット上で拡散して、アタシは世間から叩かれ始めたんだ」
ネクラ彼女が怒りを露わにする度、彼女を纏う黒いモヤが濃くなっていく事が分かった。
あのモヤは彼女の怒りのボルテージが上がるごとに成長しているのだ。そして、それが濃くなるたびに、ネクラの力を吸う力も強くなっていると実感した。
「どいつもこいつも正義ぶりやがって。お前とアタシと一緒にお前をいじめてた奴も掌を返した様にアタシを悪者扱いした。自分たちは何もしていない、アタシに逆らうのが怖かった。楽しんでいたのはアタシ一人で、本当は止めたかったって言いやがった」
優妃は目を剥き、怒りで声を震わせながら言った。
「それからは地獄だった。会った事もねぇ奴らにクラスメイトを自殺に追い込んだ悪人としてネットで散々叩かれた。主犯格はこいつだと勝手に写真までネットに上げられて、拡散されて、外に出る度に世間は、皆アタシを殺人犯扱いして、学校でもアタシを慕っていた奴らも殺人犯の仲間になりたくないと離れて行った。学校に来るなとアタシを罵った」
優妃の語りは怒りの感情から段々と悲壮感を込めたものへと変化して行く。
「アタシの事が世間でそんな扱いをしたせいで、パパとママは取引先から信用を失って、あれだけたくさん経営していた会社のほとんどが倒産に追い込まれた。そして、アタシをお前さえいなければと言いたげな目で見たんだ」
優妃は怒りを少しずつ吐き出すようにポツポツと言葉を続ける。
これ以上刺激をしてはいけない。そう思ったネクラは黙ってその様子を見ていた。
「苦しかった。惨めだった。アタシを慕っていた奴が一瞬でアタシの敵になった。辛くて、腹が立って、色んな感情でぐちゃぐちゃになって、気が付いたらここで首を吊ってた」
そして、なにかを堪える様に息を吸った後、血を吐く様に言った。
「お前が死ななければ、アタシは惨めな思いをしなかったし、死なずに済んだんだっ」
「そ、んな」
ああ、この人は私と同じだ。ネクラはそう思った。
発言にこそ身勝手さを感じ得ないが、周囲に見放され、己の苦しさを相談できる者も理解してくれる者もおらず、1人で苦しんでいたのだ。それが辛くて、命を絶った。
優妃に同情の余地はないが、彼女の悲痛な態度を見ると胸が苦しくなった。
「命をっ、奪ったのは何故」
「あ?」
彼女が命を絶つきっかけは分かった。だが、ネクラにはわからない事があった。
「あなたの、お友達、あの3人と先生の命を奪ったのは何故?」
優妃が学校を、世間を憎んでいたのは分かった。だが何故、彼女はあの3人と杉本先生を真っ先に狙い惨殺したのか。
ネクラにはそれが理解できなかった。
「ああ。あの3人に関しては、アタシとつるんでいた奴らぐらいは助けてくれる。そう思っていたが、あいつら協力どころかお前が死んで怖気づいたのか、お前が屋上から身を投げてすぐに言ったんだ。こんな事になるとは思っていなかったし、反省した。自分たちも名乗り出るから、事の真相が世間に広まる前に一緒に謝ろうってな」
優妃は吐き捨てる様に言った。
あの人たちが、そんな事を言うなんて。ネクラは驚きを隠せなかった。
私を毎日の様にいじめていた彼女たちの行為は許せないし、許すつもりはない。
でも、自分の死後に少しでも自らの行いを悔いてくれていたのなら、少しだけだがあの人たちを見る目が変わった。
「それが、あの人たちの命を奪う事とどう関係しているの」
ネクラが声を絞り出しながら言葉を発すると、優妃は宙に浮いたままのネクラを激しく揺らす。
「だけど、あいつらはアタシがいじめの主犯格でネットに晒されてからは平気でアタシから離れやがった。自分たちは関係ないと言いたげに、話しかけても、目が合っても、無視しやがった」
優妃の仲間に裏切られた怒りと悲しみが声となって現れ、それが伝わったのか、ネクラは悲しそうな表情で彼女を見つめていた。
「なにが自分たちも名乗り出るから一緒に謝ろう、だ。裏切りやがって。あいつらに腹がたってどうしようもなく憎かった、だから殺した」
「せ、先生は?」
優妃が怒りを吐き出す度に、濃さを増すモヤと強まる首絞めに耐えながらも、ネクラは必死で話を聞き出そうとする。
「杉本か。お前が死んだ理由を全部アタシの責任にしたんだ。自分は懸命にいじめと向き合ったが、アタシが言う事を聞かなかったって言いやがった」
「でも、それは……」
優妃が先生の言う事を聞かなかったのは事実なのではないか。ネクラがそう言おうとした時、優妃は鼻で笑いながらそれを遮った。
「それは事実だ。とでも言いたげだが、それは違うぞ。アタシは杉本にいじめを注意された事は一度もなかったぞ」
