第64話 止まらない涙
ぴちょん、と水の滴る音がする。
「‥‥う‥ん?」
その音を聞いて、茶髪の小柄な少女‥‥小人族のライラは目を覚ます。
(ここ‥は?そうか、拷問の最中に、気を失って‥‥)
じめじめとした地下の牢獄。
自分の身体を見ると、あちらこちらに痣が出来ていた。
(どうせ、殺すんでしょうから‥‥一思いに殺ってよ。)
もう、なにもかも諦めた。
どれだけの情報を送ったかも吐いた。
なのに、人間は痛めつける手を緩めない。
こちらが痛苦に染まる表情を見て楽しんで、じわじわと嬲り殺すのだろう。
(なんで‥‥なんでよ?)
じわり、と目から溢れ出る涙。
(魔族が、人族に何をしたっていうのよ‥‥)
「魔族」と知っただけで向けられる憎悪。怒りに血走った目。恨みの篭った暴力。
いつだってそうだった。
優しいと思った人間達は、自分達の正体を知った途端に豹変する。
(ああ‥‥今頃はあの人も。)
そう。きっと。あの優しい性格の白い少年ですら、怒り狂っているに違いない。
胸がズキズキする。
身体中に刻まれたどんな傷よりも、その痛みは堪えた。
「もう‥‥やだ。やだよお。」
見た目相応の少女のように泣きじゃくる。
この年にもなって、とかそんな余計な思考は生まれなかった。
「だれか‥‥助けて。助けてよお。」
言いながらもライラは、誰も助けに来ないとわかっている。
フィウルス達と読んだ本の英雄達は、みんな人族の味方だ。
魔族に英雄はいない。
いるとすれば、それは‥‥
カツカツ、と。
石造りで出来た床を、靴底が叩く音が聞こえて来る。
(ああ、また拷問されるのね。)
気絶したフリをしていたら引き返してくれるかな。
どうせ、叩き起こされるんだろうな。
自問自答をしながら、ライラは目を瞑る。
そして、
「助けに来たよ、ライラ。」
目を開ける。
信じられない言葉が耳朶を打つ。
聞き慣れた優しい声が、頭の中で反響する。
そんなことはあり得ない、と思いながら勢いよく顔を上げた先には、
「もう大丈夫だからね。」
いつもと変わらない、優しい笑顔をした白い少年だった。
「フィ、フィウルス?どうして!?ここに!?」
「君を助けに来たんだ。」
再びフィウルスが優しく語りかける。
「あ、あなた!私のことを聞いてないの!?わたしは‥‥」
「魔族。」
「っ!!」
ライラの言葉の続きをフィウルスが紡いだ。
「小人族のライラ、だよね?」
「し、知っているなら、どうしてっ!?」
「僕は君を信じているから。」
「んなっ!?」
一切の淀みなく、フィウルスは言い切った。
「これでも、人を見る目は養われていてね。その人の根幹が善性かどうかぐらいは分かる。」
「う、嘘よ!信じないわ!人間が、魔族を助けるなんて‥‥」
頭が真っ白になる。
だって、そんな人間は存在しない筈だ。
信じられるわけがない。ライラは否定の言葉を繰り返すが、
「ライラ。」
「っ!!」
鉄格子を挟んで向かいにいるフィウルスが、隙間から手を入れて、ライラの体を抱きしめる。
「な、な、にゃにを‥‥!?」
思春期などとうに過ぎた彼女だが、男女関係の経験など無いために激しく動揺する。
そのままフィウルスは己の胸に、ライラを抱き寄せて、
「世界が敵になっても、僕は君を助けると決めたんだ。」
「〜〜〜っ!!」
女みたいでナヨナヨしているといった印象。
それが一転して、漢の一面を見せてくる。
小柄で頼りない体付きだと思っていたのに、包まれてみるとその胸板は厚く、心臓が力強い音を響かせている。
「あ‥う‥」
ライラは言葉にならない音を発することしか出来なかった。
体を巡る血液が熱を持つ。
絶望に染まっていた心が、その温もりを感じ始める。
(あ‥‥だめ。これは‥‥もう止められない。)
荒れ狂う感情は激流となって、堤防から決壊する。
(いた。‥‥いたんだ。魔族に。わたしにも‥‥助けてくれる英雄が。)
それは最弱の少年。しかし、ライラにとっては唯一の英雄。
最弱の英雄が、少女を助けに来てくれたのだ。
「う‥うああああん。」
ライラは初めて異性の胸の内で泣いた。
フィウルスはライラの頭に手をやり、泣き止むまでずっと撫で続けていた。
「‥‥落ち着いた?」
「‥‥はい。」
ライラの顔は羞恥で真っ赤に染まっていた。
あれから数分してようやく落ち着きを取り戻したかと思うと、今度は恥ずかしさでどうにかなってしまいそうであった。
「それで、外に出て避難用の場所に辿り着けば大丈夫なんだね?」
「はい。緊急用に転移できる座標があります。多分、救出に来てくれている仲間もそこで待機しているかと。」
「なら、そこまで送り届ければ大丈夫なんだ。」
「か、簡単なことではありませんよ!まず、この学園から出られるかも困難ですし。」
「大丈夫だよ、僕が何とかする。」
「な、何とかって‥‥。」
目の前の少年は何を言っているのだろうか。
先ほどの言葉は嬉しかったのだが、現実としてフィウルスは学園で最弱の生徒。
それが、自分を守りながら学園のトップ達を掻い潜ることなど出来る筈がない。
ライラは、じとー、と疑いの目を向ける。
「ああ‥‥。そうだね。そら疑ってしまうよね。」
自身の状況を省みて、フィウルスは苦笑する。
ならば証明するしかない。
「‥‥訂正するよ。私がなんとかしよう。」
口調を仮面の時のものへ変える。
そして、時空間にしまって置いた黒マントと仮面を被る。
「っ!!こ、黒衣の仮面!?」
「そうだ。君がハーエン山脈で鳥女に捕まった時も、助けていたね。」
「う、うそっ!?だって、あなた‥‥学園最下位じゃ‥‥」
「訳あってこの力は隠してるんだ。」
もう十分だろう。
そう判断したフィウルスは黒マントと仮面をしまう。
「し、信じられない‥‥。」
「もー、少しは信用してよ。」
事実を受け止め切れないライラに、フィウルスは少し捲れる。
「ま、そーいうことだから安心して。」
「は、はい。確かに、仮面の戦闘力なら‥‥。」
「よし、それじゃさっそく‥‥」
脱出しよう。
そうフィウルスが言い切る前に、
「何やってるんですか、師匠?」
背後から声が聞こえる。
「エルシィ!?」
フィウルスの影から現れたのは、エルシィだった。




