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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第21章】鋼鉄女神が夢見る先に
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21−42 自分が自分である限り

 ドーン、ドーン……どこか遠くで、空気を震わせる大きな音がする。少しずつ鮮明になる意識の中に、アリエルはかつてない程の心地よさを感じていたが。意識を失う前の出来事もすぐさま思い出し、ガバと慌てて身を起こす。そうして改めて、自分が置かれている状況を見やれば……その身は純白の寝台に預けられているではないか。


(えぇと……翼を引っこ抜かれて、それで……?)


 そうだ。自分は確かに、「翼を失った」のだ。それなのに、まだ生きているという事は……おそらく、拠り所の鞍替えが成功したのだろう。

 何かに怯えるように、そして何かを期待するように。アリエルが恐る恐る、背に手を這わせれば……そこには翼の羽とは明らかに異なる、サラリとした感触がある。それと同時に、視界にこぼれ落ちた髪束の色も変色していて。……アリエルの髪はあの憎たらしいマナと同じ、深い緑色へと様変わりしていた。


(しかも……私、少しだけ光っている……?)


 目覚めた直後はヤケに「明るい場所だな」と思っていた。しかし、どうやら明るいのは空間ではなく、自分の存在そのもののせいらしい。手のひらを見つめれば、突き詰めたように白くなった肌が僅かに発光しているのにも気づいて、「綺麗」とまるで他人事のように溢してしまう。


(体が軽い。あぁ、そういうこと。……これが私の本来の姿なのね……)


 誂えたように、少し離れた場所には楕円形の姿見が置かれている。それは先程まで、セフィロトが「外界」の様子を見つめるために使っていた「モニター」であるが。今は持ち主がいないこともあり、普通の鏡として何食わぬ顔で佇んでいた。そんな鏡面に自分の姿を映しては、アリエルは人知れず笑ってしまう。


「フフフフ……アッハハハハ! そう、そう……そういう事! 私は練習台でも、失敗作でもなかった……!」


 だけど、一瞬の高揚もすぐさま萎んで……アリエルはひとしきりの嘲笑の後、涙を流していた。彼女が望んでいたのは、女神になることでも、世界の主役になることでもない。ただ、誰かに認めて欲しかっただけ……できることなら、マナの女神の無関心を悔い改めさせられれば、満足である。

 気を失うまでは確かに持ち得ていた後悔が、アリエルの中でブクブクと肥大していく。このザマでは、誰もが自分を無理やりにでも認めざるを得ない。だが、アリエルは否応なしに認められるだけの境遇を望んでいたわけではなく……ただ、ありのままの自分を受け入れてくれる相手が欲しかっただけだ。

 なお……同じ空間に、セフィロトやプランシーはいない。きっと、今も響き続けている衝撃音は、セフィロトの侵攻によるものに違いない。だとすれば……彼は本気で新しい世界を作ろうと、「抵抗」をしているところだろう。


「……私も行かなきゃ。今更、逃げ出すことは許されないもの。……覚悟を決めるのよ、アリエル」


 世界の敵に回ったことも、そう。この先、女神として生きていくことも、そう。そして……意図せず、世界の主役になってしまったことも……そう。自分が自分であり続ける限り、全てがその身について回る。女神としての能力と一緒に、その力を振るう責任も。

 失敗作だと放逐されて、人間から天使へと逆戻りして……見つめた世界の歴史は今までだって、十分に「長すぎた」のに。未だにこの世界は歴史の転換期を迎える余力があるらしい。だが、アリエルにしてみれば……それはどこまでも、絶望的な状況ですらあった。


「本当、嫌になってしまうわね。……こんな姿で、この先を生きていかなければならないなんて」


 姿見の自分自身を忌々しげに見つめては、乾いた苦笑いを漏らすアリエル。……確かに、アリエルはマナへの復讐を強く望んでいた。そして、「本来の姿」らしい今の状態であれば、彼女に精神的な意味でも一泡吹かせることができるに違いない。だが、そのやり口はアリエルの理想からはかけ離れている。なぜならば……。


「私、女神に成り代わろうなんて……これっぽちも望んでなんか、いないわ。ただ、あいつに“アリエル”を認めて欲しかっただけよ。今まで、蔑ろにして悪かった……って、謝って欲しいだけだった。ま……あいつにしてみれば、それが一番難しいんだろうけど……」


 本当に、呆れちゃうわね。そんなんで、よく女神を名乗っていられること。

 そう独り言ちては、アリエルは「あ〜ぁ」と疲れた息を吐く。女神にとって、「自分の過ちを悔いる」ことがどれだけ屈辱的で、「あり得ぬこと」であるかはアリエルも熟知している。そして……世界で最も正しいはずの女神が「失敗するはずもない」という根拠のない自信が崩れることは即ち、天使達の掲げる秩序も瓦解するに等しいことも、ようよう理解している。

 だが、女神は有能ではあっても、万能ではない。マナの女神は私情で全てを排除してしまえるだけの実力と傲慢さとを兼ね備えていても、間違いを受け入れられる度量と素直さは持ち合わせていなかった。そして、そのことはアリエルが「知る限り」、改善したこともないように思える。

 そうして……女神へと昇華したと同時に、物分かりもよく全てを「諦める」アリエル。とにかく今は歩き出さなければと、気に入らない程に輝く足で第一歩を踏み出した。


(冷たい……。世界はこんなにも、無機質だったっけ……)


 ヒタヒタと裸足で踏みしめるグラディウスの鋼鉄の床は、彼女を受け入れると見せかけて……そこはかとなく、ヒンヤリとした拒絶感も伝えてくる。その冷たさは、どこか居場所さえも失った喪失感をも予感させて。寂しさとなって彼女の体を震えさせるが……しかして、アリエルは俯くのはゴメンだと、しっかりと顔を上げる。


 居場所がないのなら、見つければいい。

 行く宛がないのなら、探し出せばいい。

 何もかもを失っても、自分が自分である限り。

 命までを諦めるのは、まだ早い。


 柔らかな羽毛ではなく、柔らかな葉脈の翼を軽やかに翻し。新しい鋼鉄城の女神が目指すは、グラディウスの最上階。新しい神様であり、彼女のパートナーでもある霊樹の神子・セフィロトはきっと、見晴らしのいいグラディウスの天辺にいるに違いない。

 そんな女神の直感に従って、アリエルは翼をはためかせてフワリと浮き上がる。そうして、さして苦労することもなく、冷たい床に別れを告げるものの……天使だった時とは異なる感覚に、アリエルは戸惑い以上に、虚無感を拭い去ることもできない。なんて、軽やかで……なんて、虚ろな夢心地だろう。何もかもが夢だったら、どれほどまでに滑稽か。何もかもが嘘だったら、どれほどまでに愉快だろう。だけど……アリエルが憎たらしいマナと同じ種類の存在になってしまったことは、残酷な現実。そんな現実さえも、飲み込む覚悟をすると。目覚めたばかりの鋼鉄女神は、新しい夢を追いかけるため……手垢に塗れながらも、生まれ変わろうとしている世界へと羽ばたき始めた。

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