「え……」
確かにネクラがいじめの事を相談した際、杉本は面倒くさそうに話を聞いていたが、教員である以上、少しは行動してくれていると思っていたネクラの瞳が驚きの色を映す。
「お前、センセーに夢見すぎなんだよ。面倒事に巻き込まれたくないのは誰だって同じだろ。杉本もそう言う人間だったんだよ」
「そんな……」
ネクラが悲しみで瞳を揺らすと優妃はそれを笑った。
「お前、ホント惨めだよな。でも、杉本がムカつくのはわかるぜ。最終的にアタシの素行が悪かったのは担任である自分の責任だって、センセー振って泣きながら会見した時は殺意しか湧かなかったからな。まあ、殺したんだけど。それにしても、殺した奴らの恐怖と苦痛に支配された顔、思い出してもスカッとするぜ」
殺人に爽快感を覚えたと言う優妃の態度に対し、ネクラは何度目かの恐怖を覚えた。
「アタシ殺した4人は学校には確実に来るわけだし、体育倉庫におびき出すのは簡単だった。姿を現して追い掛け回せばいいだけだったしな」
「どうして、体育倉庫なの」
ネクラの問いに優妃が狂気を帯びて答える。
「自分が死んだ時にわかったんだ。校舎は近いが、学校の隅にあるから人目につきにくいし、普段は人通りもない。扉も壁は厚いって事がな。だから誘い込むことができれば外に声も聞こえないし、この体になってからは扉鍵の開閉アタシの自由だからターゲットは絶対に逃げる事ができない。それに体育倉庫に人が入って行ったところで、見回りや授業の準備のために入ったと思われてもおかしくない。まさに死に場所にしても人を殺すにしても好都合の場所だったってわけ」
なんと狂気に満ちた事か、一目優妃はこの様な人間だっただろうか。
自己中心的な人物ではあったかもしれないが、彼女をここまで駆り立てた憎しみの感情はこんなにも大きなものだったのか。
ネクラをひたすら恐怖が襲う。
「あの4人も確かにムカついていたが、一番憎いのはお前だよ」
ネクラの体を空中で揺さぶりながら優妃は言った。
「あんな事ぐらいで死にやがって。そのせいでアタシはこのザマだ。死んだ後も、お前が憎くて憎くて仕方がない。4人を殺しても、アタシの怒りは収まらない。なんとしてでもお前を消し去ってやりたい。でも、お前は死んでいる。それが腹立たしかった」
優妃の黒いモヤが彼女の腕を伝ってネクラへと迫ってくる。
ネクラはそれを見て、今まで以上に必死でもがく。
その様子を見て優妃は楽しそうに笑う、そして饒舌に語りだす。
「どう言う理由があってここにいるかはしないが、最初にお前を見たときは喜びが抑えられなかったよ。だから、話しかけた。この体になって色々分かった事があってな。どうやらアタシは他の霊を吸収できるみたいなんだ。好都合だ。お前の体を引き裂けねぇのは残念だが、このまま取り込んで消滅させてやる」
「うううっ、あっ」
ふと自分の手を見ると、半透明になり始めていた。
このままでは消滅してしまう。焦ったネクラは渾身の力を込めて無我夢中でもがいた。
その時、自分の制服のポケットから何かが落ちた。
ポタリと落ちたそれは、死神からもらったカラスのキーホルダーだった。
それを見たネクラは死神の言葉を思い返す。
『それはね、お守りだよ。ちゃんと持っていてね』
『そのコには、すごぉーく強い魔力が込められているからね。本当に危ないと思った時は俺を呼んでね』
現世を捨て、人生も名前も全てを失った今のネクラが頼る事ができる者は1人しかいない。
胡散臭くて、どうも信用ができない男。
生まれ変わるチャンスをくれた存在。
本当に来てくれるかどうかと言う不安はある。だが彼女は、彼の顔を思い浮かべながら、腹の底から全身全霊で叫んだ。
「助けて、助けてください。死神さんっ」
「……!なにっ」
少女が叫ぶと同時に、カラスのキーホルダーに黒く大きな稲妻が走った。
稲妻はネクラの首を絞めている優妃の腕に電撃を当てるかの様に弾ける。
それに驚いた優妃が思わず捕らえていたネクラを放す。
ネクラはその場に尻もちをつく状態で解放された。
稲妻はやがてバチバチと音を立ててキーホルダーを包み、黒い円形となった。
ほんのわずかな時間、その光景をネクラと優妃は茫然として見つめていた。
そして黒い円形が霧が晴れるかの様にさぁっと晴れ、そこに現れた人物にネクラは目を見張る。
「はーい。部下のピンチに颯爽と死神さん登場」
それはとてつもなく呑気で胡散臭さ全開だったの声だった。
しかし、ネクラに背を向けた状態で黒いマントをなびかせ、大きな鎌を構えるその姿はまさにネクラが生前思い描いていた『死神』そのものだった。